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24、願ったりかなったりです

 えーと。

 悲しませるとは。


「DV、酒癖が悪い、浪費癖、借金、ギャンブル、バツイチ、実はまさかの既婚者、浮気癖、ストーカー気質とかですか」

 鮎川氏は一瞬驚いた顔をしたけど笑って「違います」と首を振る。


「まあ、そうでしょうね」

 その辺りだととっくに涼太がこっそり何か言ってきているだろう。

 あいつもそれくらいはしてくれると思う。


「じゃあ、家庭内の何らかの事情、とか? 例えば親戚が面倒くさい、相続争いが激しい、嫁いびりがすごい、実は将来出馬する事が決まっているお家柄とか、実は御曹司とか?」

 鮎川氏のご実家はちょっとした邸宅だった。

 田舎の山の中だと結構目にする光景だからあまり気にしていなかったんだけど。

 

「いえ、ごく普通の一般家庭です。祖父が田畑を持っていますが後継者はいないので委託業者に任せる予定ですし」

 うん、やっぱりよくあるパターンでしたか。

 鮎川氏はいつもの余裕を取り戻したらしい。

 面白そうに私の話に付き合ってくれている感じだった。


「では特異な性癖をお持ちとか? あと━━何かあったかな」


 性癖・ゲイ・絶倫か逆に昨今生息が確認された絶食系。

 はたまた極端に早い、もしくは遅いか、それ以前の問題か。

 その辺りは愛梨と腐女子の沢木ちゃんが盛り上がっていたけれど、さすがにこの場では控えた。


 失礼ながら女子メンバーで『なぜあのハイスペックが独り身なのか』を検討させていただいたんだよね。

 裸足で逃げ出すレベル、話し合いや慣れで何とか継続できるレベル。

 女が数人集まれば、そりゃありとあらゆる可能性が出た。

 みんな、それは活き活きしてた。

 人の事をあれこれ言うのもどうかと思うけど、ものすごく盛り上がったんだよ。

 隣の会社のイケメンさん相手に本当に申し訳ない。


「あの、紗希さん」

 ああ、暴走したか。

 困ったように微笑んでいらっしゃった。


「これを上回るご事情でしょうか? せいぜいと言っては何ですが、趣味にのめり込み過ぎるってトコじゃないですか? まあ、恐ろしくお金を掛ける人はいますが問題はそこくらいですかね」

 でもそれはこの間、先手を打たれて否定されている。

 サイクリストには2種類いて、物でタイムを上げようとする人間と、物はある程度のアシストと考えて自分の身体のポテンシャルで成果を出そうとする人間と。

 前者は恐ろしく金食い虫だぞ、と同期入社の自転車乗りは笑った。

 

「でもまぁ、そういう方面です。こちらをご覧いただけますか」


 そうだ、と思い付いたように言って見せられたのは薄いスケジュール帳。

 は? こんなの見ていいんですか?

「どうぞ」

 そう促されて訝し気にページを開く。


 平日には細いボールペンの文字で綺麗な「B」と「R」が並んでて、休日には「S」と地名だったり予定らしきメモ。

 「ヒルクライム」「ツール」「耐久」━━自転車の大会やらイベントだそうだ。

 後は山やら高原の名前。

 あ、これは分かる。2月の県下最大級の市民マラソン。

 ああ、よく見たら他にも時々マラソン大会の予定が入ってるな。


「B」は自転車を出した日でバイクの「B」。

「R」はRUNの意味で走った日。

「C」はcyclingサイクリング


 そりゃもうびっしりと。

 空欄のマスなんて週に2日か3日ほどしかない。


 そんな空欄の日はだいたい雨だったり、残業だったり予定があった日だそうで。

 雨の日は自宅で筋トレだそうで。


 うわー、元気だなー。

 32になったってのは聞いたけど、ホントこの人どこまで長生きする気なんだろ。


「こんな状態ですから覚悟しろ、みたいな事ですかね?」


「いえ、これは恋人のいない時期のスケジュールです。もちろんペースはある程度は落としますが、こんな状態なので貴女につらい思いをさせてしまうかもしれません。だから不満があれば遠慮なく言ってください。ただ、こういう人間を受け付けないという方もいらっしゃるでしょうし、ゆっくりでいいので考えていただきたいのですが」

 いつも余裕を感じさせる人が、吸い込まれるような瞳に少しの不安滲ませている。


「控える必要は一切ないですよ」

 むしろ願ったりかなったりです、とはさすがに言えなかった。

 

「ええと、じゃあ例えば4月を見てみましょう。4月はサイクリストにとってベストシーズンくらいですか? この予定を拝見させていただくと、空欄の休日は3日ですね。うち1日くらいは一人で済ましたいだろう予定などもあるかと思いますので、会えるのは2日程度だったと」

「恋人がいる時はさすがに控えますが」

 申し訳なさそうに美麗な顔を曇らせる鮎川氏。


「いいえ」

 そんな事は望まない。

 つい被せ気味に言ってしまう。


「上等です」

 つい、顔が緩んだ。



◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆


<熊田のアニキは今日も爆笑する>


 あの鮎川が攻め切れず、結果が出ないらしい。

 と言っても仕事の話ではなく。

 プライベートは停滞期に入ってるってのに、仕事は相変わらず嫌味なほどにつつがなく、そつなくこなしているのが実に可愛くない。

 

 この男が狙った異性を落とせないなんて珍しい。

 あんなにあからさまにアピールしていたのに、まだくっついてないとか。


 あ、いや、待てよ。

 そういやこいつ恋愛事はここ数年ご無沙汰だったっけ。

 一人遊びにかまけて、色恋事を怠けて勘が鈍ったのか。

 

 それとも━━

 まさかと嫌な可能性に気付いて尋ねた。

「お前、女の子の方から言い寄ってくれるもんだなんて思ってないよな?」

 こいつはそうやって始まる事が多かったはずだ。


「そんな事は思ってないですよ」

 苦笑して答えられた。

 目上の人間にはしっかりとした敬語を使うこの男は、こんな時でもブレない。


 こいつがもっと若い頃は「特に気になる相手もいないし、しばらくはバイク乗ってます。いつも揉めるか険悪になるかのどっちかですし」なんて言って、「それはお前にも問題があるだろう。あれだけやりゃそりゃ『チャリと私とどっちが大事』ってなるわ」と営業部の年長者たちからは総ツッコミされていた。


「天然で奔放そうなのに、意外とガードが堅かったか。お前警戒されてんだろ」

 からかうつもりで言って、当然そのつもりで受け止めて切り返してくるだろうと思ったのにうちの敏腕営業マンは力なく笑っただけだった。おや。


「まあ紗希ちゃん27だろ。色々と学んで慎重になってるのかもな」

 調子を狂わされ、本人は全くこたえず、ケロッとしていたにも関わらず思わず上辺だけの一般的なフォローを入れてしまう。


 がっつりスポーツ系趣味魔と、インドアの引きこもりちゃん。

 まったく合わないようだけど、よく考えてみたら鮎川が外で遊んでる間、家にこもって自分の時間を満喫してるとか。

 考えてみりゃものすごい効率的で、相性のいい組み合わせじゃないか?


 くっついたらどうなるか、楽しみで仕方ないんだけど。

 盆の連休明けくらいにどうにかなっていたら面白いのに。

 ああ、でも付き合うまでの今ぐらいが一番楽しかったりするもんな。


「盆に会ったりは? 隣もいっつも同じようなカレンダーだろ?」

 田舎の中小企業なんて大抵カレンダー通りの休みでしかないし、ずっと勤めていたら近所の会社の休日もだいたい分かるようになる。


「ほとんど田舎に帰りっぱなしだそうです。自分はサイクリングを2日か3日と、あとは大掃除ですかね」

 ━━そういやこいつ掃除マニアだった。

 半期に一度の大掃除と、おそらく本格的な洗車もするだろう。


 趣味魔で、掃除マニアで、学生時代に飲食店でバイトしてたとかで料理もその辺の女の子なんか足元にも及ばない腕の持ち主だったりする。


 兎にも角にも凝り性なのだ。

 そのせいでいろんな専門知識というか雑学が増えて、仕事に活用出来たりするんだろうけど。


「いつものように短い付き合いで終わらせるつもりはないので、お互い……というかこっちの事を知ってもらってからの方がいいかと思ってるんですけどね」


 趣味に明け暮れ、家事全般が普通以上に出来てしまう男。

 うん、まぁ━━

 女の子によってはキツいかもしれない。

 それを考えると先に知ってもらう方のはいいテだし、確実か。


「でもあんまりのんびりしてたら思わぬ伏兵にかっさらわれるんじゃねぇの?」

 隣の社員の中に紗希ちゃんを狙っている奴がいる可能性もある。

 少しばかり気になるので一応伝えた。


「まあそうなんですけど。急いては事を仕損じるって言うじゃないですか。焦って逃げられたら元も子もないですしね」


 嫌味なほどに顔の整った男はそう言って笑った。ダークなやつだ。

 この男を知らない人間からしてみればそれは実に爽やかな笑顔に見えるんだろうけど。


 その顔でそう言うって事はつまり、逃がす気はないと。

 もともとは「去る者追わず」な所があったと思うが、三十路に入って少しは落ち着いたのだろうか。

 それならもうしばらく期待して様子を見るか。

 最近鮎川ここと、涼太のおかげで日々楽しくてしょうがない。



 彼女は気付かなかったのだ。

 ここ最近、社内の人間の一部が妙に親切にしてくれたり、気にかけてくれる事には気付いていた。

 けれど「この超多忙期であからさまに顔が死んでるアシスタントを気遣ってくれるなんて、本当にこの会社の社員さんは人が出来ているな」と感動して済ませてしまった。

 まさかそれが理系男子のごくささやかなアピールだったとは、長年勤める中で社内恋愛に無関心だった彼女が気付こうはずもない。


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