28話
「……この店のことっスか?」
アニーも俯きながら、悔しそうに唇を噛んだ。ある程度、昨日から予感と準備はしていたが、実際、それも自分の口から言うとなると厳しい表情になる。それでも毅然とほんの少しだけ、穏やかな笑みを浮かべる。
一瞬、ユリアーネの肩がピクっと震える。もしかしたら、と考えてはいたが、やはりバレていたらしい。こちらも柔和な笑みを浮かべながらため息をついた。
「気づいてたんですか……嘘はあなたにはつけませんね。感情で匂いは変化するらしいですから。お察し……かはわかりませんが、私はアルバイトではありません。ここの新しいオーナーになります。そしてこの店は、コーヒーに特化したお店として生まれ変わります。だから紅茶は売れません」
そう言いつつも、すっかり冷めた紅茶をすする。せっかく淹れてくれたのに、悪いことをしたな、と心の中で謝罪する。もしかしたら、これも匂いを通して伝わるのだろうか。
「そんな……ひどいっス……」
普段の、といってもユリアーネには昨日今日会っただけではあるが、アニーらしからぬ落胆ぶりを見せつける。彼女は常に明るく振る舞う。それがサービスのひとつだから。でも今はできそうにない。
心苦しくも、眉を顰めてユリアーネは言葉を続ける。
「残念ながら、ベルリンに限った話ではありませんが、家賃や人件費の高騰など、飲食店はかなり切り詰めていかないと、すぐに赤字に転換してしまうのが昨今です。紅茶は売り上げに対して仕入れのコストがかなり高いですね。そうとうこだわり抜いて、いい茶葉を使用していると」
コストがかかっているのは、実はアニー用の紅茶代も入っているからなのだが、この場ではとりあえず置いておく。
もちろん、それに関しての心当たりはアニーにはある。先のセーデルブレンドも、スウェーデンの王室御用達だ。安いわけがない。
「……そうっス……やっぱり、妥協はしたくないっス……いい茶葉をふんだんに使ってこその紅茶なんです」
「それに」
と、さらにユリアーネは厳しい台所事情を突きつける。
「紅茶には軟水が合うらしいですね。そのために最高級の浄水器をつけているそうで。月額にして三五〇ユーロ。細かいですがここもカットできます。コーヒーは硬水ですからね」
ドイツは、数少ない水道水が直接飲める国だ。世界でも一五ヵ国ほどしかないだろう。そのなかでも、ドイツは水道水の品質に関する決まりがあり、ミネラルウォーター以上に厳しいと言われる基準で、日本と並び世界最高峰だ。そしてその水質はかなりの硬水。
紅茶には、ペットボトルの水を使うのは好ましくないと言われており、その理由は『空気を含んでいる水のほうが、美味しく淹れることができる』から。であるからこそ、硬水の水道水を軟水に変えて淹れる。そこにもヴァルトは妥協せず、最高級のものを使っている。
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