49話
夜になると、ベルリンの街は一〇度を下回る。昼間はポカポカと暖かい日が続くが、朝晩はもう冬の足音が聞こえるようだ。少しでも風が吹くと身が縮み、震えて体内から暖を取る。そんなアルバイトの帰り道。自転車を漕ぐアニーと、その荷台にユリアーネは横向きで腰をかける。風を切って走っているため、さらに体感温度は低い。
「警察に見つかったら罰金ですね」
冷静にユリアーネは小声で漏らした。ドイツでも自転車の二人乗りは違反。違反金で五〇ドルほど取られる場合もある。今まで生きてきて法に触れることはしたことない、と言えば嘘になるだろうが、自らこんなにも思いっきり破ったのは初めてかもしれない。コートとマフラーに包まり、過去を回想しながら流れていく景色をうつろに眺める。
「へっへっへ、この時間に警察はほとんどいないっスよ。みんな家で今頃ビールでも飲んでるんでしょう」
鼻の頭を赤くしながら、アニーは突き進む。もしいたら路地裏にでも逃げて撹乱するっス! と、最悪の事態も想定済み。背中から伝わってくる温もりが嬉しい。店からは自転車で二〇分弱。薄く白い息を吐きながら、夜の街を駆け抜ける。
「こうやって、自転車で夜の街を駆け抜けるってしたことないので、新鮮です」
自転車をどこに停めても問題ないドイツ。木にくくりつけたり、チケットを買えば自転車を電車に乗せたりもできるため、生活必需品だ。しかし、ユリアーネは自転車が必要な生活をしたことがない。基本は徒歩。夜の街も危ないので出歩かない。なにもかもが初めて。そしてアニーのような人間も初めて。
「じゃあ、今日は共犯記念日っスね。最初の悪いことは自転車二人乗り。でも証拠はないから迷宮入りです」
「はい。もう少し、ですか? よろしくお願いします」
「まかせてくださいっス!」
さらにアニーはスピードを上げた。風は冷たいが、早く熱いシャワーを浴びたい。そしてベッドで寝転がってなにも考えずダラダラ。こうだ、心を無にする。ミスターポポも言っている。
ヴァルトのあるテンペルホーフ=シェーネベルク区から、アニーのノイケルン区の自宅まで、このまま秘密のランデヴー。無事警察に見つからず、学生寮までたどり着いた。静電気と風とで髪はお互いにボサボサ。アニーの部屋に入るとまず手洗いうがい。そして先にアニーがシャワーを浴び、続いてユリアーネが浴びる。体を清めて、アニーのパジャマを着、髪を乾かし、歯を磨いて、電気を消して二人ベッドに入る。
「狭くて申し訳ないっス」
「いえいえ、こちらは借りている身ですから」
と、お互いに譲り合って半分こ。スレンダーなもの同士。窮屈には感じない。
あとは寝るだけ。目を閉じ、今日一日を振り返る。もうすぐ眠れそう、眠れそう、もう寝る……というところでアニーは口を開いた。
「で、なんでウチにいるんスか?」
率直な疑問だった。
「いや、全然問題ないんですけど……」
と、アニーが驚くのも無理はない。店も閉店を迎える午後二〇時。男達は閉店の作業を行うが、女性陣は帰宅する。着替えてカッチャは普通に帰宅。アニーも自転車で帰宅しようとしたところに、ユリアーネから「アニーさんの部屋に行ってもいいですか?」と尋ねられた。
「当然ス!」と、二人で自転車で帰路につき、今に至るわけだが、理由をまだ聞いていなかった。なくてもいい。親睦を深めるというのだけでもアニーは嬉しい。聞かない方がいいのか悩んだが、せっかくなので聞いてみることに。
「ご迷惑をおかけしてすみません」
「いえいえ! むしろ光栄っス! ありがとうございます!」
と、ユリアーネの謝罪に、〇・三秒の脊髄反射で感謝する。朝起きたら横にこんな可愛い子がいたら、朝からやる気がみなぎる、と打算的な考えがあってのことだ。むしろ、台所や部屋が汚れてないか心配の部分が大きかったくらいだ。
目を瞑ったまま、ユリアーネは言葉を続けた。
「……ユンヨンチャー」
「はい?」
え? 今? 飲みたいんスか? ハマってくれたのは嬉しいけども、今? とアニーも反応に困る。コーヒーは基本飲まないので、ここにはない。諦めてもらうしかない。
しかし、ユリアーネは半分寝かかったまま、うわ言のように呟いた。
「紅茶が、アニーさんで、私がコーヒー。なら、少し、一緒に……ユンヨン、チャー、だけ……です……」
寝た。枕が変わっても寝られるタイプ。
まとめるとこう。ユンヨンチャーみたいに、一緒にいてみれば、化学反応のようになにか面白い、なにかいいことがあるかもしれない。そう考えて行動に移してみた。善は急げ。鉄は熱いうちに打て。その日のうちに。この行動も、きっと正解に繋がっているから、迷いはなかった。
なんとなくだが、アニーにも言いたいことがわかった。初めて来店したときは驚くことばかりだったが、お店のために粉骨砕身しているのは誰もがわかっている。自分と年の変わらない子が、来たばっかりなのに自分以上に難しい立場で奮闘している。
「伝わってるっスよ」
同じシャンプーを使っているはずなのに、ユリアーネのほうがいい香りがする。なぜ? 不思議に思いつつも、暗闇に目が慣れてきた。誰か他に寝顔を見せたことはあるのだろうか。自分が初めてだったら嬉しい。そう、考えながらアニーは眠りについた。
翌朝。
先に起きたのはアニー。時刻は六時。いつもならここから二度寝。なのだが。
「たしかに、たしかに寝顔は天使なんですけど……」
そう喘ぐアニー。ベッドから落ちている。
「なんですけど……寝相、悪すぎっス……」
その天使のような寝顔のユリアーネの蹴りによって。
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