160◇想うが故に離反
計三つの扉が破られたことには、セツナも気付いていた。
トワとセツナの担当は第五王女護衛。
中が空であることを、クロから事前に聞いている。
「トワ様、あの……」
隣を見れば、悲しげに表情を歪めるトワ。
三人だ。
三人もの仲間が裏切った悲しみ、自分程度が察することなど出来ようもない。
「セツナさん」
「はい!」
「持ち場を守ろう」
力無げに微笑む姿さえ可憐。
それでも不安げに前髪の一房を手で弄ぶ姿を見て、セツナの中の庇護欲が爆発する。
「いえ、わたしが護るのは王族ではありません」
セツナのことだから頷いてくれるものと考えていたのだろう、トワがやや気落ちするように表情を曇らせた。
「そう、なの……?」
「わたしは、トワ様こそをお護りします!」
トワはぽかんとした様子でこちらを見ていたが、やがてふわりと微笑む。
「それは、コウちゃんに言われたから?」
「まさか。わたし自身がトワ様を大事に思っているからです。ご迷惑でしょうか?」
ふるふる、とトワは急ぎ否定するように首を横に振った。
「ううん、嬉しい。護るだなんて言われたこと、あまりないから」
それはそうだろう。彼女は英雄規格だ。『紅の英雄』だ。
並の人間も、大抵の強者も彼女を護る力を有さない。
「でもトワ結構強いから、セツナさんの方を護るかもだけど」
やや拗ねるように唇を尖らせるトワを見て、セツナは崩れ落ちるのを堪えるので必死だった。
可愛さの暴力とでもいうべき可憐さに、むしろこのまま晒されていたいと感じるセツナだったが、最悪なことに邪魔が入る。
「トワ! アナタ大丈夫だった!?」
駆けつけてきたのは、『神癒の英雄』エルフィだ。
「止まれ」
セツナの制止に怪訝そうな顔をしながらも、エルフィは逆らわず立ち止まる。
「貴様、持ち場はどうした」
「あら可愛い忠犬さん。忠猫さんと言うべきかしら?」
「質問に答えろ」
「擬似英雄に任せてきたの、トワのことが心配で」
「そうか、嘘だな。貴様が裏切り者だ」
「酷いことを言うのね」
とエルフィは目を伏せたが、すぐに面倒くさくなったのか笑う。
「そうね、そう。ダルトラの、という意味では裏切り者よ。けれどクロの、という意味では違うわ」
その笑みは自然体。挨拶でも交わすかのように気軽。
クロはエルフィを疑っていた。
少し考えれば分かること。
幸助の力を以ってしても暴けぬというのなら、それは幸助よりも脳への干渉に長けた人物が関わっているということ。
「黙れ」
「セツナさん、待って」
トワの一言で、取り押さえようとした身体を止める。
「エルフィ、説明して」
「あまり時間がないのだけれど」
「説明してよ」
有無を言わせない口調に、何を思ったか彼女は嘆息。
「うんざりしたの。リガルが殺され、あなたが投獄された件でね。クロがいなかったら、いえ、彼があなたの兄でなかったら、どうなっていたと思う? 真実が明るみに出ることは無かったでしょうね。あなたも処刑されてた。英雄国家? いいえ、そんな素晴らしいものではないわ。ただの、英雄消費国家」
「だから、裏切るの?」
「あのね、トワ。クロがお人よし過ぎるのよ。あれは異常だわ。彼らしいけれど、だからといってそのままでいいの? 優しさを尊重して、破滅させてもいいわけ?」
「――――」
トワだけではない、セツナの表情も歪む。
妹の仇を取る為に、人生を擲つ。誰かを救う為に魔法具持ちを打倒する。妹の死刑を撤回させる為に国と貴族を相手どる。妹の死刑を命じた国家でさえ救わんとし、連合を率いる。
「どんな状況も打開してきた、なるほどそうね。けれど、それがいつまでも続くかしら? アークスバオナに勝てるかしら? アタシ、無理だと思うのよね」
「勝ち馬に乗ろうというわけか、浅ましいな」
「えぇ、浅ましくて結構。アタシ達は国の道具じゃないわ。リガル程国に尽くしてなお、狂気一つで殺されてしまう国にいるなんてお断り。だからトワ、一緒に行きましょう?」
「え……?」
戸惑いの声を上げるトワの横で、セツナはエルフィの意図を悟る。
彼女は、アークスバオナへの手土産にクロの妹であるトワを連れ去ろうとしているのではなく。
一度は心を許した仲間として、勧誘しているのだ。
このままではどうせ負けて死ぬ。だから一緒に行こうと誘っている。
あぁ、ダルトラにとって既にエルフィは裏切り者。大罪人だ。
けれど、彼女はトワを想って言っている。それが嘘でないことは、セツナにも分かった。
「クロは頑固よ。言っても聞かない。けど、アナタを失うことを極端に恐れてもいる。だから、教えてあげましょう? アークスバオナに来れば、兄妹二人共、今度こそ幸せになれるのだと」
それは、ある意味で事実だ。
アークスバオナにつけば、二人を脅かす者はいないだろう。
「エルフィ……」
「なぁに?」
「トワのこと、仲間だから誘ってるの?」
「アナタの主治医ですもの。それと、友達でしょう?」
「トワがついていけば、コウちゃんもついてくるって思う?」
「アナタを英雄から解放する為に戦っているのよ、彼は。それだけではないでしょうけど」
「シロさんやエコナちゃんはどうするの?」
「彼が納得してくれれば、連れていくことは可能だわ」
「ねぇ、ルキウスやパルフェは誘わないの?」
「パルフェはまだね。ルキウスは誘ったわ。どうなったと思う?」
反対側の通路から足音。
「エルフィ、あまり時間がありませんよ」
ルキウスだ。
彼も裏切り者らしい。
「ルキウス。きみさ、民を護るんじゃなかったの?」
「……徹底抗戦で護れるのですか? 僕らが護ろうとしても、その僕ら自身を平気で使い潰そうとする国家においては難しい。けれど、僕らがアークスバオナにつけばどうでしょう? 連合宗主国たるダルトラの英雄が一度に敵につけば、降伏以外に道はない」
「他の国の人は奴隷になっちゃう」
「アークスバオナの奴隷階級というのは、ダルトラがギボルネの民にしていたような非道とは異なります。そうですね、そういう職業という扱いなのですよ。衣食住は保障されますし、不当な暴力なども禁じられている。給与も出ますし、自分の身分を買うことも出来る。一時的に不自由を強いることにはなるでしょうが、それは不服従の果てに強いられる死とどちらがマシでしょうか」
「最悪の二択を比べないで」
「最善を語ることが許されるのは、それに手が届く者だけですよ。トワ、僕もエルフィも、正直とても頭にきている。リガルを殺し、きみすらも殺めようとした国家に。クロの、彼の姿を見て我慢していただけなのですよ。彼が率いるなら、今しばらく付き合おうと思えた。けれど、それではダメなんだ。今度は彼の使われる順番になるだけ。僕らが学び、彼を死から引き離さなければならない。違いますか?」
正直、セツナは揺れていた。
エルマーは、最後の最後に仲間に裏切られた。仲間だっていたけれど、彼を救けることは叶わなかった。
けれど、クロには彼を救おうとしてくれる仲間がいる。
そして、クロにはトワがいる。
アークスバオナにつくことの一体どこが問題なのだ、とすら考えてしまう。
「ダメだよ、二人共」
トワの言葉に、ハッとする。
「どうしてかしら?」
「コウちゃんは、間違ったと思ったことを放置したり、加担したりして、幸せになれる人じゃない」
「――――」
「アークスバオナは、他の世界まで侵略しようとしてるんでしょ? 仲間にしたら心強いけど、敵に回したら恐ろしい、そういう相手だよね。けど、心強さを得る為に自分を曲げられるなら、コウちゃんはアークレアに転生してなかったと思うよ」
そして、セツナは一瞬前までの思考を強く恥じた。
あぁ、そうだ。
妹が死んだ。殺されたと言っていい。
それで、どうしろと言うのだ。
憎んで、恨んで、自己嫌悪して。けれど普通なら、どうしようもない。
生活がある、法律がある、無数の壁が立ちはだかり、復讐を阻む。
堪えて先に進むしかない。
そういう風に自分を曲げられなかったから、彼は黒野幸助なのだ。
間違っているから。許せないから。それを理由に、世界にだって挑めてしまう精神。
妹を失うことで彼に芽生えた狂気は、そういう類のもの。
故に、絶望的な戦況を前に膝を屈することはありえない。
「なら、兄妹仲良く心中するの? 悪いけど、アタシ達はそんなアナタ達を見たくない」
「ありがとう、エルフィ。意地悪でえっちだけど、トワ、エルフィのこと好きだよ。優しくて、嫌なこと絶対にしないルキウスもね。けど、大好きだけど、ダメだよ。トワ、決めてるから」
「決めてる? クロについていくことをかしら?」
「今度は、トワがコウちゃんを救けるんだ。二人が敵になっても、それでもね」
「…………そう。なら、悪いけど――力づくになるわ」
セツナは『黒』を使おうとして、違和感に気付く。
魔法が、使えない……?
「あなたの持ち場にね、仕込んでおいたの。対魔法結界。で、今起動したわ。だからねトワ。アナタは少し力が強いだけの女の子で、猫ちゃん、あなたは『黒』を使えない亜人だわ」
「トワ、セツナさん。申し訳ありません。ただ、これもクロやお二人の為なのです」
ルキウスがゆっくりと近づいてくる。
「シンセンテンスドアーサー殿!」
現れたのは、『魔弾の英雄』ストックだった。
ルキウスが振り返り、エルフィの意識も一瞬彼に向けられる。
英雄規格二人を前して体術で勝利する力は無い。
だが、対魔法結界は、必ずしもセツナを抑制するものには成り得ない。
セツナの身体が膨れ上がり、白虎と化す。
「ルキウス!」
エルフィの言葉に反応し青年がこちらを見るが、遅い。
腕の一振りで壁面に叩きつける。
とはいえ、ダメージはそう無いだろう。目的は別にある。
「セツナさん!? うわあっ」
トワを口に加え、首を動きで勢いをつけストックに投げつける。
「うおおっ? 何するのだ貴嬢! い、いやよくやった。魔法の使える範囲まで後退――」
それでは間に合わない。
「眼鏡……いや、ストック殿、トワ様を頼んだぞ」
尻尾で彼を打つ。
「な――」
トワを抱えた彼の身体が宙を舞い、窓を割って外へ出た。
「セツナさん! なんで――っ!」
トワが必死にこちらに手を伸ばすが、セツナはそれに微笑みかけるに留めた。
「言ったでしょう。お護りすると」
二人の姿が消える。ストックも英雄だ、あの程度なんとかするだろう。
セツナを救けに戻ろうとするトワを、彼ならば止めてくれる筈。
「……なるほど、逆なのですね。魔法で獣形態に変化するのではなく、魔力で獣を抑えている。故に対魔法結界内において、獣形態となる」
壊れた壁から脱したルキウスが、埃を払いながら言う。
「ルキウス、追う時間は無いわ」
「……分かっています。セツナさん、今あなたは、あの兄妹を救う手段を破壊したのですよ」
「命を繋げることが救済か? 違うぞ英雄。生きるだけではだめなのだ。生そのものを尊ぶことは、わたしには出来ない」
千年だ。千年無理やり生かされた。
千年、苦しむ主を見てきた。
命あっての物種なんて言葉、受け入れられるわけもない。
生きているだけでは、だめだよ。
「望まぬ生で繋ぎ止めて、あの二人が幸福になれるのなら協力しよう。だが、違うだろう」
「望まぬ死と天秤にかけ、あなたは死を取ると?」
「否、望む生を勝ち獲ることに対し助力するのだ。わたしは彼の――従者なのだから」
「……彼は本当に恵まれていますね。尽くす国以外には、ですが」
「同感だ。だが、相容れぬ」
「エルフィ、彼女をどうしますか?」
「……連れ帰りましょう。クロやトワを説得するのに一役買ってもらう為にも」
「……了解」
自分では、勝てない。逃走する隙も与えてはくれないだろう。
このまま二人に捕まってしまう。
けれど、自害は出来ない。主の命令に反するし、クロもそれを望まないと知っているから。
だからせめて、セツナは願うことにした。
どうかお二人が、自分を見捨ててくれますように。
きっと、無理だとは思うのだけれど。




