121◇無価値な勝利の獲得
「――――これは」
グレアの表情から笑みが消える。
さすがに【黒迯夜】ともなれば、鷹揚に構えてはいられないらしい。あるいは、背後の仲間を心配していたのかもしれない。
可能であれば、使いたくなかった手段。
それを行使するのだ、報われてくれなければ困る。
幸助は念じた。
終われ。終われ。これで終わってくれ、と。
グレアは、何もしなかった。否――何かをする前にそれが起きた。
英雄旅団の面々がグレアの前に立ち、一斉に魔法を発動。各々で差はあるものの、全ては自然属性による攻撃。
幸助は一瞬で理解する。
『黒』には容積あたりの『併呑』量という形で介入限界が定められており、言ってしまえば『量に対して呑み込める魔力が決っている』のだ。
それは【黒迯夜】によって大量発生しても同じ。
だから旅団のメンバーは、幸助に呑まれても問題が無い単純な自然属性魔法を一斉に放った。
介入限界まで魔力を吸わせ――『黒』を終わらせる為に。
魔力と魔力の激突。『黒』の優勢で進んだそれは、彼らを呑み込む寸前に――掻き消えた。
予想して然るべき事態ではあったが、いざ起きてみるとどうしようもなかった。
「……貴様ら」
【黒迯夜】を無力化したというのに、グレアの表情は不快げ。
八人の部下の内、モノクルを掛けた線の細い青年が言う。
「怒らないでよ団長。概念属性を喰わせるか僕らの介入かなら、後者の方が余程マシだ。でしょ?」
「そうよだんちょー、このフィーティさまと不愉快な仲間たちのおかげで、そこの黒チビにご自慢の悪神パワーを盗まれずに済んだんじゃない。感謝するべきだわ。感謝するべきなのよ」
不満げに文句を垂れたのは、不思議な色合いの髪をした、紅眼の童女。巨漢の肩にマスコット人形のように腰掛けながら、腕をプラプラ揺らしている。大人用の軍服を羽織っている所為で、袖が余っているのだ。
「わたくしどもはグレアさまのことを考えてこそ、このような行動に出たのです。しかし、グレアさまはそれを無用と仰られるのですね……よよよ、フェイスは悲しく思います」
涙を拭うような仕草で下手な泣き真似をしているのは、眼の部分を覆う仮面を付けた女性。
「……いい。貴様らの言いたいことは分かった。後は黙っていろ」
グレアの態度に、他の八人はそれぞれ不平を並べる。
その様子は、幸助が仲間たちと談笑する時の変わらぬ柔らかな空気感で……。
「済まないな、クロノ。此の戦い、己の敗北という形で終えよう」
あまりに簡単に言うものだから、幸助は拍子抜けする。
「な、に言ってる」
「だがな、手ぶらで帰還するわけにもいかん。ただでさえ、我ら旅団は貴様に侵攻を阻止されているのだからな」
ピリッと、空気が張り詰めるのが分かる。
リュウセイを殺した後、旅団が出現したのは幸助の背後。
アークスバオナから現れるならば、国境の向こうが自然。
だが実際は国境内に出現した。
理由は二つ考えられる。たまたま移動先がそうなっただけ。
もう一つは、ダルトラ側からこちらに向かっていた為。
「驚いたぞ。対策など間に合わぬと見て空路を選んだが、撃墜されたのだからな」
幸助は、敵の王都襲撃を読んでいた。そうなれば、考えるべきは侵入経路。
地上は探知魔道具を設置したが、敵が地上から攻めてくるとは限らない。
幸助がワイバーンを創造し空を移動したように、巨竜でも作れば済む話。
だからこそ、空路への対応策も練っていた。
グレイと共同で開発した対空兵器。自然ではない魔力・生体反応を感知すると、『魔弾』を放つというもの。
どうやら、グレアら一行は一度それによって撃退出来たらしい。
「……あれは死ぬかと思った。団長が『問題無い』っていうから信じたのに……。普通に落ちたし、普通に死を覚悟した……」
ぼそぼそと、猫背の不健康そうな少女が呟く。
「ほんとよ。冷や汗で化粧が落ちちゃったじゃない」
同調したのは、背が高く長髪で、口調も女性のそれを思わせるが……声が野太い人物。頬に手を当て腰をくねらせる様からは判断がつかないが、おそらく男。
「……黙っていろ。俺は今、クロノと話している」
渋面を作ってグレアが言うと、団員達は肩を竦めて口を噤んだ。
「貴様には時間が足りぬ。だが、それを補って余りある発想と心胆を有しているのも事実。己はこう感じている。『殺すには惜しい』と。故にこれは提案だ、クロノ。貴様――」
グレアは剣を収め、幸助に手を差し伸べた。
「我が軍門に降れ」
「な――」
「貴様が我が麾下に加われば、ダルトラを落とすことなど容易い。貴様の要望は可能な限り呑もう。知己の安全は保障する。無論、侵攻対象から貴様の出身世界を除外することも約束する」
今、此処で幸助が勝利を収めることは、おそらく不可能。
生き残る手段は、敵の手下になることだけ。
国と仲間を裏切りさえすれば、幸助自身はもちろん、シロやエコナ、トワや他の知己に被害が及ぶことも防ぐことは出来る。更には両親の残るあの地球を、滅ぼされずに済む。
死を目前にした敵将に提示するには、あまりに甘美な提案。
「ふざけんな」
一蹴。
「……リガルが、どうしてアークスバオナを出たのか、理解出来てないみたいだな」
「皇帝陛下の信を裏切った愚物か。やつの末路こそが物語っておるだろうに。正義などというものに生き、奴はどうなった。貴族の夢が為に、その命を無駄に散らした。違うか?」
ダルトラが正義の味方だとは、幸助だって思っていない。だが。
「無駄じゃない。間違ったことをする人間がいたら、それがどれだけ強くても、偉くても、間違いだって言う。そんな人間の存在が、人生が、無駄なわけが無い」
「無駄だ、クロノ。現に、貴様の正義も己には届かぬ。叶わぬなら、理想を掲げることに意味は無い。成立せぬ文言を並べ立てるに同じ。無意味にして無価値。それが正義とやらの正体であろう」
「他人を踏み躙って得られるものにしか価値を見出だせない人間と、分かり合えるとは最初から思ってない」
「……つまり、拒否するというわけだな? ならば、貴様の末路も――無駄死だ」
呆れたような溜息を一つ溢し、グレアは剣を抜く。
「己はこう感じている。『残念だ』と」
グレアが動き出そうとした、その時。
「何か来たようなのです」「何か来たみたいなのだぞ」
両手を繋いだ双子らしき少女が同時に呟いた。
そして、グレアの両手剣に何かが絡みつく。
それは――純白の鞭。
持ち主は――。
「クロは……殺させない」
膝裏まで伸びた金色の毛髪、深紅の双眼。軍服姿ではあるが、彼女は。
「……クウィン……どうして」
見れば遠くに魔動馬車らしきものが乗り捨てられている。
追って来たということか。
「別に、心配だった、から?」
本当に、それだけなのだろう。
「ほう……これは、面白いものが釣れたものだな」
グレアはどういうわけか、心底嬉しそうに唇を歪めた。
「貴様が戦場に出るとはな――人造英雄」




