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想像していなかったこと①

 ジュエルスが帰ってくることを心待ちにしている屋敷の者たちは、それぞれがジュエルスを迎えるために余念なく準備をしている。


 セージはサフィリナに自分の不甲斐なさを詫び、当主としての仕事を精力的に始めた。病人のように臥せっていたケイトリンも元気を取りもどし、かつてのように、とまではいかずとも侯爵夫人としての務めを果たすために、久しぶりに身なりを整え、執務室の机に向かっている。


 サフィリナはその様子を見て一気に心が軽くなるのを感じた。 


 ジュエルスが帰ってくるのは今日か? それとも明日か? 毎日そんな会話が行きかうのは、喜びが隠せないから。


 しかし、ジュエルスの帰りを心待ちにしていた家族のもとにやってきたのは、ジュエルスではなく、騎士団副団長ペンサー・レット・デトロイス。


 なぜ彼がやってきたのかわからず、困惑したまま応接室に案内し、彼の前にセージとケイトリン、彼らの右側にサフィリナが座る。目の前に置かれたお茶には誰も手を付けることなく、しばらくの沈黙が流れた。と、突然ペンサーが深々と頭を下げる。


「いったい、なにを?」


 ペンサーの行動に表情をゆがませたセージも、彼の訪問の理由を知らないらしい。


「大変申し上げにくいのですが、ご子息が終戦の直後に行方不明になり、いまだに安否の確認がとれていません」

「は……?」

「……行方……不明……?」


 そう呟いたケイトリンは、クラッと体を揺らして背凭れに背を預けたまま意識を失った。


「だ、誰か、ケイトを寝室へ」


 ケイトリンは使用人に運びだされ、セージが付き添って一緒に部屋を出る。


 応接室に残ったのはサフィリナとペンサー、そして数人の使用人たち。


 サフィリナは真っ青な顔をして、体の震えを抑えるように右手で自身の左腕を強く握りしめた。しかし、震えは止まらない。


「ほ、本当に……彼は……?」

「はい。現在捜索を続けていますが、手がかりはつかめていません」

「いったい……なにがあったのですか」


 絞りだすようなサフィリナの声にペンサーが応えた。


 国同士の話し合いで戦争は終結したものの、バーズビル王国の国民は静かに抵抗をしていて、その結果、帰還の途に就いたザンブルフ王国の騎士隊の、最後尾を任された特別隊が襲われた。ジュエルスはその特別隊に編成されていて、戦闘の末、行方不明になってしまった。


「特別隊の隊員のうち二人の死亡が確認され、ご主人が行方不明に――」

「……うそ……そんなのうそです! だって、戦争は終わったんですよね? 帰ってくるって! 生きて帰ってくるって――!」


 顔を両手で覆ったサフィリナの肩が震える。


「……お願いです。……彼を見つけてください」

「……現在、戦闘があった場所から範囲を広げて捜索中です」


 しかし、一人のために多くの人員を割くことは難しく、中止を余儀なくされるかもしれない。そう言葉を続けようとしたが。


「見つけて……彼を、どうか見つけてください……」


 弱々しいサフィリナの声に、ペンサーは小さくうなずいた。


「尽力します。しかし、絶対に見つけるという約束はできません。申し訳ありません」


 隠すことなく事実だけを伝えるペンサーの正直さは、ときとして無慈悲で、しかし楽観的希望を含まないことが彼の優しさであり、現実を知る者の厳しさでもあった。


 彼自身も戦地に身を置き、仲間を何人も失い、自身も何度となく命の危険と隣り合わせの戦いをくぐり抜けてきたのだ。だからこそ彼の言葉には事実しかない。


 そんなペンサーのサフィリナをまっすぐ見つめる瞳が、騎士は常に最悪の結果を覚悟していなくてはならない、と伝えている気がした。だからこれ以上みっともない姿をさらすこともできず、サフィリナの内側で膨れあがったかなしみは、吐きだすこともできずに行き場を失った。


「わかりました……」


 サフィリナは声を絞りだし、頼りなくうなずいた。





 時間が止まることはない。日が昇り、きらめく一日が始まって、眩しい光が大地を照らし、美しい夕日が雲を赤く染め、次第に広がる瑠璃色から濃紺へと空が色を変えて、迎える静寂の夜。雨が降り、昼前にやんだ雨のしずくを強い日の光が照らしてキラキラと瞬く。新しい命が誕生して、大人になって旅立ちの季節が来る。時間は淡々と流れ、誰もそれに逆らうことはできない。


 騎士団は一か月ほどジュエルスを捜索してくれた。しかし、手がかりもないまま打ち切りになった。

 セージも報奨金を用意して情報を集めたが、金目当てに寄せられたそれらは役にたたないものばかりで、失意を大きくするだけだった。


 そしてサフィリナは気がついてしまう。何度、彼は生きている、私を置いて逝ってしまはずがない、そう自分に言いきかせても、それを信じさせてくれるものなどなにもないのだ、と。そして自分に失望する。いつの間にかジュエルスのことを諦めてしまっている、と。だって気がつけば二年がたってしまっているのに、なんの情報もないままなのだ。


 それでも気丈に振る舞って生きていかなくてはならない。だから自分を叱咤する。


「だめよ、こんなことじゃ。弱気になってはだめ」


 絶対にジュエルスは帰ってくる。だから、彼が帰ってきたときに笑顔で出むかえることができるように、暗く沈んだ屋敷が少しでも明るくなるように、サフィリナが頑張らなくてはいけないのだ。だから、笑顔を張りつけた。


「おはようございます、お義母さま」


 サフィリナがケイトリンの寝室のドアをノックした。


「……」


 もう一度ノックをしたが返事はない。いつものことだ。


「入りますよ」


 そう言って静かにドアを開けると、ケイトリンが上半身をベッドから起こし、カーテンを見つめている。


「今カーテンを開けますからね」


 サフィリナはそう言ってゆっくりとカーテンを開けた。すると少しずつ部屋が明るくなっていき、ケイトリンは眩しそうに目を細めた。


「お義母さま、体調はいかがですか?」


 すると、ようやくケイトリンがサフィリナのほうを見る。


「とてもいいわよ」


 声に抑揚はないが、今日は体調がいいようだ。

「お食事はどちらでなさいますか?」


 サフィリナが聞くと、ケイトリンは少し考えるように目を伏せた。


「……ここに持ってきてもらえるかしら」

「わかりました」


(お義父さまと顔を合わせたくないのね)


 昨日、屋敷にあまり帰らなくなってしまったセージと、久しぶりに顔を合わせたケイトリンは、恐ろしい形相でセージを責めたてていた。


 あなたが騎士になることを応援なんてしなければ、こんなひどいことは起きなかったのに! あなたのせいよ! 私のジュエルスが……! 


 そう言ってなじるケイトリンに対し「すまない」と短く謝罪してそれ以上なにも言わないセージ。その態度がますます彼女の怒りを膨れあがらせ、言ってはいけない言葉を並べたててしまう。それは、サフィリナが駆けつけて二人のあいだに割ってはいるまで続いた。


「リナ」

「はい」

「あの人はどうしているの?」

「お義父さまは……早くに出ていかれました。またしばらく屋敷を空けるそうです」


 セージはジュエルスの捜索のために、いろいろな場所に足を運んでいてあまり屋敷に帰ってこない。ケイトリンのためにも自分が屋敷にいないほうがいいだろう、と思っているのもあるが。


「そう……」


 ケイトリンが両手で自身の顔を覆って、大きく溜息をついた。


「あの人を責めたくないの……。でも、どうしても」

「……お義父さまも、わかっていらっしゃいます」


 この状況に一番苦しんでいるのはセージだ。だからこそ、ケイトリンの怒りもすべて受けとめている。


 しかしそれなら、ジュエルスが騎士になることを反対しなかったサフィリナだって責められるべきなのに、誰もサフィリナを責めることをしない。それを思うと心が軋む。


「あなたにも負担ばかりかけてごめんなさいね」


 ケイトリンの言葉にはっとして、それから笑顔を作ったサフィリナ。


「いいえ。私ができることなんてこれくらいですから」


 それに、忙しくて暇な時間など少しもないが、余計なことを考える時間がないこの状況は、むしろサフィリナにはありがたい。ただ、残念なことがないわけではない。なぜなら、繊維事業からは長いこと遠ざかってしまったからだ。


 今は、ホルステイン侯爵邸を離れるわけにはいかず、執事のジェイスと従業員たちにすべてを任せている。


 それは仕方がないのだが、結果として以前から計画していた、新しい紡績機の開発計画は頓挫し、長繊維綿の収穫量も思うほど増えていない。それに、業績は徐々に下降している。きっと従業員たちは、この状況に不安を抱えていることだろう。


(彼らには本当に申し訳ないわ)


 これから先もこのままなら、農園と工場、そして従業員たちを守るために、事業を手放す未来も考えなくてはいけないかもしれない。この先もこのままなら――。


読んでくださりありがとうございます。

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