王都からの訪問者 2
「まさか、こちらが連絡を入れる前に来るとは……。私の日頃の行いが良いからだな」
丁度その頃、湖水の町フォレスタで最も格式の高い宿にて。
暖炉を囲む、宿のロビーの居心地のよいソファに、三十路手前の男がふたり、ホットワインを片手に並んで座っていた。
片方は、黒いローブに黒いくせ毛、凍てつくような冷たい灰色の瞳をした魔術師で、もうひとりは品のよい三つ揃いのスーツに明るい金の髪、艶やかな緑の瞳が美しい美丈夫である。
彼らはもちろん、恋愛ポンコツ魔術師のセージと、セージの職場、王立魔術研究局の同僚で最も人当たりの良い男、ヒース・ホーソーンだ。
「おいおい。セージの日頃の行いが良いって言うんなら、俺なんか、日頃の行いが神ってことになっちゃうだろう」
セージの台詞にそう笑ったヒースはホットワインをひとくち啜ると、一呼吸黙り込み、それからはっと息を吞んでセージを振り返った。
「って待て! お前が連絡を? 自分から? 俺に? なんだ、明日は吹雪でも吹くのか? 流石に吹雪対策の旅装は持ってきてないんだが⁉」
「おい」
ヒースの言葉に、セージは憮然として目を眇めた。すると三白眼が一層鋭くなって、悪の魔道士とでも言いたいような、悪役顔になる。
しかし、そんな表情には慣れっこのヒースはカラカラと笑うと、ホットワインを再び啜ってにやりと口角を上げて見みせた。
「まあ、冗談はおいといて。でも、お前から連絡するなんて本当に珍しいじゃないか。何かあったのか?」
「力を貸して欲しい」
次の沈黙は、先ほどのそれより随分長かった。
言葉をうまく咀嚼できずに、ヒースは一度しゃっくりのような息を吐くと、ホットワインをテーブルに置いて、恐る恐る呟いた。
「……お前が? 俺に? 力を?」
「うむ」
「……雪じゃなく、槍が降るのか?」
「降らんわ」
愕然とした風情のヒースに、セージが顔をしかめてそう吐き捨てる。しかし、自分が相談をする側だと思い出して、彼はコホンとひとつ咳払いをすると、「実はな……」と語り始めた。
「ははぁん……」
セージの語った、アニスへの賛美混じりの現状を聞いたヒースは、顎を撫でつつ「なるほどなあ」と相槌を打つと、ソファの上でどかりと座り直した。
「そうかそうか。セージがそんなに人間らしくなっていたとは知らなんだ。でもまあ、元彼女さんの気持ちも分からんでもないなー。そんな体質の一族いて堪るかって思うよなー」
「元じゃない、現だ」
即座に打ち消すセージに、ヒースは苦笑する。
「まあ、そういうことなら協力するよ。お前の実家の人々がそれぞれの妻の前で如何に無表情か、でも内面まで無表情ではないんだってことを、彼女さんに語って聞かせればいいんだな?」
「そうだ。よろしく頼みたい」
「任せとけ」
ヒースが拳を突き出すと、セージもゴツンと拳を合わせる。ほっと弛緩した空気が流れ、セージはソファの背にどっしりともたれかかった。
「……そういえば、お前はどうしてここに来たんだ」
「ああ、そうそう」
そこでようやく思い出し、セージはヒースにそれを問うた。ヒースは「忘れてたわ」と軽く肩を竦めると、傍らに置いてあった鞄から、四角い箱を取り出した。
「ひとつは、お前がこれを持っていかなかったからだよ。上から持って行けって押しつけられてね」
「ああ……」
受け取ったセージは、顔をしかめた。
これはセージが開発した、持ち歩き可能な小型転移装置である。大きさは身体の幅ほどで、厚みはセージの手首二本分くらい、仕事机の上に置かれている書類受け程度のサイズ感だ。
箱の中に入る大きさの本くらいまでの大きさ・重さのものを転送することができる魔道具で、これこそがセージの名を王都の魔術師達に知らしめるに至った、大発明なのだった。
何しろそれまで、ものを転送するというのは高位の魔術師にのみ可能な魔術で、しかも、送れるものはせいぜい手紙か小冊子くらいだったのである。
これさえあれば、どこでも仕事ができる! と、嬉しいような悲しいようなキャッチコピーで、魔術研究局では話題沸騰、局長がセージに姪との結婚を打診したのも、この才能を局外に出さない為の処置のひとつだった。
「……敢えて置いていったんだがなあ」
「どこでも働ける発明品なんだ、発明者が持ち歩かなくてどうする! って局長はぼやいてたよ。で、もうひとつの目的は……」
「ご歓談中、しつれいいたします」
ヒースがふたつ目の目的を口にしかけたその時、ひとりの従業員がヒースに声を掛けてきた。
「ホーソーン様でしょうか」
「ああ、そうだけど……」
「お連れ様からご伝言を頂いております」
「おや」
頷いたヒースに、セージが首を傾げる。
「……おつれさま? もしや出張でここに?」
「いいや、でもやむにやまれぬ事情で今回、同行者がいるんだ。……ああごめん。伝言どうぞ」
礼儀正しく立ち尽くす従業員に、ヒースが声を掛ける。従業員は改めて頭を垂れ、そして小さな紙片を差し出した。
「ありがとう。……なになに? 『どうしてもお会いしたくて我慢できないので、先に行きます CK』……先に行きます⁉」
紙片を覗き込んだヒースが慌てて立ち上がる。
「あのお転婆め……!」
「どうした」
その尋常ならざる気配に、セージも顔をしかめてヒースを覗き込んだ。
「……いやあ、実は今回、子守を押しつけられててさ。その相手があれだ、お前に縁談があった局長の姪御さんなんだよ」
「は」
今回の拗れに拗れた原因のひとつ、意に染まぬ縁談の相手の名に、セージの顔がより一層しかめられ、悪鬼の如くになる。
そんな表情のセージの肩をポンと叩いて、ヒースは諦めたように首を振った。
「何でも彼女、『推しを取り戻す』為にひとり旅に出ようとしていてさ。同じ方向に行くなら子守をしてくれって、ちょいとお駄賃もらって頼まれちゃったんだよな……」
「貴族の娘がひとり旅……?」
「なんか流行ってるらしいぞ。……いやまあ、ひとりって言っても本来なら、侍女とか付添人付きで出るもんだろうけどさ。ところがあのお転婆娘ときたら、でっかいトランクもって、本当にひとりで駅にいたんだよ! 局長の判断がまさかの大正解さ……」
「まあ、あんな家の娘がひとりでふらふらしていたら、あっという間に人さらいにあうな……」
信じられないと首を左右に振るヒースに、セージも頷いた。王立魔術研究局の局長ともなれば、それなり以上の家柄だ。それなりどころでないセージの実家に縁談を持ち込める程度には、『良いところのお嬢さん』なのである。
それがいかにも家出娘のような成りで、郊外に向かう駅のホームに立っていたともなれば、それはもう、『わたしはカモです』という看板を背負っているようなものだ。
「駅員が『あちらにお嬢さんいましたよ!』とかってやけに協力的でさあ。あれ絶対、駆け落ちかなんかだと思われたよな……」
遠い目をするヒースの肩を、セージも思わずポンと打った。
「……ところで、コールラビ嬢の『おしをとりもどすたび』とは? 『おし』とは一体なんなんだ?」
「ああ、なんでも、応援する相手のことをそう呼ぶ文化が、若い娘達の間にあるらしい。芝居だとかでいう、『贔屓』みたいなニュアンスで言うんだとか。つまりこの『どうしてもお会いしたい』っていうのがこの、『推し』とかいう相手ということだな。……まったく、どうせ先触れもしないで飛び出したんだろう。困ったお嬢さんだ」
ヒースの答えに、セージはさっと青ざめた。
「……まさか」
今度はこちらがガタンと立ち上がり、呆然と呟く。
そしてそのまま駆け出そうとするものだから、ヒースは慌ててセージを羽交い締めにした。
「あっちょっと、どうしたよセージ⁉」
「アニスのところに行く! お前もついてこい!」
「は?」
「コールラビ嬢の『おし』は、アニスだ!」
ぱちぱちと瞬いて、ヒースはセージを覗き込んだ。心の底から本心で言っているらしきその表情に、「まじか」とヒースの口からも言葉がこぼれる。
「顔合わせの際に、そんな話になった。『推しの魔法陣作家』がいると言い、それがアニスだと分かって話が盛り上がってしまい……!」
「そんなことある⁉」
「それ自体はいい。アニスの魅力を知る者が増えれば、世界はより良くなるだろう! だが今はまずい! まだ話し合いがすんでいないのに、これ以上かき回されてたまるものか……!」
ヒースを振り切り、セージは走り出す。
「おいちょっ、セージ、待てェ! ――くっそ、今回めちゃくちゃ貧乏くじ引きまくってるな俺!」
慌ててコートを羽織り、足元の鞄を抱えると、ヒースも慌てて、セージの背を追って走り出した。




