新しい生活③
「もっと仲を深めるために……結婚を前提におつきあいする、というのはどうかしら?」
「え?」
思いがけない言葉に勢いよく顔を上げたジュエルス。反対にサフィリナはさらにうつむき、耳を真っ赤にしている。
「エルが、よかったら……の話だけど」
その言葉にぱぁっと顔を輝かせたジュエルス。さっきまでの情けない気持ちがあっという間にどこかに行ってしまった。
「もちろん、もちろんだよ。俺の恋人になってほしい、結婚前提で。あ、結婚が前提ってことは婚約ってことでいいのかな?」
「え?」
「婚約式とかしたほうがいいかな。いや、そうなると時間がかかるか。でも、やっぱりちゃんとしたほうがいい? まぁ、婚約式なんてパフォーマンスだし、それより実質的なことが重要だな。早ければ早いほうがいい。遅くとも社交界にデビューする前には婚約をしておかないと。変な男が近づいてきたら困るからな。うん、それがいい。まずは婚約をして――」
「ちょ、ちょっと待って!」
一人で納得をして次々と話を進めていくジュエルスを、唖然と眺めていたサフィリナは、はたと我に返ってジュエルスの口を両手でふさいだ。
「うぐっ――」
「――あ、ごめ、ごめんなさい」
そう言って慌ててジュエルスの口から両手を離す。が、ジュエルスが逃がさないとばかりにサフィリナの細い腕をつかんだ。
「え?」
「俺と結婚してくれる?」
ジュエルスは真剣な顔をしてサフィリナの顔をのぞき込む。これまで美形だな、程度にしか思っていなかったジュエルスが、なぜか今は眩しいくらいに輝いて見える。
「あ、あの……」
「俺は本気だよ。ずっとリナのことが好きだ。これからもそれは変わらない。ほかの男に君を見せたくないし触れさせたくもない。今すぐにだって結婚をしたいんだ」
(本当に? エルは本当に私のことが好きなの? 私、からかわれたりしていない?)
思わずそんなことを考えてしまうくらい、サフィリナは混乱をしていた。
サフィリナにとってジュエルスは、気兼ねなくなんでも言いあえて、足を踏まれることを覚悟でダンスの練習につきあってくれる、優しい親友なのだ。
加えて自分は領地も持たない男爵で、家族もいない。それに対してジュエルスは由緒正しい侯爵家の後継者。よく考えれば、まったく家格が釣りあっていない。それなのになぜ自分は、結婚を前提に、なんて図々しいことを言ってしまったのだろう。
「……やっぱり無理かも。……私は、エルにふさわしくないわ」
しかしジュエルスは首を振る。
「俺がリナに釣りあわないかもしれないけど、リナが俺に釣りあわないなんてことはない。リナは優しくてきれいで、賢くて完璧だ。それに、俺がリナを好きなんだから、家格の差なんて関係ない」
ジュエルスの真剣な表情が、まったく自信のなかったサフィリナにうなずく勇気を与えた。
「ありがとう。とても、うれしいわ」
「じゃあ……」
すると、サフィリナがニコッと笑った。
「これから、よろしくね」
「や、やった、やったぁ!」
ジュエルスは大喜びをしてサフィリナを抱きしめた。
「ちょ、ちょっとエル」
サフィリナは驚いて顔を赤くする。
「すぐに父さんと母さんに報告に行こう」
「え、あ、そ、そうね」
互いの手を握り、二人がいる居間にやってきたサフィリナとジュエルス。両親を前にしてもジュエルスは平然とした顔でサフィリナの手を離さず、いたたまれない気持ちでうつむくサフィリナと、生温かく二人を見守る使用人たち。セージとケイトリンは二人の様子を見て、息子の思いが実ったようだと安心をした。自分たちを前にしても、ジュエルスがサフィリナの手を離さないのはいかがなものか、と思わなくもないが。
「エルを見ていれば、リナを好きなことなんて簡単にわかったからね」
セージはそう言ってうなずいた。
「まさか、今日あんなことを言いだすとは思わなかったけど」
ケイトリンはジュエルスの予想外の行動に、余裕がなさすぎて情けなかったわ、と溜息をついた。
「それは、申し訳ありません」
ジュエルスもそれについては重々理解しているため、素直に謝った。
「まぁ、私たちはこうなることを望んでいたからいいのだけど」
ケイトリンはサフィリナを見てニコッと微笑んだ。
とはいえ、セージとケイトリンは最初からジュエルスをサフィリナの婚約者に、と考えていたわけではない。
その理由のひとつは家格差。家格が低いサフィリナが侯爵家に嫁げば、いやがらせを受ける可能性は極めて高くなる。ケイトリン自身も子爵家の出身ということでずいぶんといやがらせを受けていたため、同じ経験をサフィリナにさせたくはなかったのだ。
それに事業のことも考えなくてはならない。ここホルステイン領からチェスター領までは距離があるため、事業を続けるにはかなり不便だ。フルディムの事業を守ることは、サフィリナが最も重要視していることだけに、それを無視して婚約者を選ぶことはできない。
そういう理由から、ジュエルスは早い段階で候補から外されていたのだ。
しかし、ジュエルスはサフィリナ以外の女性にはまったく関心を示そうとしないし、もし強引にほかの令嬢との婚約を進めようものなら、サフィリナを連れてかけおちでもしかねないほど入れこんでしまっていた。完全な片思いだが。
さて、どうしたものか。この際、家格差は気にしないとしても、やはり事業をおざなりにすることはできない。それならサフィリナの手足となるような人材を見つけるか? 会社を移転させるのはどうだろう? でも、さすがに綿花畑を移転させることはできまい。いったいどうすればいいのだろうか? まぁ、それはおいおい考えればいいだろう。いや、そもそもサフィリナはジュエルスに特別な感情を持っているのか……?
……ああ、残念。ジュエルスの熱い視線に込められた恋情は、サフィリナをすり抜け、空中で飛散している。我が子ながらかわいそう……。
なんてやりとりがセージとケイトリンのあいだにあったとか、なかったとか。
しかし、そんな心配は杞憂だった。ジュエルスの思いがけないプロポーズと、彼が強引に進めた婚約話の影響か、サフィリナはいつの間にかジュエルスを異性として見るようになっていたのだ。
そして今も、庭園の花を眺めながら楽しそうに過ごしている二人。彼らの周りを取りまく空気は恋色で、畑の手入れをするためにやってきた庭師が、仲睦まじく過ごす二人に気がついて、静かにその場を去っていった。
「エルのお陰でルドベキアの花がいっぱいね」
サフィリナが花の中でも特にルドベキアが好きと知り、翌日にはジュエルスが庭師に指示をして種を集めさせた。おかげで、いろいろな色のルドベキアが庭園のあちこちに咲いている。今はまだ手に入れていない、ルドベキアの中でも特に珍しいキャニオンレッドの種も、近く手に入れることができるらしく、来年には真っ赤なルドベキアを見ることができそうだ。
「ありがとう、私のために」
「どういたしまして。喜んでくれてうれしいよ」
サフィリナの好きなフォレストグリーンも珍しいもので、種を手に入れるためにずいぶん苦労をしていた。その苦労もサフィリナを喜ばせたいがためなのだからうれしくないわけがない。
「私、ここから花を見るのが好きよ」
二人がいる場所は、庭園の隅にあるガゼボ。
「俺も、ここから見る庭園の景色が好きだよ」
そういって隣に座るサフィリナの手を握った。
サフィリナは、ホルステイン侯爵邸に来たばかりのころから、夜になるとよく一人でここから庭園を眺めていた。ここでは頑張って明るく振る舞う必要がなかったから。勝手に溢れる涙や嗚咽を必死にこらえる必要がなかったから。しかし、そんなとき必ずジュエルスがやってきた。サフィリナは慌てて泣くのを堪えようとしたが、一度決壊した涙腺を修復することは簡単ではない。
でもジュエルスはなにも言わなかった。静かにサフィリナの横に座って手をつなぐだけで、慰めることも励ますこともせず、ただ一緒にいるだけ。
いつの間にかサフィリナは、ジュエルスの前で泣くことに抵抗がなくなり、かなしいときはかなしいと、つらいときはつらいと口にするようになった。ジュエルスがいつの間にかサフィリナの心の支えになってくれていたのだ。
あのことがなかったら、サフィリナがジュエルスにここまで心を開くことはなかったかもしれない。
「エルはずっと私と一緒にいてくれるんでしょ?」
「もちろん、ずっと一緒だ。歳をとってヨボヨボになっても一緒にいよう」
「うれしい」
サフィリナがそう言ってかわいらしい笑みを見せると、ジュエルスは静かに顔を寄せてその柔らかい唇に自分の唇を重ねた。サフィリナは驚いた顔をしたが、ジュエルスの手が背中に回ると、その温もりに身を任せて瞳を閉じた。
唇が触れるだけのくちづけだが、二人にとっては熱くて甘くて、心臓の高鳴りを抑えることができないほど幸せな時間。ようやく唇を離した二人は顔を赤くして互いにうつむいた。
「ごめん……なにも聞かずに、こんなこと」
「……き、聞かれても、私だって困るわ」
くちづけをしてもいい、なんて聞かれても恥ずかしくて返事なんてできないし、それなら、なにも言わずに抱きしめて奪ってほしい。
「エルに求められるのは……いやじゃ、ないから」
「リナ……」
(なんてかわいいことを言うんだ!)
ジュエルスの顔が輝く。
「でも、あまり人の目につきそうな場所は、いやだわ」
「ご、ごめん」
確かにここは目立ちすぎる。
「これからは気をつけるよ」
「うん……」
サフィリナは恥ずかしそうにうなずき、ジュエルスは、人けがなければいつでもどこでもくちづけをしていい、と了解を得た、と都合よく解釈をした。
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