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3.君が望んだから


「ふーん、じゃあしばらくお父さんの仕事でこっちに滞在するんだ?」

「そう、今日はおやすみだから外で遊んできていいって言われたんだけど、どこに行けば楽しめるのかわからなくて」


 真っ赤な嘘である。

 レオがソフィーについて色々と尋ねるので、ソフィーは嘘に嘘を重ねていた。

 ソフィーはリリィという名前であり、豪商の娘で、歳は十八歳で、今日は父親に遊んできなさいと言われて、多分なお小遣いをもらって出かけてきたらしい。いったい誰なんだろうそれは。

 レオはそんなソフィーの嘘をすんなりと信じているらしい。

 屈託のないレオの笑顔を見ていると、嘘をついているのに若干の罪悪感を感じた。


 結局、中央広場を目指すらしい。

 レオにどこがいいかときいたところ、広場に行ったことがないのならば是非行くべきであると主張された。

 中央広場にはイブリース自慢の噴水があるし、今の時期は数多くの露店から大道芸人に退屈しないそうだ。


 ふたりは街並みをながめながら、ゆったりとした歩みで広場を目指した。

 朝は若干の涼しさを感じたが、昼が近くなった今となっては少し暑いと感じるような気温になっていた。

 中央広場が近づいて、いよいよ人通りは祭りの様相を呈す。

 場所によってはぶつかりそうなくらい人の密度があって、話しながら歩いていると危ない場面があった。


 中央広場は、ソフィーが見たこともないほどに広かった。

 巨大、といっていい。

 城下町全体が大陸に誇る巨大都市だということは理解していたが、その中心の広大さはソフィーの想像を超えていた。

 立ち並ぶ露店の数々で正確な広さはわからないが、パッと見で他の出口がまったく見えないくらいには広い。

 人に店にと、あまりにも色々なものがありすぎて、もともとが開けたなにもない空間だというのがどうしても想像できなかった。


 ソフィーたちが入った箇所はバザーの入り口のようになっていて、無数の露店が立ち並ぶ区画だった。

 露店の商人たちが、口々に自分の商品の売り文句を大声で怒鳴るように並べ立てている。


「すごい……人ね……」


 ソフィーは商人たちの勢いにあっけにとられていた。


「だろう? リリィのお父さんは広場にはいないのかい?」


 急な不意打ちにソフィーは言葉に詰まったが、


「ええ、父は直接は売らないのよ」


 とそれらしいことを言ってみた。ソフィーもよくわかっていないが、ここにいる商人たちは豪商という感じではないので、豪商という設定ならここで大声を出しているのは不釣り合いという気がしたのだ。


「なるほど、そういうものなんだ」


 レオは考える風にしながらも納得したようだった。


「もっと中央に行こうか、イブリースに来たなら噴水は見なきゃね」


 ソフィーはレオについていくだけで精一杯だった。

 進むたびに商人たちが怒鳴るように商品を勧めてくるのだ。

 もし、ソフィーがひとりでここを歩いたら、恐ろしくて引き返したまである。


 ソフィーはただレオの背中のみを見て広場を進んでいた。

 しばらく進むと、急に開けた空間に出た。

 人の数は変わらず多かったが、店はなにもなく、ここからならば広場の巨大さが正確に把握できた。


「ほら、どうだい?」


 レオが、不敵な笑みを浮かべながら噴水を指さしていた。


「わあ……」


 ソフィーは、知らず知らずのうちに感嘆の声を上げていた。

 レオは、それに対して噴水が自分のものであるかのように得意げな顔をしている。

 噴水は、まるで噴水そのものがなにか宗教的なオブジェであるかのように荘厳だった。神殿の入り口にでもありそうな趣だ。

 噴水は三段になっていて、一番上の段から吹き出している水が下の段へと降りていって水場まで落ちていく方式らしい。

 噴水周りの水場は、水場というよりも池といったほうがふさわしいような大きさで、そこからも広場全体の大きさを感じられた。

 

「ここらへんだと大道芸人も多いし、気にいったものを見ていくのもいいと思うよ」


 たしかに、広場のこちら側には芸人や音楽家が多いようだった。

 複数の陽気な音楽が鳴り響き、そこら中に人だかりができていた。


「見ていくかい?」

「ええ、もちろん!」


 ソフィーはなんだかわくわくしてきた。

 そういえば、ソフィーはお祭りというものに直接参加をしたことがあまりなかった。

 それに、大道芸人の芸を見る、というのも初めてだ。


 ソフィーはレオを連れて本当に色々な芸を見てまわった。

 異国の踊り、弾き語り、手品に雑技に魔法の実演。

 中でもソフィーが一番驚いたのはナイフ投げだった。

 

 たぶん十歳かそこらの少年が、ナイフを投げて次々と遠くの的に的中させるのだ。

 そして、最後の的はなんと妹の頭の上に乗っているりんごだ。

 あまりにも、怖すぎた。

 ソフィーは飛び出して少年にナイフを投げさせるのをやめさせたい衝動に駆られた。

 が、これを見世物としていて、かつ誰も止めに入らないということはつまり、成功する技術があるということなのだろう。

 妹は、まったく怯えを見せない様子で兄をじっと見ている。

 楽隊が場面を盛り上げようと、細かい太鼓の音を徐々に大きなものにしていく。

 そうしてついに、少年がナイフをその手から投げ放った。


 ソフィーは、怖くて手で目を覆ってしまった。

 周囲の「おおーー!!」というざわめき声だけがする。

 ソフィーの隣からくすくすとした笑い声、レオだ。


「目を開けてごらんよ」


 ソフィーがおそるおそる目を開けると、妹の頭の上にはなにもなく、建物の壁近くに転がっている、ナイフに貫かれたりんごが目に入った。



***



 あんなに怖いのはもうごめん、そう言って、ソフィーはなにかもっとおとなしいものを紹介するように言った。


 レオが案内したのは、動物使いであった。

 広場の東側の出口近くの、それなりに広い区画を使ってショーをしていた。

 猛獣使い、ではなく動物使いのショーだ。

 

 芸をする動物は虎のような猛獣ではなく、どこにでもいるような犬や猫、あるいは鳥であった。

 それでも、見世物にはなっていた。

 動物たちはよく慣らされていて、動物使いの言うことをなんでも聞いた。

 芸そのものがそれほど大それていなくとも、人間の言うことを完全に理解して実行する動物を目にする、というのは不思議な感動があったし、愉快に感じた。

 

 見ているのもこどもが中心ではあったが、皆夢中になって見ていた。

 しばらくすると、ショーマンが大声でこう叫んだ。


「では、次はお客様にお手伝い願いましょうか!」


 なんでも、観客参加型のショーをするらしい。

 ショーのテーマは動物との勝負だ。

 もし動物に勝てたら賞品をあげます、と言って布状のなにかを掲げた。

 

 それは、布製の袋であった。

 デフォルメされているがかなり凝った猫の刺繍がついた。

 かわいい。

 ソフィーの感想はそれに尽きる。

 正直欲しかった。

 が、動物との勝負を表明するのはこどもが中心であり、前列に並んでいたこどもがこぞって手を上げていた。


 はじめに選ばれたのは七歳くらいの少年だった。

 勝負の相手はネズミ。

 開けた空間に何本ものポールと、ジグザグにされた一本のロープが置かれた。

 ネズミは地面に置かれたロープの上を走ってゴールを目指す。少年はポールとポールの間を抜けながら進み、蛇行しながらゴールを目指す格好だ。

 

 勝負は、ネズミの圧勝だった。

 ネズミはロープを完璧になぞってジグザグと走り、すぐにゴールまで到達してしまった。

 ネズミがご褒美のチーズをもらっている間にも、少年は必死にポールの間を抜けながら走り、ずいぶんと遅れてゴールをした。

 周囲に笑い声が満ち、少年は若干恥ずかしそうにしている。

 少年には参加賞らしきネズミをかたどった木彫りの置物が渡された。


 次なる勝負の相手は、ふくろうだった。

 参加を表明するこどもの数は、さきほどよりもだいぶ減っていた。

 それでも、ひとりの少女が参加に歩み出た。

 ルールは単純。少女に目隠しがされ、ふくろうは少女の前を飛ぶ。

 ふくろうが自分の前を通り過ぎたときに手をあげることができれば少女の勝ち、気づかれずに横切れればふくろうの勝ち。


 少女に目隠しがされ、スペースの左右にふたりの動物使いがそれぞれ配置についた。

 動物使いの腕には革製らしき小手がはめられていて、その片方にふくろうが止まっていた。


 動物使いが始まりの号令を上げた。

 そこから数秒ほどで、ふくろうが飛び立ち、少女の目の前を横切って反対側の動物使いの小手に止まった。

 少女はまるで気付いていない。

 ソフィーにも、羽音はまったく聞こえなかった。

 妙な静寂があった。

 広場の周囲には様々な音が鳴り響いているのに、この空間だけは皆が静かにしている。

 そこから、十秒、二十秒が経って、どこからかクスクス笑いが響き始めた。

 その笑いは次第に大きさを増し、ようやく少女が手を上げたところで大きな笑い声に変わった。

 ソフィーまで釣られて笑ってしまった。

 少女は騙されたような顔をして参加賞を受け取って戻ってきた。


 ソフィーはこのショーのからくりがわかった。

 たぶん、ほとんど人間側が勝てないようになっているのだろう。

 そうして動物のすごさを見せつけ、人間の間抜けさを見せて笑いを取るものなのだ。


 観客のほとんどが、こどもですらそれに気付いた。

 動物使いが次の参加者を募っても、なかなか手を上げる者は現れなかった。

 いっそ参加するか、ソフィーはそう考える。

 賞品には、かなり惹かれるものがあった。

 ソフィーは猫が大好きだ。だから、あの布製の袋は手に入るなら手に入れたいものだった。

 だが、おそらく勝てぬというのもわかっていた。これはそういうショーなのだ。

 参加すれば十中八九負けて、みんなの笑いものになる。

 ソフィーが迷っていると、隣にいたレオが口を開いた。


「もしかして賞品が欲しかったりする?」


 一瞬の間をおいてソフィーは答えた。


「ええ、だってかわいいもの」

「わかった」


 それだけ言って、レオが勢いよく手を上げた。


「おおっと、次なる参加者はかっこいいお兄さんだ、さあさ前に出て」


 言われるままに、レオは前に出た。


「勇敢なお兄さんに拍手!!」


 観客が拍手する。レオは両手を上げて、調子良く皆の拍手に応えている。

 それに対して、ソフィーは拍手するのをためらってしまった。

 レオは、自分が賞品をほしいと言ったから参加を表明してくれたのだ。

 そんなレオが負けてみんなの笑いものになるのは、なぜか嫌だった。


 最後の勝負の内容は、犬との競争だった。

 ショーに許されている空間の端から端までを使った競争だ。

 ただし競うのは走る早さ、というわけではない。

 片側には円状にロープが置かれ、その反対側にはジャグリングで使うようなクラブが配置される。

 一分以内にどれだけ多くのクラブを自分の円に持って来られるかを競う勝負だ。


 競争相手の犬は中型の白い犬で、いかにも早そうに見えた。

 レオは後ろに結っている髪を結び直して、肩をぐるぐると回してやる気マンマンに見える。


 双方がスタート地点に着く。

 犬がフライングして、動物使いが慌てて止めるというボケが入り観客が笑う。たぶん演出なのだろう。

 再び犬が配置について、動物使いの勢いの良い号令で戦いの火蓋は落とされた。


 レオの足は早いが、白い犬はそれ以上の速度で走った。

 レオがクラブまで半分も走っていないうちに、犬はクラブをくわえて往復を始めていた。

 レオがクラブを両手で持って往復を始める。その時にはもう、犬は二本目のクラブを加えてレオを抜き去っていた。

 二往復を終えてレオが四本、対して犬は七本。次が最後の往復なのは間違いなく、レオはもうこれ以上時間内にクラブを持ち帰れない可能性まであった。

 犬は一本しかクラブをくわえられない。そこだけが勝機だった。


 レオは思い切った作戦に出た。

 クラブを抱きしめるように一気に抱えたのだ。

 たしかに、それを円の中に持ち込めればレオは勝てるだろう。

 だが、それは持ち込めれば、の話だ。


 レオは走る、走るがあきらかに動きが鈍い。

 なにせ両手でクラブを抱えているために腕が振れないのだ。

 腕が振れなければ速度は出ない。このままだと間に合わない。


 動物使いが勝負の終わりを告げるカウントダウンを始める。


「十、九、八、七、六、五、」


 明らかに、間に合わない。

 そこで、レオはまさかの行動に出た。

 ぶん投げたのである。

 クラブを、自分の円に向かって。


「四、三、二、一」


 クラブは、ギリギリで届いた。

 乾いたクラブの着地音が広場に響いた。


「終了!!」


 動物使いが勝負の終わりを告げる。

 レオはなんと、転けていた。

 クラブを投げると同時に転けていたらしい。

 ソフィーの目から見るに、幸いどこにも怪我はないように見えた。


 勝負の判定は、お互いの円から一本一本クラブを出していく、という方式で行われた。

 どちらが勝ったかは、わからなかった。

 レオが投げたクラブは、思いのほか円の中に入っていた。

 いたが、全部が入ったわけではない。

 いくつものクラブが円の外で虚しく転がっているのだ。

 

「一!!」


 動物使いがそう数えて双方の円から一本ずつクラブを出していく。

 ソフィーは、それを祈るような気持ちで見ていた。

 

「七!!」


 それは、賞品がほしいからではなかった。

 あれだけ一生懸命に走っていたレオの働きが、無駄になってしまうのが嫌だった。


「十!!」


 片方の円のクラブが、それでなくなった。

 それは犬の円だった。


「十二!!」


 レオの円から、最後のクラブが取り出された。


「おめでとう!! お兄さんの勝ちだ!!」


 観客から喝采の拍手が贈られる。

 ソフィーも全力で拍手を送っていた。両手を上げて跳び上がりたいような気分だった。


「楽しかったよ、ほら、これ」


 広場を離れながら、レオが賞品の布袋を渡してきた。

 そこには、デフォルメされたかわいい猫の刺繍が入っている。

 ソフィーはそれを受け取ってまじまじと見つめる。やはりかわいい。

 ソフィーは嬉しかった。嬉しかったが、それ以上に気になることがあった。


「ねえ、どうしてあんなに一生懸命だったの?」


 それを聞いたレオは、まるでソフィーの方が不思議なことを言っているとでも言いたげだった。


「だって、リリィがこれを欲しがったんだろ?」


 そう言うレオの瞳はどこまでもまっすぐだった。


「ありがとう」


 ソフィーはそれだけ言って、レオから顔を逸した。

 なんだか、そのままレオの瞳を見つめていたら、吸い込まれてしまいそうな気がしたから。

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