211◇退屈に殺される
ロエルビナフの首都は丘上都市だ。丘頂に砦が築かれ、斜面に人家や畑が並ぶ。
補給線確保の為、アークスバオナはこれを無視出来ない。また、自国の領土が枯れている都合上、戦地であるとはいえロエルビナフ領を荒らすことも躊躇われる。
連合側もあくまでロエルビナフに援軍を出しているという形をとっている為、かつて『暁の英雄』ライクがやったように戦地を焦土と変えて戦いを終わらせるというような選択も採れない。
ロエルビナフを舞台とした戦いは、両陣営の事情が絡み合った結果長期化してしまっている。
「つまらねぇ」
魔法の存在するアークレアにおいても、戦場での高低差は有利不利に大きく影響する。
『風』魔法があれば飛べるとはいえ、『土』魔法で物理的な障壁を張れるとはいえ、魔法使いの練度は一律ではない。兵個々人の力に大きな開きがある場合、その数が増える程掌握が困難になるのは必定。戦力が数値化出来たとして、兵士に求められる理想は全員がぼぼ同じ値をしていること。
役割ごとに特化させる能力が異なるにしても、せめて同じ役割内の者達は同じ質を維持すること。
ところが魔法使いはそうもいかない。才能に左右される部分が大き過ぎるのだ。
多くても数人で臨む迷宮攻略ならいざしらず、チームプレイならともかく、彼らは戦争に向かない。
魔法使いは兵士ではなく兵器として数えるべきで、そう運用することで成果も生存率も上がるだろう。だが今、アークスバオナの指揮官は部下の魔法使いを兵士として動かしていた。
「つまらねぇ、つまらねぇ、つまらねぇ。退屈でオレを殺す気か?」
現在。
砦はダルトラ側に占拠されていた。
勇猛果敢と言えば聞こえは良いが、無能な指揮官の愚かな命令に従い、哀れな兵士達が次々と命を散らしていく。大砲から放たれた砲弾に潰されたり、色彩豊かな魔法の直撃を受けたり。
それはそうだ。敵は見晴らしの良い場所から、反撃されにくい場所から、こちらを攻撃出来る。
「なにが戦争だ、つまらねぇにも程がある」
一人の青年である。銀の髪を後ろに梳き上げており、同色の瞳を遮るものはない。砲煙弾雨、魔法の驟雨が降り注ぐ中で、青年の目は退屈そうに歪められていた。
魔法の存在する世界に在ってなお、戦場を闊歩する彼の姿は異様だった。
敵であるダルトラ側はおろか、アークスバオナの友軍でさえその異常に目を瞠る。
死の気配を孕んだ攻撃の全てが、彼にはただの一つも当たっていない。
豪運とは違う。
まるで、攻撃の側が彼を避けて通るかのように。
魔法だというなら、冠絶した魔力操作技術だ。
なにせ、見る者の誰も属性さえ掴めていない。
軍服の衣嚢に手を入れたまま、青年は気だるげに歩いている。
「オイ、お前ら何か笑える話をしろ」
青年は背後に三人の美女を従えていた。
各々瞳、口、耳を布やら装飾具で閉ざしている三人の麗人。
その内、口許を布で覆った黒髪の少女が応える。
タレ目がちで、ぼーっとした様子の娘だ。
彼女はそこら中に『土』属性魔法で壁を乱立させている。おかげで兵士達は徐々に前進出来るようになっている。
「むー、むむむむ、むむーむ、むむ――」
「そいつは笑えるな」
遮るように言いつつ、青年の表情は先程までと変わらぬ退屈なもの。
「つまらないつまらないと仰いますが、それほどまでに退屈なさっているのなら、少しはこちらを手伝って下さってもよろしいのではないですか?」
金属製の器具で目元を隠した少女が言う。
金の長髪。左右共に、横髪を結っている。露出した口許は、苦々しく歪められている。
彼女は光の弓矢を構えていた。その矢は反発力ではなく魔力で飛ぶ。矢を番える動作は集中と狙いを定める為のもの。
少女が矢を放つごとに、砲門が爆発する。
「攻撃が当たらねぇようにしてやってんだろ」
欠伸を漏らしながら、一行は進む。
「……ごめんマステマ様。無い頭を振り絞って考えてみたけど……わたしには面白い話を用意出来ない……つまらなくてごめんなさい」
肩を落として落ち込むのはイヤーマフを装着した少女。つぶらな瞳と、雪白の毛髪。三人の中で一番幼い容姿をしており、性格も容姿相応に思える。
彼女は『風』魔法の応用で周囲を音を拾っている。それによって敵の出方や味方の状況をいち早く把握し、それを必要な者に伝える。
「気にすんな。暇潰しの戯言だ」
青年と配下の三人は司令官の指揮下に無い。
無制御の四人が状況を好転させるとは、なんとも皮肉な話だ。
「むむむむむ、むむむーむ」
「そうですね。停戦を申し入れた側が連合を迎える場を用意出来ないなんて無様は晒せません。彼らの返答より先に奪還せねば」
「ダルトラは兵の練度と士気が高いんですよね。うちだと食いっぱぐれないから軍人やってるみたいな人も多いですけど、向こうさんはゆとりがあるからか、誇りある職みたいな認識のようで」
三人の会話を背後に聞きながら、青年は進む。
「……つまらねぇ。こんなことがしたくて戦場に来たわけじゃねぇんだよ」
青年は皇帝への忠誠心など持ち合わせていなかった。
たまたまアークスバオナ側に転生し、敵に事欠かないということで所属しているだけ。
だというのに、これでは期待はずれにも程がある。
吹けば飛ぶような雑兵を幾ら仕留めようと、心は満たされない。
自分が望むのは、死に隣接する刹那。魂を強熱する、命の奪い合い。
こんなつまらない戦場では、敵の矢よりも退屈の方が余程自分に毒というもの。
「さっさと終いにするぞ」
「えぇ、あなた方の撤退という形で幕を下ろしましょう」
瞬間、皮膚を炙るような殺気。
遥か頭上から、人影と刃の雨が降ってくる。ただし瞳で捉えられるのは人影まで。
その攻撃は見えなかった。
視覚ではなく魔力感知によって攻撃を把握。反応が一瞬遅れる。
「チッ」
不可視の刃は外れた。今回もまた、青年を避けるように。
だが同時に、青年の魔法の残滓が敵の瞳に映ってしまう。
「……戦妖精か」
二つに分けられ、螺旋に巻かれた鈍色の髪。同色の瞳は子供のようにつぶらで、同様に小生意気そうな印象を受ける。童顔で、同じく幼児体型。やたらとひらひらした純白の衣装。頭の上にちょこんと乗った小さな王冠。王冠、毛髪、耳に見られる真珠のような装飾。身長を誤魔化す為か、底の厚い靴を履いている。衣装の全ては白で統一されているが、胸許と髪を結うリボンには青いラインが走っている。
有資格者――大半が英雄――の中には軍服を改造する者やそもそも着用しない者などがいるが、ここまでの者は稀だ。純白の衣装で戦場に斫断の嵐を巻き起こし、過ぎ去った後に屍山血河を築きながらも、その衣服にはただの一つも汚れが見られない。
ダルトラが戦闘狂『斫断の英雄』。その可憐な容姿と戦場での活躍からついた名が――戦妖精。
「そういうあなたは、色彩属性保持者のようですわね」
戦妖精は然して気にした様子もなく――否。
それどころか歓喜するように口角を上げる。
その反応に、青年もまた喜びを感じた。
「ハッ。いいな、お前みたいなのを待ってた」
青年は有資格者だが、英雄ではない。皇帝から賜る筈だった銘の受領は拒否した。
だが、もし青年がそれを受け入れていたら、誰もが彼をこう呼んだことだろう。
『銀灰の英雄』と。




