北京ニャタビ窟騒動
中華人民共和国、首都北京。――中南海。
私は、王。中国共産党星外局連絡委員会の常務委員というポストについている。
委員会内での序列は一位。
1年前までは存在すらしなかったこのポスト。
ニューヨークでの騒動が全世界に波及し我が国もやらかしをしてしまった中、急遽作られたこの組織とそのTOPであるこのポストは、言わば貧乏くじ、敗戦処理のためのポストで、それ故に党の中でも非主流派だった私に白羽の矢が立った。
このポストに就いた直後は何とか収奪を抑えるためにどうすればいいかをずっと考えていた。
しかし、それは杞憂に終わり、我々の宗主国となった猫の国は小皇帝の祖父母が蝶よ花よと孫を愛でるかのように惜しみなく物資や技術を投じてきた。
その結果、あれよあれよという間に党内での重要度は急上昇。同時並行で隠れてこそこそ怪しいことをする主流派。
観察官事務所と協力して叩き潰す。転落する主流派。
そんなことを繰り返して1年。今では実質的なこの国家のTOPの役職になってしまっている。
そんな私は、本日の最重要来訪者を待つために連絡委員ビルのエントランスでその来訪者を待っている。
少しして、紅旗の最新モデルの車が、ニャーティア共同体の国旗を掲揚しながら入ってきた。
ビルの前に止まった一台の車から服を着た一匹の猫が二足歩行で降りてくる。
「首席観察官殿、わざわざお越しいただかなくともこちらから参りましたのに」
「ニャにをいっているんだい、君と余の仲じゃニャいか。それに事務所にばかりこもっていては、毛並みが悪くなってしまうニャ」
余はもう老猫ニャからねと言いながらコロコロと笑う、私の膝くらいの身長しかない二足歩行の猫。
柔らかな笑みの下に隠しきれない爪の気配。
「そう言っていただけると助かります」
苦笑の表情を浮かべながら返す私の後ろでは委員会の高官たちが背筋を伸ばしている。
そう、この方はただの話す猫ではなく猫又族。
この国の宗主国たるニャーティア共同体から派遣された支配者。
一筋縄でいく相手ではないのだ。
☆彡
「さて、本日は少々込み入ったご相談をしニャければならないのニャよ」
首席観察官は猫又族にとっては適温のぬるい烏龍茶をひとすすりし、隣に控えている人間の秘書官に目配せをする。
秘書官は私に向けて立体映像で資料の投影を始めた。
『特異品種マタタビ(ニャタビ)汚染状況調査報告書』
資料の見出しにはそう書かれている。
「近ごろ、余たち猫又族の若年層の間で――この“良く効くマタタビ”『ニャタビ』が流行しているニャ」
映像に映るのは北京市内の五つ星ホテルの催事場。
そして次に映るのは、広大なホールに中央に乱雑に置かれた段ボールの中でゴロゴロと床を転がる若猫又たち。
尻尾がしなだれ、目はとろんと半開き。
急に愉快に笑い出して逆立ちをしながらかけていく個体。
演壇脇のカーテンに爪を立てて登りながら笑う個体。
ほとんどの個体が服は半脱ぎか脱ぎ捨てられている。
中には糞尿を漏らしている個体すらいる。
「……これは?」
思わず頭を抱えそうになってしまう光景だ。
以前の「事件」の際に猫又族にとってのある種のマタタビの『効能』は聞き及んでいたが、想像の数倍はひどい。
「ニャタビ窟と若者たちの間では呼ばれているみたいニャ」
「ニャタビ窟…」
それは、まるで…。
「まるで貴国に前世紀にあったという阿片窟みたいですニャー…我々猫又がやるとこうニャるんですニャァ…」
いつものふわふわとした雰囲気のままなんてことはないように言う首席観察官。
しかし我々の歴史に照らし合わせると…そこにはとてつもなく強い意図が込められている。
冷汗が止まらない。
「……なるほど。つまり、それを規制したいと?それほどに…ニャタビにはまるで阿片のような中毒性があると?」
「いニャ、ニャタビはホモサビエンスに例えるなら身体的には依存性こそ強いものの、毒性はほとんどニャい。若年猫ニャら毎週吸いたくニャるとおもうニャが…余たち老猫ニャら依存していても月に1度程度に抑えることもできる程度ニャ」
…どういうことだ?
それならば、首席観察官の性格から考えてその程度…そりゃあ前の『事件』の時はニャタビでハイになった観察官事務所高官が全裸徘徊して問題にこそなったが、それでもこれほどの強い意志をもって止めてくるとは考えずらい…。
「一時的に気持ちよくなるだけニャらば余も貴国の内政権を冒してまで何かを言うつもりはニャかったのニャ」
「ニャタビは…一度に一定量以上を摂取してしまうと、1回につき一人分、前世が消えてしまうのニャ」
「…っ!! 前世とは、あなたたちのあの…『前世』ですか?」
「そうニャ」
猫又族が『前世』と呼ぶ概念。
猫又族は地球の原生猫と同じく通常の寿命は長くでも20年程度と短い。
目の前のこの首席観察官も年齢で言えば15歳と、彼らの種族にしてみれば十分な老齢だが、人間で言えばまだ学生程度の年齢でしかない。
なのになぜ、彼らはこれほどに豊富な知識を持ち、目の前の首席観察官は老獪な政治政治家のような立ち回りができるのか?
その理由が『前世』だ。彼らは少ない記憶であればいつでも、彼らが何を考え何を思い何を経験していたのかという人生のすべてであれば今わの際にお互いに同意した相手に『承継できる』。
そしてその承継は何匹分でも積み上げられる。人生を、何度でも積み上げられる。
目の前のこの猫も数回程度ではないのだろう。
つまり猫又はその受け継いだ人生の分だけ生きているのだ。
1匹に収まっているその年月は、エルフ族と同じくらいの時を重ねていることもあるだろう。
彼らの文化、いや文明の根幹をなしているのがこの『前世』という概念なのだ。
そんな前世がニャタビを大量に摂取するたびに消える?
彼らの存在そのものを揺るがす問題に他ならない。
「これは貴国が思っている以上に深刻な問題ニャ」
首席観察官の目が細くなる。
それはそうだ、自国の根幹を揺るがす問題が自国の保護国内に発生している。
力の差を考えれば滅ぼされてもおかしくない。少なくとも以前の我が国が同じ立場になったらする。
しかし…
「どうかニャ…?可能そうかニャ」
「完全な販売規制は…もちろん何としても通しますが、実効性は正直なところ薄い言わざるを得ません」
需要があるから作るのだ。
以前の『事件』の際にこのニャタビの原産地を調査したことがあるが、不幸中の幸いか東北部の一部に自生しているものしかこのニャタビにはならないこと前はわかっている。
が、東北部と言ってもかなり広範囲に分布しているし、植え替えもできるようだ。
種の根絶は、正直厳しい。
そして、収穫できる以上、一定量は流通してしまう。
なんせ猫又がどうしても欲しい商品だ。各々個人の限界まで配給権を貰えるだろう。
下手に規制をすると地下に潜られかねない。
そうなったらまた地方委員会や軍が蠢き始めるだろう。
煮え切らない私の回答に首席観察官が一言。
「それだと、最悪も想定せざるを得ないニャ」
首席観察官の言葉に私を含む中国側の顔から血の気が引く。
この人が最悪と言ったら本当に最悪の事態を考えなければいけない。
まずい、すごく不味いぞ。完全規制は不可能ならばいっそのこと東北部全域を封鎖するか…いやそれで取りこぼしがあったらどうする…。
政府で一括で買い取って流通量の制限…いや無理だ。闇ルートができることが容易に想像つく。
量、量の問題か……………いや、量?
「一つお聞きしてもよろしいか?…そのニャタビ…一回に一定量以下なら前世に影響はないのですか?」
「そうニャ、でもニャタビは一回摂取し始めると限界量まで摂取したくなるらしいニャ。そうしたら『至る』らしいニャ」
至って目覚めて前世消えてるじゃないか。
「話は変わりますが、最近猫又の方々が日本から輸入しているとあるメーカーの猫缶を買いあさっていると聞いたのですが」
「あ、あれかニャ。あそこの猫缶は余も好きニャ。缶もいいけどチューブタイプの方が人気ニャ。ニャタビに手を出してない猫又は大体あれにはまっているんじゃニャいかニャ?」
「…一つ提示できる代替案があるかもしれません。本件は一旦預からせていただき、半月…いや、2週間お時間はいただけませんでしょうか?」
「うん、期待しているニャ。余も最悪は避けたいし準備もあるニャ」
準備が何かは聞かない。
そうして唐突に、我が国の存亡をかけた戦いが始まってしまった。
☆彡
2週間後。
「あーこれ最高っす!ニャタビみたいにガツンとは来ないけど、ほわーっとふわふわないい感じっす」
「これがあるなら大体の猫又はニャタビはなくてもいいと思うわ」
そう言いながらがら恍惚の表情を浮かべるのは、あの事件でやらかしたはちわれ猫の観察官補佐と白尻尾猫の観察官。
ニャタビの過剰摂取をした中堅以上の猫として、汚名返上のために実験台として名乗りを上げたらしい。
首席観察官殿が帰った直後、党中央高官とキャットフード業界及び食料業界の重鎮を即座に呼び出し、猫又族が好んで食べているキャットフードにニャタビ成分を混合した猫又用新嗜好品の開発プロジェクトが始動した。
国家主席を日本に訪日させ、猫又族の間で特に評判の良いキャットフードメーカー秘伝のレシピを土下座して入手し、それを元に昼夜問わず国家総動員でレシピの開発。
2週間でこの試作品を作り上げた。
「あえてニャタビ成分を薄めて猫又族の皆さんに人気の猫缶系食品に入れたこの『ニャタ缶』、いかがでしょうか。食品としての『かさ』がありますので1日中満腹になるまで食べても、計算上は閾値の3分の1程度までの摂取量に収まります」
「ニャタビそのものの流通についてはどうニャ?」
「そちらについては政府が主催する市場以外での流通を禁止、購入者はニャタ缶製造業者に限定。直接摂取用途として販売や仲介をしたものは死刑。一方で飴としてニャタ缶の販売については無税としてニャタ缶製造をした方が圧倒的に得な方向にもっていきます」
普通にニャタ缶が売れるのであればわざわざリスクをとって需要の減ったニャタタビ直取引をするものなどほとんどいなくなるだろう。
「うん、これニャら対策としては認めてもいいと思うニャ」
首席監察官の回答に心の中でガッツポーズを浮かべる。
周りに控えてる高官・関係者もほっと胸をなでおろした。
迎えた時の生きた心地のしない思いから一転、エントランスで首席監察官を見送る私の心は晴れやかだ。
「では、こちらの方向で即日施行を実施します」
「うん、頼むニャ」
車の窓から首だけを載せた首席監察官は抑揚に返す。
そしてちらりを目線を私から外し――――
「あー貴国を地図から消すことにニャらなくて本当に良かったニャ。あれ面倒ニャんだニャー」
恐ろしいことを何なしにぽつりとつぶやいた。
「え?」
「準備が無駄にニャったけど、あの装置は別の活用法もあるしニャー。とりあえず協力してくれた日本のに渡しておくかニャー」
「あの?地図から消すって、冗談ですよね?」
「さっそく余もホテルに帰ってニャタ缶食べるかニャー」
「ちょっと!?首席観察官殿!?」
冗談ですよね? ねえ!




