あいつがやってきた 3
「……この庵は中もまた、すばらしいな」
マーロウの庵、玄関を入ってすぐ右手にある、こぢんまりとした応接室にて。
年季の入った柔らかなソファに身を沈めつつ、盗聴防止やら空調やら、様々の魔法陣の設置された部屋の中をきょろきょろと落ち着きなく見渡すセージの前に、アニスはドンと音を立て、分厚いカフェオレボウルに淹れた、薄い紅茶を差し出した。
「お茶を飲んだら帰って頂戴」
「アニス……」
取り付く島もないアニスの振る舞いに、セージは小さく息を吐く。彼は静かに立ち上がると、扉の前のソファに腰を下ろしたアニスの前に片膝を付いた。そして、顔をしかめるアニスを覗き込み、懇願するようにその手を取る。
「頼むから、話をさせてほしい。いや、ただ聞くだけでも構わない。どうか愚かな男の言い訳を聞いてくれないか」
「……何を聞いたところでわたしの気持ちは変わらないわよ。わたしと貴方はもう終わったの」
「いいや、何も終わっていない、終わらせない」
灰色の瞳が真っ直ぐに、アニスの青い瞳を見つめてくる。アニスは唇を噛み、ふい、と視線を逸らした。
(……こんなときばっかり、そういう顔するの? ずるいなあ)
しかし、ひんやりと冷えた両手で包まれた己の手を振り払えず、アニスは爪が食い込むほどに、掌を強く握り締める。
「アニス、傷になる。美しい魔術を紡ぐ君の手が傷つくのを、私は見たくない」
握り締められた拳をそっと解き、セージは三度、同じ言葉を繰り返した。
「どうか話をさせてほしい」
「……さっきから何度も言ってるでしょ。わたしには、あんたとする話なんて何もないわ」
「繰り返すが、何もかもが誤解なのだ。君は私の縁談を聞いたというが、それはすでに断った話だ」
セージはアニスを見つめながら、彼にしては珍しく、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「確かに縁談はあった。だがそれは、私の上司が先走った結果で、双方望んだものではなかった。顔合わせは行ったが、互いにその日のうちに『この話はなかったことに』という話になっている」
「――見た、って言ったでしょ」
この話はここで終わり。
そう言いたげに言葉を被らせ、セージの話を断ち切ったアニスに、セージが息を吞む。
「……アニス?」
「わたし、そのウワサを聞いた後、あんたに会いに行ったのよ。どうせすぐには連絡が付かないだろうと思って、何度か会った研究局前のあの食堂で、あんたが出てくるのを待ってたの」
俯くアニスに、セージは「悪かった」と呟くが、アニスは力なく首を振り、細い息を吐いた。
その言葉をあの日に聞けていたら、アニスは今、どこにいただろうか。
「……だけど、研究局から出て来たあんたは、綺麗なドレスを着た、いかにも貴族なお嬢さんと、一緒にいたわ」
「だからそれは……」
言葉を重ねようとするセージを、アニスはきっとにらみあげる。その勢いに、セージは口を閉ざした。
「――その時、わたしが見たあんたはね、そのお嬢さんの手を取って、その顔を見つめて、見たことない顔で笑ってたわ」
アニスの脳裏を、あの日見た、セージの姿がよぎっていく。年若い令嬢の手を取り、これほど大切なものはないと言わんばかりの恭しい仕草で微笑んでいた、見たこともないその笑顔。
「すごーく優しそうなさ、幸せそうな顔して……」
アニスはぎり、と奥歯を鳴らし、俯いた。燃えるような赤い髪が、頬を覆い隠すように垂れ下がる。
(……そっか、わたし、悔しかったんだな)
少女に向かって微笑む姿を思い出すと、しばらく忘れていたはずの胸の軋みがよみがえるのだ。
(その顔を見せるのが、なんでわたしにじゃないんだ、って、それなりに長く付き合ったのに、なんで一度も見たこともないんだって、悔しくて……)
じわり。
今更の熱いものが、アニスの胸にこみ上げる。
それはあっという間に胸の内を満たすと、鼻の先をつんとさせた。それはじわじわにじみ出て、真珠のような珠になる。
(……かなしかったんだわ)
五年とちょっと付き合って、それなりに思い出を積み重ねたはずだったのに。どうして自分ではなくて、出会ってそう立たないはずの少女に向かい、そんな笑みを見せるのか。
彼は勘違いだと言うけれど、その表情を向けているところをアニスが見たのは、紛れもない真実なのだ。
(あーあ、師匠の前で少しだけ泣いて、それで忘れたつもりだったのに。こんな風に、思い出させるなんて、ずるいなあ)
アニスは浅く息を吐き、悔しさをバネに険しい顔を作って、セージをひたと睨めつける。
「……知ってる? あんた、わたしの前でそんな顔して笑ったこと、一度だってなかったのよ。五年も付き合ったはずなのにね?」
「アニス……」
セージがはっと息を吞む。
(ああ、次に会ったら、思いっきり詰ってひっぱたいてやる、って思ってたはずだったのにな……)
にやりと口の片端をあげ、精一杯冷静ぶってセージを睨んだアニスの視界は、あっという間に歪んだガラス越しのようにぐにゃりと歪み、程なくしてぼろりと崩れてしまったのだった。
*
――さて、ふたりが応接室で顔を見合わせて硬直していた、丁度その頃。
湖水の町へ続く道の入り口である、鉄道駅のある町に、ひと組の男女がたどり着き、星降る夜を見上げて息を吐いていた。
「はー、やっと着いた……。汽車に半日揺られているのは、なかなか腰にくるな」
「長い道のりでしたわね。ここからさらに馬車で半日かかるとは……今は考えたくありませんわ」
ひとりは、パリッとしたスーツに身を包んだ、明るい金髪と美しい緑の瞳を持つ美青年で、もうひとりは夏の麦穂のような黄金の髪に薄青の瞳の、いかにも貴族令嬢然とした美少女である。
男女の旅は夫婦か血縁であるのが一般的だが、このふたりはどうにも、夫婦か婚約者かと言うにはよそよそしく、姉弟と言うには似ていない。なにやらギスギスバチバチとしているようで、その視線は交わらず、互いにどことなく牽制しあっている。
不思議な二人組は、それぞれの荷物を手に、夜の町を見渡した。
「明日の馬車に備えて、今日はもう休むべきでしょうね。……しかしここも、昼間ならばさぞかし風光明媚なんだろうなあ。うーん、空気が美味しい」
「鉄道駅のある町にしては、ずいぶんと閑散としておりますわね」
「ははは、お嬢さん。日の沈まぬような大都会と比べちゃいけません。田舎じゃ日が沈んだら、もう外には出ないもんですよ」
きょろきょろと物珍しげに周りを見渡す少女に、青年はそう言って肩を竦める。
「まあ、そういうものなのね」
「この時間まで店が開いているのだから、この辺りはまだましな方です。去年だか、遺跡の調査に向かった町では、日が沈めば店も馬車ももう店じまいでしたよ。たぶん、ここから湖水の町の方に進むと、そんな感じになるでしょう」
青年は一度、天に向かって身体を伸ばし、手首や足首を緩めるように回すと、地面に置いていた自分のトランクを抱え上げた。
「……しかし、一体全体どうして、私はコールラビ嬢と一緒にここにいるんでしょうかね?」
「ホーソーン卿もわたくしもこの地への切符を持っていて、それが偶然にも同じ汽車の切符で、さらに最終目的地の町が同じだったから、ですかしらね?」
「はははは。俺としたことが、局長に嵌められましたかね。まさか子守を押しつけられるとは」
「まあ、叔父様ったらさすが、やり手ですわね」
男は「ははは」と空笑いし、少女は「ふふふ」とほくそ笑む。
この男の名前は、ヒース・ホーソーン。
おなじみの、セージの魔術研究局の同僚である。
一方、この年若く美しい少女の名前は、セルフィーユ・コールラビという。魔術研究局長の姪である彼女はつまるところ、セージとの縁談を破談にした、件の令嬢なのだった。
「今時女子の嗜みとはいえ、ひとり旅は不安でしたもの、顔を知っている方が汽車にいらして、わたくしったら幸運でしたわ」
悪びれないセルフィーユに、ヒースは肩を竦めると、やれやれと息を吐く。
「そんな嗜み初めて聞きましたよ……。今頃、ご家族は右往左往なさっておいででしょうねえ。――俺はただ、勝手に辞表を置いていった同僚に、話を聞きに来ただけなのになあ」
「先月の『王都乙女通信』に最先端の乙女の嗜みとして取り上げられていたのですわ。それにしても奇遇ですわね、わたくしも、ここへお邪魔したのは似たようなことが目的でしてよ」
うふ、と可憐に笑うセルフィーユに、ヒースは露骨に顔をしかめる。
「……何をなさるおつもりか、お伺いしても?」
「うふふ」
セルフィーユはにっこりと、貴族令嬢らしい笑みを浮かべると、ことりと小首を傾げた。
「わたくしはね……」
何かを思い出したらしく、セルフィーユは目を細めるとうっとりと頬を染めて、熱い息を吐く。
そして、こう宣った。
「『推し』を、連れ戻しに参りましたのよ!」
つづく
……というわけで今回はここまで!
毎度あれな幕切れですみません。
読んでくださって、ありがとうございました!
続きは11月に参加予定の文学フリマ東京41で発行予定です。
また、こちら書籍化のお話を頂きました! びっくり。
読んで頂いている皆様のおかげです。ありがとうございます……!
詳しいお話は冬頃……になりそうです。
その時はまた、どうぞよろしくお願いいたします。




