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「私の、たった一人の陛下」






 ぺたぺたぺた、と顔を触られ、まじまじと見られる。

 無遠慮だなぁ。

 ああ、遠慮も何も、彼もわたしもいつかのどこかで置いてきたか。

 しかしもしも他人の空似だったら、相手は戸惑うどころではない。それほどの触りっぷりで、わたしを視覚と触覚で確かめていた男はようやく手を離した。

 注がれる視線は継続中。


「見れば見るほど本物ですね。信じ難いのですが」


 信じなくてもいいよ。


「『信じなくてもいい』というお顔をされているところ申し訳ありませんが」


 どうも、この神子は相変わらずらしい。

 心の中で思っていることを、目からか、熟知している性格からか推測してみせた。大当たりだ。

 にこり、と、女の召し使いたちがため息をつかない日はなかった微笑みが正面から向けられる。慈悲深い微笑みとは、彼の微笑みを言う。

 ひどく、懐かしい気持ちにさせられた。


「千年、あなたにお仕えした私です。それでも人違いだと?」


 難しいだろうなと思う。

 何しろ、容姿はそのまま。年齢も、外見年齢だけで言えば、あまり変わっていないだろう。

 かつて王になってからは、外見は歳を重ねていなかった。つまり、彼は『約千年』わたしのこの姿を目にしてきた。

 ……今の人生になってから、どうしても神様に問いたいことが二つあった。

 その内の一つが、どうして顔とか声とか、色とかそっくりそのまま、また生まれさせたのかということだ。


 こうして知り合いに見つかれば、逃れようがない。それでも、見つかっても、死んだ人物だと思うのが自然な流れだと思うのだけれど……。

 彼のこの揺れなさはどうしたことか。


「……千年じゃない」


 困ったなぁ、と心いっぱいに思いつつ、わたしはとうとう呟いた。


「そうなる前に蛍火けいかともお別れした」


 死んだから。知ってるでしょ。

 同時に認めたと捉えられる訂正をすると、蛍火は、よく分からない顔をした。

 微笑んでいるけれど、──哀しさが混じったような。……あ。


「……ええ、そうでしたね。正しくは999年、あなたに仕えていた身です」


 黒い頭と、黒い目が下がった。蛍火が膝をついたのだ。

 そして、頭を下げた。

 最敬礼だった。


「睡蓮様、今さらとなりましたが挨拶を」

「蛍火、やめて」


 ぽかんと動作を見ていたわたしは、慌てて首を横に振る。


「頭下げないで」


 蛍火が顔を上げる。


「立って。ほら」


 両手を取って、引っ張った。

 立って、ともう一度言えば、彼は自分で立ち上がってくれた。

 再び見上げることになった顔を見上げて、わたしは、しっかりと言う。


「わたしは花鈴(かりん)。十七年前生まれたときにその名前をもらって、生きてきたの」


 十七年前、赤ん坊として生まれた。お母さんの娘として生まれて、育ってきた。わたしは花鈴としての新しい人生を始めた。


「誤解しないで。蛍火に会えたのは、嬉しい」


 あれから『二百年』経ったようなのだ。蛍火がまだ生きているかどうかわからなかった。

 会いに行こうとは思わなかったけど、会えると嬉しい。


「でも、わたしはわたしで生きていくから。持って生まれた身分で、新しく」


 睡蓮は死んだ。また生まれてくるとは思わなかったから、死んだあのとき、完全に死んだんだ。


「……新しく、とは具体的にどのように。どのように、どこで生きていくというのですか」


 わたしは、これまでどのように生きてきたか教えた。具体的には、店のこと。

 店はしばらく閉めることに決まって再開の見通しは経っていないけれど、生きていく術に心当たりはある。


「ということで、平民として普通に生きてきたから、これからもそうやって生きていく」

「……それで、ここであなたに会ったのに、そこらで生きていくことを黙認しろと仰る?」


 じっと聞いていた蛍火は、ゆっくりと首を傾げた。表情には、仄かな微笑みがあった。

 そこらで、というのは、平民としての環境を言っているのだろうか。

 わたしが以前王としての生活が長かったから、平民として生活していけるか怪しんでいるのだろうか。

 でも、そんなこと蛍火は気にしなくていい。


「蛍火、確かにわたしは、以前『睡蓮』であった人物だけど、もう王じゃないように、蛍火とのそういう関係もない。だから、蛍火がわたしに関わる理由も意味もない」


 かつての主だったからと言って、関わることはない。気にしなくてもいい。心配しなくてもいい。


「気にしなくても大丈夫。わたしはちゃんと生きていけ──」


 口を、塞がれた。

 やんわりと、手のひらを当てられただけだったけれど、唇は覆われて。


「それ以上は」


 そうした蛍火は、首を横に振った。

 それ以上は言うな、と。言外に告げていた。

 わたしが口を閉じたので、蛍火はそっと手を離した。彼は、やはり微笑んだまま。わたしに、微笑みを向ける。

 その微笑みに、わたしは蛍火、と呼びかけた。黙っていることは出来なかった。


「今日わたしとあなたは会った。けど、それだけにしよう。わたしたちは関わるべきじゃない」

「なぜ、そんなことを仰るのですか」

「わたしは、蛍火の前に現れるべきじゃない。関わる資格はない。そうでしょう」

「……なぜ」

「わたしは、蛍火に酷いことを頼んだから」


 最後だと思って、頼んだ。

 蛍火がわたしに関わるべきではない、と言うより、わたしが彼に関わるべきではない。勝手だが、以前に勝手をしたからこそだ。


「いいえ、睡蓮様」


 蛍火は首を横に振った。

 懐かしい穏やかな微笑みが、近くなる。


「会えて、嬉しいです」


 気がついたときには、抱き締められていた。

 驚いて、わたしの一切の動きが止まった。蛍火に抱き締められたのは、初めてだった。

 わたしと蛍火は、言わば「仕えられる側」と「仕える側」で、いつも適切な距離があった。

 手の距離が零になろうと、全ての距離がなくなることはなかった。


「二百年経ちました。もちろん、待っていたわけではありません」


 わたしは、死んだからだ。

 また生まれてくるなんて、当人であるわたしも予想していなかった。待っている人などいない。


「今日、もう会えないはずだったあなたに会えました。先ほどあなたを見て、とても信じられない心地でしたが、今あるのは確かに嬉しさですよ」


 抱き締める力が強まって、「もう、会えないはずでした」と耳元で、声が囁くように言った。耳に、囁きを吹き込むように。

 蛍火、とわたしは呼びそうになった。

 その寸前だった。


「私の、たった一人の陛下」


 熱が生じ、焼けたような音がした。ただし、焼けてはいないと思う。焼けていたら怖すぎる。だって、音がしたのはわたしの肌だ。

 見えないが、感覚的に首もとか。

 驚いて、身を離して、音の発生点を見ようとしたのに、ろくに体が離れなかったせいで見えない。首もとだから、見ようとしてもどうせ見えなかったかもしれない。


「蛍火、何したの」











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