286話
「別に」
刺々しくカッチャは返す。別にこいつに原因があるわけでもないけど。ちょうどいいタイミングにたまたまいるから、悪いと思いつつもちょっとだけストレスをぶつける。あとでこっそりなにか奢ろう。
四秒かけて息を吸い、四秒息を止め、四秒かけて息を吐く。なにかで見た正しい深呼吸の方法。繰り返すとカッチャは平静を取り戻してきた。なにをあんな子供に乱されているんだか。
「おまちどうさま。ごゆっくり」
そう言ってトレンチからコーヒーを提供。ごゆっくり、とは言ったが、またなにか絡まれても面倒。本心ではさっさと帰ってほしい。自分が同じくらいの年齢の時はオレンジジュースとかだった気がする。コーヒーはまだ早い。
軽く感謝を伝えつつ、少女は飲む前にまたさらに雑談に入っていく。
「実はアニエルカから、ここで働かないかって誘われててね。いい店だ。お姉さんも、雰囲気も。名前を聞いてもいい?」
「はぁ? あいつ……!」
意外な名前が出てきてカッチャの脳が一気に沸騰する。あいつの差金か。睨め回すように目の前の少女を確認。だが、なんだか完全に地球外生命体ではないようで安心でもある。輪郭が掴めた。なにかズレた人物、なのだろう。よく考えたらあいつも自分の飲みたいものを当てる達人だった。納得。
相手が複雑な感情を持ち合わせている。その様を見るのは、少女にとって心地いいもので。
「僕はリディア・リュディガー。彼女達の後輩だよ」
ようやくコーヒーをひと口。苦味と酸味のバランス。なるほど、色々な店のを味わったことはあるが、一番好みかもしれない。
はぁ、と魂ごと吐き出したかのようなカッチャは、諦めにも近い決心。
「……カッチャ・トラントフ。てか、後輩ってことはあんた、あいつらより年下?」
あいつら、とはアニーとユリアーネ。この二人でもギリギリだったはず。ということは。一応、何歳から働くことができるかの法律はあるわけで。




