156◇せめて最期は黒に染めて
ほんの気まぐれだった。
たまたま強い魔力反応があって。
たまたま起きていて、たまたま時間があったから。
近くの神殿に来訪者が現れたのだと思って、来訪者が連れられる酒場へ寄っただけ。
その気まぐれが、クウィンにここまでのことをさせた。
だって、彼はこう言ったのだ。
「嫌なら、逃げていいと俺は思うぞ」
初めてだった。
言っていることと、思っていることが同じ人。
英雄をやめていいと、言ってくれる人。
クウィンに笑顔で、あるいは悲しげな顔で自己犠牲を強いない人。
世界が急速に色を取り戻していくのを感じた。
今まで感じたどの痛みとも違う、鮮烈で『嫌じゃない』刺激が心を揺すぶる。
クウィンは少年に、クロに強く惹きつけられた。
裏表の無い言葉を貰った時、友達だと言われた時、優しさを向けられた時、今まで感じたことのない感情に襲われた。
嬉しくて、喜ばしい。そうか、心は踊るのかと、クウィンは初めて知った。
グレアに同じ言葉を言われた時に、嬉しくなかった理由は簡単だ。
彼はクウィンを仲間として扱ったが、そこには『白の英雄』であることが前提としてある。
だがクロは違う。
そう、彼だけは、この大陸上で彼一人のみが、クウィンに『白の英雄』であることを求めない。
だから、彼の前でだけは、クウィンは『ただのクウィン』になれる。
一人の、少女になれる。
クウィンが忌み嫌う『白』という特別性を、彼だけは無視してくれる。
彼の言葉は虹色で、彼の隣は楽園で、彼の微笑みは甘露だった。
けれど、だからこそ、すぐに怖くなった。
なんてことだろう。クウィンは得てしまったのだ。
失いたくないものを。
あぁ、いやだな。いやだ。いやだ。死にたくないな。もっと、喋りたいな。もっと一緒にいたいな。
でも、きっと無理だな。
非業の死、確定。
自分は無残に、無様に死ぬから、それは叶わないな。
英雄をやめても、意味なんか無いのだ。
定められた非業の死からは逃げられない。魂に課せられた罰からは逃れられない。
クウィンは考えた。考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えた。
その果てに、結論を出した。
自分は、非業の死から逃げられない。
きっと、クロでもどうしようもない。
でも、どうだろう。
こういう考えは無いだろうか。
どうせ死ぬなら、せめて死に方を選べないだろうか。
非業の死に矛盾しない範囲で、幸福な死に方が出来ないだろうか。
クロと旅団の間に立ち塞がり、旅団に勧誘された時、クウィンは『これだ』と思った。
旅団に協力しよう。
王族暗殺にだって手を貸そう。
クロの邪魔をしよう。クロの敵になろう。クロに恨まれよう。クロに憎まれよう。
そうして、クロに殺してもらおう。
愛する人に殺される。
これは非業の死に含まれる、穢れた魂に相応しい末路ではないだろうか。
これなら、大丈夫。
嫌われたくなんて、恨まれたくなんて、憎まれたくなんてないけど。
彼が自分を殺してくれるなら、それは。
自分に用意されるどの非業の死よりも、きっと幸福だ。
最低最悪の中から選べる、最上の最期だ。
「俺が救けに行くと言った時、お前は待ってるって言っただろ……」
クロが泣き出しそうな顔をしている。
心がきゅっと締め付けられる。今すぐ謝って、助けようとしてくれてありがとうと言ってしまいたい。
けれど、だめだ。
これを逃せば、自分はまともに死ねない。
偽らざる本心を告げる。
「……うん。ずっと待ってた。ねぇ、クロ。これが、人造英雄に許される、唯一の幸せなの。お願い、クロ。あなたのことが、大好き、だよ。本当に、大好き。だから、せめて、あなたが終わらせて」
毎日が苦しくてならない。
発狂しそうな恐怖の中で、ずっと生きてきた。
心休まる時間なんて無かった。夢の中でさえ恐怖はついて回った。
少年はそれを緩和してくれたが、同時に激化させた。
だって、そうじゃないか。
彼がダルトラを救っても、シロやトワやエコナと幸せになっても。
そこに、わたしはいないから。
これは、そんなに悪いことだろうか。
せめて彼に殺されることで、彼の記憶に残りたいと願うことは。
それすらも、人造英雄には、泥人形には、高望みだろうか。
「お願い……もう、耐えられないから。泥人形を、壊して」
クウィンの願いに。
少年は――。




