5 絶望の果てには夢がある①
結局、停電が完全に復旧したのは、翌日の明け方だった。
なんとか、タクシーで深夜に帰宅した聡子が発見したのは、リビングで玲とさくらが仲よく眠る姿。
寄り添って静かに寝ている姿がとても愛らしく、起こす気にもなれず、朝までそっとしておいたらしい。
頭と頭をくっつけて眠っているところは、その後に帰宅した涼一にも見られてしまった。
「これも、茶番のひとつかと」
類の、さくらに対するただならぬ思いは、両親も脅威に感じていたので、涼一と聡子は玲の提案を受けた。
「ミイラ取りが、ミイラにならなければいいけどね」
「なるわけないだろ。こいつは、俺の妹」
玲は布団を持って部屋に戻って行った。
さくらは後姿を見送る。
玲の黒髪に、寝ぐせがついていた。
あの黒髪と、ひと晩くっついて寝ていたんだなあ、としみじみしてしまった。
「あれ、勢揃い」
玄関のドアが開いた。類が帰宅したところだ。
「だいじょうぶだった? 昨日は」
「仕事仲間の家に泊まった。あれ、こんなところで寝ていたの、さくらは。パジャマ姿、やっぱまじかわい過ぎ」
「それは、私の趣味。かわいいでしょ」
類はさくらの布団に駆け寄ってダイブした。
「いいなあ、こういうの。ぼくも結婚したら、奥さんにはこういうお姫さまパジャマを着て欲しいなあ。でも、もう朝だから。脱がせてあげよっか、さくら」
「遠慮します」
「やだな、そんなにきっぱりと。もう、キスを済ませた仲なのに」
「やめなさい、類。さくらちゃんが困っているじゃない」
「そうだよ類くん。さくらはきみの姉だよ」
「ちょっとぐらいいいじゃん。減るもんでもないし」
類は駄々をこねる子どものように、さくらの身体にしがみついた。
かわいいけれど、こんなに執着されてしまっては正直、怖い。
「おい、なにやってんだよ。さくらが怖がっているだろ」
玲は類を蹴飛ばした。
「出たな、暴力兄」
「さくら、ばかは放っておいてこっちに来い。昨日、ここで一緒に寝たから、風呂に入れなかっただろ。一緒に入ろうぜ」
「えっ、お風呂!」
その場にいた全員が、玲の顔を注視した。真顔で、本気である。
さすがの類も、さくらの背中に回していた腕の力を緩めてしまった。破壊力、抜群である。
その隙に、さくらは玲のそばへと駆け寄る。
さっそく、類対策の茶番が発動しているのだ。『一緒に』を強調しているのが、その証拠。
「うん」
狂気の沙汰と思われてもいい。
かわいそうだけれど、類の思いは受け取れない。
ごめん、類くん。
「嘘でしょ。そんなの嘘だって。ぼくだって、見抜いているさ」
「嘘じゃない」
玲はさくらの腰に手を回し、意味ありげな流し目でさくらを誘う。
いかにも手馴れている。さすが、類の兄。
恥ずかしさのあまり、さくらは火を吹きそうになった。
「みんな、見ているから……玲ってば」
「見ていないところでなら、いいのか。意外と、乗り気」
「あらー、玲までさくらちゃんに恋しちゃったの?」
「俺は、よこしまで計画性のない類とは違って、今後のさくらとのことを深く考えている」
「ふん。どんなふうにさ」
「お前には教えたくない。さ、行こうさくら。きれいに洗ってやるから、ふたりっきりで昨日の続きをしようか」
「れ……玲! みんなが聞いているのに」
「いいだろ。俺とお前の仲だ。さっき、母さんたちだって納得してくれただろ」
芝居がかり過ぎていて、おかしい。
さくらは笑顔をひきつらせる。額に、変な汗さえ浮かんできた。
類は不審そうにこちらを睨んでいる。
まずい。嘘だとバレてしまう。
さくらは、努力して玲に合わせることにした。
「玲ってば、大胆なんだね。でもそんなところも、私は……す、好きです」
作られたセリフだと分かっていても。
さすがに、さくらの『好き』のひとことには、玲の顔が真っ赤に染まった。
「……ああ。俺もさくらが、すげー好きだ」
照れながらの告白ごっこには、なかなかの真実味があったようで、類はきれいな顔をゆがめた。
朝から、玲とさくら、ふたりだけの世界が展開されている。
聡子はふたりをさっさと浴室に押し込んだ。涼一も黙認である。
……演技だ演技。類のために、両親も応えただけ。
けれど、洗面台の鏡の前まで来ると、さくらと玲は向き合うと急いで身体を離した。
「ごめん、あんなこと、言って。あ、あんなことって、どんなことだろ。とにかく一連の発言。それに、勝手にべたべたと触って……」
玲はひたすら謝った。
「ううん、私のほうこそ。今ので、うまくいったかな」
「あとは親に任せるとして、さくらはさっさとシャワー使って来いよ」
「私?」
「ああ。汗でべたべた」
「く、くさい? におうとか?」
「お前の匂い、嫌いじゃないけど。同居して、はじめて知った。お前、俺の好みの匂い」
好みの匂いと言われても、自分ではよく分からないし、あまり嬉しくない。
類も言っていた、好みだと。
自分は、兄弟に好まれる匂いなのだろうか?
「じゃあ、お先に」
言いながら、さくらはその場でパジャマを脱ぎはじめた。
「おいおい、大サービスだな」
「え?」
「俺は、ここで類の侵入を防ぐ。最低限、風呂場に入ってから脱げよ。それとも、俺を本気で誘っているとか? それならそれで、俺も準備があるけど?」
にやにやの玲に、言い返すことばが見つからなかった。
無言で風呂場に入ったさくらは、ばたんと思いきり戸を閉める。
……いろいろあり過ぎた。
さくらはシャワーを使いながら、そんなことを考えていた。
全部、洗い流せたらいいのに。
全部。ぜんぶぜんぶ!
週明けの月曜日。
相変わらず、すでに玲はバイトで早く出てしまい、両親も類も仕事でいない。
せっかく家族が増えたのに、柴崎家では全員揃うということが非常に稀だった。
「慣れなきゃね、この生活」
たぶん、自分がいちばん戸惑っている。
忙しい両親。
クラスメイトにしてバイトマニアの兄。
売れっ子モデルなのに覗き魔、執着王である弟。
もしかして、自分は家族に利用されているだけなのしれない。
家事をこなし、類の欲望を受け入れる、都合のいい、ただの器。
いやだ。そんなのいやだ。
とぼとぼと通学路をたどって教室に入ると、クラスメイトの視線がいっせいにさくらの身に集中した。
『ほら、やっぱりそっくり』
『うわー。これ、笹塚さんなの』
『信じられない』
『夜遊びするようなタイプじゃないと思ったけど』
『でもねえ、動かぬ証拠ってやつ?』
嘲笑と冷笑がさくらに突き刺さった。
おどおどとしながら、席に向かう。
しかし、机の上には白いチョークで『ルイを返せ』という文句が書いてある。
さくらは動揺した。ルイを返せ、とはなんだろう。
誰も助けてくれない。
自分がなにかしたというのか。
理由も分からないのに、泣いたらだめだ、泣いたら負けだ。
黙って、さくらは雑巾で謎のことばを拭き取った。
『ルイ』とは、類のことなのか。
とすると、『返せ』というのは。
予鈴まで、まだ時間がある。
純花に訊こうと思い、歩み寄った。
「純花、これはどういうことなのか、知っている? 私、なんにもしていないのに」
純花の顔が、歪んだ。
「なにもしていない? よくそんなことが平気で言えるね。知らないの? この話題で校内、持ち切りなのに」
突き出された、純花の携帯電話の画面。
そこには、夜の遊園地で親密そうに抱き合うさくらと類が映っていた。
自分で見ても、なにこれ? と、思う。
インターネット上に、あの夜のデート写真が流出してしまったようだ。
あの夜のできごと、周りの人に撮られていた?
確かに、携帯のカメラを向けている人もいたけれど、類の喝で諦めてくれたと思っていたのに、甘かったようだ。
「北澤ルイの相手、さくら本人だよね。いつから、どういう関係?」
いつの間にかさくらを取り囲むように、クラスメイトの女子たちが壁のように立っている。
逃げられない。
「ルイ……類くんとは、事情があって。でも、付き合っているわけじゃなくて」
「付き合ってもいないのに、こんなに親密って? 私、ちっとも知らなかった。友人が、北澤ルイと深い仲だなんて」
「深い仲って、そんな別に」
さくらは否定したが、とても聞き入れてくれない。




