161◇顛末銘々、神罰代行者/隠色『翠』
『翠』は『生命』を司る。
攻撃手段として用いる場合の最も簡単な使用法は、生命力の奪略。
レイドの創る伸びる木の根は、触れたものから生命力を吸い上げるのだ。
『併呑』は奪ったものを己の力とする。言わば、吸収と分解の能力。
対し、『生命』は奪ったものを己のものとし、それを還元可能。吸収と還元の能力なのだ。
生命力を奪ったところでスキルや使用魔法は奪えないが、同時に『黒』も奪ったものを他者へ分け与えるには向いていない。
似通いながらも明確な差異があるのだ。
レイドが団長と出逢ってから七年。
感情の大半と引き換えにアークスバオナの緑化を試みた。
結果は、成功だが足りないという、どうしようもない結末。
「奪うことでしか生き残れない民に、それでも奪ってはならないと命じる神を、きみたちはよく信仰出来るものだね」
アークレア神教は、悲しいまでにアークスバオナを救わない。
故に捨てた。
神の教えを信じて餓死するくらいならば、罪人として生き延びる方を選ぶ。
「それとも、きみたちはこう言うのかい? 主の教えを守れない人間は――死ねって? それこそ、神の望んだ平和と対極の位置にある思想だと思うけれど」
「征服を正当化するには、些か心許ない理屈ではないでしょうか?」
「……助けてと叫べば、手を差し伸べてくれたかい? 神でも、きみたちでもいいけどさ。頷くことなんて、出来ない筈だ。だってきみたちは、一度見捨てている。ダルトラがロエルビナフの独立に手を貸した時、黙って見ているだけだったじゃあないか」
「それこそ、ロエルビナフは助けを求めたのでしょう」
「じゃあ僕も助けを求めようかな。頼むよ、きみたちの国の、豊かな土地が必要なんだ。だから、明け渡してくれ」
「そうして、我らに飢える側に回れと仰るのですか?」
「そうなってしまうね。でも安心して。きみたちのような無関心による無干渉なんてことはしない。仲間の次に大事にするよ。だから、現状よりはずっと、餓死者は減る」
「一つ、疑問があります」
「なんだろう」
会話の間も、アリエルは二刀で以って『生命』の枝を斬り捨てている。まるで舞踏のようなその流麗な動きは、此処が戦場であることを忘れてしまう程に美しかった。
もう少し感情が残っていれば、危うく見惚れていただろうと思える程度に。
「貴方方の戦う理由は、本当に其れ唯一つなのですか?」
「…………それは、どういう意味かな?」
「民を飢えから救いたい、その気持ちは素晴らしいものです。えぇ、貴方の言うように主はその権能の全てを現し世の泰平が為に使われない。時にそれは、争いを必然にしてしまう」
「なんだ、狂信者じゃあないのか。嬉しいような、悲しいような」
盲目的に神を信仰している愚者ならば、対話の余地がそもそも無い。
だが、目の前の女は神の不完全さを、解釈こそ違うものの認めている。
話が通じる分、殺害に際し心を掠る痛痒の量が僅かに増す。
「その上でお聞きします。貴方方の目的が真に豊かな領土のみであるのならば、何故異界への侵攻を優先しないのですか?」
「――――」
一瞬、根の動きが止まる。
彼女が言っているのは、異界を攻めろということではない。
英雄規格との殺し合いよりも、魔法やそれに比する技術の存在しない異界を侵攻する方が余程楽であり、早急な国土確保へと繋がるのは自明の理。
本当に民の飢えを満たすことだけが目的ならば、大陸の統一は最優先事項にはならない筈なのだ。
そんなこと、少し頭の回る者ならば誰だって気付くこと。
それでも、統一を優先した行動を執っている理由は。
「……大陸の統一こそが陛下のご意思だからだよ」
「それを疑問には思わないのですか?」
思っていたし、思っている。
異界への侵攻手段をいまだ持ち合わせておらず、その究明の為に大陸中の情報が必要。
それが一番納得の出来る理由だろう。
だが、アークスバオナは元よりダルトラと同等の迷宮・神殿保有数を誇る国家だ。
研究材料には事欠かない。
であれば、可能性は大きく三つ。
大陸中の情報が必要か、異界侵攻など不可能で大陸以外に土地を得る術などないのか。
それとも、統一を優先せねばならない別の理由があるのか。
「まぁ、正直なところ、よくわからないんだ。ごめんね」
「……そうですか」
アリエルはあまり興味がなさそうに応えた。元々、敵が重要な情報を軽々しく漏らすわけもなく、漏らしたところでその真偽は定かではないのだから、当然と言えば当然。
「けど、団長が必要だって言うからさ。だから、いいんだよ。理由なんて」
「……わたくしの目には、貴方方の信頼こそが狂信に映ります」
「いいよ、別に。まともだと思われて安心出来るのは、普通の人間だけだろう?」
必死に平均という規格に収まろうともがく必要が、英雄にはそもそも無い。
故に、敵からどう映るかなど、気にもならないのだ。
「ところできみたち、中々しぶといね」
『剣戟の修道騎士』アリエルも、『祓魔の修道騎士』サラも知っている。
アリエルは、英雄規格なだけでなく、剣捌きが卓越していると聞いた。
そしてサラだが、彼女の特殊性もまた、レイドを前にしては無意味だ。
生物には、魔術属性とは別に、魔力性質と呼ばれる区分が存在する。
生来の性質は、どんな属性の魔法を用いようと、纏われてしまう。
聖、生、魔。聖性、生性、魔性。
ほとんどの生物は生性である為に、そもそも知る者も少ない。
だが、神に属する者は聖性を持ち、悪神に属する者は魔性を持つ。
そして、聖性持ちの攻撃は魔性持ちへ、魔性持ちの攻撃は聖性持ちへ。
それぞれ、補正が掛かるのだ。
言ってしまえば、聖性持ちの人間の攻撃は魔物に対してのみ数倍から数十倍まで膨れ上がる。
逆もまた然り。
そしてサラは聖性持ち。
迷宮攻略で言えば、あるいはクロノやグレアと同じかそれ以上に有用であるかもしれない。
だからこそ、人であるレイドを前にしてはただの一英雄規格に過ぎない。
先程からアリエルの後ろに控えており、彼女に護ってもらっている始末だ。
アリエルを襲っているのは、八本の根。
斬って落としては再生する根を、彼女は諦めることなく斬り続けている。
『生命』に弱点があるとすれば、それは命なきもの、魔力なきものに対しては奪略を行えないことか。
生命力が無いから生命力を奪えず、魔力が無いから魔力を奪えない。当たり前のこと。
だが、その理屈で色彩属性に立ち向かえる者となると、実際は極めて稀な存在。
どうやらアリエルの剣技は、その稀に該当するらしい。
素晴らしいことだ。手放しに賞賛したっていいくらいに。
だがレイドとアリエルの立場は、単に敵で。
故に贈るべきは、賛嘆ではなく、追撃なのだった。
「少し、増やそうか――【翠連十六奏】」
根の数が十六へと増す。
単純に手数が二倍。
彼女と言えど手に負える数ではないだろう。
そして十六の根が彼女を貫――くことは無かった。
風船の弾ける音を、幾重にも重ねたような、乾いた音。
サラの両手には、取っ手のついた黒い鉄筒が握られている。
筒の先端からは煙が上がり、そして根の先端が散っている。
「……大変お待たせしました、アリエル様。弾丸の準備が整いましたので、不肖サラ、参戦させて頂きます」
サラの言葉に、アリエルは薄笑みと共に「えぇ、お願い」と返す。
レイドは、サラの持っているものに見覚えがあった。
「……二刀の剣士のお供が、二丁拳銃の遣い手とは。面白い組み合わせもあったものだね」
後ろで控えていたのは、『生命』への対抗策を考えていたというだけ。
アリエルの二刀が通じたことからの連想でこの答えに至ったのだろう。
「魔法の世界に物理攻撃手段ばかりでくるなんて、無粋だなぁ」
旅団にも肉弾戦を主とするメンバーがいるが、レイドは笑顔のまま棚に上げる。
「伊達や酔狂で戦争をしているわけではないでしょう、お互いに」
「返す言葉もないよ」
肩を竦めながら、代わりに返すは、攻撃。
「【翠連六十四奏】」
六十四本の根が地を割って天に伸び、そして二人を襲う。
アリエルとサラは背中合わせに立つと、息の合ったコンビネーションで根に相対。
迫りくる根の群れを悉く斬り裂き、撃ち落としていく。
「聞きしに勝る妙技だね。ゲドゥンドラの修道騎士とやらも、いやはや捨て置くには優秀に過ぎる」
この数にも、二人は対抗出来るようだ。
個々人の実力も然ることながら、互いの信頼関係が如実に動きに表れている。
二人の表情に余裕は無いが、自分達ならばどうにか出来るのではという自信が滲み始めていた。
「それが見たかった」
地が割れる。
あちこちで、無数に亀裂が走っていく。
その全てから、根が突き出た。
周囲を埋め尽くす根の総数たるや、実に――。
「【翠連六百六十六奏】」
六百六十六本。
「なっ――――」
絶句する二人を置いて、レイドは満足げに微笑む。
「色彩属性の全力に、まさか敵うとでも思っていたかい? 思わせてしまったのは僕だけれど、謝罪はしないよ。希望を見出した後に突き付けられる絶望。きみたちを襲うそれが、死んだ仲間達の魂を少しでも慰めてくれたらと願いながら、やったことだから」
四方から一挙に押し寄せる根を防ぐ手立てなど無いだろう。
人類の到達点を遥かに超える極技を以ってしても、圧倒的物量で放たれる色彩属性攻撃に耐える術は無い。
「それでは、麗しいお嬢さん方。祈る時間をあげられなくて悪いけど――さようなら」
しかし、レイドの攻撃が放たれることは無かった。
グレアの魔力反応が消失したからだ。
「――――は?」
――団長が死んだ?
頭が真っ白になる。
それは旅団にとって、心臓を、脳を、魂を、存在理由を失うに等しい。
むしろ、その空白が一瞬で済んでしまう程に精神力が高い自身のステータスを呪ったくらいだ。
同時に、一瞬で魔力反応が戻る。
安堵と歓喜、そして疑問。
グレアが完全に死ぬ前にクウィンが救ったのだとは分かる。
だが即座に撤退命令が下され、レイドは困惑した。
グレアとクウィンを以ってしても打倒出来ぬほど、グレアが死す程、クロノは強力なのか?
だとすれば、選ぶべきは撤退ではなく、レイドとサファイアとの合流では?
それが間に合わない状況? 自分が二人を殺すのには三十秒も掛からないが、しかし――。
「…………一度口にした別れの言葉を撤回だなんて、ここまで恥ずかしいこともそうないけれど、今回は見逃そう、お嬢さん方」
団長の命令は絶対。
根を消す。
状況を呑み込めていない二人。だが説明する義務は無い。
「クロノくんに感謝するといい。きみたちの命が繋がれたのは、おそらくひとえに彼の活躍あってこそだろうから」
初めて対峙した時に殺しておけば、この戦いはそもそも起こらなかっただろう。
あるいは自分が死ぬことまで想定して、彼は策を用意していただろうか。
どちらにせよ、旅団の目的が阻まれることは無かった筈だ。
「僕らに完全と幸福を許さない愚神を崇め奉る哀れな羊さん方、これからもその信仰が死なないなら、せめて祈るといい。気まぐれに想いを汲んで、きみたちの敵に天罰を下してくれるかもしれないよ」
天罰は存在する。
だがそれは、人の理を犯した者にではなく、神の機嫌を損ねた者にのみ下されるものだ。
クウィンやエーリの魂に罪が刻まれたように。
神は人の決めたルールや、人の抱く感情にはおそらく興味が無い。
当然だろう。他人事どころか、下等生物の思いの丈など気にする方が不自然だ。
「僕らは不気味な超常存在ではなく、仲間を信じる」
悔しそうに表情を歪めながら、それでもアリエルは言う。
「主に見放されたことが、そうも気に入りませんか」
「気に入らないね、自分達に利することなく、その上邪魔立てする存在を愛する人間がいたら、それこそどうしようもない程に狂っているだろう。僕らの狂気は、そこまでじゃあない」
「……主が、貴方方に天罰を下さなかったとしても」
「しても?」
「必ずや報いを受けることになりましょう」
「それは楽しみだな」
なんて、感じてもいないことを口にして。
レイドはその場を後にした。




