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同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


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5 絶望の果てには夢がある⑤

 純花とも仲直りができたさくらは、少し落ち着いた。

 身勝手な両親は楽しそうに新婚旅行にでかけたが、さくらはきょうだいとの時間を楽しく過ごしている。


 眠くなるまでリビングの大きなテレビでゲームをしたり、真夜中にアイスを買いに行ってみたり。

 勉強勉強と考えつつも、遊びは楽しい。


 家の中では、玲とほぼ一緒だった。

 類から守るために、恋人偽装をしている意味合いも含まれているけれど、家族って、こういうものなのか、とさくらには新鮮である。


「ねーねー。ぼく、朝早いから、もう寝るけど。いつまで、ゲームなんかしてんのさ。親がいないからって、調子に乗ってんじゃない? オニーサン、オネーサンは高三なんだから、ほかにやることもあるだろうに」


 とうとう、類が不満を口にした。


「たまには、息抜きも必要なんだよ。お子さまには、分からないかな」


 玲が厭味で返す。


「ぼくは年下でも、あなたたちとはと違って、働いてますがなにか? 社会人ですけどなにか? 相応の収入もありますけどなにか? 世間にも認められた存在ですけどなにか?」


「ろくに社会常識も身につけないで、女を押し倒しまくってきたお子さまが、社会人だって? とっとと寝ろ。俺は、さくらと白黒つける」


 険悪な気配が高まってきたので、さくらはあえて笑顔を作った。


「玲、類くんも。続きは、明日にしようか。リビングが明るいと、気になってよく眠れないよね」


「さっすが、さくら。言うことが違うね」


「なら、さくらの部屋でやる。行くぞ」


「それはだめだよ。こんな夜中に、個室でふたりきりなんて。風呂上がりのさくらは、いい香りと色気がぷんぷんだし、お姫さまパジャマだし。いやらしい展開狙いか」


「親がいないときにこそ、やるんだよ」


「さくらは、ぼくが先に唾つけておいたんだ。ぼくのほうが、やさしくできるよ」


 これはまずい。


 類は素直な気持ちを晒しているだけだが、玲も演技とは思えないほどの熱の入りよう。

 正直、どちらの味方もできない。


 さくらは、身の危険を察知した。


「分かった。今日はおしまい。玲だって、アルバイトで朝が早いよね。私も、お弁当づくりがあるし、寝よう寝よう! 私は、ちょっと勉強するよ。はい、おやすみなさい」


 喧嘩にならないよう、さくらはひとりずつそれぞれの私室に押し込んだ。


「ふう」


 リビングに、最後残ったのはさくらだった。

 がらんとした空間が、やけに広く感じる。


 同居は難しい。


 玲と類、それぞれの心の、どこまで踏み込んでいいのか、距離がつかめないでいる。

 玲は遠いようで、とてつもなく深い。

 類は親しみやすいのに、近づきすぎると猛獣化してしまう。


 家族なんだから。

 もっと楽しく、もっと仲よくなりたいだけなのに。



 翌日。


 玲は例の高給バイトがあるというので、帰りは遅いという。

 それでもさくらは、きょうだい三人分の食材を買い込み、帰宅した。


「ただいまー」


 帰宅を告げても、返事はない。昔からそうだ。

 だが、今は五人家族。

 答えがあるのではないかと、ほんの少しだけ期待してしまう。


「おかえり、さくら」


 リビングには、類がいた。

 ソファに座っている。

 感心するほど、脚が長いので、思わず見とれてしまう。悔しいけれど。

 類の部屋は引っ越しの段ボールがまだ山積みで、純粋に寝るだけの部屋と化しているらしい。

 たぶん、玲かさくらが手伝わないと、永遠に片づかないだろう。


「えっ。類くん、もう帰宅したんだ?」


「悪い? 仕事が早く終わったんだよ。雨、降ってきちゃったからさ、途中で撮影中止」


 さくらの言い方が気に入らなかった様子で、類はふくれた。


「そ、そっか。おつかれさま。おかえりなさい」


「『早く帰ってきてくれて、うれしい♪』って、言ってみてよ」


「……は、はやめの帰宅で、なによりです……」


「なんかちょっと違うなあ。ま、いっか。じゃ、コーヒー淹れてくれる? ぼく、現場でクッキーをもらってきたんだ。一緒に食べよう。おいしいよ」


 すっかり、類のペース。

 実は、夕食の支度時間まで、がっちり勉強しようと思っていたのだが、類がいるとなるとそうもいかない。

 外で自分を演じているせいか、家の中での類は極度の甘えん坊で構ってちゃんだ。


 着替える暇もなく、さくらは制服のままキッチンに立った。


 ホワイトボードの予定表を見ると、今日の類の帰宅予定は十時。五時間以上も早い。

 一方、玲は九時になっている。

 おそらく、玲は類の帰宅予定時間を見て、今日のアルバイトを組んだものと思われる。

 玲が帰ってくるまで、類と一緒に過ごす不安が心によぎった。


 そもそも、あのあやしいアルバイトは、早く辞めたほうが身のためだと思う。

 いくら高給でも、絶対に誤解を受ける。


 類が早く帰ってきたことを、玲に知らせたほうがいいだろうか。

 けれど、玲には目的があってお金を貯めているのだ。いくらあやしくても、当日の早退なんて、アルバイト先に迷惑がかかる。


 今夜はなんとか、ひとりで乗り切ろう。

 類は、弟。おそれることはない。

 堂々と、毅然とした態度で。姉らしく振舞う。


 そっと、類の様子を窺う。

 鼻歌まじりでくつろいでいて、上機嫌だ。


 ローテーブルの上には、数学や古文の問題集や書きかけのノートが置いてあった。

 類は、勉強をしていたらしい。

 高校へ行っていない類が真面目に勉学している姿を、初めて見た。

 しかも、広げられている参考書は、かなり難しいやつだ。


 容姿だけではなくて、偏差値もいい?

 ……神さまって、不公平だなあ。

 

 さくらはあたたかいコーヒーを、ノートの脇に置いた。


「どうぞ」


「ありがと。さくらも、一緒に飲もうよ」


「そうだね。いただきます」


 機嫌を損ねてはならない。

 おやつを一緒に食べるだけだ。

 言動には、細心の注意を払わなければならない。


「コーヒー、いい香り。ん? さくら、なんか緊張している? 表情が固いけど」


「そ、そうかな」


「いつもと違う」


 天下のカリスマモデルには、小細工が通用しなかった。

 さくらは、黙ってコーヒーを飲んで顔を隠す。

 落ち着け。相手は弟だ。


「今日の夜ごはんは、肉じゃがだよ」


 類の視線を避け、話題を変えてみる。


「うれしい。ぼく、さくらのごはんって大好き。玲の作ったやつよりも、百倍うまい」


「ありがとう」


「さくらは家庭的で、将来いい奥さんになるよね、絶対」


「家事はなんとかできるけど、そうだったら、いいな。でも、仕事を持ちたい希望もあるし」


「へー、どんな仕事を」


 類が身を乗り出した。


 距離が近づいたぶん、さくらの心臓が飛び跳ねる。

 だが、動揺を見せたら負け。類は他人の弱点に、必ずつけ込んでくる。


「あのね。ひとことでいうと、建築家」


「けんちくかあ?」


「うん、建築士。家を建てたいの」


「家、ねえ。この部屋が、あるじゃん」


「私が作りたいのは、マンションとかビルじゃなくて、個人のお宅。家族が住む場所。変わった環境の家庭に生まれたせいか、家に憧れがあって。家族がいつまでも楽しく過ごせるように、手助けをしたい」


「ふうん、家ねえ。ぼくは、マンションのほうが断然いいけど。戸建てだと、セキュリティに不安が残る。人ん家に不法侵入する追っかけとか、いるんだよ」


 将来の夢について、まじめに答えたので笑われるかと思ったのに、類はクッキーを食べる手を止めて考え込んでしまった。


「あ、あのね、たいそうなことを言ってしまったけど、聞き流してくれていいんだよ。私の、勝手な夢だから」


「いいんじゃない。卑屈にならないでよ。ぼく、好きだよ、そういうの。心の底に秘めておく夢もあるけど、誰かに伝えて実現できる夢もあるから」


 類は自分の食べかけクッキーを、さくらの口にぎゅっと押し込んだ。

 うわあ、間接……!


「さくらの話だけを聞いて終わるのはフェアじゃないから、ぼくの夢も聞かせてあげよう。まずは、きちんと大学生になる。経済か法律を勉強して、母さんの会社を継ぐんだ。しばらくはモデルで社長っていうのもおもしろいけど、モデルはいつか辞める。いつまでも続けられない。容姿だけじゃ、生きられないから」


「すごい、類くん。えらい。現時点ですでに超売れっ子なのに、先を見据えているんだね」


「この世界の競争は激しいから、当然。モデルとしての賞味期限が切れないうちに、少しでもたくさん勉強しておきたい。ああ、でもこの話、母さんには内緒にしてね。母さん、ぼくのことをかわいがるけど、言動は全然信用してくれていないから」


「類くんなら、うまくいくよ。聡子さん譲りの快活さに、カリスマ性。社長、向いていると思う。類くんの笑顔で応援すれば、社員さんはたくさん働くよ。私も、類くんの笑顔に励まされているし」


「確かにそうだね。ぼくの笑顔、いつもどこでもすごく喜んでもらえるもん。さくら、間近で笑ってあげようか」


 類の中のスイッチが入った。


「恥ずかしがっちゃって。玲もいないことだし、ねえ。さくら、ピンチだね。制服姿も、いいな。萌える。キス以上のこと、もっと教えてあげる」


 類のきれいな目が、どんどん近づいてくる。

 深く考えずにこのまま吸い込まれてしまえたら、どんなにラクだろうか。


 いや、だめだ。それはない。類は、弟。


 これ以上、妙な噂が広がったら、類の仕事にはさらに支障が出るに違いない。

『さわやかでピュアな少年』なんだから。


「いや、困る。だめ」


「なんで、そんなに拒むの。ぼく、女の子にいやがられたことないんだけど。傷つくよ。なにが、だめなの。みんな、していることだよ。この前はひと晩、仲よく遊んだじゃん」


「この前は、気がゆるんでいたというか、不意を突かれたというか、魔が差したというか」


「魔なのか、ぼくは」


 とても悲しそうに、類は眉をひそめた。

 天使のほほ笑みをどんどん曇らせてゆく。



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