長い恋の終わり
ローランド王城では、アルベルトが国王執務室の長椅子にふんぞりかえって険しい顔をしていた。
国王執務室であるが、肝心の国王はその状態で、実際机に向かって政務を行っているのは息子であるアルフォンス王子だった。
「父上、それでグレイスから聞いたミケーネ侯爵の話への対応はどうします?」
長椅子の父に向かって問いかけると、アルベルトは険しい顔のまま「明日にでも行ってくる」と答えた。
「父上が直接ですか?」
「あぁ。早いほうがいいだろう?直接びしっと言ってくる。せこいこと考えるなってな」
アルフォンスは苦笑すると「それは事情を聞いてからにしてください」と言った。
「俺は今、機嫌が悪いんだ。そんな気の長いことできるかどうか分からん」
「…どうしました?」
アルベルトは忌々しげに舌打ちをした。
「バーレン侯爵家の息子とグレイスの結婚が決まった」
「なんだ、そんなことですか」
アルフォンスは呆れたように笑う。
「顔を合わせた時点で決まっていた事です。何を今更」
「あの息子がもっとゴネると思ってたんだがなぁ…」
「了承したんですか?」
息子の問いかけに、アルベルトは苦々しく頷いた。
「さっき父親と一緒に挨拶に来たらしい。話が纏まって、フレデリカが大喜びだ」
アルフォンスはその言葉に薄く微笑みを浮かべる。フレデリカというのは彼の母親、つまり王妃の名前だ。
「ユリアンの時より、あっさり陥落しましたね」
「当たり前だ!グレイスが相手だぞ?!」
アルベルトの言葉にアルフォンスは苦笑しつつ、「気に入って欲しいんだか、欲しくないんだか…」と独り言のように呟いた。
◆
「いってらっしゃい」
穏やかに微笑みながら、いつもの朝、いつもの通り、リンはアーロンを送り出してくれた。
扉に手をかけたまま、その笑顔を前に、アーロンの思考はしばし停止する。
意味も無く見つめる彼の視線に、リンも手を振る格好のまま固まってしまう。その頬がふわっと赤くなった。
アーロンは我に返ると、慌ててリンから目を逸らした。
「行ってくる」
「…うん」
アーロンは、リンに背を向けて家を出た。
今日も一応またミケーネ侯爵家の事件の調査現場に向かう。グレイスから国王に話が通って、侯爵が調査の中止を指示するまでは、変わらずそれが続く。
朝の瑞々しい空気を楽しむ余裕も無く、アーロンは大きなため息を洩らした。
昨夜、自分は何をしていたのだろうか。自己嫌悪とともに甦る感覚。軽くキスをするだけのつもりだった。けれども一瞬、我を忘れかけた。あのまま続けていたら、何をするか分からなかった。
リンを相手に…。
「……最悪だ」
アーロンは握った拳で、自分の額を軽く叩いた。
あの後、夕食を作っているとリンが手伝いに出てきてくれた。その顔にはいつもの明るい笑顔が戻っていた。
とても安心したけれど、同時に恐ろしくもなった。
リンは分かっていない。”男”というものを。だから自分が止めなくてはいけない。
自分に対する絶対の信頼を、裏切るようなことをしてはならない。
その笑顔を曇らせないために。
大事なあの子を失わないために―――。
◆
学校に次々と生徒達が登校する教室の中、椅子に座って頭を抱えるルイの目の前には幼馴染パティが腕組をして立っていた。
「ばかだ、ばかだと思ってたけど、あんた本当にばかね!!」
率直な厳しい意見に返す言葉もなく、ルイは両手で頭を抱えたまま動かない。
昨日自分がやってしまったことは、追いかけてきた野次馬数人に見られてしまったらしい。
その噂は今日あっという間にパティの耳まで届き、朝から説教をされている。
「人前でなんて、リンが可哀想!!もうぜったい口きいてもらえないからっ!だいたい友達に戻るんじゃなかったの?!友達はそういうことしないの!」
「分かってるよ、うるさいなぁ…」
「反省してるわけ?!」
ルイは顔を上げるとパティを睨みつけ「当たり前だろ!!」と声を上げた。
「死ぬほど自己嫌悪してるところに、追い討ちかけにくるな!!」
「なに甘えたこと言ってんのよ!!」
言い合う2人を周りの生徒達は笑みを浮かべつつ、横目で盗み見ている。
ふと顔を上げたルイの目が、教室に入ってくるリンの姿を捉えた。思わず凍りつく。
パティもその視線に気付いて振り返り、溜息混じりにルイに向き直った。
「もう、謝ろうとか思わないで、しばらく距離を置いたほうがいいと思う」
パティの言葉にルイも力無く頷いて賛同する。
どう考えても、今リンにとって自分は”恐怖”の対象でしかないだろう。
やれやれとため息をついてパティが口を閉ざす。ルイも机に目を落すと、同じようにため息を洩らした。
「……ルイ」
不意に名前を呼ばれてルイが顔を上げた。パティも目を丸くしながら振り返る。そこに立っている人物の姿に2人は同じように固まった。
「――リン!どしたの?!」
パティが思わず声をあげる。周りの生徒達も驚いたようにリンの現れたその場を盗み見ていた。
「あ、おはようパティ…。あの私、ルイに話したいことが…」
その瞬間ルイが立ち上がった。
「リン、ごめん!!」
とっさにそう言って、頭を下げる。
「ほんとにごめん…ごめんなさい…!」
ルイが繰り返し謝罪の言葉を口にする。パティはそんなルイとリンをただ見守っている。リンはしばらく頭を下げるルイを見詰めていたが、やがて「ううん…」と首を振った。
「避けるようなことして、私も、ごめんなさい」
その言葉にルイが顔を上げる。リンは真っ直ぐルイを見つめたまま「あのね」と切り出した。
「私の好きな人、アーロンなの」
リンの言葉に、ルイもパティも声を失った。その場の時間が止まったように、すぐには誰も反応できなかった。
リンの目は真剣だった。
「え、だって…」
パティがやっと声を出した。
「お兄さん、じゃないの…?」
リンの目がパティに向けられる。そしてふるふると首を振った。
「本当のお兄さんじゃないの」
リンはルイに目を戻すと「黙ってて、ごめんなさい」と言った。ルイは茫然と、そんなリンを見詰めている。
「でも、アーロンは私を本当の妹みたいに大事にしてくれてるの。私の、片想いなの」
穏やかにそう語るリンの表情は、なんだか大人びていて、とても綺麗だった。
久し振りにちゃんと目を合わせてくれている。ルイは長いことずっと好きだった少女の翡翠色の瞳を、ただぼんやり見つめていた。
「お父さんもお母さんもいなくなっちゃって、1人になった私のことを、アーロンが面倒みてくれてるの。私のためにお仕事してくれて、私を学校に行かせてくれて…。私の今の幸せは、全部アーロンがくれたものなの」
リンの目が潤んでいくのが分かる。語りながら、想いが溢れ出すように。
「私はアーロンに何も返せないのに、それでもずっと側に居てくれるの。人の幸せのことばかり先に考えちゃって、自分のことは後回しにしちゃうような人なの。それでもいつも笑ってて暖かくて、一緒に居るととっても幸せなの」
リンの頬を綺麗な涙が伝って落ちた。パティもルイも、ただそれを黙って見つめていた。
「……大好きなの。他の誰とも、比べられないくらい…」
そう言ってリンは目を伏せた。教室は賑やかなのに、3人の周りだけはとても静かだった。
何も言えずに、パティはルイに目を向けた。彼の目は、ただリンを映していた。その青い瞳は少し潤んでいる。
その涙が、長い恋の本当の終わりを悼んでいるように思えた。




