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異世界料理道 --外伝集--  作者: EDA
前伝 黎明の森

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03 幼き決意

「俺たちは、この先どうなるのであろうか?」


 そんな疑問を呈したのは、ルウの眷族たるシュティファの家長であった。

 またルウの家長たる父のもとに、分家や眷族の家長たちが寄り集まったのだ。その中でもっとも荒っぽい気性をしたモーティの家長が、「ふん」と鼻を鳴らした。


「俺たちは、王国の人間に騙されているのではないか? このように広大な森が王国の持ち物であるなど、信じられるものか」


「うむ。しかも、森の恵みを口にすることは許されないなどと抜かしていたからな。そんな無法な話が、あってたまるものか」


 ドグランの家長もそのように答えたが、その声は弱々しい。飢えと渇きで、誰もが弱り果てているのだ。


「森の恵みを口にできなければ、けっきょく飢えて魂を返すことになる。あのギバなる獣は食することを許されるようだが……肉だけでは、滋養が足りないのだからな」


「それにそもそも、あのような獣を狩ることができるのは鋼の刀を持つ族長ぐらいのものであろう。あの獣は木に登れない代わりに、黒猿よりも足が速いのだからな。しかも身を伏せて駆けるため、俺たちの刀では咽喉笛を掻き切ることもままならん」


「うむ……けっきょくこの森も、安住の地ではなかったのか……」


 シュティファの家長がぐったりとうなだれると、ルウの家長たる父が厳しい眼差しを向けた。


「希望を捨てるのは、まだ早い。まずは、族長がジェノスなる地の主と語らってからのことだ」


「本当に、使者などというものがやってくるのであろうか? 俺たちは、このまま放っておかれて……飢えて、魂を返してしまうのではないだろうか?」


「そのような泣き言は、胸の中に秘めておけ。お前は、シュティファの家長であるのだぞ」


 父がそのように言い捨てたとき、西の方角から悲鳴が響きわたった。

 狩人たちは一斉に、鋭い眼光をそちらに向ける。ジバ=ルウもつられて振り返ると、闇の中にいくつもの小さな火が灯されていた。


「お、お前たちは火も灯さずに、何をやっているのだ?」


 震える声で、何者かが問い質してくる。夕刻に語っていた男とは別人であるようだが、いずれ王国の兵士であるのだろう。火の明かりで、おかしなかぶりものや巨大な獣の影が見えていた。


「薪もラナの葉もなければ、火を灯すこともできん。であれば、月明かりで過ごすしかなかろう」


 暗闇の中で、細長い人影が身を起こす。ガゼの族長である。


「我々は約定を守り、森には踏み入っていない。……そちらも、約定を守ってくれたようだな」


「う、うむ。とりあえず、アリアとラマムを準備させたが……そ、そちらはいったい何人いるのだ?」


「正確な数はわからぬが、およそ千名といったところであろう」


 その言葉に、ジバ=ルウはひとり身をすくませた。黒き森を出立した際には二千名もいた同胞が、半分に減じていたのである。半ば予想していたとはいえ、無念の思いを抱かずにはいられなかった。


「千名か……まあ、ひとりにつきひとつずつは行き渡ることであろう。これでも莫大な銅貨を犠牲にしての振る舞いであるのだから、隊長殿のご温情を決して踏みにじるのではないぞ?」


「銅貨か。俺たちには、その価値がわからないのだが……ともあれ、食料を分け与えてくれることには感謝する。族長たる俺から、感謝の言葉を捧げさせていただこう」


 族長は、その場に膝を折ったようだった。


「わ、わかった。もうよい。あとは、明朝の使者を待て。決してその場から動かず、森にも村落にも近づくのではないぞ?」


 王国の兵士の一団は何か大きな荷物を地面におろして、早々に立ち去っていく。

 そして族長が、同胞たちに呼びかけた。


「まったく見慣れぬ果実であるが、毒などはなさそうだ。まずは二種の果実をひとつずつ配るので、全員に行き渡るまでは口にせぬように」


 黒い人影の手から手へと、丸い果実が回されていく。

 その片方は緑色の乾いた皮に包まれており、もう片方はうっすらと黄色く瑞々しい皮に包まれていた。


「全員に、行き渡ったか? ……まだいくつか余りがあるため、親筋の家長はこちらに参ずるがいい。不公平のないように、配分する」


 父は無言のまま身を起こし、族長のほうに近づいていった。

 その背中を見守りながら、モーティの家長は「ふふん」と鼻を鳴らす。


「これほどの苦境にあっても、族長の様子に変わりはない。よもや、俺たちに隠れて飢えを満たしていたのではあるまいな?」


「まさか。族長がそのようにぶざまな真似をするものか。現にああして、族長も痩せ細っているではないか」


「族長は、もともと痩せ細っていたからな。あの細腕で黒猿の首を易々と断ち切ってしまうのだから、呆れたものだ」


 憎まれ口を叩くモーティの家長の声にも、隠しようのない敬服の思いがにじんでいる。族長はそれだけの大人物であり、そうであるからこそ、ここまで同胞を導くことがかなったのだろうと思われた。


「よし。それでは、食するがいい。決して慌てず、よく噛んで食するのだぞ」


 族長の許しとともに、多くの人間が果実に歯を立てた。

 とたんに、モーティの家長が顔をしかめる。


「なんだ、これは? やたらと辛いし、鼻まで痛くなってきたぞ!」


「うむ? こちらは甘かったが……ああ、そちらは別の果実か。目にしみるような香りがこちらにまで届いてきたぞ」


 シュティファの家長はそんな風に言ってから、目を細めた。


「しかし、生き返るような心地だ。こんなに水気のある果実をかじったのは、いつ以来であろうかな」


「ふん。まあ、どんなに辛くとも、文句はつけられんな」


 モーティの家長もしゃくしゃくと音をたてて、果実を貪り食う。

 ジバ=ルウがぼんやりとそのさまを眺めていると、次兄が微笑みかけてきた。


「どうした? ジバも、腹を満たすがいい。今日は朝方に、しなびた木の根をかじっただけなんだからな」


「うん……」と応じながら、ジバ=ルウは淡い黄色の果実をかじる。

 たちまち甘酸っぱい果汁が口の中に広がり、ジバ=ルウの胸を詰まらせた。


「どうした? そちらは、甘いほうの果実だろう?」


「うん……あといちにちいきていれば、おとうともたべることができたのに……」


 甘い果実が好きだった弟であれば、きっと目の色を変えていたことだろう。それを思うと、ジバ=ルウはまた涙をこぼしてしまいそうだった。


「弟の分まで、お前が生きるのだ。今やお前は、血族でもっとも幼い人間であるのだからな」


 と、族長のもとから戻った父が、ジバ=ルウのかたわらにどかりと座り込む。

 そしてその手が、緑色の果実を差し出してきた。


「余りの果実だ。これも、食べるがいい」


「……いらないよ。とうさんがたべて」


「馬鹿を抜かすな。幼子には、滋養が必要であるのだ」


 父は厳しい面持ちで果実を突き出してきたが、ジバ=ルウは頑として受け取らなかった。


「だめだよ。あたしはなんのしごともはたしていないんだから、とうさんがたべて」


「……ジバよ。母の言葉を忘れたか? 森辺の民の行く末を担うのは、お前たち幼子であるのだ。俺たちが生き残ろうとも、すべての幼子を失っては行く末が閉ざされる」


「そんなことないよ。とうさんは、なんさいなの?」


 父は、うろんげに眉をひそめた。


「……この道行きで生誕の日を迎えたため、俺は二十八歳となった。それが、何だというのだ?」


「そう。あたしは、まだごさいだよ。こんぎをあげてこをうむには、あとじゅうねんもかかるの。そのまえにとうさんをうしなったら、うえてたましいをかえすことになる。それじゃあ、いみがないでしょ?」


「いや、しかし――」


「それにとうさんはまだにじゅうはちなんだから、あたらしいはんりょをむかえることもできるでしょ? あたしがじゅうごになるのをまつより、とうさんがこんぎをあげてこをなすほうが、よほどはやいよ。だから、とうさんがたくさんたべてちからをつけるべきだとおもう」


 ジバ=ルウがそのように言いつのると、父は珍しくも困惑の表情となった。


「ジバよ……お前はいつの間に、そんな賢しげな口を叩けるようになったのだ? とうてい五歳の幼子とは思えぬぞ?」


「あたしはなんのしごともはたせないから、ずっとかんがえていたんだよ。もりべのたみがこのくるしみをのりこえて、すこやかなせいをとりもどすには、どうするべきか……あたしたちはたましいをかえしたかぞくのぶんまで、ちからをつくさないといけないんだからね」


 すると、次兄が「あはは」と笑い声をこぼした。


「ジバは、すごいね。ここ最近は、ずいぶん静かだったけど……そんなことを考えていたのか」


「笑っている場合か」と、父がジバ=ルウの頭に手をのばしてきた。

 頭を叩かれるのかと思いきや、その大きな手の平が頭にかぶせられる。そして、汚れた髪を優しく撫でられた。


「五歳の幼子がこうまで頭を悩ませる生など、間違っているのだ。俺たちは何としてでもこの森を手に入れて、正しい生を取り戻さなくてはなるまい」


「……うん。それには、とうさんのちからがひつようだよ。からだがおおきいとうさんは、いっぱいたべないといけないの」


「強情なやつだな。幼子は小さき身体を育てるために、十分な食事が必要であるのだ」


 そう言って、父は兄たちの姿を見回した。


「そしてお前たちは一日も早く、狩人としての力を育まなくてはならん。けっきょく全員に滋養が必要であるのだから、この果実は均等に分けるしかあるまいな」


「うん。俺もそれでいいと思うよ」


 次兄はにこやかな面持ちで答え、長兄は無言のままうなずく。

 そのさまを見届けてから、父はジバ=ルウの頭をぽんと叩いた。


「このような幼子に道を説かれるとは、悔しくもあり誇らしくもあるものだ。お前は立派な家人だぞ、ジバよ」


 ジバ=ルウは、「ううん」と首を横に振る。

 その拍子に、目に溜まっていたものが頬に流れ落ちた。ひさびさに触れた父の温もりが、ジバ=ルウの心を揺さぶったのだ。


(でも、あたしはもうなかない……もう、ないてるひまなんてないんだ)


 ジバ=ルウは甘酸っぱい果実をかじりながら、横合いを振り返る。

 モルガの山と森は、暗闇の中でいっそう黒々とわだかまり――その内にどのような正体を隠しているかも、まったく判然としなかった。

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