新しい生活⑦
「……ごめん、遅くなって。ちょっと知り合いに会ってしまって」
「いいのよ」
サフィリナとは違い、ジュエルスは交友関係も広いのだから、こういった場所で知人に会うことも当然あるだろう。
「でも、俺がもっと早く戻っていれば、あんな奴らに――」
こんな場所でなければ殴ってやるところだ、とジュエルスは乱暴な言葉でその怒りを吐きだした。サフィリナは少し困った顔をしてジュエルスを見る。
「この程度でそんな問題を起こさないでちょうだい。私はまったく気にしていないから」
三人の令息たちがサフィリナの名前を知りたがるから、ネルソン男爵と強調して名乗ったし、ジュエルスの婚約者だとも言った。でも彼らはまったく信じず、一貫してサフィリナ嬢と呼びつづけ、婚約者を探しているなら、と自分を売りこんできた。誰も名前を呼ぶことなんて許していないし、探してもいないのに。それに聞いてもいないのに、自分の自慢話ばかりしていて、正直に言えば苦痛しかない時間ではあったが、これも経験だ。
それよりも気になるのは――。
「あなた、なにかあった?」
ジュエルスの様子が気になる。
「あ、ああ」
それ以上言葉を続けないジュエルスは、黙りこんだまま迷うことなく庭園へ向かう。庭園には、ふたつ隣り合って並ぶイスがいくつか置かれていて、そのうちのひとつにサフィリナを座らせ、ジュエルスも隣のイスに座った。
庭園のイスは、ゆっくり会話を楽しみたい人たちのために用意されたもので、だからといって人目がないわけでもないため、不埒なことはできないという絶妙な配置だ。
イスに座りホッとしたサフィリナは、手にしたグラスに口をつけて一気に飲みほした。
「おいしい」
少し甘めの果実酒で飲みやすく、もう一杯くらい簡単に飲みほしてしまいそうだ。
「よかった」
ドリンクを作っていた給仕係が、女性に人気だと言っていた言葉を信じてもらってきたが、間違いはなかったようだ。
「それで、どうしたの?」
静かな場所で話がしたいからここまで来たのでしょ、とジュエルスの顔をのぞき込む。
「うん……まぁ、そうなんだ」
なんとなく濁す感じがジュエルスらしくない。
「さっきさ、俺の幼なじみにあったんだ。ペリエティ公爵家の令息と……モーディアル伯爵家の令嬢」
「そう」
ジュエルスは先ほどの出来事をできる限り簡単に説明した。
「実はさ、一度はクローディアが婚約者候補に挙がったこともあったんだけど……結局なくなったんだよ」
「……そう、だったの」
彼女を受けいれなかったのはケイトリン。ケイトリンは、女性も賢くあるべき、という考えを持っていて、自身も男性と同じように、いやそれ以上に熱心に勉強をしてきた人だ。
とはいえ昔も今も、一般的に女性は必要以上に賢くあるべきではない、という考え方が根強い。だから女性が勉強ばかりしていれば周囲から白い目で見られるし、政治的なことで自分の意見を口にすれば、女のくせに知ったふりをして生意気だ、と蔑視される。それでもケイトリンは人目を気にせず、ときには忍んで勉強を続けた。
その結果、家格差を帳消しにしてしまうほどの高い能力が評価され、ホルステイン侯爵家に嫁入りしたのだ。
「母さんはクローディアをかわいがっていたけど、嫁いでくるとなると違うって言ってさ」
家族に大切に育てられたクローディアは、華があって笑顔が愛らしい。流行に敏感で、持っている情報はいつも最新だ。ただ、ケイトリンが次期侯爵夫人に求めているのはそこではない。
ドレスや宝石のことは瞳を輝かせて饒舌に語るのに、領地や領民のことなど自分に興味のない話になると、あからさまにつまらなそうな顔をする。絵画を見ることや音楽を聴くことは好きだが、それについて話がしたくても、深い知識があるわけではないから答えることができないし、どうにか答えてもその内容は的外れ。
ケイトリンは、仕方がないわね、と笑って話をおしまいにしていたが、それと同時に、クローディアはジュエルスの婚約者にふさわしくない、とすっぱり切りすてた。
ただ、王国の女性の多くはクローディアとさして変わらない。ケイトリンのように熱心に勉強をしている女性はほとんどいないし、語学が堪能な女性も少ない。ましてやクローディアはまだ子どもで、ケイトリンが望むほどの知識がないのは当然のこと。
「母さんが望むような女性を見つけるのは難しいし、クローディアが選ばれることになるだろうって」
ジュエルスもその可能性を考えたことがあったくらいだし。
「それで、彼女が怒って泣いてさ、リナに会わせろって。アレク、あ、公爵家の令息のことだけど、アレクサンドロもちゃんと説明をしろって言うんだ」
「そうなのね」
「ごめん、こういうことで君を煩わせたくないんだけど」
「そんなことを言わないでちょうだい。エルにとって大切な友達なんでしょ?」
「うん……」
「……私にも、その子の気持ちがわかるから」
ジュエルスに恋をして、胸が苦しくなるような幸せな気持ちを知った。そんな幸せを失うことになったら、サフィリナだって泣きたくなるくらいかなしくなるはずだ。
「私とも仲良くしてほしいけど、そう簡単じゃないわね」
「まぁ……そうだな」
クローディアは気の強いところがあるし、甘やかされてきたから少々わがままだ。そんな彼女がサフィリナと仲良くする未来は、どう頑張っても想像できない。
「……あ、この曲」
ふと演奏曲が変わったことに気がついたサフィリナ。よく練習をしているワルツだ。
「……踊りましょうか」
「え? 踊るの?」
「ええ! だって、今日は私の社交界デビューの日だもの。それに今考えても仕方がないことは、あとで考えればいいじゃない!」
こんな素敵な日に鬱々となんてしていられないわ、とサフィリナが明るい笑顔を見せる。
「あなたの靴には鉄板が入っているでしょ? いくら踏んでも大丈夫なら、たくさん踊りたいわ」
「……」
(鉄板は入っていないなんていまさら言えないな……)
先ほどのダンスでサフィリナに容赦なく足を踏まれ、声を上げたくなるほど痛かったのだが。
「そうだね。よし、会場に戻ろう」
(耐えろ! 俺は男だ!)
笑顔の裏で自分を鼓舞したジュエルスは、イスから立ちあがるとサフィリナに手を差しだす。サフィリナがその手をとって立ちあがると、二人はキラキラと輝く会場へと向かって歩きだした。
二人が会場に戻ると、待ちかねていたセージとケイトリンがつかつかとやってきた。
「どこに行っていたの? 捜したわよ」
真っ白なドレスは目立つためすぐに見つけられると思っていたのに、どこを見わたしてもサフィリナの姿が見えず、従者に捜しに行かせようと思っていたところだと言う。
「申し訳ありません。少し休憩をしていました」
「そう。見つかってよかったわ」
ケイトリンがそう言うとセージもうなずく。
「付いてきなさい。皆がサフィリナを紹介しろとうるさくてね。首を長くして待っている」
そう言ってセージとケイトリンが歩きだし、その後ろをサフィリナとジュエルスが付いていく。
「言うことは皆同じだな」
ジュエルスがサフィリナにコソッと耳打ちをし、それを聞いてサフィリナがクスクスと笑った。そんな二人の仲睦まじい姿を多くの人が目にし、あっという間に二人の婚約が知れわたったのだった。
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