あいつがやってきた 2
だがしかし。
「アニス!」
「先回りされてる!!」
師の庵にたどり着いたアニスは、玄関前に立っている男の姿を目に留めて、がっくりと膝を突いた。
呆然として周囲を見渡すと、庵の前庭には、王都でもまだ珍しい馬がなくても走る車、魔導車が停まっているではないか。
(……くっ、さすが貴族!)
アニスの腕から降りたミシェールが、目を見開いてとてとてと、黒光りする車体に近寄っていった。
「っていや、なんで貴方ここにいるのよ⁈」
「ディルに聞いたに決まっているだろう」
座り込んでいるアニスに差し伸べられたセージの手をぺしりと叩き、アニスは自力で立ち上がると、後ろ向きにするすると数歩下がる。
そして、興味津々で車を眺め、その前に立っていた使用人らしき男に飴をもらっているミシェールをぐっと引き寄せると即座に抱き上げた。
「いやだから人違いですってば、ほらご覧下さい、わたしにはこんな歳の可愛い子供もいますしね、王都なんて行ったこともありませんしー?」
「みしぇ、かわい?」
急に抱き上げられて目を丸くしたミシェールは、褒められた言葉に反応して首を傾げる。しかし、セージは「君は大変可愛いが」と至極真面目にミシェールに言葉を返してから、つかつかとアニスに歩み寄ると、その両肩に手を置いた。
「私が君を見間違えるわけがないだろう。そのサファイアのような美しい青の魔力は間違いない。我が最愛のアニス以外には、そんな色を持つ魔女はいないのだから」
「……はあ?」
王都では言われた事のないような言葉が耳を滑る。アニスは思わずぽかんと口を開け、「まさかニセモノ」と目を瞬かせた。
「残念ながら私はセージ・ソレル本人だ。それにそちらの小さい魔女殿とアニスに血の繋がりがないことは魔力を見れば一目瞭然だろう」
「へ?」
「血縁者の魔力には類似のパターンがあるのだ。三親等も離れると即座には見分けがつかなくなるが親と子ほど近ければ見る者が見ればすぐ分かる」
「そ、そういうもの?」
「分からなければ継承問題で揉めるだろう?」
しれっと言われても、意味が分からない。
アニスは呆然として首を傾げたが、どうやらセージにはごく当然のことであるらしい。「どういう原理かというと」と滔々と話し始めたので、アニスは「あ、もういいです大丈夫です」と途中で話を打ち切った。
「そうか? それにしてもなんという幸甚。まさかアニスの師匠というのが大魔女・マーロウ様であったとは……。大魔女様とお会い出来る幸運がこの身に訪れようとは思わなかった……」
「あんた、師匠のことを知ってるの?」
「知らいでか! アニス、君は知らないかもしれないが、正式に大魔女と名乗ることを許されている方は、片手で数えられる程しかおられないのだぞ」
「へえ……」
吼えるようにセージが囁く。彼は夕日だけではない赤に頬を染め、同じく茜に染まる魔女の庵を、恍惚とした瞳で見つめた。
「しかもこれほど見事な庵は最早伝説、世界の文化遺産として文化財にすべきではないか……? ああ、壁に無造作に彫られた魔法陣のなんとレベルの高いことか……! まずあの玄関先に仕込まれている小さな陣を見てくれ、これほど小さい中にどれだけの魔術が込められていると思う?」
(あ、こいつの悪い病が出てる)
アニスは遠い目になった。
アニスの知る人間の中で最も『魔術馬鹿』と呼ばれるに相応しい男、それがセージ・ソレルである。気になる魔術を見つけると何時間でも分析し、夢中でしゃべり続けてしまう、『魔術オタク』だ。
「この文字は古代に砂漠地方で使われていた魔術文字のうちおそらく風を意味するものだ。そしてこちらは海の民族の使う水を意味する文字だな。それらを組み合わせることで一般的に使われる水と風の文字よりも威力が上がるようになっているようだ。文字の量を最少に絞っていながらにして、これほどの効果を込められるとは……」
そしてここは、魔法陣を得意とする魔女であるマーロウの庵だ。一見普通の、工房を兼ねた田舎風のロッジと見せかけて、あらゆるところにマーロウ仕込みの魔法陣が仕込まれている。
魔力を見る力に優れたセージの目には、あらゆる庵の魔術的仕掛けがつぶさに見えるのだろう。
(……たまに会ってもついつい魔術の話ばっかりになって、そういうとこだぞ、と思ってたけど。魔術に夢中なとこも結構好きだったとか、今更気づくとは)
アニスだって、魔法陣オタクではあるのだ。自分の好きなものについて熱く語られたら、絆されてしまうに決まっているではないか。
「……このおにーしゃん、まじゅつち?」
「……魔術馬鹿のね」
ふたりのやりとりを興味津々で眺めるミシェールを腕から下ろし、うっとりと玄関先を見つめている魔術馬鹿を横目に、どうしたものかとアニスは苦虫を噛みつぶしたような顔でため息を吐いた。
「――お前たち」
このおしゃべり魔術オタクをどうやって追い返そうか。そう考えていたアニスの背後から、矍鑠とした老婆の低い声が届く。
「いつまで家の前に立ってるんだい? 騒がしいったらありゃしない」
「師匠!」
「大魔女殿!」
玄関から現れたのは、庵の主。大魔女・マーロウである。彼女は駆け寄ったミシェールの頭を撫でると、自分の庵の玄関先でやり合っている男女に、呆れの表情を向けた。
ごめんなさい、と肩を竦めたアニスの隣で、セージは己の短杖を胸元に引き寄せて、魔術師の最敬礼を取った。
「……偉大なる魔女マーロウ殿、突然の訪問をお許し頂きたい。私の名はセージ・ソレル。王立魔術研究局に属する一介の魔術の徒で、アニス嬢と交際させて頂いている者です」
「ほう」
セージの名乗りに、マーロウの片眉がぴくりと跳ね上がる。彼女は目の前の青年を頭の天辺から足の先までじっくりと睨めつけると、はあ、とひとつ大きく息を吐き出した。
「お前さん、もしやあのソレル家の三男坊か。確かに当主に似ているな。いやまさか、弟子の昔の男にソレル家の奴が出てくるとは思わなんだよ、アニス?」
「む、昔の男!? 私は今も君の男のつもりだが!? まさかもう次の男が!? どこの誰だ決闘を申し込んでくれる!!」
「ちょっ、何言ってんのよ!?」
何やら重要な話をしているようなのに、気になるのはそこなのか。師の前でとんでもないことを口走り、アニスの肩を揺するセージに、アニスは思わず叫ぶ。
いつまでやるんだい、とマーロウは呆れを隠さない声色でぼやき、弟子と自称「君の男」の頭をぽかりと杖で叩いた。
「あいた」
「む、申し訳ない」
「……ここはド田舎だからね、近所迷惑にはならんだろうが、もうすぐ夜だ。随分冷えてきたし、こんなところで立ち話もなんだ、中に入ればいいだろう。応接室は空けてあるよ」
ミシェールを連れて玄関に移動したマーロウが、軋む扉を押し開ける。言われて周囲をぐるりと見れば、空には既に一番星が輝き始めていた。
アニスは苦虫を噛みつぶした顔で、己の肩からセージの両手を叩き落とす。
「……いいえ師匠、こいつと話すことなんて、何もありません。すぐに追い返します」
「いや。私にはある。アニス、話をさせてくれ。君が聞いた話は何もかもが誤解なのだ」
「何が誤解よ、わたし、見たんだからね」
再び始まったふたりのやりとりに、遂にマーロウは堪忍袋の緒が切れたと、大音声を張り上げた。
「馬鹿たれ! チビの前でいつまでも痴話げんかするな、と言っているんだよ! いいからとっとと中に入りな!!」




