119◇昏き権能、黒より黒く
幸助はあることを確信していた。
グレアとその一行が出現した際の現象を思い起こす。
忽如として出現した暗闇より、九人の英雄が歩み出た。
それまで魔力反応は感じなかったし、不意打ちを狙うならば暴くタイミングが早すぎる。つまり、九人はあの瞬間、幸助の探知範囲に現れたのだ。探知圏外から、一瞬で。
グレアは身の丈程の両手剣を片手で構え、そして消えた。
幸助は何も感じない背後に転身、剣を振る。
直後、剣戟音。
火花が散り、出現したグレアが目を見開く。
「……ほう。こうも完璧に反応されたのは、初めてのことだ」
「そうかよ」
先んじて設置していた【黒喰】が地面より槍状となって突き出る。
グレアは俊敏な動きで後退しこれを回避。両手剣を肩に置きながら、喜悦に満ちた笑みを浮かべた。
「面白い。一度見ただけで理解したか」
アークレアの魔法に瞬間移動は無い。
正確には、人間には使えない。
神の使用する概念属性、『空間』に属する魔法だからだ。
だが、『暗の英雄』が虚名でないのだとすれば、納得もいく。
悪神の肉体を『併呑』し、概念属性の適性を獲得したのだろう。
「ふむ。神にのみ許された権能を用いたにも拘らず反撃まで用意するとは。いい、戦闘に堪える相手だ」
その表情は涼しげで、楽しげでさえある。
「狂惑し慄くとさえ考えていたのだがな」
人間が神の力を使えば、そうなるのも頷ける。
幸助が対応出来たのは、予想していたからに過ぎない。心の準備を済ませていたからこそ、衝撃は受けようとも惑うことは無かったというだけ。
グレアはしばらく値踏みするように幸助を眺めていたが、不意に首を揺すった。
「詫びるぞクロノ。概念属性を持つ敵と相対し、些かも薄れぬ闘志。見事だ」
「ごちゃごちゃうるせぇな。無駄話なら酒場で酔っ払い相手にしろよ」
【黒纏】を展開。地を蹴り、一息に距離を詰める。
グレアは短く笑みを漏らし、剣を上段に構えた。迎え撃つ心積もりらしい。
幸助を断裁する軌道で刃が振り下ろされる。回避行動は執らない。速度を殺さず加速。
刃を斜めに構え、迫る刃を受け流す。両手剣による斬撃が刀身をなぞるように流れていく。
懐に入った幸助は、自由になった刃を振るうだけ。
首を刎ねるのにそう時間は掛からない。
その極短い時間すら、与えられることはなかった。
足を滑らせる。
幸助に限ってはそのようなミスを犯す筈が無い。
そう。それは外的要因によるもの。
地面が割れていた。
グレアの一撃が、大地を二つに分けたのだ。
その裂け目に足を呑まれ掛けたということ。
「なッ――」
咄嗟に片側の足で踏ん張る幸助だが、その停止時間は敵を前にしては致命的。
グレアの両手剣には、柄が二つあった。一つは通常の剣と同じ位置。もう一つは刀身内部。おそらく、間合いを途中で変える為のもの。そして、グレアの空いた手がそれを掴んだ。振るう。
景色が飛んだ。
否、飛んだのは幸助の体だ。
駐屯基地の壁面に激突し、それを破壊してなお殺せぬ衝撃に室内を転がる。
【黒纏】のおかげか半身を切断されるようなことは無かったが、それも奇跡に近い。
今の一撃で、膂力が幸助を遥かに凌駕していることを理解する。
幾つかの机をクッションに、なんとか止まる。室内に土煙と紙が舞っていた。
幸助は跳ね上がるようにして起き上がり、近くの窓に向かって飛び込んだ。
ガラスを破り外へ飛び出ると同時に、濁流が如き『黒』が背後の建造物を攫っていった。
後には何も残らず、更地となる。
警戒する幸助だったが、グレアは自身の作った裂け目の近くに立っているだけ。
おかしい。いや、可能性はあるのだ。だが、だとしたら――。
幸助がこの短期間で英雄連合を率いるまでになったのは、『黒』に依るところが大きい。
その点はグレアも同様と考えていた。しかし、一連の攻防で判明した事実がそれを否定する。
膂力だけではない。魔力も、幸助より上。
なら、それを実現する為の鍛錬、あるいは『併呑』を行えるだけの期間がグレアにはあったということ。
幸助の視線に気付き、グレアは言う。
「――十年だ」
今度こそ、幸助の思考に空白が生まれる。
十年。『黒』を持った人間が、十年も表舞台より秘匿されていた。ただ隠されていたわけではないだろう。
ただの復讐完遂者を英雄統括者へと伸し上げた力だ。十年の研鑽によりどんな境地に至るかなど、想像もつかない。
ざり、と軍靴が土を踏む音。
グレアがこちらに近づいてくる。悠然と、足取りも軽く。
「ん、幻聴か? 思考の止まる、音がしたぞ」
それは、挑発。
同様の力を持つが故に、十年の開きは絶望を生む。
貴様はそれに屈するのかと、煽っている。
「お前の十年、悪神の力ごと貰ってやるよ」
一直線に駆け出す。先程の攻防をなぞるような動きに怪訝そうな顔をしつつも、グレアは同じように剣を上段に構えた。振り下ろしと、それをいなすところまでは前回と同じ。
地面が割れ、そして幸助は跳んだ。
グレアの頭上を体が流れる。
「愚策だ」
上を向いたグレアの顔は哀れむようで――それはすぐに歪む。
目を灼く程の光を放つ光球が、頭上に浮かんでいたからだ。
「――――ッ」
英雄ともなれば視覚も強化されている。回復もすぐだろう。
だが、それでも充分。
【光煌霖雨・黒纏】
幸助の着地とほぼ同時、光の雨がグレアを襲う。
『魔弾の英雄』ストックから授かった魔法に『黒』を纏わせたもの。
その全てが、グレアに命中していた。
しかし――。
奴は五体満足で立っている。
幸助と同じ、いやより禍々しい『黒』き甲冑に身を包んでいた。
魔弾は全て『併呑』されたのだ。
「善い。善いぞ、クロノ。並の英雄が敵わぬのも頷ける」
それは、幸助が殺したライクのことを言っているのか。英雄連合で行われた模擬戦を指しているのか。
「考え続けろ、クロノ。その命が尽きる瞬間まで」
幸助は歯噛みした。
なるほど、『黒』。
敵に回せば、此処まで厄介なものも無い。




