189話
「誰かに呼ばれた気がするっス」
ふと、手にした紅茶のカップをソーサーに置きながら、思い詰めた表情のアニーがまわりを確認した。知り合いは……いない。気のせいではない、たぶん。着ているコートを直して身を引き締めてみる。
「誰か……ですか?」
その勢いに呑まれて対面の席に座るユリアーネも、無意識にコーヒーの入ったカップをソーサーへ。そんなわけはない、と思う。
今、自分達はカフェにいる。冬ということもあり、テラス席はだいぶ減らされこぢんまりとした店。赤い外見が目を引く上に、今はノエル、つまりクリスマスが間近に迫っているため、雨除けの店舗テントにはモミの木や鈴などのガーランドが装飾されている。
確信している。誰かなんているわけがない。だってここはベルリンではない。パリなのだから。
四区。セーヌ川右岸に位置するこの場所で、パリ市役所とバスチーユ広場を結んだ地域の、さらに北側。ロジェ通りと呼ばれるこの場所は、シャンゼリゼ通りのような有名どころとは少し色合いが違う。
元々は『ユダヤ人通り』と名付けられていたのだが、その後ロジェ、つまり『バラの木通り』と名を変えて現在に至る。かつて高利貸しなどの中々に悪徳な商売が栄えていた『エクッフ通り』などとぶつかる一帯。
その賑やかな通りに位置する一軒のカフェ。店内は〈ヴァルト〉と同じく、外の喧騒を忘れるような穏やかな空気感。
バーのようなカウンター、そしてその背後や棚にはよく磨かれたグラスや酒が大量に配置。あまり広くないが、そこに少々窮屈に木製のテーブルとイスが置かれて、かなり密度の高さを感じる。現在は混み合うほどではないのが幸い。
壁の黒板に書かれた『本日のおススメ』を目で追いながら、アニーは険しく鼻を効かせる。
「声の主はヒゲ……はもうないか、それとボクの紅茶にいつも文句言う人と仕切り役の人と同い年の——」
「完全に〈ヴァルト〉の面々じゃないですか。心配しなくても、ウルスラさんも入ってくれましたし、なんとかなりますよ」
もう一度落ち着きを取り戻したユリアーネ。異国の地で味わうコーヒーはまた美味。
本来、この地に来るのは彼女達の学年ではユリアーネだけだった。GPAという成績の平均値。その最上位にしか留学の許可は得られない。のだが、なんやかんやでアニーもついてきてしまった。
というのも、正式な留学ではないことと、学院の頂点にいる生徒の一存により追加で二名決定した。そのうちの一名がアニー。もう一名はリディア・リュディガー。二人はこのリディアという人物についてよく知らない。




