IF:最終章 プロローグ
「ねえねえユージ兄、さくらはまだ咲かないかなあ?」
「もうそろそろだよ、アリス。ほら、あれなんか咲きそうだし」
ユージの家の庭は広い。
両親は継がなかったものの、元々は地元の農家だったのだ。
プレハブ倉庫、車が二台停められる屋根付きの車庫。
屋根さえ気にしなければ、敷地の入り口から家までのアプローチにも車を停められる。
そんな、郊外の一軒家の広い庭には桜が植えられていた。
ユージが、ほころんだ桜の蕾を指さす。
桜の木を見上げて、開花を楽しみにしているのはアリスだ。
花が咲く木々はこの世界にもとうぜんあるが、桜は見かけないらしい。
二人の足元で、コタローも桜の木を見上げて尻尾を振っていた。ことしはちょっとおそいみたいね、とでも言いたげに。
「花が咲いて季節を感じる。素敵な文化だね、サクラ」
「もうジョージったら。アメリカだって別にあったでしょ?」
二人と一匹の後ろでは、ユージの妹のサクラと、その夫のジョージがイチャついている。
日本には四季がある。
が、海外に四季がないわけではない。
異世界の、この辺境の大森林にさえ四季はある。
春の訪れを喜ぶのは、厳しい冬がある地方では共通のことなのかもしれない。
開花目前の桜を前に、ユージたちはのんびり過ごしていた。
だが、開拓地にいた全員がのんびりしていたわけではない。
ユージの目に、ガヤガヤと話しながら近づいてくる人たちの姿が映る。
「はー、今日の訓練も厳しかった!」
「もうすぐ。もうすぐ雪も溶けきってグチャグチャじゃなくなる。もうすぐだ耐えろ俺」
「雪かき、雪中行軍、雪中キャンプの訓練、雪上戦闘訓練。俺たち何しに異世界に来たんだっけ」
「人間には毛皮がないんだからマジで冬は厳しいって。やっぱり人間もモフモフになるべき」
「はあ? それで複乳になったらどうするんだ? 待てよ、複乳で巨にゅ」
「いや興奮しないでしょ! なにコイツら業が深すぎるんですけど!」
「言うなミート。いまさらだろ」
およそ一年前に、ユージが元いた世界からこの世界にやってきたトリッパーたちだ。
ちなみにユージはサボっていたわけではない。
ユージとアリスと30人のトリッパーたちは班分けされており、各種作業や訓練、休日をローテーションしているのだ。
ユージとアリス、サクラとジョージはお休みだっただけである。
「みんなお疲れ。水は足りる? あ、まだ寒いだろうしお湯出そうか?」
「じゃあアリス、えいってやってお水をお湯にする!」
ばっと手をあげて宣言したアリスは、答えを聞かずに水場へと駆け出していった。
ユージが慌てて続き、コタローは、もう、しかたないわね、とばかりに二人の後を追いかける。
アリスは温かいお湯が喜ばれたことがうれしくて、厳しい冬が過ぎても「お湯」と聞くと張り切るようになった。
火魔法のムダ遣い、もとい、有効活用である。
雪が降り積もる厳しい冬を越えて、寒さはやわらいできた。
桜の木は蕾をつけて、もうすぐ開花を迎える。
ユージがこの世界に来てから三回目の、トリッパーたちが来てから最初の冬が終わった。
元の世界の暦ではすでに4月に入っている。
4月。
元の世界ではもう間もなく、キャンプオフが行われることになっていた。
ユージとトリッパーたちがこの世界にやってきた日である。
陽が落ちて、トリッパーたち全員が作業を終えて平屋に戻ってきた。
ユージとアリス、サクラやジョージといった、普段はユージ宅で生活しているメンバーも平屋に集まっている。
「わっ! ちょっとみんな、一気に持ってこられても困っちゃうよ! 待ってね、順番にデータを取り込んでいくから!」
「ルイス、これも頼む。向こうでやって欲しいことをメモにしておいた」
「ごめんね、ルイスくん。私もジョージもこっちに残るつもりだから」
「あー、ルイスさん、俺とカメラおっさんのデータはHDDにまとめておいたから。これはそのまま持って帰ってくれればいいよ」
「そうそう、外付けHDDは注文しておいたし」
トリッパーたちの拠点である平屋の中には、いくつか人だかりがあった。
一つの集団の中心にいるのは、ジョージの友人でCGクリエイターのルイスだ。
検証スレの動画担当とカメラおっさんの撮影班、それにほかのトリッパーが撮影したデータを受け取っている。
ユージの家はネットが繋がる。
これまでもユージは掲示板に写真や動画を上げてきた。
トリッパーたちがこの世界に来てからは、ユージだけではなくトリッパーたちも掲示板にアップしてきた。
だが、アップした写真と動画が、撮影したすべてではない。
現像前・編集前の生データ、ボツにした写真、アップした写真のアザーカット、アップしなかったデータも存在する。
それも、膨大に。
ルイスは、データのとりまとめと持ち帰りを頼まれたらしい。
「どうでしょうか郡司先生」
「ひとまずこの線で、私の恩師と話してみましょう。超法規的措置を取られなければ問題はないところまで行けるでしょう」
「前例がありませんからね。この話が漏れたらどんな動きをされるか」
別の集団の中心にいたのは、弁護士である郡司だ。
郡司のまわりにはクールなニートや物知りなニート、元敏腕営業マン、ドングリ博士が集まっていた。
トリッパーのうちの頭脳班である。たぶん。戦闘関係になるとクールなニートは怪しいし、元敏腕はそもそも怪しいが。
ルイスのまわりに集まった面々と違って、こちらは重苦しい雰囲気だった。
ユージとトリッパーたちがこの世界でしてきたこと、それに元の世界のユージ家跡地を守るために、日本の法律に照らし合わせているようだ。
郡司は、自ら重い責任を背負ったらしい。飄々と、いつもと変わらぬ無表情で。
「いいか? まず『お土産を渡したいから』って誘うんだ! そうすれば『デートしよう』って言われるより抵抗なく来てもらえそうだろ?」
「さっすがミート! それで洋服組A、お土産は大丈夫? ちゃんと用意した?」
「エンゾさんにお店を紹介してもらったし、サクラさんにもアドバイスもらったし大丈夫だと思う。……はあ、ミートもトニーもすげえなあ」
「大丈夫大丈夫、失敗したってモンスターに殺られるわけじゃないんだし! 社会的に死ぬわけでもないんだし!」
「チッ、リア充が。うまいこといって末永く暮らして看取るか看取られて爆発してください」
「それもう幸せな人生じゃん。爆発意味ないじゃん」
「あれ? ミートってDT魔法使いじゃなかった? でも気軽に女の子を誘う方法を知ってる? 社会的に死ぬ?」
「言うな名無し。気軽に誘ったけど断られたり出歩いたけど振られたり誘ったことを女にバラされて嗤われたりしたんだろ」
ルイス同様に騒がしい集団もあった。
こちらの中心は洋服組Aだ。
頼み事をされたルイス、自ら役割を買って出た郡司と違って、やたらアドバイスが飛び交っている。
あと嫉妬の目線と言葉。
洋服組Aは、大事そうに抱えた木箱の中身がお土産らしい。誰にあげるのか。母親か。
「みんなごめん。俺、やっぱり一人じゃない空間がキツくて」
「俺は……異世界は、ゲームとマンガとアニメとラノベの中で充分だったよ。文明ってすごい」
「言うな二人とも。俺だって気持ちはわかる」
「名無し二人が脱落かあ……」
「え? 獣人さんがいるってだけで楽園だけど?」
「まだ見ぬエルフさんに会わずにいられません!」
「リザードマンもドラゴンも見かけてないしなあ」
「お前らは黙ってろ。あと何か言いかけたロリ野郎もだ」
「なあ、これ、向こうに戻ったら郵送してくれないかな。母親には伝えときたくて」
「その手があったか! 俺も手紙書こうっと!」
ほかの三つの集団と違って、四つ目の集団の中心にいる二人は沈んでいた。
コテハンなし、二人の「名無しのニート」である。
まわりのトリッパーは口々に二人を慰めている。いや何人か怪しい。
空気を変えるように、あるいはそれが目的だったのか、もう一人の「名無しのニート」が手紙を渡した。
そのアイデアに便乗するべく、何人かが散っていく。
二人の「名無しのニート」は、家族や友人への手紙を託されたらしい。
「ユージ兄は、いいの?」
「うん? コタローもサクラもこっちにいるし、俺は還らないよ。アリスもいるしね」
「えへへ……ユージ兄…………」
ユージの言葉に、アリスははにかんでユージにひっつき、ユージのお腹にぐりぐり頭を押し付ける。
幼女なりの嬉しさアピールらしい。犬っぽい。教えたコタローはユージの足にぐりぐり頭を押し付けている。
間もなく、元の世界ではキャンプオフが行われる。
一年前、元の世界でキャンプオフに参加したトリッパーはこの世界への転移に挑戦した。
今回、トリッパーたちの何人かは、元の世界への帰還に挑戦するらしい。
ユージとトリッパーたちがこの世界にやってきた日は、もう間もなくである。
ということで、IFルート最終章です!
次話は5/12(土)18時更新予定。
※前話サブタイトル、「プロローグ」になっていたのを「エピローグ」に修正しました





