219◇冷艶なる調律師
エリフィナーフェ・フォルヴァンテッド=ローゼングライスという女について。
今でこそ『神癒の英雄』などと称される彼女であるが、他の例に漏れず転生者である以上、不幸な過去生を抱えている。
過去生での名はリーフェ。
リーフェは聡明な女の子だった。人の心の機微を掴むのが上手かった。その言語化も。
最初はよかったのだ。友達の誰が誰を好きだとかをこっそり教えたり、怒っている人には近寄らないようにしたり、何か褒めてほしそうであれば褒め、リーフェは気遣い上手の少女だった。
だが歳を重ねるにつれ、リーフェのその才覚はどんどん研ぎ澄まされていった。
人は簡単に嘘を吐く。醜い潤飾に目が潰れそうだった。吐き気が止まらなかった。
せめてそれを正そうと口を開けば、誰もが怒り、不機嫌になった。
心を言い当てられると大抵の場合、人は不愉快になる。
その時のリーフェはまだ、適切な心の扱い方というものを心得ていなかった。
だから思うままに嘘を暴き、過ちを正し、怒りを買い、やがて――恐怖されるようになった。
近づくだけで自分の胸の内を詳らかにする、桜色の少女。
リーフェの最期は処刑だ。
邪法を用いて人心を惑わす魔女として、火に炙られた。
本当のことを言い続けて、殺された。
アークレアは、少しだけ違った。でも少しだ。
リーフェが有用だから、害さないだけ。少し喋っただけで分かる。人間は人間だ。
『人は理由があって虚偽を口にする。それを必要としないおんしは素晴らしい。強き人間だの。だが、誰もが強く在れるわけではない。おんしの嘘を暴くという行いは、弱さを暴くということなのだ。見ず知らずの者に貴様は弱いのだと言われ、気を悪くしない人間の方が珍しかろうて』
『霹靂の英雄』リガルの言葉だ。
『誰もが望んで虚言を吐くわけではない。賢いおんしなら、弱さとの向き合い方を伝えることが出来よう。時には必要な嘘があることも、おんしなら分かるはずだ』
リーフェは『その瞬間の感情』だけを掬い取って、人を理解していた気になっていた。
何故その感情に至ったか、そして自分の対応次第でどんな感情にさせてしまうかを考慮していなかった。
精神魔法医になったきっかけだ。
知れば知るほど、人間というのは興味深い。英雄規格ともなれば更に。
いつしか『神癒の英雄』と呼ばれるようになり、名も変わった。
『あなた、医者の割には中々遣えますわね。よくってよ』
『心が読める……? では、貴女の前で嘘は吐けませんね』
『エルフィのおかげで、嫌なことを思い出さずに済んでるんだよね? ありがとう』
パルフェ、ルキウス、トワ。彼ら以外にもいた、ダルトラの英雄達。
そしてクロ。
どうしても、他の人間はエルフィを恐れた。感謝を示す患者でさえ、遠慮が消えない。
英雄規格の者達だけが、エルフィが自然体に振る舞える相手だった。自然体に振る舞っても、困らせてしまわない相手だった。
いや、困らせていたけれど。むしろ困っている様を見たかったくらいだけれど。
楽しかったのだ。
だから、リガルの死やトワの冤罪に、エルフィは内心腸が煮えくり返る思いだった。
心優しいクロにのしかかる重圧に、心が苦しくなった。
それだけでも国に見切りをつける理由としては充分だろう。
でも、それならばクロやトワ、パルフェや銘無しだが確かに存在する国内の英雄達も変わらず大事ということで、単に離反というのは疑問が残るのではないか。
「そこから先は、許可された者以外の立ち入りが禁じられていますよ」
旅団のメンバーとなったエルフィはアークスバオナの軍服を身に纏っている。
軍施設の中を歩き回る権利もあるが、権限が無ければ入れない場所もそれはあるだろう。
蒼氷の瞳と髪をした美少女だ。
同じく軍服姿。
旅団のメンバーだ。確か名前は……。
「あぁ、エリちゃん」
「エーリです。その呼び間違い、仲間以外に言われると不愉快です」
「え、アタシ達もう仲間でしょ?」
「……人を喰ったような方」
「食ったようなというか、食べちゃいたいわね実際に。今日あたりどう?」
「そこから先は、許可された者以外の立ち入りが禁じられていますよ」
対話を拒絶するように、エーリは先程の言葉を繰り返した。
「あぁ、エリちゃん」
エルフィも繰り返してみる。
「エーリです。……いいから回れ右してください」
「アタシのこと、信じられない?」
「クウィンティを信じました。でも敵に戻った。団長を救ったから、次に逢っても殺しはしません。でも、ダルトラの英雄は信用出来ない。裏表をコロコロ変える。ダルトラそのものみたいです」
エーリの身体的特徴はギボルネの民のものと一致する。
クロと共に暮す童女――エコナと同じだ。
『暁の英雄』ライクの行いによる、ダルトラは一時期ギボルネとの戦争状態に突入した。
その際に行われた侵略行為の傷痕はあまりに深い。
だというのに、最近になってダルトラは和睦を推し進めた。
唐突な方針転換だ。
クロがライクを排除し、『霹靂の英雄』リガルが王都に帰還したことでそれは成立した。
良い悪いで言えば、良い話だ。
だがそれは、最低の後に正常が来たというだけで。
正しさではあっても、救いとは言えない。
エーリが深い恨みを抱くのも無理からぬことであった。
「アタシもダルトラは嫌い」
「だといいんですが」
「でもね、悪いことをした国ではあっても、悪い国ではないわよ」
「矛盾しています」
「してないわ。じゃあ訊くけれど、ギボルネはいい国だった?」
一瞬で、エーリの瞳に殺意が漲った。
「侮辱するつもりですか?」
彼女の周囲から冷気が漏れている。
第二世代人造英雄創造計画の被験体にして成功例。
『氷雪の英雄』エーリ・フーソルド=ヴァージル。
「その反応からすると、良い国だったみたいね」
「……国なんて、よそ者が勝手に言ってるだけ。でも、えぇ、良いところだった。誰もが笑顔で、幸福に暮らしていました」
「そう。つまり民が笑顔で、幸福に暮らすことが出来る国は、良い国だということよね」
「――っ。ダルトラの民の笑顔は、他者の犠牲の上に成り立っているでしょう」
「それはアークスバオナも同じよ」
「っ。それはっ、でもっ、ダルトラは、既に肥沃の地を持っていながら奪った! やむにやまれず侵攻を開始したアークスバオナとは違う!」
「まぁ、そのあたりの論争は果てがないから措いておいて」
「なっ」
「アタシは見てきたわ。ダルトラの来訪者が笑顔になっていく様を、何度も」
「そんなこと」
「アタシは見てきたわ。ギボルネの奴隷が笑顔になっていく姿を」
「――――」
「救われ、ダルトラの地で夢を持っている姿をね」
「え、エコナっ。エコナのことですか。エコナが、あの子が、なんです? 夢?」
殺意が霧散する。今の彼女にあるのは、同郷の童女を想う心だけ。
「魔術師になりたいそうよ。自分の発明で、人々の生活を豊かにするんですって」
「……魔術師。エコナが」
「恨み節もいいけれど、それは将来エコナちゃんが笑顔にする筈の人々を苦しめ、殺す行いなのだとしっかり自覚してね」
「くっ。……人の心を好き勝手かき乱して、楽しいですか?」
憎々しげに目許を歪めるエーリに、エルフィは微笑みかける。
「変なことを言うのね。先に人の心を掻き乱したのは、アナタの方でしょう。こちらが訊きたいくらいだわ。楽しい?」




