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双子の国

作者: sizu

【AI使用に関する注記】

本作は、作者が考案したプロット(構想・あらすじ)をもとに、本文の執筆を生成AIを用いて行っています。

生成された文章は作者が確認・修正を行っておりますが、AI特有の表現が含まれる場合があります。あらかじめご了承ください。


プロローグ


-20XX年。少子高齢化により、経済が停滞した日本。歴代の政府はこの問題に歯止めをかけようと様々な施策を行使してきたが、どれも決定的となる成果を上げることができずにいた。

 専門家たちはテレビや雑誌で『日本消滅の危機』『衰退していく日本』など、様々なデータをもとに日本の将来に警鐘を鳴らしていた。国民は将来に不安を抱くとともに、半分あきらめていた。短い人生だと見切りをつけ、仕事をやめてひきこもる者、結婚しても子供に辛い未来を歩ませられないと子作りをしない者、そして自殺する者が相次いだ。とうとう30歳以下の人口が二割を切り、日本経済は崩壊寸前となっていた。

 こうした状況を変えるため、時の首相である110代内閣総理大臣山元達也は秘密裏にある研究を進めていた。それは、意図的に女性の遺伝子を操作し、受精すると必ず双子が生まれるというものであった。この技術は、当時中国が研究していた遺伝子組み換えによって意図的に優秀な人間をつくり出す方法と、日本に古くからある品種改良の技術を応用したものである。日本は、中国が遺伝子組み換え研究の成功を世界に発表した際、倫理上問題があると他の国とともに非難していたが、山元首相は秘密裏に多額の協力金を払い、中国の優秀な研究者を引き抜いていた。

 研究は成果を見せ始め、政府は国民救済措置として東京から1000km離れた無人島を開拓し、仕事がなくなった若者たちに移住を進めた。内閣府のHPの募集案内にはこうあった。


『 失業率が過去最悪となった日本で、生きることに希望をなくした皆様へ。


 本国の経済成長は危機的状況にあり、政府は迅速な経済改革を進めていますが、すでに生活に行き詰まり、生きることがままならない若者が多い現状は一番に解決しなければならない問題のひとつです。

 そうした若者を救済すべく、抽選で2000人にはなりますが、ある島への移住をお手伝いします。移住の際、いくつかの審査はありますが、移住された皆様には借金やローンを国が負担し、さらに移住支援金として一人100万円を給付します。  

  移住先の島には、すでに公共施設や商店、さらに住居を用意しています。皆様には自由に生活していただき、仕事だけの人生ではなく、私生活に重きを置いた人生を歩んでいただきたいと思います。

 当施策は少子化問題の解決の糸口になると考えています。実験的な一面はありますが、当選された方には幸せな島での生活を楽しんでいただければと思います。移住を希望される方は下記の応募フォーラムに必要事項を記入してください。当選者には追って連絡させていただきます。 』


 HPの下には移住に関するいくつかの条件があるが、その中のひとつに女性にある簡単な手術をすることがある。そう、強制的に妊娠したら双子が生まれるようになる手術である。手術自体は15分ほどで終わり、費用は全額国が負担。

 不明瞭な部分の多い施策だが、意外にも応募は3倍の倍率となった。国民はみな藁にも縋る思いだったのだ。男女比はほぼ半々になるように選出され、移住実験が開始された。


 国からの支援が厚いこともあり、若者たちは恋に遊びに明け暮れた。国が行ったアンケートでは、子供を産むことに抵抗があると答えた人は1割にも満たなかったという。不思議なことに、数か月たったあたりから、島民は自主的に仕事や家事を行うようになった。中には、株や投資を始める者や起業しビジネスを始める者が現れ始めた。

 島内での生活は定期的にテレビで特集され、内閣府HPには追加の募集はないのかという問い合わせが殺到した。

 これを受けて、国は膨大な国家予算を使い、双子化手術を無償で行える法律を制定した。手術した者には手厚い支援金が支払われ、1年も経たないうちに18歳から40歳までの被手術率は95%を超えた。


 被手術者から生まれた子供は組み換えられた遺伝子を引き継ぎ、50年後には40歳未満すべての日本国民がこの遺伝子を持って生まれるようになった。





第一章 雨音と目覚め


-双子化政策から100年後の日本-


 激しい雨の音で目が覚めた。外は真っ暗で昼か夜かわからない。一体どれくらい寝ていたのだろう。昨日は遅くまで仕事していたから、アラームもかけずにそのまま寝てしまっていた。

 天井を見つめながら、俺——瀬戸彰は、重たいまぶたをこすった。頭がぼんやりしている。何時間寝たのか分からないが、疲れは全く取れていない。むしろ体が鉛のように重い。

 スマートフォンを手探りで探し、画面を見る。午後八時。ということは、昨日の深夜三時に寝て、丸一日近く眠っていたことになる。

「やばい、締め切り……」

 そう呟いて、慌てて上半身を起こそうとしたが、体が言うことを聞かない。二十八歳にしては、随分と老け込んだ体だと自嘲する。


 俺の仕事は、ネットで募集されている記事を作成する仕事だ。いわゆるウェブライターというやつだ。毎回違う内容で、グルメの紹介記事だったり、観光雑誌のレビュー記事だったり、時には商品の宣伝記事だったりする。

 まぁ、実際にはそんなものを食べたり、観光したりする余裕はない。ネットには様々な口コミがあるし、市のHPにはバーチャル旅行ができるサイトもある。AIが生成した風景画像もリアルで、まるで本当に行ったかのような写真も手に入る。人類の進歩とは驚くべきものだ。お金をかけずに行ったテイで記事が書ける。

 倫理的にどうなのかと問われれば、答えに窮する。だが、これが俺の生きる術だ。


 雨の音につられたのか、尿意が襲ってきた。重たい体を必死に起こし、散らかった部屋を足場を探しながらトイレへと向かう。

 六畳一間の狭いアパート。床には脱ぎ散らかした服、空のカップ麺の容器、ペットボトル、そして大量の紙の資料が散乱している。デジタル時代なのに、なぜか俺は紙に印刷して確認する癖がある。その方が頭に入るからだ。

 我が家には椅子という椅子がなく、地べたに座ったまま仕事をしていたからか、腰が異様に痛む。ふらふらになりながらも、トイレへと辿り着き、腰を掛けるとついため息が出た。

「はぁ...。しんどいな。」

 こんな時は、なぜかトイレが長くなる。出すものを出したにもかかわらず、トイレから出るのが億劫になる。意味もなく便座に座っていると、スマートフォンの画面を眺める。

 SNSを開くと、タイムラインには双子たちの楽しそうな写真が並んでいる。

「双子の日、最高!姉妹でディズニーランド!」

「兄弟で起業三周年!これからも二人三脚で頑張ります!」

「双子コーデで街歩き♪」

 どれも幸せそうな投稿ばかりだ。

 この国では、双子であることが当たり前だ。いや、当たり前どころか、双子でなければ人間扱いされない。

 俺のような一人っ子は、極めて稀だ。統計上、0.3%以下。つまり、千人に三人もいない計算になる。


 トイレから出ようとした、その時だった。

 ピンポーン。ガチャ!

「ヤッホー!アキラ起きてるー?」

 明るい声とともにあいつらが我が家へ入ってきた。

「うわっ、一昨日きれいに片付けたのにもう汚いじゃん!」

「アキラは部屋を荒らす天才だな。」

 二人は、双子の綾と音。俺の唯一の友達だ。

 姉の綾は活発でいつも俺のことを気にかけて積極的に話しかけてくる。ショートカットの髪が彼女の快活な性格を表しているようだ。明るい茶色の瞳は、いつも好奇心に満ちている。俺と二人きりだと、いつも綾ばかりしゃべっている。

 弟の音は、いつも綾の後ろにいる。姉とは対照的に、黒髪を少し長めに伸ばしている。無口で、あまりしゃべらないが、俺が疲れていると小さく「大丈夫か?」と気にかけてくれる。俺と二人きりだとあまり会話はないが、なぜか気まずくならない。そんな不思議な関係だ。

「あれー?アキラー?どこいるの?」

「おう!今トイレにいるから勝手にくつろいでてくれ。」

 俺がトイレからそう叫ぶと、

「まったく、この部屋の惨状でどうやってくつろげっていうのよ。」

 小さく綾がつぶやいた。その声には、呆れと愛情が半々混ざっている。


 俺は、トイレを終え、部屋へと戻った。二人は、文句を言いながらも部屋のごみを片付けていた。綾は散らかった紙資料を丁寧に重ね、音は空のペットボトルをゴミ袋に詰めている。

「あ、そうそう、肉と野菜買ってきたから、今晩は三人で焼肉ね!」

 綾が大きな買い物袋を掲げて見せた。

「はいはい、じゃあコンロ持ってくるな。」

 俺は押し入れから小さなカセットコンロを取り出した。


 あらかた部屋が片付いたところで、俺たちは小さなテーブルを囲い、焼肉を食べ始めた。今気づいたが、どうやら今は夜らしい。窓の外はすっかり暗くなっていた。

 ジュウジュウと肉の焼ける音が心地よい。煙が部屋に充満するが、そんなことは気にしない。換気扇を回しながら、俺たちは久しぶりの会話を楽しんだ。

「そういえば、アキラ、例の観光記事終わったの?」綾が聞く。

「ああ、なんとか。北海道の温泉地の記事だったんだけど、バーチャルツアーの質が良くてさ、まるで本当に行ったみたいに書けたよ。」

「相変わらずだね。」音が小さく笑った。

「でもさ、本当に行った方が良い記事書けるんじゃない?」綾が言う。

「金がないからな。それに、今の時代、実際に行ったかどうかなんて、誰も気にしないよ。読者が求めてるのは情報であって、真実じゃない。」

 俺の言葉に、音が少し複雑な表情を浮かべた。が、すぐにそれは消えた。


 俺たちは昔話をつまみに楽しい夜を過ごした。施設での思い出、学校での出来事、初めて三人で遊園地に行った時のこと。

「あの時、アキラったら、ジェットコースター怖がって乗らなかったよね。」綾が笑う。

「怖がってねえよ。体調が悪かっただけだ。」

「でも顔、真っ青だったぞ。」音が珍しく茶化す。

「お前らなあ……」

 そんな他愛もない会話が心地よかった。

 仕事が終わった次の日は大体こうして三人で飲む。次の日、俺が目覚める前に二人は仕事に行った。たぶん今日の夜も晩飯を食べに来るだろう。ここのところほぼ毎日俺の家で一緒に晩飯を食べているが、俺が記事を書くため家にこもってる間だけ二人は来ず、次の日ちょっと豪華な食事をする。ほぼ同居している感じだが、一応二人には家があるらしい。行ったことはないが。





第二章 孤独の記憶


 二人とは同じ施設で育った。物心つく頃に両親が他界。親戚もおらず、俺は教会の施設にあずけられた。

 施設の名前は「聖マリア育成院」。丘の上にある白い建物で、外観だけは立派だった。中庭には小さな噴水があり、砂場と滑り台、ブランコがあった。

 だが、俺にとってその場所は地獄だった。


 なぜか、俺は周りから嫌われていた。施設でも学校でも、世間からも。子どもだけでなく、大人までも俺のことを避けていた。

 最初はなぜ嫌われているのか分からなかった。自分が何か悪いことをしたのかと、毎晩考えた。でも、思い当たる節がない。普通に挨拶もするし、悪戯もしない。むしろ、目立たないようにひっそりと生きていた。

 それでも、周りの子どもたちは俺を避けた。

「あいつと遊んじゃダメだって、シスターが言ってた。」

「なんか気持ち悪いよね。」

「一人ぼっちなんだって。双子じゃないんだって。」

 そんな噂が聞こえてきた。


 小学校高学年になるくらいには何となく理由が分かった。それは俺が一人っ子だったからだ。

 この国では、双子であることが普通だ。いや、普通というより、「正常」なのだ。双子でない者は「異常」。そう見なされる。

 なぜ一人っ子ということで嫌われるのかは、当時の俺には理解できなかった。だが、おそらくそのことが原因だということだけは分かった。


 施設に俺の居場所はなく、俺は一人砂場で以前自分が住んでいた家、両親との思い出が詰まった家を作っていた。

 両親との記憶は曖昧だ。母親の優しい笑顔、父親の大きな手。それくらいしか覚えていない。でも、確かに俺を愛してくれていたことは覚えている。

 そんなわずかな両親との思い出に浸りながら、ただひたすら砂で家を作っていた。小さな四角い家。玄関を作り、窓を作り、煙突も作った。

「ねぇ、それあなたのお家?屋根がぼこぼこだね!」

 そう笑いながら一人の少女が話しかけてきた。それが綾だった。

 彼女は俺の作った砂の家を指さして、屈託のない笑顔を向けた。その笑顔に、俺は戸惑った。誰も俺に話しかけてこないのが当たり前だったから。

「うるさいな。」

 俺は返したが、内心とても嬉しかった。今まで両親以外の人と話したことがなく、初めて話しかけてきてくれたからだ。しかし、会話したことのない俺はどう返したらいいかわからなかった。だから、つい素っ気ない返事をしてしまった。

「…綾、その子、シスターから話しかけちゃダメって言われた子でしょ。怒られちゃうからあっち行こうよ。」

 綾の後ろに隠れて少年がそう言った。その少年が音だ。姉とは違い、警戒するような目で俺を見ていた。

「見て見て!この子ね、一人でお家作ってるから、ほら屋根がこんなにでこぼこ!きれいに作れるように手伝ってあげようよ!ねぇ、音!」

 そう笑いながら、綾は暗くなるまで一緒に砂の家を作ってくれた。小さな手で一生懸命砂を盛り、屋根の形を整えていく。

「ここはね、こうやって平らにするときれいになるんだよ。」

 彼女の手つきは器用で、見る見るうちに砂の家は立派になっていった。

 音は最初、離れたところで二人を見ていたが、綾に何度も呼ばれて、渋々ながら手伝い始めた。


 次の日からも、綾は俺を見つけては声をかけてきた。音は最初は嫌々ついて来た感じだったが、しばらく一緒にいるとだんだん笑顔を見せるようになった。

 後から知ったが、二人はたびたびシスターに怒られていた。俺に近づくなと言われたらしいが、それでも綾は懲りずに俺に話しかけてきた。

「シスターになんて言われたの?」ある日、俺は綾に聞いた。

「んー、『あの子は特別だから、関わっちゃダメ』だって。でも、アキラは別に変じゃないし、普通に面白いよ。だから気にしない!」

 そう言って、綾は笑った。その笑顔に、俺は救われた。





第三章 双子社会の日常


 学校では、一度も二人と一緒のクラスになることが無かった。

 学校では、みんな双子だったため、双子は二人一組で扱われ、学校で行われるほとんどの行事が双子基準だった。クラス決めは双子を一組として一緒に選ばれるし、体育でペアを組む時も双子で組んでいた。

 教室の座席表を見ると、名前が二つずつ並んでいる。

「佐藤健・佐藤翔」「鈴木美咲・鈴木優花」「田中大輔・田中雄介」

 そして、一番端に一つだけ、「瀬戸彰」と書かれている。

 偶数から外れていた俺は、いつも教室の後ろの窓側に席があった。そこは教室の死角で、誰も気にかけない場所だった。


 嫌われているといっても、あからさまないじめはなかった。どちらかというとみんな俺とかかわりを持つのを避けているようだった。

 給食の時間、みんなは双子同士で机を寄せ合って食べる。俺は一人、窓際で食べる。

 体育の授業、二人一組でペアを作る時、俺は先生と組む。あるいは、見学。

 遠足、修学旅行、すべて同じパターンだ。

 孤独だった。でも、それが当たり前になっていた。


 ある日の授業で、社会科の先生が双子化政策について教えてくれた。

「みなさんが双子として生まれてきたのには、深い理由があります。今から百年前、日本は経済的にも社会的にも大変な危機に瀕していました。少子高齢化が進み、このままでは国が滅びるとさえ言われていたのです。」

 先生は電子黒板に、当時の日本の人口ピラミッドを映し出した。逆三角形の、いびつな形だった。

「そこで、当時の山元達也首相が決断したのが、双子化政策です。すべての女性が双子を産むようになれば、人口は急速に回復する。そして実際、この政策は大成功を収めました。今の日本があるのは、この政策のおかげなのです。」

 クラスメイトたちは、誇らしげに頷いていた。

「だから、みなさんは国の宝なのです。双子として生まれてきたことを、誇りに思ってください。」

 その時、一人の生徒が手を挙げた。

「先生、でも、双子じゃない人もいるんですよね?」

 教室の空気が凍りついた。誰もが俺の方を見た。

 先生は困ったように笑った。

「ええ、稀にですが、そういう例もあります。遺伝子の変異や、手術の失敗など、様々な理由で……。でも、それは本当に稀なケースです。」

「そういう人たちは、どうなるんですか?」

「それは……」先生は言葉に詰まった。「普通に生活しています。ただ、双子でないことで、社会生活において多少の不便があるかもしれませんね。」

 多少の不便、という言葉では済まされない現実があることを、俺は知っていた。


 綾と音も周りから嫌われていていつも二人きりだった。

 遺伝子組み換えで生まれてくる双子は一卵性双生児になる。その場合ほとんどが同性になるのだが、ごく稀に二卵性双生児といって異性で生まれることがある。綾と音はその二卵性双生児なのだが、周りが同性の双子ばかりだったため、浮いた存在になっていた。

 双子社会において、「正常」とされるのは同性の双子だ。異性の双子は、双子ではあるものの、「不完全な双子」として見られる。

「あの二人、男女の双子なんだって。気持ち悪い。」

「遺伝子がちゃんと組み換えられてないんじゃない?」

 そんな陰口を、二人は何度も聞いただろう。


 嫌われもの同士、俺たち3人はいつも一緒にいた。

 中学・高校といつも隣には二人がいた。

 中学の時、綾は卓球部に入った。音は帰宅部だった。俺も帰宅部だったので、放課後は音と二人で図書室にいることが多かった。

 音は無口だったが、本が好きだった。SF小説、ファンタジー、時には哲学書まで読んでいた。

「これ、面白いぞ。」

 そう言って、音が一冊の本を差し出してくれたことがある。『すばらしい新世界』というディストピア小説だった。

 読んでみると、確かに面白かった。遺伝子操作によって管理された社会の話で、どこか今の日本と重なる部分があった。

「この本、今の日本みたいだな。」俺が言うと、音は少し考えてから答えた。

「そうかもしれない。でも、違うところもある。」

「どこが?」

「この本の世界では、人々は自分が管理されてることに気づいてない。でも、俺たちは気づいてる。」

 音のその言葉が、妙に心に残った。





第四章 手紙


 そんな2人との関係も20年近く経とうとしている。長かったような短かったような。

 時の流れに物思いに耽っていると、ピンポーンとインターホンが鳴った。

「郵便でーす。」

 珍しい。いつもならポストに入れるだけなのに。

 そう思いながら玄関を開ける。配達員は、濃紺の制服を着た中年男性だった。

「瀬戸彰様ですね。書留です。こちらにサインをお願いします。」

 タブレット端末を差し出される。俺は画面にサインをした。

「ありがとうございました。」

 受け取った封筒は、少し古びていた。紙質も今時のものとは違う。

 誰だろう...。差出人をみると、瀬戸香織とあった。

 この名前は母の名だ。

 心臓が大きく跳ねた。

 物心ついたころから施設に居たため、両親のことはほとんど分からない。顔も、声も、ほとんど記憶にない。

 唯一、昔から大事にしていたカバンに瀬戸香織の名前があったため、それが母の名だとずっと思っている。そのカバンは、俺が施設に預けられた時に一緒にあったものだ。古びた茶色の革製で、内ポケットに小さく名前が刻印されていた。

「母は……生きていたのか?」

 いや、それはないだろう。施設のシスターからは、両親は事故で亡くなったと聞いている。では、この手紙は一体?

 封筒の下側に「未来郵便」とあった。

 聴いたことがある。手紙を出してすぐに届けず、指定した日時、それも何年先でも指定した日に届けるという民間郵送会社だ。つまり、この手紙は何年も前に投函されたものだ。


 手が震えた。

 封を開けると、手紙と、SDカード、写真が入っていた。

 写真を見る。そこには、若い女性が写っていた。優しそうな笑顔。この人が母なのか。俺は初めて母の顔を見た。

 SDカードはかなり昔の記録媒体で、現代の機器では読み取ることができない。今はクラウドストレージが主流で、物理メディアなど使わない。

 そして、短い手紙と地図だった。

 手紙を広げる。手書きの文字。丁寧な、でもどこか急いで書いたような筆跡。


「彰へ。

あなたへは愛情を表すことも出来ず寂しく、そして辛い人生を歩ませてしまったこと本当に申し訳なく思っています。

あなたをお腹に授かったとき、今から私たちがしようとしていることを考えるときっとこの子にも辛い未来が待っていると思い産むべきか本当に迷いました。でも、お腹で大きくなっていくあなたを思うたびに、どうしてもこの子に会いたいと思ってしまったのです。

ごめんなさい。あなたのことを考えるとこんな研究するべきではないのだけど、この国のためにも、私たちはどうしても成し遂げる必要があるのです。この体に流れる血の罪は私が償う必要があるのです。

きっと、この手紙を出した数日後に私たち夫婦は殺されているでしょう。あなたの成長をこの目で見れないのが心残りです。

あなたを一人にしておいてこんなお願いをするのは心苦しいですが、どうか残忍な母がやり残したことを実行して下さい。

まずは、同封した場所に1人で向かって下さい。

このことは誰にも話さないように…。

                          愛する彰へ 母より」


 手紙を読み終えると、涙が溢れてきた。

 母は、俺のことを考えてくれていたのだ。愛してくれていたのだ。

 なんとなく察しはつく内容だったが、信じられないという思いだった。

 同封された地図は、広島の山奥を指していた。手書きの地図で、最寄りの駅から車で二時間ほどの場所に、小さく×印がついていた。


 俺はスマートフォンのカレンダーを確認した。明後日の土日は仕事がないことを確認して、俺は広島に行く準備を始めた。

 だが、心は落ち着かなかった。

 母の言葉、「殺される」という言葉が頭から離れない。一体、母は何をしようとしていたのか。そして、俺に何をさせようとしているのか。


 その日の夜、いつものように綾と音が訪ねてきた。

 二人は買ってきたピザとビールを持っていた。

「今日はピザパーティー!」綾が明るく言う。

 だが、俺の表情を見て、綾はすぐに気づいた。

「アキラ、どうしたの?何かあった?」

 音も、黙って俺の顔を見つめている。

 他言するなとあったが、俺は2人に手紙のことを話した。二人は俺の唯一の友達だ。もし誰かに相談するなら、この二人しかいない。

 手紙を読んだ綾は、目を見開いた。

「これ……本物なの?」

「分からない。でも、母の名前だし、写真もある。」

 音は、手紙を何度も読み返していた。その表情は真剣だった。

「この研究って、もしかして双子化のこと?」音が聞いた。

「分からない、でも俺が一人なのと関係があると思う。この手紙にも兄弟がいるとは書いてないし。」

「彰の家族のこと何も分からなかったんだし、行くべきだと思う。」音がきっぱりと言った。

「私、一緒に行く!絶対行く!」綾が強く言った。

「綾が行くなら俺も。2人とも週末は休みだから。」

 二人が一緒に行くと言ってくれてホッとした。正直、1人で行くのは不安だった。得体の知れない場所に、一人で向かうのは恐ろしい。

「ありがとう、2人が一緒なら安心するよ。」

 綾は笑顔で頷き、音は小さく「当然だろ」と言った。


 だが、その時俺は気づかなかった。音の表情に、ほんの一瞬、複雑な影が差したことを。





第五章 広島へ


 当日、朝俺たちは東京を出発して広島へ向かった。

 東京駅は朝から多くの人で賑わっていた。双子たちが並んで歩いている。この国では、それが当たり前の光景だ。

 リニア新幹線のホームに向かう。リニアは時速五百キロで走り、東京から広島まで一時間半で到着する。

 車内は快適だった。座席は広く、窓からは景色が流れていく。だが、あまりの速さに景色はほとんど見えない。

 綾は窓際の席に座り、外を眺めていた。音は通路側で、タブレットで何かを読んでいた。俺はその隣で、母の手紙を何度も読み返していた。

「ねえ、アキラ。」綾が話しかけてきた。

「ん?」

「お母さんって、どんな人だったと思う?」

「分からない。でも、手紙を読む限り、優しい人だったんじゃないかな。」

「きっとそうだよね。だって、アキラのこと、すごく心配してる。」

 綾の言葉に、胸が温かくなった。

 音はずっと黙っていたが、時々俺の方を見ていた。何か言いたげな表情だったが、結局何も言わなかった。


 広島駅に到着すると、そこからはレンタカーを使って移動した。

 レンタカー会社で小型の電気自動車を借りた。音が運転することになった。彼は免許を持っていて、運転も上手だった。

 ナビに目的地の座標を入力する。地図上では、山の中だ。

「本当にこんなところに何かあるのか?」音が疑問を口にした。

「分からない。でも、行ってみないと。」

 車は市街地を抜け、次第に山道へと入っていった。周囲は深い森に囲まれている。

 相当な山奥で、広島駅から2時間かかった。道は次第に細くなり、舗装もされていない悪路になった。

「この先、本当に大丈夫か?」綾が不安そうに言った。

「ナビはまだ先を示してる。もう少し行ってみよう。」

 車は揺れながら進んだ。木々の枝が車体をこする音がする。

 そして、ついに目的地に到着した。

「ここか…。」

 そこは、舗装もされてない道を進んだ先にある研究所だった。

 建物は古く、蔦が絡まっている。窓ガラスは割れているところもあり、明らかに長い間放置されている。

「さっき立ち入り禁止の看板があったけど、何年も前から閉鎖されてるみたい。」綾が言った。

 確かに、来る途中に色あせた「立入禁止」の看板があった。

 草木が生い茂ったその研究所は、かなり年季が入っている様子だった。

「とりあえず、入ってみよう。」

 俺たちは正面入り口に向かった。

 鉄製の扉は錆びていて、重そうだ。

「…鍵がかかってるみたい。」綾が扉を押したが、びくともしない。

「裏から入れそうだ。」音が建物の周りを確認して戻ってきた。

 俺たちは建物の裏手に回った。そこには搬入口があり、シャッターが半開きになっていた。

「ここから入れる。」

 音がシャッターの下をくぐって中に入った。俺と綾も続く。

 内部は薄暗く、埃っぽい匂いがした。

「なんの研究してたんだろう…」

 見慣れぬ機器が多かったが、大きな水槽や人体の写真がある研究資料が辺りにあることからなんとなく予想はついた。

「双子化の研究施設か...」俺が呟いた。

「だろうね。手紙にもお母さんが研究者ってあったし、たぶん双子化の研究してたんじゃないかな。」綾が言った。

「でもおかしくないか。彰の親ってことはせいぜい2.30年くらいまえのことだろ。双子化が始まったのは100年前だし、計算が合わない。」音が鋭く指摘した。

「確かにそうだな。」

 俺たちは情報を得るため、施設内を探索した。

 廊下を進むと、いくつかの部屋があった。研究室、会議室、そして資料室。

 資料室には、大量の書類が積まれていた。ほとんどが古くて読めないが、中には比較的保存状態の良いものもあった。

「ねぇ、こっちに予備バッテリーがあるよ、まだ使えるかも。」

 綾の見つけた予備バッテリーはかなり大きなものだった。工業用の大型バッテリーで、非常用電源として設置されていたようだ。

「たしかに、よしつけてみよう。」

 音がバッテリーの端子を確認し、施設の電源システムに接続した。

 バッテリーにある電源ボタンをオンにすると、施設内に電気がついた。

 蛍光灯が一つ、また一つと点灯していく。一部は切れているが、まだ機能しているものも多かった。

「すごい、これだけの設備なかなかお目にかかれないぞ。」音が感心した声を上げた。

 明るくなった室内には、精密機器が並んでいた。顕微鏡、遠心分離機、DNAシーケンサー、培養装置。

「このパソコンもまだ使えそうだよ。見たら何か分かるかも。」

 綾が近くにあったパソコンを触り始めた。旧型で今はもうない古いタイプのパソコンだ。モニターは液晶ではなく、ブラウン管だった。

 電源を入れると、しばらくしてOSが起動した。

「だめだ、資料データらしきものはあるけどパスワードでロックされてる。」綾が言った。

「パスワードか...。あっ!」

 ふと、手紙に同封されていたSDカードのことを思い出した。

「手紙に入ってたこのSDカード!このパソコンなら見れるんじゃないかな。」

 SDカードを綾に渡し、中のデータを確認した。

 パソコンには、幸いSDカードスロットがついていた。カードを挿入すると、画面にいくつかのファイルが表示された。

「これは、ロックされて見れなかった研究データが入ってる。パスワード解除用のプログラムもある。」

 綾が操作すると、ロックされていたデータが次々と開かれていった。

 俺たちは綾が操作する画面を一緒に見ていった。





第六章 真実


「これは100年前の双子化の研究資料だな。遺伝子の構造や変異の過程、実験のデータが事細かに記載されてる。」音が資料を読み上げた。

 画面には、DNAの二重螺旋構造の図、遺伝子配列のデータ、そして実験結果のグラフが表示されていた。

「人体実験の観察データまであるな。」

 それは秘密裏に行われていた人権を無視した人体実験の詳細だった。対象者は死刑囚やホームレスなど、いなくなっても国で処理ができそうな人たちを集め、非人道的な実験を繰り返していた証拠でもあった。

 被験者の写真、年齢、性別、実験内容、結果。淡々と記録されたデータの裏には、苦しみと死があった。

「ひどい。何人も実験の犠牲で亡くなってるじゃない。」綾が震える声で言った。

 その資料には、死亡者のリストがあった。被験者番号と死亡日時、死因。

「被験者001、急性臓器不全により死亡。被験者002、拒絶反応により死亡。被験者003……」

 リストは延々と続いていた。

「確かに、当時日本が他国を抜いて双子化という遺伝子研究の最先端を行くにはここまでしないと無理だっただろうな。」音が冷静に分析した。

「これを公表したら、日本は世界中から非難されるぞ。」俺が言った。

「これとは別にもう一つ研究データがある。」

 綾はSDカード内のもう一つのデータを開いた。

「『双子化リセット計画』だって。」

 そこには、遺伝子レベルで双子しか産めなくなった日本人を元に戻すための研究があった。

 詳細な遺伝子地図、元に戻すための手術方法、必要な薬剤のリスト。

「全日本人に広まっている双子化の遺伝子を元に戻すなんて可能なのか。」俺が驚いて言った。

 研究データは、負担が少ない方法で遺伝子を元に戻すため、双子化の研究データを細かに検証していった研究資料があった。膨大な量のデータと、試行錯誤の跡が見られた。

「実験データもある。検体ナンバー1か。実験には成功しているみたいだな。しかも、負担も少ない簡単な手術だけで済んでる。」

 画面には、手術の詳細が記されていた。

「でもこんな研究、国がするわけないよな。民間の会社か。」綾が言った。

「研究責任者は…瀬戸香織!?これって……」音が驚いた声を上げた。

「…俺の母親だ。」

 なんとなく全容がつかめた。母は双子化を無くすための研究をしていたが、国に見つかればどうなるかわからない内容だ、命を懸けてこの研究をしていたのだろう。

「でもなんで彰のお母さんはこんな危険な研究をしていたんだろう。」綾が疑問を口にした。

「確か、手紙には『母の犯した罪は娘の私が償わないと』的なことが書いてあった。だから多分...。音、双子化の研究責任者分かるか?」

「待って、確か研究データの最後にあったような。これだ。『瀬戸文香』。瀬戸ってことは……」

「多分ばあちゃんかな。でもそれでも100年前なら計算が合わないな。」

「あっ、もう一つ動画データがある。再生してみるよ。」

 綾が動画ファイルをクリックすると、古い形式の動画プレイヤーが起動した。

 画面が暗転し、そして映像が始まった。

 そこには、白衣を着た若い女性が映っていた。俺が見た写真と同じ人物だ。母だ。

 彼女は少し緊張した表情で、カメラを見つめていた。


『こんにちは、これを見てるってことはちゃんと手紙が届いたのね。初めまして、私はあなたの母親の香織です。これを見るころには私たちは殺されているでしょうね。大きくなった彰の姿、見てみたかったな。ごめんね、こんな母親で。』

 母の声を初めて聞いた。優しい、でも悲しみを含んだ声。

 少し涙を浮かべながら、母はふぅと仕切り直して話をつづけた。


『今から私たちがこの研究を始めた経緯を話します。100年前に始まった双子化の研究をしていたのは私の祖母、あなたのひいおばあさんにあたる瀬戸文香という人です。

あなたの家系は代々研究者が多く、祖母は当時遺伝子研究の第一人者で世界的に有名な研究者である父親と一緒に【遺伝子研究社】という民間会社で研究員として働いてたみたい。

あるとき父親経由で国から極秘に双子化の研究を依頼されたらしいの。その時の祖母は研究者として第一線をいっていたから、この研究にとても興味を示したみたい。倫理的な観点から父親は断ろうとしていたみたいだけど、どうしてもこの研究をしたかった祖母は父親の制止を振り切って依頼を受けたらしいの。

父親と対立した祖母は国からの莫大な支援金で研究者数名と研究社を辞め、双子化の研究に没頭したらしいわ。国は、祖母を研究責任者として、世界中から有名な研究者を引き抜き、わずか1年で双子化の研究は大幅な進歩を遂げたの。』


 母は少し間を置いてから、さらに続けた。


『そんなとき、国は双子化にもうひとつ要求をしてきた。それは、膨大に膨れ上がった医療費や介護費を使う高齢者を削減するため、人間の寿命を縮める作用を双子化に付与することだった。国は、双子化によって人口を増やそうとするだけでなく、寿命を縮めて高齢者をなくそうとしていたの。』


 俺は息を呑んだ。

 確かに、今の日本の平均寿命は50~70歳だ。80年生きる人なんてめったにいない。昔は100歳まで生きていたというが日本ではもうそんな人いない。

 海外ではたまに長寿の人もいるが、世界的に平均寿命が短くなってきているため、あまり大事に騒がれることはなかった。メディアでは国による陰謀ではと特集されていたりするが、あくまで陰謀論の域を出ていないとする意見が多かったが、まさかほんとに国の陰謀だったとは。

「嘘だろ……」俺は呟いた。


 母は画面の中で続けた。


『ただ、動物実験は成功したけど、実用化には実際の人間で試す必要があった。国は、実験に必要な人は集めるといったらしいけど、人体に影響を及ぼすうえ、実際に妊娠もさせてみないとわからないため、倫理的に悩んだみたい。でも、研究の成果を確かめずにいられなかった祖母は何人もの人を犠牲にして、双子化を完成させたらしいの。死者も何人も出たらしいわ。

それからはあなたも知っている通り、日本中で双子化の遺伝子が広まり、今に至っている。私も母からこの話を聞いて、かなり動揺したわ。それと同時に母にも怒りをぶつけたの。なぜなら、母も双子化を進める施設で祖母と一緒に働いていたから。母なら日本中に広まる前にこのことを公表して、食い止めることができたのに、むしろ推進する側にいたなんて。

そのとき私は決めたの。祖母、そして母がしてきたことを公表して謝罪するとともに、みんなをもとに戻す方法を見つけ、日本を本来の姿に戻すって。でも、それに気づいた母に猛反対されたわ。そんなことをすると国のメンツが丸潰れ。最悪国は私を消しに来るだろって。だから私は、秘密裏に協力者を集めて、研究を進めながらこれまで国がしてきた悪事の証拠を集めることにしたの。でも、実験も成功して、あと一歩というところで、国に見つかり、仲間が次々と捕まっていったの。多分私もあと少しで連行されるでしょうね。

だから、この続きをあなたに託すことにした。過酷なことを押し付けてしまってごめんなさい。でも、これは私たちがやらなくてはいけないことなの。どうか、国の悪事を公表して、元の日本の姿に。』


 母は一度深呼吸をしてから、最後の言葉を告げた。


『最後に、あなたについて話しておきます。この実験の被検体1番。それは私。当時仲の良かった研究員に協力してもらって、あなたを身籠りました。最初は生まれてくる子に悲惨な運命を背負わせたくないと、妊娠が分かった段階で降ろすつもりだった。でも、日に日に大きくなっていくおなかを見て、あなたへの愛情が芽生えどうしても堕ろすことができなかった。ごめんなさい。でもほんの短い間でも赤ちゃんのあなたと過ごした日々はほんとに幸せだった。

 彰、あなたは一人ぼっちで辛い思いをたくさんしたと思う。それでも、強く生きてくれてありがとう。あなたなら、きっとこの国を変えられる。信じています。

 愛しています。さようなら。』


 そういって泣いた母を映して映像は終わった。

 画面が暗転した後も、しばらく俺たちは沈黙していた。

 俺の頬を、涙が伝っていた。綾も泣いていた。音は、拳を強く握りしめていた。


「これはなんというか...。」音が言葉を探した。

 二人が言葉に困っていることはすぐに分かった。

「あぁ、言葉にできないな。でも、やっと真実が知れたんだ。」俺は涙を拭いながら言った。

「まさかこれを公表するつもりか?」音が聞いた。

「待ってよ!危険すぎる!意図的に長生きできなくなったと知ったら国中の人がデモとか起こして大騒ぎになるわ。彰も国から命を狙われる可能性だって...」綾が必死に止めようとした。

「わかってるよ。でも、やっと母親に会えたんだ。母が命を懸けてまでしようとしたことを成し遂げたいって思ったこと。やってあげたいんだ。

それに、こんな国のやり方許せるわけない。欲しい子供の数まで制限され、長く生きれたかもしれないのに、それも知らずに死んでいった人たちがいるなんて。絶対に公表して国を、日本をやり直すべきだ。」


 俺の決意を聞いて、綾は困ったように音を見た。

 音は、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「分かった。でも、慎重にやろう。いきなり公表しても、握りつぶされるだけだ。」

「じゃあ、どうすれば?」

「母の研究データには、協力者のリストもあった。まだ生きてる人がいるかもしれない。」俺は再びSDカードの中身を確認した。

 協力者のリストには、二十名ほどの名前があった。

 その中に、現在も活動している反政府組織の名前があった。

「『自由日本の会』……聞いたことがある。」音が言った。

「なに、それ?」綾が聞く。

「反政府組織だよ。政府の政策に反対して、地下で活動してる。メディアでは過激派扱いされてるけど。」

「この組織なら、海外メディアとのコネクションもあるかもしれない。」俺が言った。

「危険すぎるよ、彰。そんな組織に接触したら、間違いなく政府にマークされる。」綾が心配そうに言った。

「でも、やらなきゃいけないことなんだ。」


 俺たちは研究所を後にし、東京に戻った。

 車の中、三人とも無口だった。重苦しい空気が流れていた。

 音は運転しながら、時々バックミラー越しに俺を見ていた。その目には、何か言いたげな光があった。





第七章 音の変化


 東京に戻ってから、俺は『自由日本の会』への接触を試みた。

 インターネットで検索しても、公式な情報は出てこない。出てくるのは、政府系メディアによる「危険な過激派組織」という記事ばかりだ。

 だが、アンダーグラウンドのフォーラムを探せば、手がかりがあるはずだ。

 俺はダークウェブにアクセスし、暗号化された匿名掲示板を探した。いくつかの掲示板を渡り歩き、それらしい書き込みを見つけた。

「自由を求める者へ。真実を知りたい者は、ここに連絡を。」

 そこには、暗号化されたメールアドレスが記されていた。

 俺は慎重にメールを作成した。

「瀬戸香織の息子です。母の研究を引き継ぎたい。話を聞いてほしい。」

 送信ボタンを押す。返信が来るかどうかは分からない。


 その夜、綾と音が来た。

 だが、音の様子がおかしかった。以前よりも口数が少なく、どこか上の空のような表情をしていた。

「音、最近元気ないけど、大丈夫か?」俺が聞いた。

「あ、ああ、大丈夫だよ。ちょっと仕事が忙しくて。」

 そんな彼の答えに、俺は不安を覚えた。

 綾も同じように感じているようで、時々心配そうに音を見つめていた。

「音、本当に大丈夫?無理してない?」綾が優しく聞いた。

「大丈夫だって。心配しないでくれよ。」音は無理に笑顔を作った。


 数日後、『自由日本の会』から返信が来た。

「三日後、午後八時。渋谷のビル。詳細は追って連絡する。一人で来ること。」

 一人で、という指示だった。

 だが、俺は綾と音にそのことを話した。

「一人でなんて危険すぎる!」綾が反対した。

「でも、一人で来いって言われたんだ。」

「じゃあ、俺たちは近くで待機してる。何かあったらすぐに駆けつけられるように。」音が提案した。

 俺は頷いた。


 当日、俺は指定された場所に向かった。

 渋谷の雑居ビル。外観は古く、テナントの看板も色あせている。

 エレベーターで五階へ。廊下は薄暗く、人の気配はない。

 指定された部屋の前に立つ。ドアをノックすると、中から声がした。

「開いてる。入れ。」

 ドアを開けると、そこには五人の男女がいた。年齢は四十代から六十代くらい。

 中央に座っている男性が口を開いた。

「瀬戸彰さんだね。初めまして。私は田村と言う。『自由日本の会』のリーダーだ。」

 田村と名乗った男性は、白髪混じりの髪を短く刈り、鋭い目をしていた。

「お母さんのこと、知ってるんですか?」俺が聞いた。

「ああ、香織さんには大変お世話になった。彼女がいなければ、我々の活動はここまで続けられなかった。」

 田村の言葉に、他のメンバーも頷いた。

「母は……どんな人だったんですか?」

「勇敢で、賢く、そして優しい人だった。自分の命を危険に晒してまで、真実を追い求めた。」

 田村は懐かしそうに微笑んだ。


 俺は母が残したデータを彼らに見せた。SDカードと、そこに入っていたデータのプリントアウト。

 彼らは資料を見て、衝撃を受けた様子だった。

「これは...決定的な証拠だ。これがあれば、国際社会を動かすことができる。」田村が興奮気味に言った。

「でも、相手も黙っていないでしょう。現在の山元総理は、双子化制度を作った山元達也の孫です。彼らにとって、この制度は家族の名誉そのもの。必死に隠そうとするはずです。」別のメンバーが言った。

 山元総理の孫。俺は背筋が凍った。つまり、政府の最高権力者が直接この問題に関わっているということだ。

「まずは海外メディアに情報をリークし、国際的な圧力をかけましょう。それと同時に、国内での情報拡散も進める。」田村が提案した。

「具体的には?」

「海外の大手メディア、特に人権問題に敏感な欧米のメディアに情報を流す。同時に、国内のSNSでも拡散する。政府が規制する前に、できるだけ多くの人に知らせる。」

 計画は着々と進んだ。





第八章 音の苦悩


 その後の数週間、俺は『自由日本の会』のメンバーたちと頻繁に会った。

 計画を練り、海外メディアとの接触を試み、データの整理を進めた。

 綾は積極的に手伝ってくれた。彼女は語学が得意で、英語での資料作成を担当した。

 だが、音の様子がますますおかしくなっていった。

 以前のように積極的に意見を言わず、どこか上の空のような表情をしていることが多くなった。

 会議中も、ぼんやりと窓の外を見ていることがあった。


「音、最近本当におかしいよ。何かあったの?」

 ある日、綾が音に詰め寄った。

「何もないよ。」

「嘘。絶対何かある。私には分かるよ。」

 綾は音の双子だ。二人の間には、言葉にできない絆がある。

「……少し、疲れてるだけだ。」

「そんなわけないでしょ。アキラのこと、手伝いたくないの?」

「そんなことない!」音が珍しく声を荒げた。

 綾は驚いて、一歩後ずさった。

「ごめん。でも、お前が心配なんだ。」

 音は深くため息をついた。

「分かってる。ありがとう、綾。でも、大丈夫だから。」


 だが、音の心の内は穏やかではなかった。

 彼は一人になると、深く考え込んでいた。

 双子化がなければ、綾と出会えなかった。

 自分と綾は二卵性の双子だ。自然界では、双子が生まれる確率は低い。ましてや、異性の双子となるとさらに稀だ。

 双子化制度があったからこそ、自分は綾と一緒に生まれることができた。

 綾は自分のすべてだった。

 幼い頃から、ずっと一緒だった。施設で、学校で、そして今も。

 綾がいない人生など、考えられない。

 もし双子化制度がなくなったら、未来の双子たちは生まれてこない。いや、それだけではない。双子化制度そのものが否定されることで、自分たちの存在意義も否定されるのではないか。

 音はそう恐れていた。


 ある夜、音は一人で街を歩いていた。

 ネオンが煌めく繁華街。双子たちが楽しそうに歩いている。

 彼らは幸せそうだ。双子化制度のおかげで、この国は安定している。

 それを壊していいのだろうか。

 音の心は揺れていた。


 そんな時、音のスマートフォンに一本の電話がかかってきた。

 非通知。

 音は警戒しながらも、電話に出た。

「もしもし。」

「音さんですね。少しお話ししたいことがあります。」

 男の声だった。落ち着いた、だが有無を言わさぬ威圧感のある声。

「誰ですか。」

「それは後ほど。今から場所を指定します。一人で来てください。」

「断ったら?」

「それはお勧めしません。あなたの大切な人たちのためにも。」

 音は息を呑んだ。脅迫だ。

「……分かりました。」


 指定された場所は、都内の高級ホテルのラウンジだった。

 音が到着すると、スーツを着た男性が待っていた。

「お待ちしていました。こちらへどうぞ。」

 男性に案内され、個室に入る。

 そこには、もう一人の男性が座っていた。

 五十代くらい、整った顔立ち、高級なスーツ。

「初めまして、音さん。私は内閣府の者です。」

 男性は名刺を差し出した。そこには「内閣府 特別調査室 室長 黒木」とあった。

「何の用ですか。」音は警戒しながら聞いた。

「単刀直入に言いましょう。あなたの友人、瀬戸彰さんのことです。」

「……何を知ってるんですか。」

「すべてです。彼が『自由日本の会』と接触していること、瀬戸香織の研究データを持っていること、そしてそれを公表しようとしていること。」

 音は黙った。

「我々は、それを阻止したいのです。」

「なぜ僕に?」

「あなたは彼の親友だ。そして、双子化制度の恩恵を最も受けている一人でもある。」

 黒木は微笑んだ。


「あなたは異性の双子として生まれた。自然界では、その確率は極めて低い。だが、双子化制度があったからこそ、あなたは綾さんと一緒に生まれることができた。」

 音の表情が強張った。

「もし双子化制度がなかったら、あなたは綾さんに会うことすらできなかったでしょう。別の人生を歩んでいたかもしれない。あるいは、生まれてこなかったかもしれない。」

「……それが何だと言うんですか。」

「瀬戸さんが公表しようとしているデータ、あれが世に出れば、双子化制度は崩壊します。そして、双子化制度そのものが否定される。あなたや綾さんの存在も、否定されることになるかもしれません。」

「そんなことは……」

「ありえます。双子化制度が非人道的だと世界中から非難されれば、日本の双子たちは『人工的に作られた存在』として差別される可能性がある。」


 音は言葉を失った。

 黒木は続けた。

「我々は、あなたに協力してほしいのです。瀬戸さんの動きを監視し、報告してください。そうすれば、あなたの大切な人たちは守られます。」

「断ったら?」

「それはお勧めしません。我々には、様々な手段があります。」

 暗に脅された。

 音は拳を握りしめた。

「……考えさせてください。」

「もちろん。ただし、時間はあまりありません。明日までに返事を。」


 音はホテルを出て、夜の街を彷徨った。

 頭の中が混乱していた。

 彰を裏切るのか。だが、綾を守るためには……。

 彼は深く悩んだ。





第九章 裏切りの決断


 翌日、音は黒木に電話をかけた。

「……協力します。」

「賢明な判断です。」

 こうして、音は政府のスパイとなった。


 それからの音は、普段通りに振る舞った。

 だが、彰や『自由日本の会』の動きを逐一報告していた。

 会議の内容、計画の進捗、海外メディアとの接触状況。

 すべてを黒木に伝えた。

 綾は音の変化に気づいていなかった。いや、気づきたくなかったのかもしれない。


 音は自己嫌悪に苛まれた。

 鏡を見るたびに、自分が嫌になった。

 だが、綾を守るためだ。そう自分に言い聞かせた。

 双子化がなければ、綾と出会えなかった。

 その事実が、彼を裏切りへと駆り立てた。


 ある夜、音は一人で酒を飲んでいた。

 綾が心配して声をかけてきた。

「音、最近飲みすぎだよ。体壊すよ。」

「大丈夫だ。」

「大丈夫じゃないよ。何かあるなら、話して。私たち双子でしょ。」

 音は綾の顔を見た。

 心配そうな顔。優しい顔。

 この笑顔を守りたい。

「……ありがとう、綾。でも、本当に大丈夫だから。」

「約束して。辛いことがあったら、ちゃんと話すって。」

「……約束する。」

 だが、それは守れない約束だった。





第十章 決行前夜


 ついに決行の日が近づいた。

 海外メディア数社が日本に入国する手はずが整った。独占インタビューの準備も進んでいた。

『自由日本の会』のメンバーたちは緊張していたが、同時に希望に満ちていた。

「ついにこの日が来たな。」田村が言った。

「香織さんの遺志を継いで、必ず真実を明らかにしましょう。」

 俺も決意を新たにした。


 だが、その夜、音は再び黒木と会っていた。

「明日、海外メディアとの接触が行われます。場所は……」

 音は情報を伝えた。

 黒木は満足そうに頷いた。

「ご苦労様です。これで、すべての準備が整いました。」

「……彰たちは、どうなるんですか。」

「ご心配なく。逮捕はしません。ただ、計画を阻止するだけです。」

「本当ですか?」

「ええ。我々は野蛮ではありません。」

 だが、その言葉を音は信じられなかった。





第十一章 崩壊


 決行の朝、俺のマンションに政府の車が到着した。

「瀬戸彰さんですね。総理がお会いしたいと仰っています。」

 黒いスーツの男たちに囲まれ、俺は首相官邸に連行された。

 綾は慌てて俺を追いかけようとしたが、止められた。

「待って!アキラ!」

 彼女の叫び声が遠ざかっていった。


 重厚な扉が開かれると、そこには山元総理が待っていた。

「初めまして、瀬戸さん。私は山元健一郎。あなたのお母様とは、ある意味因縁深い関係でしたね。」

 総理は穏やかな笑みを浮かべていたが、その目は鋭く俺を見据えていた。

 山元健一郎。現総理大臣。六十代、白髪、端正な顔立ち。

「私の祖父がやったことを、あなたは問題視されているようですね。確かに、現在の価値観では非人道的に見えるかもしれません。しかし、あの時代、日本は本当に滅びの淵にいたのです。」

「でも、人の命を勝手に縮めて、子供を作る自由も奪うなんて...」

「自由?」総理は苦笑した。「自由に任せた結果が、あの惨状だったのですよ。少子高齢化で経済は破綻し、若者は絶望し、自殺率は過去最高を記録した。自由は時として、破滅への道筋となるのです。」

「それでも、人には選択する権利があります。たとえ間違った選択をしても、それが人間というものじゃないですか。」

「理想論ですね。」総理は立ち上がり、窓の外を見つめた。「現在の日本を見てください。確かに個人の自由は制限されていますが、社会は安定し、誰もが働く場所を持ち、老後の心配もない。効率的で合理的な社会です。」

「でも、それは本当の人間らしい生活と言えるんですか?」

「人間らしさとは何でしょうか?混乱と不安に満ちた自由な社会と、秩序と安定がある管理された社会、どちらが人々を幸せにするのでしょうか。」


 議論は平行線を辿った。

 その時、扉が開かれ、意外な人物が入ってきた。

 音だった。

「音!どうしてここに...」

 音は俯いたまま、総理の隣に立った。

「実は、音くんには以前から協力してもらっていたんです。」総理が説明した。「彼は我々の制度の受益者でもありますからね。」

「どういうことだ?」俺は混乱した。

 音がゆっくりと顔を上げた。その目には、涙が浮かんでいた。

「彰、ごめん。でも、俺は双子化制度に反対できないんだ。」

「なんで...俺たちは友達じゃないか。」

「そうだよ、友達だ。大切な友達だ。だからこそ言うんだ。」音の声は震えていた。「もし双子化制度がなかったら、俺は綾に出会えなかった。俺たち二卵性の双子が生まれる確率は、自然界では1000分の1以下だ。双子化制度があったからこそ、俺は綾という最愛の人に出会えた。そして、お前にも出会えた。」

「音...」

「お前が一人っ子で苦労したのは知ってる。でも、俺にとって綾は人生そのものなんだ。彼女のいない世界なんて考えられない。双子化制度がなくなって、俺たちの存在が否定されることが怖かったんだ。」


 俺は言葉を失った。

 音の気持ちも理解できた。確かに、双子化制度がなければ、俺たちの関係も生まれなかった。

「瀬戸さん、音くんの気持ちも分からないでもないでしょう。」総理が口を挟んだ。「制度には確かに問題もありますが、同時に多くの幸せも生み出しているのです。それを全て否定してしまっていいものでしょうか。」

「でも、真実を知る権利は...」

「真実を知って、それでどうするのですか?混乱を招くだけではありませんか?現在の安定した社会を破壊して、再び混乱の時代に戻すのですか?」


 俺は答えに窮した。

 確かに、真実を公表すれば社会は大混乱に陥るだろう。デモや暴動が起こり、多くの人が傷つくかもしれない。

 だが。

「人々には選択する権利があります。たとえその結果が混乱を招いても、真実を知った上で自分たちの未来を決める権利が。」

「選択?」総理の声に軽蔑の響きがあった。「大多数の人々は、正しい選択などできないのですよ。感情に流され、目先の利益に踊らされ、長期的な視点を欠いている。だからこそ、我々のような立場の人間が、彼らに代わって最適な選択をする必要があるのです。」

「それは傲慢です。人々を馬鹿にしている。」

「現実を見てください。自由な選択を許した結果が、100年前の日本の惨状だったのです。私の祖父は、その現実から目を逸らさず、困難な決断を下した。そのおかげで、現在の日本があるのです。」


 数時間に及ぶ議論の末、俺は解放された。

 だが、『自由日本の会』のメンバーたちは全員拘束されていた。

 海外メディアとの接触も阻止されていた。

 すべての計画が、水泡に帰した。





第十二章 その後


 それから数年が経った。

 俺は相変わらず記事書きの仕事を続けている。狭い部屋で、一人、パソコンに向かう日々。

 綾と音も、以前と同じように俺の家に遊びに来る。

 表面的には、何も変わっていないように見える。

 ただ、音との間には、見えない壁ができてしまった。

 彼は俺を裏切った。だが、それを責めることはできなかった。

 彼には彼の理由があった。綾を守りたい。その気持ちは、理解できた。


 ある日、三人でいつものように食事をしていた。

 音が、ぽつりと言った。

「……ごめん、彰。」

 俺は箸を止めた。

「もういいよ。」

「いや、謝らせてくれ。俺は、お前を裏切った。」

「分かってる。でも、お前には綾がいる。守りたいものがあった。それは分かるよ。」

 音は涙を浮かべた。

「お前は、本当に優しいな。」

「優しいんじゃない。ただ、疲れたんだ。」

 綾も泣いていた。

「ごめんね、アキラ。私のせいで……」

「綾のせいじゃない。誰のせいでもないよ。」


 テレビでは、相変わらず政府の政策を賞賛するニュースが流れている。

 双子化100周年記念イベントが盛大に開催され、国民の多くが参加している様子が映し出されている。

 みんな笑顔だ。幸せそうに見える。

 一方で、海外のニュースでは、日本の人権状況を疑問視する声も聞こえてくる。しかし、それらの声は日本国内では報道されない。


 俺の手元には、まだあの時のデータが残っている。

 いつでも公表することはできる。

 しかし、その後に何が起こるかは分からない。

 社会は混乱し、多くの人が傷つくかもしれない。

 そして、音や綾のような、現在の制度で幸せを見つけた人たちの人生も破綻するかもしれない。


 ある雨の夜、俺は一人で考えていた。

 母は、真実を公表しろと言った。

 だが、それは本当に正しいことなのだろうか。

 真実を知ることと、幸せに生きること。

 どちらが大切なのか。

 答えは出ない。


 時々、母の映像を見返す。

「彰、あなたなら、きっとこの国を変えられる。信じています。」

 母の言葉が、胸に刺さる。

 俺は、母の期待に応えられなかった。

 ごめん、母さん。

 俺には、その勇気がなかった。


 窓の外では、雨が降り続けている。

 明日も、同じような一日が始まるだろう。

 そして、この疑問を抱えたまま、俺の人生は続いていく。

 日本の未来がどうなるかは分からない。

 でも、少なくとも今この瞬間は、俺たちはここにいる。

 生きている。

 それだけは、確かなことだった。





エピローグ


 それから十年後。

 俺は相変わらず記事を書いている。もう三十代後半だ。

 綾と音は、結婚していた。お互いではなく、別の人と。だが、二人は今でも仲が良い。双子の絆は、何があっても切れないのだろう。

 俺は未だに独身だ。


 ある日、俺の元に一通のメールが届いた。

 差出人は不明。

 だが、内容を見て驚いた。

「瀬戸さん、あなたのお母様の研究データ、私たちが預かっています。いつか、それを公表する日が来るかもしれません。その時は、あなたの力を貸してください。」

 誰からのメールなのか分からない。

 だが、まだ諦めていない人たちがいる。

 そのことに、少し希望を感じた。


 俺は窓の外を見た。

 雨は止んでいた。

 雲の切れ間から、光が差し込んでいた。

 もしかしたら、いつか。

 本当の意味で、この国が変わる日が来るかもしれない。

 その時まで、俺は生き続けよう。

 母の遺志を、心に抱きながら。


   終

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