71話
急いで着替えたユリアーネは、「それでは」と軽く挨拶だけして、ホールに出る。他にはカッチャとダーシャ。忙しさはそこまでではない。『森』をイメージした、間接照明のみの店内で、お客さんはいつものようにまったりと過ごしている。
(これくらいの混み具合であれば……少し試してみましょうか……)
実際に注文されたら、好みに合わせてコーヒーミルで挽き、粉を計り、お湯を注ぐ。まず自分が先頭に立って実践していく。次に注文が入ったら、了承を得て試してみよう。
「ユリアーネ、あんたにお客さん」
背後から、同じくホール担当のカッチャに声をかけられた。ひとつ年上。学校は違うが、お姉さんのようなポジションの人だ。
「私……ですか?」
呼び止められ、ユリアーネはきょとんとする。お客さん? わざわざ注文を取るだけなのに?
「そうそう。あんたがいいんだって」
じゃ、あとよろしくー、とカッチャはその場から去っていく。少しニヤけながら。
「……?」
違和感を感じながらも、指定された席へユリアーネは向かう。そんな指名制などないのだが。しかし、その席に近づくにつれ、足が重くなる。
その姿が、目に入る。
「あ、こっちっス!」
大きく手を振ってユリアーネを呼ぶ人物。その声は、まったりとした時間と会話を楽しむ店内で、一際目立つほど。明るく天真爛漫な音吐。カフェやレストランで大きな声を出すのはマナー違反。しかし気にしない。
その声を聞き、よくない意味でユリアーネの心臓の鼓動の速度が上がる。
「……なんでこっちに移動してるんですか……」
オレンジジュースのストローを噛みながら、声の主はなんの気兼ねもなく返答する。
「今日はオフなんで。お客さんとしてお店を楽しんでみようかと」
ぬふふー、と声を漏らしながら、引きつった顔のユリアーネを見つめる。
言われていることは至極まともなのだが、背筋に冷たいものを感じたユリアーネは、その場から離れようとする。今日は色々と正常じゃない気がする。一旦落ち着こう。
「あ、ユリアーネさん、コーヒーお願いするっス。できれば目の前で挽いてもらえたら」
と、まだやっていないサービスをその客は注文しだす。そうすれば、ユリアーネが少しの間、ここにいてくれるから。目の前で、自分のためだけに、自分を気にしながら、挽いてくれる。好きな味ではないが、少しくらい困難があったほうが燃える。狂気じみているが、本人は無自覚。
「……あいにく、そういうサービスはやっていませんので。すぐにコーヒーをお持ちします」
微笑みかけ、スタスタとキッチンまで急いで逃げる。
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