173◇黒と白の間で
「……それは、まぁ、もちろん」
食事を摂りたいという彼女の要求を承諾しながら、幸助もシロもやや戸惑っていた。
幸助が言えた口ではないが、死後異世界に飛ばされたというのに、とても落ち着いている。
いや、幸助だってシロにはすぐに状況に対する質問をぶつけた。
それを一切気にした様子もなく、要求が食事とは、肝が据わっているのか、何も考えていないのか。
「ありがとうございます。ご飯の食べられるところまで歩く元気はあるので、立ちます」
軽やかな動作で立ち上がる。毛髪は量もそうだが、長さもすごかった。足元まで伸びている。好んでそうしているというよりは、切る機会が無いままに伸ばしてきたという印象を受けた。
ライムは幸助とシロの間までやってきて、二人の腕をとる。
「こうしてみると、わたし、お二人の子供のようですね」
黒髪の幸助と、白銀の毛髪をしたシロ。
そしてライムは黒と白に入り交じった灰色の髪。
なるほど、言わんとしていることはわからないでもなかった。
「俺、十八なんだけど」
「ライムは十三ですね。……お父さん、若い頃からお盛んで」
「若すぎだろ……つーかだな、ライム。少しは俺達を疑わないのか?」
今は恋人同士であるシロだって、幸助は最初訝しんだ。
転生というわけのわからない状況下で、出逢った人間を即座に信用することは難しい。
だが、ライムはこてんと首を傾げて、幸助を上目遣いに見上げる。
「最初から、お二人がわたしに向けるのは気遣いの心だけでした。利用しようとも、煩わしいとも、考えていなかった。疑う理由がありません。皆無です」
と、いうことらしい。
心が見える。時に見たくもないものだって映るだろうが、信じられる者を判別するには有用なのかもしれない。
帰りは徒歩にして、並んで神殿から出る。
ライムが手を離さないので、幸助とシロはそれこそ子連れの夫婦のように並び歩くことになった。
「ライムちゃん、えぇと、髪長いね?」
なんとか会話しようとシロが声を掛ける。
「お二人に比べれば、確かに長いですね。望んで伸ばしたわけでもないのですが」
「ふぅん、何か理由があるのか?」
幸助も気になっていたので尋ねてみる。
「誰も切ってくれなかっただけです。自分で切ろうとも思えなかったので、伸びました」
淡々とただ事実を口にするような口調。感情が窺えないからこそ、幸助もシロも察した。
彼女は紛れもなく来訪者なのである。
死しただけではなく、過去生には不幸が付き纏う。
「じゃあ、あたしが切ろうか? 自慢じゃないけど、結構上手いよ」
幸助は初耳だが、表情を見る限り自信があるらしい。
「いいのですか?」
「もちろん」
シロが笑顔で頷くと、ライムはじぃいっととシロを見つめる。
「ご飯を恵んでくださる上に、髪まで……お姉さんは天使でしょうか?」
どうやら、ライムは思ったことをそのまま口にするタイプのようだ。
褒められたシロはというと、あからさまにニヤニヤしながら幸助を見る。
「誰かさんもライムちゃんみたいに素直になれば可愛いのになぁ」
「さっき運んでる時思ったけど、ちょっと太ったか?」
「そういうとこを言ってるんだけど! 太ってないし!」
シロは片頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
するとライムが幸助を見上げてぽつりと言う。
「お兄さん。お姉さんはお兄さんに褒めてほしいのですよ」
「ちょっ、ライムちゃん!?」
不意打ちを喰らったシロは慌てふためく。
「愛情を確認したいという、ごく当たり前な感情ですね」
ライムの口元に手を伸ばそうとするも、既に遅し。
「…………っ、っ」
シロの顔はもう、耳まで真っ赤だった。
ここで下手に褒め言葉など口にすれば完全に拗ねるのは明白なので、幸助は助け舟を出すことにする。
「あー、ライム、何食いたい?」
シロを哀れむ幸助の心もまた見えているだろうライムは、少し間を空けてから乗ってくれる。
「お肉です」
「アバウトだなぁ……」
「お肉であれば大抵美味しく頂けます。お肉に関して好き嫌いはありません。あらゆるお肉を食べられます。我ながら偉いですね」
「まぁ、偉いかな……。野菜も食えたらもっと偉いな」
「無理な相談というものです」
ライムは「残念ですが……」と無表情で首を横に振る。
ふと横を見ると、シロと目が合った。
示し合わせるでもなく、同時にくすりと笑う。
「お二人はすごいですね」
階段を下りきると、まだしばらく森を歩く。
丁度終わりに差し掛かったあたりで、ライムがそんなことを言った。
「お二人とも心に大きな不安を抱えているのに、それを表に出さずわたしを気遣って、互いを気遣って。わたしの回りにはいなかったタイプの方で、少し戸惑っています」
戸惑っている、と言いながらも、やはり表情に変化は無い。
目は口程にものを言うなんて表現があるが、彼女に限っては口から出る言葉でしか感情を判断できないので難しい。
「不安、ね……」
言葉を与えられて、幸助はそれに気付いた。
自分は不安だったのだ。いや、不安でなかった筈が無い。
例えば気分が悪くなったり、胃が痛くなったり、体が震えたりすれば、自覚出来たかもしれない。
しかしそういった精神状態が肉体に及ぼす悪影響に関しては、補正で軽減されている。
幸助ともなれば、まったく表に出ない程。
だから言われるまで自覚することが出来なかった。
状況はいまだ逼迫している。
同盟諸国の英雄供出数とその質、閉鎖国家ヘケロメタンへの協力要請や魔術国家エルソドシャラル及び中立国家ロエルビナフへの戦力供給、擬似英雄への魔法具割り当て、必要な人工魔法具の生産、密偵や裏切りへの警戒、トワが妹であると露見したことによる不安、攫われたセツナの奪還、その他多くの懸念。ライムの扱いだって。
全てを一人で背負うわけではないにせよ、元いた世界であったなら十八歳が頭を悩ませるようなものではない。
だが、それでも幸助はそれらの問題に直面している。
叫び出して全て投げ出したくなるような不安を、抱えている筈だ。
では、何故そうしないのだろう。
簡単だ。
立ち向かうことでぶつかる苦難と、逃げ出した先で襲われる後悔とを比べ、後者がより嫌だというだけ。
それはきっと、妹を失った日に知った痛みで。
なればこそ、その痛みを二度味わうような選択肢など、端から考慮に入れていなかったのだろう。
逃げることを考えていなかったから、逃げたいという不安に気づきもしなかった。
自分の歪みに、思わず呆れるような笑いが溢れる。
「ところで」
森を抜け街道に出る。馬車がすれ違える道幅の、均された道だ。
少し遠くに王都ギルティアスの城壁が見える。
ライムがそれを見ながら、思い出したように唇を動かす。
「此処は何処なのでしょう。わたし、さっき死んだ筈なのですが」
「…………」
「…………」
英雄に連なる者は、例外なく狂気を抱えている。
表現を易しくするならば、全ての英雄は変人だ、とでもなるか。
英雄規格であるライムもまた、その例に漏れない人物らしい。
死と転生による疑問が、食欲より後にようやく気になるくらいなのだから。
シロが言っていた言葉を思い出す。
英雄規格であろうと、出来ることなら幸せになってほしいと。
幸助も同じ思いだ。だが、それが叶うかは分からない。
まだしも彼女が戦闘向きで無かったら、どうにか出来ただろうに。
ライムのステータスは英雄規格の名に相応しい数値で。
なによりも、ダルトラの現状において彼女を無視出来ない理由があった。
幸助はライムを見て、グラスを着用していないが故に筒抜けのステータスを確認。
【魔法】
◆適性魔術属性『黒白』
千年前にも確認されていない色彩属性。
少し考えれば想像は出来た筈だ。
色彩属性が人類用に用意された概念属性であるならば、その上限が五つとは限らない。
許しと可能性次第で、無限でこそないだろうが増えることは考えられる。
考えられるも何も、実例が目の前に現れてしまった。
それはつまり、敵側にも想定外の色彩属性保持者がいる可能性を示し。
そうして、対策を講じねばならない問題が一つ増えた。




