162◇顛末銘々、隠色『蒼』
来訪者の転生時における能力獲得に関する新説に『前世で何かを求め、その想いが強い程、転生後のステータス補正値も大きくなる』というものがある。
求めるということは、持っていないということで。
つまりこういうことになるのだ。
ステータス補正とは、過去生の闕乏及び冀求に依る、と。
何が欠けていたか、何をどれだけ欲していたか。
その思いの丈に応じて、どんなスキルを獲得するか、どの値にどれだけの補正が掛かるかが決定づけられる。
例えば不幸に陥った時。
絶望したり、自分を責めるだけの人間は、仮に転生しても強さを手に入れることは出来ない。
諦めているからだ。
抗った者にこそ神は恩恵を与える。
連合で言えばクロノが良い例だろう。
妹を理不尽に奪われ、原因の一端が自身にあると自覚した後で、現実に屈するのではなく、怒りによって奮起した。それも、無謀を犯さず、数年掛かりで策を練った。
憎いという感情に突き動かされながらも、短絡的に動くことをせず。
確実に仇を討つ為に奔走した。
妹を失ったという不幸に対し、
彼は復讐を選択し、
その達成に必要とされるあらゆるものを欲した。
言ってしまえば、思いの強さを現実の強さに反映するのがステータス補正。
出来事そのものの凄惨さではなく、それを受け本人が何を思ったかこそが最重要。
サファイアは、この説は間違っていないと考えている。
自分より酷い目に遭っている者など幾らでもいるし、自分より哀れな存在など星の数ほどいるだろう。
けれど、自分程の力を得ている者は稀だ。
神はあらゆる異界から、極少数の人間を転生させている。
その明確な基準は不明だが、多くの実例から予測することは可能。
サファイアは変化を拒んだ。
無情な時間経過により、本来ならば回避不能なあらゆる変化を拒否した。
故に『途絶』。
望まぬ変化への道を塞ぎ、断つ力。終わりまでの道を途絶えさせる力。
だから、変化を強いる全てはサファイアには届かない。
何度目ともしれぬ『斫断』の刃がサファイアの肉体に触れ、変化を刻めずに消滅する。
「……なんて、面倒な」
悔しげに表情を歪めるのは、くすんだ銀髪をした童顔の女性。
ダルトラの軍服を纏っているが、改造しているのかやたらとヒラヒラしている。
『神速の英雄』フィオレンツァーリはご自慢の神速を体現する両足が使えない為、足手まといと化していた。
『編纂の英雄』プラタナスカイは突っ立っているだけで戦闘に介入する様子は無い。こちらをじっと見つめているだけだ。
「無駄ですよ」
最初にフィオレンツァーリの蹴りを受けてしまったのは、肉体に対する変化の『途絶』のみを行っていたから。
これは魔力消費が抑えられる分、物理法則の影響を受ける。
怪我はしないが、吹っ飛びはするというわけだ。
今『斫断の英雄』パルフェンディの攻撃にビクともしないのは、エネルギーの到達を『途絶』しているから。
どれだけの衝撃があろうと、切れ味を誇ろうと、その『力』の流れが途絶えれば無意味。
イメージは壁だろうか。
あまりに分厚く、突破不可能な、不可視の壁。
それがあるから、サファイアには攻撃が届かない。簡単な理屈。
「何人もボクを変えること能わない。ボクを傷つけることは出来ないんです」
だというのに、パルフェンディは何度も何度も魔法攻撃を放ってくる。
魔力の無駄遣いだ。
「無駄なことを……」
「それを決めるのはあなたではありませんことよ」
「そうですかね、誰の目にも無駄と映る行いは、客観的に見てやはり無駄なんじゃないですか?」
「いいえ、真に重要なのは、自分にとって無駄か否かなのですわ。あなた、それだけの力を持っていて、他人の目を価値判断の基準に入れているんですの?」
「…………うる、さいな」
自分でも驚くほど、パルフェンディの言葉は胸に痛みをもたらした。
過去生の記憶が過り、唇を噛む。
可愛い歯で可愛い唇を噛んでも、『蒼』のおかげで唇が切れることはない。
自分は変わらない。
変わらなくていい力を、手に入れたのだ。
「なら、見せてくださいよ。あなたにとって、無駄な努力が有益だと言うのなら、それを証明すればいい」
「そうさせていただきますわ」
強がりを、とサファイアが思った瞬間。
サファイアの肌が切れた。
「思ったよりも早く実りましたわね、無駄な努力」
瞬時に状況を把握。
魔法式の構造に異変。
めちゃくちゃに壊されていた。これでは『途絶』が正常に機能しない。
「…………なるほど、きみの仕業ですか」
『編纂の英雄』プラタナスカイだ。
薄い朱色と紫を練り混ぜたような色合いの毛髪と瞳。蝶の意匠が刻まれた眼帯で右目を覆い、手に奇抜なデザインのぬいぐるみを抱えた童女。
他人の魔法式に介入するというのは、確かに理論上不可能ではない。
だが魔法式は目に見えず、展開されるまで術者の脳内にしか無いものだ。
言うなれば、魔法式に介入するというのは、他人の見ている夢に登場して暴れまわるようなもの。
なるほど英雄規格の人間であれば、凡百の魔法使いに対してそれを行うことは可能だろう。
だがプラタナスカイの腕は、それを英雄規格に適応できるまでに熟達しているのだ。
パルフェンディがひたすらサファイアに攻撃していたのは、魔法をぶつけることで少しでも魔法式の情報をプラタナスカイに与える為。
「……それでも、無駄ですよ」
傷は消える。
パルフェンディの追撃も、届かない。
確かに素晴らしい。色彩属性すらも、時間を要したとはいえ編纂する技術は。
だが悲しいかな、改変されたなら捨てればいい。
新たに作り直せばいい。展開し直せばいい。
分解に掛かる時間は長く、再展開に掛かる時間は短い。
だから、やはり無駄なのだ。
「【蒼颯】」
プラタナスカイが地面に倒れる。
「脳と四肢の繋がりを途絶しました」
「な――」
「『黒』が飛ばせるんだから、『蒼』だって出来ますよ」
力の無駄遣いはしたくなかったというだけ。
彼女達の組み合わせには、サファイアの力をこの程度引き出す価値はあった。
ただ、それが一体何になるのだろう。
サファイアに敵わないという事実を痛感するまでに掛かる時間を、引き伸ばしただけじゃないか。
全ての努力が実るなら、この世に挫折なんて言葉が生まれ落ちることも無かっただろうに。
「思ったより早く行き詰まりましたね、きみたちの努力」
「くっ……! まだ――」
「諦めが悪い人は嫌いじゃあないですよ。愚かだなとは思いますけど、だからこそ可愛くもある。でもきみたちは敵だから、優しくはしてあげられませんね」
その時だった。
グレアの魔力反応が消え、そしてすぐに戻ったのは。
「……今のは」
そして即座に撤退命令が下る。
まったく意味が分からなかった。
せめてパルフェンディだけでも他の二人と同じようにしようかと考え、結局思い留まる。
「……帰ります」
「はっ? あなた、何を言って」
「英雄を二人木偶に変えられれば充分でしょう。確定した敗戦を前に、どう負けるかだけ考えて過ごしなさい。アークスバオナは寛大なので、降伏も受け入れてあげますよ」
「……王族の処刑と引き換えに、ですの?」
「王族が率いるダルトラという総体は、陛下にとって邪魔以外の何物でもありませんから。神の血を引く一族は、一つあればいい。後の戦火を未然に防ぐ為にも、必要な措置では?」
「随分と身勝手な主張ですのね」
「それが、人間という生き物でしょう」
身勝手じゃない人間なんていない。
なら、後は誰の主張が通るか、それだけの違いしかないのだ。
そして人間誰しも、自分にとって都合が良い主張を支持する。
「さようなら若作りおばさん、可愛いボクから最後にアドバイスです。いい加減、年相応の恰好をした方がいいですよ? フリフリはさすがにちょっと引きます」
「…………次逢うことがあったら、絶対にその首刎ねて差し上げますことよ」
「へぇ、じゃあそれが出来るように、精々無駄な努力を続けてくださいな」




