27、ゲスとかドSとかなじられようとは
「ゲスいですね」
水曜日が祝日で、木・金曜日と二日出勤。
それから三連休という飛び石連休。
その木曜の昼休み、愛梨にバッサリと切り捨てられた。
僻地の会社で周囲にめぼしい店もなく、社内の全体朝礼や式典兼用の食堂で昼食を取るしかなけりゃいつも20分近く余裕がある。
ロッカー室で軽く化粧を直して、残りはだべっているワケだけれども。
「お盆の休みに特上のウナギをおごらせたにもかかわらず、キスの一つも許さず」
いや、それは体調という立派な理由があるわけで。
そもそもそのギブ&テイクはちょっと引っ掛かるものがある。
でもそれを抗議する前に愛梨に畳みかけられた。
「その後、付き合い出したというにもかかわらず女友達とフラフラ遊びほうけ」
「いや、それはむこうも山登りチャリンコ大会やら5時間耐久マラソンとか続いてたから、特に問題ないし、ちょうど良かったくらいだったんだって」
子持ちの友達に言われたんだよ。
子供が出来たら自分の時間なんて無いから、時間もお金も自由になる今のうちにやりたい事を心置きなく存分にやっとけって。
確かに結婚して出産した他の友達も『少しでいいから自分の時間が欲しい』と言っていた。
なるほど、と思って、ちょうど気の合う友達もフリーだったから、今しかないとばかりに悔いが残らないよう盛大に実践した。
お互い「まあ、結婚の予定もないんだけどねー」と大笑いしながら。
妙にアウトドアでアクティヴな活動に偏ってしまったのは、お互い体育会系でもともとそう言う事に興味があったうえ、その時参考にしたタウン誌がそういう特集だったからでもある。
「それも終わってやっとお互い落ち着いて、さあ、ここからと期待したであろう鮎川氏に!」
愛梨が力説している。
「あばらにヒビを入れて安静の身になりましたという、この仕打ち」
「まさにドS」
沢木ちゃんがポツリとかぶせた。
「しかもよりにもよって飛び石連休の初日に肋骨にヒビを入れるなんて、どんな悪女ですか」
「もはや究極レベルのお預けプレイ」
沢木ちゃんがもう一度ボソリと愛梨の言葉を補う。
いやいやいや。
そんな事で体を張ったりはしない。
それなのになぜここまで悪者扱いされるのか。
納得がいかない。
「いや、私もそんな気で川で滑りこけたりしないって」
あれは間抜けすぎる事故だ。
そもそもそんな事のためにわざと骨折する位なら付き合ったりはしない。
「そりゃさすがの鮎川氏も『あ、軟禁しよ』って気にもなりますよ」
沢木ちゃんが言って、愛梨が大きく頷き、これまで沈黙を守っていた若ちゃんが「フォローのしようがありません」という顔で「はは」と乾いた笑いで誤魔化した。
「いや! そこもおかしいから!」
そうなはならないだろ。
『生活がご不便でしょう。家事は出来ますか? 食事作りに行きますよ?』
恐ろしい申し出を全力で遠慮した。
すると『確かに人様のキッチンを使うのも効率が悪いですね』と不可解な事を言い出して、そんな鮎川氏のお宅にて介護的な話に押し切られた。
出来る事ならば今からでも断りたい。
機会を見てもう一度辞退を申し入れるつもりだ。
キャニオリングを終えてヘルメットやらウェットスーツやらの道具を返却した後、まだ時間があるからちょっと沢遊びするか、と童心に帰って川でごそごそ遊んでいた。
岩で足を滑らせて、隣にあった巨岩に手をついたものの今度は苔で手を滑らせ、左上半身をいい具合に出っ張った部分に打ち付けた結果、寝起きする時に激痛が走る。
その晩はうめき声を上げずにはいられない痛みだった。
体を伸ばしても、笑っても痛い。
寝起きも着替えも痛くて、そのうち筋肉を使うと痛い気がする事に気付いたけど、筋肉痛とは比較にならない激痛だった。
ネットで調べたら肋骨が折れているかヒビが入っているからしい。
今朝2時間だけ有休をもらって病院に行ったら案の定ヒビが入っていた。
胴体なのでギブスなどで固定も出来ず、「サポーターしてもいいけど、そんなに変わらないからねぇ」と担当医の初老がおっしゃるので気休めの湿布と痛み止めの錠剤だけもらった。
事務所所属の若ちゃん、沢木ちゃんと別れ、愛梨と設計室の中にあるアシスタントのデスクへと戻る。
ガツガツ歩くと肋骨に響いて痛いのでいつもよりゆっくり歩けば、愛梨は無駄に重いドアを開けてくれた。
「ヒビでも骨折って診断結果になるんだって。1ヵ月くらいで治るらしいけど、その間重い物を運ぶ時とか、大変申し訳ないのですが助っ人よろしくお願いします」
豆知識を披露しつつ懇願した。
面倒をかける事になって本当に申し訳なくて、真剣だったのに。
「1ヵ月お預けですかー、鮎川氏も気の毒に」
そこに持って行くか、さすがだわ。
そして思うところあって咄嗟に何も返せなかった。
「鮎川氏、持久力も技術もありそうですよねー、なんとなく」
しばらく愛梨に何かと手助けしてもらう必要がある身では何も言えず。
「で、どうなんですかー?」
満面の笑みでその弱みを最大限に突いてくるけども。
そもそも答えようがないもんで。
「……まあ、どうなんだろうねぇ」
大人の女性としてもあけすけに言うべきではない風を装って、当たり障りない言葉で返答した。
それなのに。
「……ちょ、まさか紗希センパイ」
愛梨は足を止めて唖然とする。顔色が悪いくらいだ。
こういう事に関しては恐ろしく鋭いんだよね、こいつは。
バレたか。
「え、付き合って1ヵ月以上経ちましたよね? どんだけ遊び倒したんですかっ」
普段、語尾を伸ばしがちな愛梨がえらくハキハキと攻めてくる。
「いやまぁ……お互い忙しくてさ。私も機械は出荷したけどフォローとか残務とかあったし?」
以前ほどではないとはいえ、盆明けも残業続きだったんだよ。
あせるもんでもないし、とのんびり構えてたんだよ。
まぁなんというか、そういう機会がなくて。
「それで肋骨折れてるのにお泊りですか。チャレンジャー過ぎる……」
そんな動揺した顔しなくたっていいじゃないか。
「いやまぁ、そこは鮎川氏も分かってくれてるし」
『実家から布団を持って来ておきますから。紗希さんにはベッドを使ってもらえるようにしておきます』
うん、ソファで寝ると言われたら断固として拒否したからね、鮎川氏の先手には絶句させられた。
仕事が出来るという男の恐ろしさを垣間見た。
でも布団を運び込むとか、そんな手間をかけさせるのも申し訳ないし。
お互い寝相はいいとか、こっちは気にしないので可能なら隣で寝てもらったんで大丈夫とか、その辺りの気になる問題点は全て確認済みだ。
もうね、辱めもいいトコだったけどさっ。
意見のすり合わせをしている最中、鮎川氏が妙に楽しそうだったのがいまだに腑に落ちない。
「痛み止めとかもらってます? いかに鮎川氏が紳士と言えど、もしもの時に備えて絶対飲んどいた方がいいですよ」
痛み止め。
うん、処方されてる。
飲むようにも言われてる。
でもそんな事言われたらものすごく飲みにくくなるんですけど!




