幕間・のろい
「むー……」
ところ変わって、庵の居間。
明るい光の差し込む大きな窓の前には、ぬいぐるみを抱えて唇を尖らせている、小さな魔女がいた。
初夏の森のような澄んだ緑色の瞳が見つめるのは、庵の前の道をてくてくと遠ざかっていくセージたち一行の背中である。
「むー…………?」
彼女が小首を傾げる度に、淡い黄金色をした、くるくる巻いた柔らかな髪が揺れ、抱きしめるくまのぬいぐるみの頭をぱやぱやと撫でていく。
「むー……ん」
「どうしたね。ソレルの若様が気になるかい?」
すでに豆粒ほどの大きさになった背中を見つめていたミシェールの頭をぽんと叩き、声をかけたのは庵の主、大魔女マーロウである。ミシェールはぱっと師匠を見上げ、それからこくりと頷いた。
「きになる。あのおにーしゃんのおかお、なんかへんだった」
「おやおや」
見えたのかい、とマーロウが目を丸くする。
「なんか、おめんみたいなの、みえた」
もう一度頷いたミシェールは、ぷくぷくの腕をぐいぐいと動かして、自分の顔の前でぐるぐると丸を描いた。
「えとね、おめめとおくちしかない、とーめーな、まーるいおめん!」
「ほんとに見えちまうんだねえ」
さすが森の愛し子だ、とマーロウは苦笑をすると、ミシェールが立っていた椅子の隣、居心地の良いくたくた加減の長椅子に腰を下ろした。
それから指先をちょいとふる。
すると、厨房の方からふわふわと、鉄瓶と大きなマグが浮かんできて、それは勝手に傾いてマグに薬湯を注ぐと、居間のテーブルの上に行儀良く、ちょこんと降り立った。
「ほわ……」
マーロウがそうして魔術を使うのはいつものことだ。しかしいつ見ても新鮮な驚きがあるようで、ミシェールは庵の中を飛び交う日用品を見る度に、目を丸くしてその行き来を見守ってしまうのだ。
見守るミシェールの目の前で、マーロウは到着したマグに手を伸ばすと口をつけ、ふう、と大きく息を吐き出した。それからじっと見つめてくるミシェールを見下ろして、にやりと口角をもたげたる。
「よく見えたねえ。あの仮面はね、『ソレル家の呪い』さ」
「……のろい?」
マーロウの口から出た不穏な言葉に、ミシェールはごくりと喉を鳴らす。マーロウはくっくと喉の奥を震わせて笑い、「そう、呪いだ」と呟いて、もう一度マグに口を付けた。
「ソレル家の男はねえ、魔女に呪われているんだよ」
「まじょ」
ぱかん、ミシェールの口が開く。
ミシェール、六歳。
何しろ、これが初めての『呪い』との邂逅である。
「そう。アタシの婆様にね」
「ばあしゃま」
目を限界までまあるく見開いて、言葉を咀嚼すべくしばし固まったミシェールは、次の瞬間大きく叫んだ。
「ばあしゃま⁉」
あっはっは、とマーロウが笑う。
「ばあしゃま⁉ ししょの、ばあしゃま⁉」
「ああそうだ。アタシの婆様だよ。アタシの母様の母様さね。アタシ達は母子で師弟関係でもあるから、ミシェールの師匠の師匠の師匠、でもある」
「ししょーのししょーのししょー……」
頭がこんがらがるのだろう。ミシェールの首はもはや、地に着きそうなほどに傾げられている。精霊の雛の入ったくまのぬいぐるみ――セオドア二世もミシェールに倣うように首を傾けていて、おかしな形のオブジェがふたつ並んでいるような有様だ。
「まあ、もういない人だ、大師匠とでも呼んでおけばいいさね。……ところでミシェール、『呪い』とは何か、知っているかい」
「ん。ごほんにかいてあった」
顎をチョンと突いて、ミシェールのぱかんと開いた口を閉じさせたマーロウの問いに、ミシェールは重々しく頷いた。
「えっと、たいしょーしゃに、よくないことをしゅる、まじゅちゅが、のろい」
「まあ、ざっくり言うと合ってるね」
呪いは、主に呪術と呼ばれる魔術の一種だ。対象者に種々様々な不都合をもたらすための術で、程度はそれこそピンからキリまで、ちょっと相手の運を悪くするようなものから、最終的に死をもたらすようなものまで、幅広い。
伝統的に魔女、それも生粋の魔女が得意とする傾向にあり、おそらくはマーロウの祖母もその例に漏れない魔女だったのだろう。
「のろい……」
そわそわと、ミシェールは腕の中のくまのぬいぐるみをもみしだきながら、師匠を見上げる。
「ししょ、おにーしゃん、どんなのろい?」
「そのまんまさ。愛する者の前で、表情が出なくなくなる呪いさね」
「しゅきなひとのまえで、うれしくても、かお、かわんなく、なる?」
「ま、そういうことだね」
答えたミシェールの頭をわしわしと撫で、マーロウは頷く。それからもうひとつマグを飛ばし、薄くてぬるい穀物茶をミシェールの元に届けてやった。
ミシェールはぱっと目を輝かせ、マーロウの真似をしてマグを傾けると、「ふいー」と満足げに息を吐き出した。
いつの間にやら精霊入りのくまのぬいぐるみは黒猫の使い魔に咥えられており、ソファの上へと引きずられてジタバタともがいている。
「ししょのししょのししょ、なんでおにーしゃんをのろったの?」
猫のおもちゃにされているぬいぐるみに「がんばって」と声を掛けたミシェールは、師匠に向かって再びこてんと首を折る。
「あの若様自身が呪われたわけじゃない。なにしろアタシの婆様はあの若様が生まれた頃にゃ、とっくにあの世だった。あの若様のずーっと先祖の男が呪われたのが、代々受け継がれているんだろう」
じっと見つめるミシェールに、マーロウは苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「何代か前のソレルの当主が魔女と恋に落ちたんだがね、最終的には男は魔女を裏切って、貴族の娘と結ばれたのさ。……ま、身分差が大きかったからね、時代的にも仕方なかったんだろうが」
貴賤婚などと呼ばれる、階級の違う者同士の婚姻が許されるようになったのは、この二十年ほどのことだ、とマーロウは言った。
「とはいえまだ、年寄りは顔をしかめるし、貴族の上の方の家なんかはやっぱり、ヨシとはしないらしいがね。それでも五十年前と最近とじゃ、事情は全然違う。呪われたソレルの当主の頃は、絶対に許されなかったのさ」
マーロウが若い頃には許される空気はチラリともなく、許されない恋をした男女は手に手を取って、異国へ駆け落ちするのが常だった。
しかし、身分が高い者にはそれも許されない。やむを得ずなのか進んでなのかは分からないが、最終的にソレル家の男は魔女を捨て、魔女は失った恋を嘆いて、男に呪いを掛けたのだ。
「それで、悲しんだ魔女は男に、『愛する者を前にするとき、お前は笑顔を失うだろう。それは末代まで続くだろう』と呪ったんだよ」
「……なんで⁇」
「さあねえ」
首を傾げすぎてソファに転がったミシェールの問いに、マーロウは肩を竦める。
「婆様は、『生粋の魔女』にしちゃああり得ないほど短命で、随分昔に死んじまったからねえ。アタシにゃ婆様が何を考えていたのかは、ちっとも分からないよ。男が幸せになるのが許せなかったのか、男の笑顔を男の嫁に見せたくなかったのか……」
やれやれ、とマーロウはぼやく。
マーロウの母がいるのだから、男と別れたあとの祖母にも誰かしら、相手はいたはずだ。しかし彼女は男の呪いを解くことなく、解呪の方法も墓場まで持っていってしまった。
ソレル家でも、最初はなんとか解呪を試みたようだがいつしか諦めてしまったようで、今では呪いだという事は忘れ去られ、『そういう性質』なのだと思っているようだ。
「ししょ、のろい、とける?」
「難しいね。呪いってのはだいたい解呪条件ってのがあって、それを満たさないと解けないようになってるのさ。それを超えて呪いを解けるのは、その道の専門の魔女くらいだ。あとはもう、長い年月が経って自然に綻ぶのを待つしかない。鉄の鍵が月日で錆びて壊れるように、呪いも段々壊れて解けるのさ」
「かけたひと、しんじゃっても、のろい、とけない?」
「普通の呪いなら、呪いの術者が死ねば、掛けられた呪いも解けるもんなんだがね、ソレル家のを見るに、解けなかったようだね」
もちろん、術者が死してなお解けないように、魔石や魔物を利用して、長い呪いを掛けることは不可能ではない。しかしそれは簡単なことではなく、マーロウの祖母はそんな技能はもっていなかった。
しかし呪いは、未だ生きている。
魔女の念が強すぎたのか。
それとも男の側が呪いを受け入れ、同化してしまったのか。
今となってはどちらも故人、その心がどうだったのかは、もはや誰にも分からない。ただ、魔女の呪いだけが血の中に残り、愛の名残となっている。
「……あいって、むじゅかちい」
しばらくの間うんうん唸っていた、幼いミシェール全力の『渋い顔』に添えられたこの言葉に、マーロウは思わず噴き出して呵々大笑する。
ミシェールは目をぱちくりとさせていたが、師匠につられて笑い始め、お腹を抱えてゲラゲラと、ソファの上を転がりまわった。仕舞いには笑い疲れたらしく、うとうとと微睡み始める。
そんなミシェールを横目に、笑いがようやく落ち着いたマーロウは再びマグに手を伸ばし、薬湯を口にしながら、小さく呟く。
「――しかし、末代までとは言っても、魔女の三代は人間じゃあ八代くらい経っているはず。流石にそろそろ、自然に解けてもいい頃合いなんだが……、何が邪魔しているのかねえ……」




