夢への一歩③
四人が向かったのは、パーティーの招待客が進入することを許されていない特別な場所。真っ赤な絨毯が敷かれた廊下の突きあたりにある部屋が、マックトンがいるという所蔵庫だ。
伯爵夫妻が案内できるのはここまで。
「俺はドアの前にいるから、なにかあったら呼んで」
「ええ、わかったわ」
ジュエルスの言葉にうなずいたサフィリナは、伯爵夫妻のほうへ向きなおって頭を下げる。
「わがままを言って申し訳ありません」
「いいえ。我々ができるのはこの程度ですから。ただ、マックトンさまを怒らせることだけは」
ダグラスが念を押す。
これ以上彼の機嫌を損ねて、関係に亀裂が入るようなことだけはお断りだ。
「もちろんです」
心配そうな三人に対して、サフィリナはまったくそんな素振りも見せず、所蔵庫の中へと入っていった。
「まぁ」
所蔵庫に入ったサフィリナは小さく感嘆の声を上げた。
広々とした所蔵庫には、いくつもの書架が並べられており、個人で所蔵しているものとしてはかなりの量の本が、分野ごとにまとめられ、ひと目でどこにどの本があるかわかるようになっている。
しかしサフィリナが感嘆の声を上げたのは、本の量に驚いたからではない。
まるで美術館を思わせるような数々の絵画や、陶器で作られたフィギュリン。大きなルビーと思われる宝石が埋めこまれたネックレスなど、素晴らしい展示物が飾られていたからだ。
残念ながらサフィリナはそちらへの造詣が乏しく、それらがどれほどの価値を持っているのかを想像することは難しいのだけど。
また、日の光を取りこむ窓はすべてステンドグラスで描かれていて、色彩豊かに輝いている。しかし、そのステンドグラスは美しさを演出するだけでなく、強い日の光を遮ることで、本や芸術品を痛めることを防いでいるのだろうと想像でき、その配慮にも感心してしまう。
サフィリナは辺りを見まわしながら所蔵庫を進んでいった。しんと静まりかえった所蔵庫には物音もなく、とても人がいるとは思えない。しかし、ふと目の端に見えたものに足を止め、そちらに目を遣ると、焦げ茶色の異国の衣装をまとった白髪の男性が、開いた本をじっと見つめている。彼がマックトン・シルビ・ペスマンか。
サフィリナは静かにそちらに向かった。マックトンの横まで来たサフィリナだが、彼がサフィリナを見ることはない。
「ペスマンさま」
「……」
「はじめてお目にかかります。サフィリナ・ナーシャ・ラトビアと申します」
しかしマックトンは返事をせず、一瞥もなく本の文字を目で追っている。
「ペスマンさまにごあいさつがしたくて、図々しくもこの場所まで追いかけてきたことをお許しください」
「……」
やはり返事をしないマックトン。サフィリナは言葉を続けることにした。
「私はペスマンさまの著書を所蔵しております」
「……」
特に『染色と錬金術の貢献』は何度もくり返し読んでいる本だ。
「錬金術師によってつくられた物質を使うことで、これまでにない色を作ることに成功したという事実にとても感銘を受けました」
その物質についての詳細な説明はなかったが、その物質によって作られたのは、これまでにない鮮明なピンクと究極の黒。残念ながらそれらの色をサフィリナは目にしたことはないが、いったいどんな色だろうと胸を躍らせたものだ。
「そこで私は考えました。錬金術でロイヤル・パープルを再現できないかと」
ロイヤル・パープルという言葉に少し反応したように見えたが、マックトンが本から視線を外すことはない。
「しかし、ペスマンさまの著書を読めば読むほど、錬金術をもってしてもロイヤル・パープルを作ることは難しいだろうと感じました」
マックトンの片眉がピクピクと動く。
「現在、紫色は植物の根や果物からとれる色で染めていますが、それらはロイヤル・パープルには程遠く、さらに時間と共に変色や退色をしてしまいます。そのため私は、亡国トレイアル王国の染色技術をよみがえらせない限り、ロイヤル・パープルを再現することは難しいと考えております」
「……」
亡国トレイアル王国は、三百年ほど前にパステリシュ帝国の侵攻により滅亡した国。
「実は、ロイヤル・パープルを作るために貝を染料に使っていた、という記録を見つけました」
「貝……」
ふとマックトンが本から目を離し、顔を上げてサフィリナを見た。その顔は驚いたような、訝しがるような、なんとも言えない表情をしている。
「はい。それはある国の古い歴史書に書かれていたものなので、それ以上のことはわかりません。ですが別の書物に、亡国トレイアル王国では、採貝が許されていたのは国王が認めた者だけとありました」
「……それを、調べたのか?」
「もともとは父が調べていたことですが」
フルディムも、ロイヤル・パープルを再現するために、大量の資料を集めていた。その中には失われたトレイアル語で書かれた資料もあり、フルディムはそこに書かれている単語をひとつひとつ調べていたが、最後まで調べきれてはいなかった。サフィリナはそれを引きつぎ、ロイヤル・パープルの歴史に触れるに至ったのだ。
「……その国王が認めた者というのは?」
「はい。王族の式服を染めることを許された染色職人です」
「……」
その技術は秘匿とされ、限られた人間しか携わることができなかったという。そのため、その技術を欲したパステリシュ帝国に攻めいられ、それらを帝国に奪われることを許さなかったトレイアル王国の国王が、国内にあるロイヤル・パープルにかかわるものをすべて灰にするよう命じたのだ。
「今の段階では、その貝がどのようなものなのかもわかりませんし、この国は海に隣接していないため、貝の研究をするにはかなりの準備が必要となるでしょう」
「……それで?」
「図々しいことを言おうとしていることは理解しています。それでもお縋りしたいのです。ぜひ、ロイヤル・パープルを作るためにお力をお貸しいただけないでしょうか?」
腰から体を曲げて深く頭を下げたサフィリナの後頭部を、じっと見つめているマックトン。
「つまり、なにが言いたいのかな?」
マックトンの声からわずかな好奇心がうかがえる。
「はい。私ができることは集めた資料と資金の提供です。ペスマンさまには染料の研究をしていただきたいのです。もちろん、ペスマンさまが色落ちしない染料の研究で、とてもお忙しいことも存じております」
「ほう、そこまで知っていても無茶なことを言うか」
「……っ」
マックトンの細めたグレーの瞳がサフィリナの口を噤ませる。
現在マックトンが研究している色落ちしない染料は、ビンガムトン王国内の貴族のあいだでも話題となっていて、多くの支援者がいる一大事業で、サフィリナの依頼が割りこむ隙間などわずかにもないのだ。
「……が、なかなかおもしろい」
「え?」
「貝の染料についてはもちろん知っている」
「あ……」
サフィリナの顔がかぁっと赤くなった。
専門家であるマックトンに対して、さもすごい発見をしたかのように語ったそれを、当然マックトンも知っている、と考えるに至らなかった未熟さが恥ずかしかったのだ。
「その事実を知っている者は私以外にはいないと思っていたが、まさか、こんなに若い令嬢が知っていたとはな。感心、感心」
その口調は楽しげで、決して不快に思っているわけではなさそうだ。それどころか、まるで小さい子を褒めるようなその口調に戸惑うサフィリナ。
「あ、あの……?」
どう判断したらいいのかわからず困り顔のサフィリナを見て、マックトンがうなずいた。
「いいだろう」
「え?」
「お嬢さんの話に乗ってやろうと言っているのだ」
「ほ……本当、ですか?」
絶対に断られると思っていたのに、まさかうなずいてくれるなんて。
「もちろん、今すぐというわけにはいかん」
「……」
「今行っている研究が最優先だからな」
「……」
「そのあとでもいいのなら、ということだが」
「……」
「おい、お嬢さん、聞いているのか?」
「は、はい!」
サフィリナは夢から覚めたように我に返り、常時より大きな声で返事をしてマックトンを見た。
「大丈夫かい。しっかりしてくれよ」
「申し訳ありません。なんだか信じられず」
サフィリナの手が震え、瞳には涙が浮かんでいる。
「ハハハハ、まだなにも始まっていないぞ」
「ええ、ええ、そうですね。これからです」
そう言って笑ったサフィリナの頬に一筋の涙が流れた。
「改めて自己紹介をしよう。マックトン・シルビ・ペスマンだ」
マックトンは染料で爪の先が黒く染まった手を差しだした。
「サフィリナ・ナーシャ・ラトビアです」
サフィリナもその白く細い手を出しマックトンの手を握る。
この二人が世間をあっと驚かせるようなことを成すのはまだ先だが、それほど遠い未来ではない。
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