148◇理由なんて、そんなもの
「クウィン……! トラっ、トラが……!」
『血戦の英雄』フィーティがボロボロと涙を流しながら取り乱す。
彼女を庇ったのだろう、全身に孔の空いた『撃摧の英雄』トラが血の気の失せた顔で膝をついている。
「あなたなら、助けられるでしょ!? クウィン、お願いよ……!」
トラの喉にあった古傷を、クウィンが気まぐれに『無かったこと』にしたことがあった。それからフィーティはクウィンのことをえらく気に入り、干渉してくることが多くなった。頼んでもいないのに帝都を案内したり、一緒に入浴したり、クイーンと共にクウィンに化粧を施したり。
アークスバオナでは、戦果に応じて報奨が与えられる。旅団の英雄の内、何人かはこう言ってくれた。ダルトラ王族暗殺成功の報奨で、クウィンに英雄の役目と無縁の生活を贈る、と。
「クウィン、トラが死んじゃう……!」
「……ぁ」
無意識に、手が伸びる。
だが、届かなかった。
フィーティやトラだけではない。
グレアとクウィン、そしてクロを除く全英雄がその場から消えた。
クロの放った『黒』き靄に呑まれて。
クウィンは虚空へと伸ばされた自身の腕を見て、首を傾げる。
自分は今、何をしようとして、手を――。
「クウィン」
クロがこちらを見ている。
「……もう少しだけ待っていてくれ。すぐに終わらせるからさ」
自分が、待っていると言ったのを彼は覚えていてくれたのだろう。彼が忘れるわけもない。
なのに、うんの一言分も喉が震えてくれない。
「見事だ、クロノ。だが皮肉だな。正義を振り翳す側が同胞を信じぬことで奇襲を成功させるとは」
「お前は疑うことの放棄を信頼と呼ぶのか? 俺の世界では、そういうのを盲信って言うんだ。信じられないから疑うんじゃない。信じたいから疑うんだよ。それは必要なことで、怠ると悲劇を生む。過去生からそうだったっていうなら、心当たりがあるんじゃないのか?」
グレアの表情が歪む。彼は忠義を誓った王の息子を信じたが故に妻子を失った。クロはそれを知らないだろうが、だからこそ一層グレアは不愉快に思ったことだろう。
「……なら貴様は何を信じた。己が国の治安か? なるほど確かに、盲信は悲劇を生むな。さすがは遊興に耽り妹を失った男の言葉、説得力が違う」
対して、グレアはクロの過去を知っている。傷口の抉り方は、最悪なことに的確。
「仲間が死んだってのに余裕だな。さっきの二人と、これから死ぬ旅団の人間は全員、あの時お前が俺を見逃した所為で死ぬんだ。お前の言う、次の景色とやらを見れずに」
「逆も然り。これから死ぬ貴様の同胞もまた、あの時貴様が己に敗北したが故に危険な迎撃戦に臨むこととなったのであろう。そもそもだ、クロノ」
グレアが剣の柄に手を掛けながら、言葉を続ける。
「仮に貴様らが正義だとして、何故アークスバオナは悪なのだと思う。何故大陸統一及び異界侵攻を目的とせねばならないのだと思う」
「……皇帝がいかれてるからだろうが」
「貴様は本当に、それだけが理由であると考えているのか」
皇帝の狂気は『霹靂の英雄』リガルより齎された情報。これが虚偽ではないことはグラスの情報や彼の記憶からも確認が取れている。
問題は、その欲望が、親族を皆殺しにし、帝国を分裂させぬままに纏め上げ、莫大な数の英雄を支配下に置き、他国を侵略する程の原動力となるのかということ。
それだけで、ここまでのことを実現させてしまえるのかということ。
アークスバオナ帝が強欲かつ傲慢であることは疑いようがない。
だが、それだけの器で為せることでもないのだ。今日この日までの全ては。
では何故、事がここまで大きくなった?
理由は、ある。
アークスバオナは国土の大半が痩地なのだ。簡単に言えば、作物が育たない。
ロエルビナフはアークスバオナより独立した国家だ。
何故独立することになったか。
ロエルビナフはアークスバオナとダルトラの中間に位置する土地。そう、それが原因。
肥沃の地側にあるロエルビナフは、アークスバオナ領内でありながら作物の育つ土地だった。
だから、アークスバオナは現ロエルビナフに頼らざるを得なかったのだ。しかし現ロエルビナフの人間からすれば、自分達の作ったものが片端から奪われていくように感じられただろう。
そこに声を掛けたのがダルトラだ。
ダルトラ――正確には当時の貴族院――は国家の更なる繁栄の為に現ロエルビナフ領へと独立を促し、それを援助した。
周辺国への建前も充分だ。不当に重責を負わされている人間を救うという名目でそれは行われた。
そうしてロエルビナフの独立は成立。アークスバオナは他国となったロエルビナフから、作物を輸入することになるが、当然以前までと同じ価格でとはいかない。
困るのはアークスバオナだ。これまでロエルビナフに頼り切りだったところを、急に費用が激増。
魔法と言えど万能ではない。『黒』に容積あたりの併呑量という限界値があるように。全ての魔法には介入限界というものが存在する。死者は生き返らない。死んだ土地を豊かにすることも酷く難しい。度合いによる為不可能とは言えないが、建国より幾度となく試されたであろうことを考えれば、ここにきて限界が訪れたのだとも考えられる。
話を限界まで極端にすれば、こうなる。
餓死か奪略か。
前皇帝のやり方を、クウィンは知識として知っている。
愚かにも現実から目をそらし、皇族とそれに近しい者の生活レベルを守ることにのみ注力したのだ。逆らう者は兵を使って殺した。
他国から見て暴虐の徒としか考えられぬアークスバオナ帝が何故、軍や民に支持されているかを考えれば分かることだ。
アークスバオナの者にとっては、彼は紛れもなく賢帝なのである。
国を立て直し、英雄を的確に配置し、他国を侵すことで労働力とまともな土地を手に入れる。
人の上に立つ者としての責務を果たしている。贅沢をせず、民の生活を保障する。
そしてアークスバオナには何よりも大義名分があった。
誰もロエルビナフの独立を止めなかった。その後のアークスバオナがどうなるか知りつつ援助もしなかった。
全ての国に、見捨てられた。
無論、各国にも思惑やら理由やらがあったのだろう。そもそものダルトラの行いだって、ロエルビナフ自体は救っている。そしてロエルビナフとの契約によって神殿や悪領などを自国領とした。
安定した来訪者数と、魔法具の眠る土地の確保はダルトラの為。
誰が明確に悪というものはない。誰もが、誰かにとって有益な行いを追求しただけ。
ともかく、前皇帝の愚行もあり、現皇帝が絶大な支持を集めるのは自明の理。
傲慢にして、強欲。されどそれ故に、自身の所有するものを大切に扱う。自分のものという認識だから、他者に壊させることをしない。滅びを促進させれば親類縁者であろうと皆殺しにし、滅びを待つ他国を侵略して延命を試みる。異界を手中に収め、自分のものに幸せを与える。
戯れに異界を壊したいという感情も、嘘ではない。
現皇帝は善性を持たず、悪人であるが。
皇帝としては、どうしようもなく正しいことをしている。
だが、クロとてその程度の知識は持っている筈だ。
「問うぞ、クロノ。国を愛し、民を思うことは――悪か?」
グレアのそんな問いに、しかしクロは戸惑うこともなく言葉を返す。
「他国を脅かし、その民を奴隷に落とすことは正義か?」
「…………貴様らも同じことをギボルネにやっていた筈だが?」
「そうだな。俺達は同じなんだよグレア。だから、意味ないんだ」
クロが刀の柄に手を掛ける。
「何を語っても、俺とお前の視点は合わない。だから、お前から見える景色で俺の心は動かせない。お前だって、俺に同情して全てを諦めようとは思えないだろ?」
「仲間を疑う貴様が、自らの正義は疑わぬとほざくか」
「疑うも何も、正しくないなんて最初から知ってる。その中で、後悔の無い選択を選ぶしかないんだ。正しい人間が、正しく報われる世界の為に、俺は幾らでも間違うよ」
「正しい目的の為に誤った方法を受容する。その在り方は帝国と変わらぬ。その上で、貴様らが勝つべきだと考える根拠はなんだ」
グレアは、皇帝こそが忠義を尽くすべき相手だと考えている。皇帝はグレアとその部下を手厚く遇し、その思想に感銘を受けたから。
だから、実妹を死刑にしかけた国に尽くすクロが、理解出来ずにいるのだろう。
クウィンもよくわからないでいる。
どれだけ辛い目に遭っても、酷い目に遭っても、諦めないで光を探す彼が、分からない。
幸助は笑った。あははと、小さく、愉快げに。
「どの国が正しいとか、間違ってるとか。そういう大きな話には興味が無いよ。勝つべき? 違うよグレア。俺の答えは、本当にシンプルなものなのさ」
「俺達は幸せになりたいんだ。それをお前らが邪魔するから――取り除くんだよ」
友に向けるような微笑みはしかし、この場に酷く不似合い。
対するグレアは、牙を剥くように凶猛に笑む。
「……善いぞ、クロノ。それこそが――人間の本質だ」
二人の間に、何が流れたのかは分からない。
だが同時に一歩踏み出したことから、当人らにしか分からぬ何かが終わったのだろう。
「ダルトラ国軍名誉将軍――『暗の英雄』クロス・クロノス=ナノランスロット。悪いけど、お前が見る次の景色は、これから落ちる地獄のそれだぞ」
「『英雄旅団』団長、七征拝数七――『暗の英雄』グレアグリッフェン・ダウンヘルハイト=シュヴァルツィーラ。貴様こそ、朝陽を拝めるとは思うな」
抜刀と抜剣は同時。
互いに【黒纏】を発動。
地を蹴れば距離が消し飛び、即座に互いの間合い。
グレアが振り上げた剣が、落ちてくる。
振り下ろしの軌道ではない。
腕ごと、剣が地面に落ちたのだ。
「――――貴様」
キン、と澄んだ音が空間に染み渡っていく。
クロが刀を抜いた様子は無い。なのに、納刀の音が響く。
最高峰の英雄規格を持つクウィンをして、視認不可能な速度の斬撃を放ったとでもいうのか。
更には、一刀のみで『黒』の防御性能を超えたと。
驚くほど冷たい声が、彼から放たれる。
「夜明けを見れないのは、お前の方だぞ」




