「魔女様の婚約指輪」・後編
ドレスを後にして、私は服屋を出た。
再び考えるのは、ルル様の結婚相手のこと。
他に求婚してきたのは隣国の貴族の嫡男だ。
背が高く美しい金髪が印象的な方だった。
ルル様を気に入って何度も贈り物を持っては会いに来る。門前払いをくらいながらも諦めないあたり、ルル様の言っていた尽くしてくれる人が良いという条件にも合致しそうだ。
だが、貴族の彼に対してもルル様は求婚を断っていた。その時は確か、長い黒髪が好みだからという理由だった。お金にも興味はないので宝石や金に執着しない人が良いとも言っていた。
貴族の彼はルル様の好みとは合致しないだろう。
そんな時。
「髪飾り買ってくだせぇ。お姉さんの長い綺麗な黒髪によく似合うはずでぇ」
この国では珍しい黒髪を威勢良く褒められて私は足を止めてしまった。
声の主は道端の行商人である。遠方から来たのか喋りに独特の訛りがあり、分厚い唇と切れ長の目元には異国感が漂う。頭には見慣れない模様の布を巻いている。
道端に大きな布を敷いて銀製品を所狭しに並べた彼は口元から銀歯を覗かせた。
「その髪飾りよりもさ、こっちのほうがお似合いでよぉ」
高価そうな銀の髪飾りを彼は指先で持ち上げた。欠けた月をモチーフにしているらしい。
私は前髪に着けている髪飾りに手をやって首を横に振る。
「ごめんなさい、これは主から頂いた特別な物なのです」
「……よく見たらそりゃ『ポセイドンの髪飾り』とは。随分珍しい物をお持ちでぇ。主様に大事にされていらっしゃる」
私の姿をまじまじと見ながら行商人は言う。
知らなかったが、私が着けている髪飾りはとても珍しい物らしい。
元々はルル様の物だった。まじないで大きな井戸を掘り当てた際の礼品である。「あんたの方が似合うでしょ。私よりは綺麗な髪なんだし」とルル様から半ば強引に押し付けられたのだ。
「お姉さんが仕えてるのは貴族様のとこですかい」
「いえ、私は」
「ならどうです、主様に銀食器は。一式揃っているんでぇ」
そう言って行商人は布巻きにされていた銀食器を広げてみせた。一式どころか何人分もある。パーティでも開催できそうな勢いだ。
高価な食器をこんなに沢山使う予定はなく私は首を横に振った。
「残念ですが」
私は行商人の前を離れる。
農村からバターを売りに来た子供に声をかけ、ルル様の調合した薬と交換してもらう。
物々交換の最中、ルル様に求婚してきた人をもう一人思い出した。
東の国の遊牧民だ。何度も交易の為にルル様の家を訪れている。長い黒髪であったし精悍で背も高い。東の国の珍しい素材を持ってくるのでルル様も気に入っている相手だ。
ただ。
彼に関しても、ルル様は求婚された時に断っていた。
その際にはルル様はいつも家にいてくれる人が良いと言っていた。あと年上が良いとも言っていた気がする。
彼はルル様より一つ年下であるし、狩りや交易の為に方々を渡り歩く彼とは合わないだろう。引きこもりで出不精なルル様が付いていくとは到底思えない。
中々、ルル様の好みに完璧に合致する人はいないものだなと思った。
ようやく目当てのパン屋に着いた。白い壁と茶色の屋根は焼いたパンの様だ。
エプロンに白い粉を付けた女将が笑顔で迎えてくれる。
「いつものパンをください」
「毎日遠くからご苦労です」
「ルル様はこれしか食べないと決めていますので」
「気に入ってくれて嬉しいですよ。魔女様に長い間召し上がっていただけるのはうちの誇りです」
私がルル様と初めて会ったのは私が十八歳、彼女が十二歳の時であった。もう十年も仕えているが、ほぼ毎朝ここのパンを食べている。
今更ながら、子供の時から見ていた彼女が結婚すると思うと寂しく哀しくなってきた。
涙をぐっとこらえてパンを受け取る。ライ麦の香りが鼻をくすぐる。
女将は笑顔で言う。
「そう言えば新しい窯が出来たんです。魔女様の下さった石材のおかげです」
ルル様が古代ゴーレムの群れを討伐した時の残骸を「窯にでも使えるんじゃないの?」と言って、ここに勝手に持ち込んだのである。無茶苦茶だと思ったが女将が喜んでいるのならば良いかと私は思った。
「窯のお礼に魔女様に何でも焼いて差し上げたいのです。ケーキもクッキーもどんとこいです」
「そうですか、伝えておきます」
「是非!」
目当てのパンを手に入れて私は家に戻る。帰り道でもずっと考えるのはルル様の婚約相手の事だ。
一体誰と結婚をするつもりなのか
そもそも男性とは限らないのか。
昔、妖精の子供を育てた時に子供が出来なくとも結婚したっていいじゃないと言っていた。
何だったら人間を生み出す魔法を開発してみせるとも熱く語ってもいた。
あれは男性と結婚する気がないという意思表示だったのかもしれない。
ルル様の結婚相手として女性も選択肢に挙がるとなると、ますます誰なのか分からなくなってきた。
改めて考えてみると、ルル様の口ぶりはいつもいつも特定の誰かを思い浮かべていたような気がする。
ルル様には以前から心に決めた人がいたのだろうか。
人付き合いを嫌い、滅多なことでは人前に姿を現さず、私以外の人間と会話する機会が殆どない。
そんなルル様に親しい相手がいるとは知らなかった。
いくら考えても謎は深まるばかりでお手上げだった。
後はルル様本人に聞いてみるほかないだろう。
「……というわけなのですが、一体誰と結婚されるおつもりですか」
家に戻った私はルル様にそう聞いた。今朝ずっと考えていた事を順を追って話もした。
朝食の席でパンにバターを塗りたくっていたルル様は、私の質問に対してその手を止めて不機嫌そうな表情になる。
「なんで……それで……、分からないのよっ!」
ルル様は何故か突然憤慨しだした。
いつものことであるが私はとりあえず謝っておく。
ルル様はぶつくさと「鈍すぎる」「こんなに気がつかないとかある?」などと独り言を繰り返していた。
ルル様はしばらく不機嫌そうであったが、何度かの咳払いの後、パンを皿に置いた。そして手元を拭い、ローブの懐から今朝の婚約指輪を取り出し私の前に置いた。
樫のテーブルの上で指輪は磨き上げられた美しい輝きを放っていた。銀に別の素材を混ぜ込んでいるようで、波打つような不思議な模様を描いている。フェニックスの尾羽根を思わせる装飾と裏面にはナイフで何か文字が刻んである。私は読めないが、ルル様がまじないの際に使われるルーン文字だというのは分かった。
これで完成したということだろうか。
顔を上げるとルル様はその頬を真っ赤に染めていた。私から顔を逸らしてそっぽを向いている。
「指輪。あんたに」
ぶっきらぼうにルル様は言った。私は溜め息を吐いて諫める。
「婚約指輪くらいは、ご自分でお相手の方に渡すべきだと思います。メイドに任せてはいけません」
「ちーがーう! なんであんたはそんなに鈍いのよ! あんたにあげるって言ってんの!」
「これは結婚する方に渡すものでしょう?」
「だから!」
ルル様は大きな音を立てて勢いよく椅子から立ち上がる。彼女は力強く私の方を指差す。犬歯が見えるほどの勢いで大声をあげる。何故か大層怒っている。
「あんたと! 結婚する! ってこと!」
私は少し遅れて言葉の意味を理解した。
ルル様が結婚しようとしている相手は私らしい。
私……。
「え? えぇ!?」
「あんたどんだけ鈍いのよ、知ってたけど!」
驚く私にルル様はまくしたてる。顔を真っ赤にしたまま机を叩く。皿の上のパンが飛び上がった。暖炉で寝ていたサラマンダーが飛び起きる。
「鈍いと言われましても」
「あーもうっ!」
ルル様は長い癖毛を振り回し、腕を振り回し、金切り声を上げた。そして大声で宣言する。
「良いわね! 結婚するから! 式だって挙げるんだから! ドレスに、銀食器に、大きなケーキも用意して!」
そのわがままな態度が、今は照れ隠しなのだと気が付いた。
ルル様でも私相手に緊張することがあるらしい。その姿がなんだかとても愛おしく感じた。
そして、今日一日のことを思い出して私はつい笑ってしまう。
そんな私にルル様はたじろぐ。
「な、なによ……」
「いえ、ふふっ。お任せください」
言いつけ通り盛大な式を用意しなくては。
ドレスに、銀食器に、大きなケーキ。
「不思議なことに、どれもアテがあるのです」
【完】




