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215話

 二人の住むドイツもそうであるが、基本的にはヨーロッパでは余裕を持って人員を確保することがなによりも優先される。誰しも体調を崩すことはある、という考え方が浸透しているので、そこを考慮した働き方を求められている。健康面はプライベートなことなので、雇用者も詳しい状態を探ることはできない。


 そのおかげもあり、一旦少しだけ時間に余裕が生まれた。この瞬間をユリアーネは逃さない。


「このあとさらに忙しくなるかもしれませんし、今のうちにアニーさんは休憩をどうぞ……って私が決めていいのかわかりませんが……」


 〈ヴァルト〉にいた時のように処理してしまう。カッチャに見られたら「あんたが行ってきな」と返されそう。というか実際に何度か言われた。あまり休もうとしないから。


 休憩。その言葉にアニーは先ほどとは打って変わって目を輝かせる。


「ありがとうございます、いやー、一杯の紅茶じゃ三〇分が限界っスねぇ。休憩いただきます」


 そのまま力強い足取りでキッチンへのドアを勢いよく通過していく。ここはショコラトリー。ということで今日は我がドイツのロンネフェルトはアイリッシュモルトを飲もう。ほんのりとカカオの香る、好きを詰め込んだ茶葉。


 その発言。ユリアーネの頭が少々痛みを伴う。


「……ということは三〇分前にすでに……」


 あまり〈ヴァルト〉と変わらない。いや、順応しているということ……になるのか? 羨ましいようなそうでもないような。ただ、カッチャのような仕切り役がいてくれないことは少し不安。寂しさも。


 壁側にはソファー席があるが、ひとりで楽しむ場合にはカフェテーブル席が人気がある。〈ヴァルト〉は基本的に全ての席でソファーを採用しているため、ゆったりと寛げるのはいいことだが、代わりに客席数自体が少ない。コンセプトや立地によって変わってくるこの基準。


 逆に〈WXY〉はテーブル席もあって少し混みいった印象はあるが、レストルームや各席までの導線がしっかりとしているため、スマートな印象を受ける。


 それと、ベルリンでもあることには全然あるが、パリではウェイターがお客に味の感想を聞くことが多い。言ってしまえば何気ない雑談、挨拶。ワンディや他のスタッフを見ていて思った。アニーはむしろ自然体。


 そしてもし二店舗目を作るとしたら……そんなことを考えつつユリアーネは業務をこなす。


(……やはり私としては回転数よりもゆったりとした時間を提供したい……しかし、そうなるとベルリンよりもケルンやドレスデンなどのほうが……)


 資金面での悩みもある。とはいえ、まだ一店舗すらまともに経営できているとはいえない状態。かぶりを振って邪念を払う。すると、控えめに目配せをする女性。


 いかんいかん、と業務に集中するよう自分に言い聞かせるユリアーネ。笑顔を作り、心を落ち着けて注文を受ける。


「こんにちは、どうぞ」


 このお客さんに対して、今〈WXY〉は自分が背負っているわけで。適当になどできない。


 メニューを眺めながら女性はぶつぶつと、ギリギリ聞こえる程度の呟きをする。


「……あまりこういったところに来たことがないんだけど、男性にはどういうのが人気なんだ……?」


 甘いものは好き。だが、いわゆる『普通』がわからない。フォンダン・ショコラにオペラ、ガトー・ショコラ。メニューを見ていたらどれも美味しそうで、自分で決められなくなってきた。


 どれでもお好きなものを、と言いかけたユリアーネだが、男性というのが引っかかる。今はいない。ということは。


「人気……ですか……」


 普通は……と言いかけて口ごもる。言われてみれば普通、ってなんだろう、と。まわりに目を配ると、大半は女性客だが、ちらほら男性もいる。そのテーブルにはコーヒーとケーキやパフェにタルト。その中からひとつ選ぶとしたら。私なら。


「……ショコラのケーキ……だと思います……」


 と言っておけば間違いはない。本当のことだし。というか女性でも男性でも人気。ちょっとだけ、自分も食べたい欲が出てきた。


 より深く女性はメニューを読み込む。唸り声を上げつつ。


「……一番人気のメニューで……」


 と諦めた。答えはやっぱり出ない。だったらもう任せる。お願いします。

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