5 絶望の果てには夢がある④
自宅謹慎が開け、さくらは一週間ぶりに登校した。
奇異の目に、さらされることは覚悟していた。
でも、だいじょうぶ。玲がいてくれる。
玲は、類からだけではなく、さくらに降りかかる諸問題を払いのけようと助力してくれた。
今朝も、登校は別々でも、なるべく早く行くと約束してくれた。
その心がけだけで、さくらはうれしい。
登校して、いちばんにしたいことは謝ること。
隠したくて、隠していたわけではない。
けれど、結果的に多くの人を傷つけてしまった。
「純花、聞いてほしいことがあるの」
さくらは純花の目の前に立ちはだかり、純花の逃げ場を封じた。
純花はいやな顔をして、視線を逸らす。さくらと会話するつもりはないらしい。
クラスの女子が、教室の隅でひそひそ話をはじめた。
「お願い、話を聞いて。みんなも」
声を大きくして、さくらは訴えた。
「類くんのこと、言えなくてごめん。友だちなのに、こんな大切なことを隠すなんて、最低だよね。しかも、純花が北澤ルイのこと、好きだって知っていたのに」
それでも、純花は俯いたまま、さくらのことばに応えない。
まだ怒っている様子。さくらは、むなしくなった。
けれど、途中で止めるわけにはいかない。
純花を傷つけてしまったのは、自分。
「北澤ルイは、玲……の弟。今度の件で、私の義弟になった。自分でも信じられないんだけど、ほんとうなの。あの写真は、類くんと出かけたときに、隠し撮りされていたようで。家族にも学校にも、たくさんの人に迷惑をかけた。もちろん、純花にも。軽率だったと反省している。ごめん」
女子がざわついた。
遅刻ぎりぎりの玲が、教室に入ってきたからだ。
勘のいい玲は、教室に流れている妙な空気を一瞬で感じ取った。
「さくら」
鞄も置かずに、さくらの身を案じてくれる。
気持ちはうれしいけれど、玲に頼ってばかりもいられない。玲の動きを押し留めた。
「ありがとう。でも、だいじょうぶ。この場は、私に任せて。玲は、ほかの女子の対応をしてくれると助かる」
「ほかの 女子?」
玲が振り返ると、多くの女子が玲を目がけて殺到していた。
「あの北澤ルイって、柴崎くんの弟だったんだ?」
「高三になって、初めて聞いたんだけど」
「あんまり、似ていないよね」
「柴崎くんと北澤ルイ。それに笹塚さんで同居?」
「あぶない香りしかしない。どうなっているの、家の中」
玲に詰め寄る女子の波をぼうぜんと見つめていると、純花が急にさくらの腕を強く引っ張って廊下を走り出した。
「す、純花? どこへ」
問いかけても、返事はない。
予鈴が鳴っている。
もうすぐ授業がはじまってしまうのに、純花がさくらをつれていったのは、屋上だった。
やや強い風が吹いている。
さくらは、風に流れる自分の髪を、手でおさえた。
「ここなら、ふたりだけで話せるか」
「さくらに、家庭の事情があったのは理解しているつもりだった。でも、柴崎くんが兄になってからは、ふたりでべったりだったから余計、頭に来てさ。最近のさくらは、なんでも柴崎くん、柴崎くん。なんかこう、さくらを取られたっていうか。北澤ルイのことより、そっちのほうが実は頭に来ていたっていうか……ただの嫉妬。ごめん。同居のことや北澤ルイのことで、さくら自身もまだまだ混乱しているはずなのに、言いづらいこと、教えてくれて、ありがと」
純花の目には、涙が浮いていた。
友人を泣かせてしまった。
「ううん、私こそ。もっと純花を頼ればよかった。分かってもらえて、うれしい。遅くなって、ごめんね」
つられて、さくらも泣いていた。
「うん、うん」
「私もね、実は騙されていたっていうか、はじめは家族から類くんのことを詳しく紹介されなくて。ある日、家に帰ったら、部屋に類くんがいたんだよ、驚いた」
「えーっ、なにそれ」
「あれこれ説明するより、実物を見たほうが早いからって。横暴だよね。心の準備ができていなかったよ」
「あのさ、さくら。家族に、遊ばれてない?」
「うう、そうかも」
完全否定、できない。
久々に、ふたりは笑った。
「で、あの写真の真相は、どういうこと? 弟くんとのお出かけにしては、親密過ぎるよ」
純花は、さくらの痛いところを突いてきた。
説明しなくても済むなら、そっとしておきたかった部分に。
でも、ごまかすことはもうやめだ。
「私の、元気ない様子を見た類くんが、夜の遊園地に連れ出してくれて。ほら、渋谷で玲を見かけた日。類くん、外が暗いと顔バレしづらいからって。遊園地、久々だったから私も調子に乗っちゃって、閉園間際までいたら、類くんのファンの子に見つかって、大騒ぎになりそうだったから私を抱き寄せて守ってくれたんだ。私も楽しかったし、感謝の抱擁っていうのかな」
大筋はこれで合っている。
実は覗き趣味とか、類のイメージが壊れてしまうようなことは黙っていなければならない。
「でもさ、ふたりはキスしていたという説明文もあったけど。さくらをかばうために、そこまでしたの」
「う……」
「したんだ。北澤ルイと、キス! うわ、初キスのお相手が、カリスマモデルの北澤ルイなんて。しかも、弟! 柴崎くんに接近したかと思ったら、北澤ルイと。うわあ、意外に軽かったんだ、さくらって」
「あのね! やましくないの。唇は軽く触れちゃったけど、私があまりにも無防備だから、その警告の意味も含めて、指導というか」
「つまり、奪われたと」
「……そういうことです」
「北澤ルイは、さくらのことを姉としては見ていないってこと? いくら仲がよくても姉とはしないよね、そういうこと。告白された?」
「あ、あのね。いきなり家族になったわけで、類くんの中にも戸惑いがあるんだと思う。どう接していいかって。私も、類くんは弟だけど、雑誌の中のモデルでもあり、寄られるとどきどきするし」
「意識しているんだ。男女として。姉弟の、禁断愛」
「弟だよ、弟。私は、類くんに姉として」
「でも、北澤ルイはさくらを欲しがっている。柴崎くんも入れて、三角関係か。いいなあ、北澤ルイに好かれて、でも隣にはクラスの人気者・柴崎くんがいる。あ、柴崎くんには、昼間っからラブホテルに行くような、深い仲の彼女がいるんだっけ」
「あの人は、アルバイト先の社長だって。玲から、聞いたよ」
「うさんくさい。その話、さくらは信じているんだ?」
「うん。ちょっとあやしいけど、玲の目は嘘をついていなかった」
「そこまでして、お金を貯めたがる高校生か。社長の息子なんでしょ。理由は?」
「それは、はぐらかされてしまって」
「ああ、もう。かんじんなところでだめな子、さくら。きょうだいなんだから、図々しく聞いていいんだよ! 親にも内緒のバイトなら、ばらすよとか脅しをかけたりさ。知りたいじゃん」
「いやだ。嫌われるぐらいなら、知らないままでいい」
「なに乙女みたいなことを言ってんの。もしかして、さくら」
玲のことが、好き?
さくらの心を、ひとつのことばがよぎった。
玲が好き?
「ち、違うよ。同居家族と、気まずくなりたくないだけ。毎日顔を会わせるんだから、ごたごたしたら、面倒でしょ」
「ふーん」
にたにた笑いをやめない純花に、さくらは飛びかかった。
「笑わないで」
「どうしようかなー。さくらの本命、教えてくれたらね」
「本命なんて」
「迷っちゃうよね。クラスメイトの兄。売れっ子モデルの弟。あーあ、さくらばっかりいいなー。ずるい」
「そんなことない。純花は成績がいいし、どんな大学にだって行けるでしょ。私なんて、模試では志望校ぎりぎり」
実は、同居がはじまって成績が落ちてきている。
引っ越しやら、家事やら雑務に追われているせいで、まとまった静かな勉強時間が確保できていないせいことも関係している。
といっても、自分の成績の悪化を、他人や外に原因を求めたくない。
努力が足りないのは分かっているけれど、苦しいものは苦しい。
「勉強ができても、人生の勝ち組になれるかどうかは別でしょ。女はやっぱり、理解あるよきパートナーに恵まれないとさ。で、どうなの本音?」
「……今は、まだよく分からない。玲も、類くんも好き。家族としてなのか、別の感情なのか。どちらも、仲よくしたい。失いたくない」
「贅沢病だ、さくらは」
「そうかも」
「現状では、さくらを強引に押したほうが勝つね、これは。ということは、キス済みの北澤ルイが一歩リード? 今度、ルイくんに会わせてよー。そしてこいつは、ずっと黙っていたお仕置き」
純花は、さくらの両頬をつねった。
ぎゅっと。かなり、痛かった。
相当、強く引っ張ったに違いない。
しかも、頬に純花の爪が食い込んでくる。
「わふー、おゆるひほ」
「この、贅沢鈍感女。二股したら、許さないよ。どっちか決めろ。どっちか譲れ、この」
「いたひれふ」
「どっちでもない、ってのもありだぞ」
「ごへんらさい」
きっと、相当間抜けな顔で、さくらは許しを乞うていたに違いない。
顔にはやさしい笑みを作ってくれていたけれど、心ではきっと怒っていただろう。
純花は、それでも許してくれた。




