アニスと森のファンタジー 1
文フリ東京40の為に続きを執筆したので連載を再開します!
「……なんか、変な夢、見たような?」
寝台の上でむくりと身体を起こし、アニスはぼんやり、そう呟いた。
起きた瞬間は覚えていたはずの夢の内容というものは、目覚めればあっという間に遠ざかって、どこか彼方に消えてしまう。
「頭が妙に疲れている気がする……」
しかし、忘れてしまう割には「おかしな夢を見た」ということだけは記憶にはっきりと残っていて、それがなんとも言えない疲労感をもたらすのだ。
しかし、忘れてしまったものはもう仕方がない。アニスは薄暗がりでぶんぶんと頭を振ると、決心してキルトの上掛けを追いやり、両手を天に突き上げ伸びをした。
「――さあ、今日は頑張らないとだぞー」
伸ばした腕を身に引き寄せ、頬をぱちんと一度叩いて、アニスは寝台から這い出す。
カーテンの隙間から見える外はまだ藍色で、日の出は少し先のよう。いつもであればもう少し、幸せな微睡みをむさぼっている時間帯ではある。
だが、今日はそんな事をしていれば、あっという間に日が昇って、何もかもが間に合わなくなってしまうだろう。
――そう。今日は『楢の木先生』への、ミシェールを連れたお礼参りなのだ。
*
――さて、ここでおさらいである。
今、朝日より早くに起き出した、赤毛に青い目をした彼女の名前は、アニスという。
普通の魔法陣ではなく、装飾的図案の中に魔術を込める『装飾的魔法陣』を描くことを得意とする『装飾魔女』なる肩書きを持つ、二十六歳の魔女だ。
魔女としてはなかなかに有能で、十六で進出した王都では十年間、なかなか仕事が途切れない多忙な日々を送っていたのだが、多忙が過ぎて人付き合いが疎かになった結果、つい最近、恋人だと思っていた男が他の娘に愛想を振りまいている様を目撃してしまった。
しかし、傷心と憤りの狭間で燃え上がった彼女は、恋人を詰りに行こうとした街中で、過労が祟って倒れてしまう。そしてこの若さで医者から『しばらくは仕事を減らしてのんびり丁寧に暮らしなさい』と叱られる始末となったのである。
丁度、師匠から連絡があったこともあり、田舎の町でなら『のんびり暮らし』ができるのでは……と考えたアニスは、仕事を休んで故郷の町へと帰ってきたのだが――。
師匠の庵にいつの間にやら増えていた、見た目は三歳中身は六歳の妹弟子と、実はポッキリと足を折って寝込んでいた師匠に振り回されることとなり、どうやらアニスの『のんびり暮らし』の実現への道は、なかなか険しそうなのだった。
*
閑話休題。
目が醒める、どころか背筋が凍りそうな冷たい水で顔を洗い、師匠印のクリームで肌を調えた後、すぴすぴと眠り続けるミシェールを横目にそーっとそーっと着替えると、アニスは足音を立てないように慎重になりつつ、師匠の庵を駆け回った。
庵と呼ばれてはいるが、複数の弟子を抱えていたこともある師の家は、近所の農家のそれよりも一回りは大きい。
魔法陣の専門家であるという職業柄もあり、資材庫や書庫、納戸や倉庫が連なっていて、目的のものを見つけ出すのは簡単なことではないのである。
――その結果。
(まずは、ミシェールの晴れ着ね! 納戸にあるはずだけど……、見当たらないな。もしや師匠のクローゼットかしら。そうだ、師匠とわたしの服は、魔女の正装でいいのよね?)
と、まず、ごそごそと納戸を漁り。
(そういえば、冬の禊ぎ用の魔法陣は必ずストックがあるはずだけど、資材庫かしら……?)
と、今度は師匠の資材置き場を探し回り。
(おっと、あっという間にこんな時間! そろそろミシェールが起きちゃう、朝ご飯を用意しないと!)
と慌ててキッチンに戻ってきては。
(待って、ミシェールの晴れ着、しわしわじゃないのよ! その上、かぎ裂き傷がある! 急いで|火熨斗《アイロン!! 裁縫箱!)
納戸から運び出したミシェールの晴れ着を改めて見て、悲鳴をあげる。
――そんなバタバタの朝となった。
「……おはよふ、あにしゅ」
「おはよう、ミシェール」
そうこうしているうちにミシェールが起き出して、くしくしと目を擦りながらあくびをひとつ。
「ほら、顔を洗っちゃって。お着替えはご飯の後。ご飯はキッチンでね」
「ふぁい」
顔を水桶で洗わせたあと、目玉焼きとベーコンの乗ったパンと野菜煮込みのスープ、ミルクを出してやって、ミシェールの晴れ着に向き直る。
『のんびり暮らし』が遥か遠くに霞む、なんとも言えない慌ただしさだ。
(うーん、なんともシンプルな晴れ着だわ……)
鉤裂きを繕って火熨斗に炭を入れ、ミシェールの晴れ着のついでに師匠のブラウスにも熱を当てながら、アニスはしげしげと、ミシェールの晴れ着を見た。
シンプルな丸い襟ぐりに、大きめの襟。パフスリーブに、膝丈のスカート。裾に赤い並縫いのステッチが、ぐるりと二本入っている。
(装飾魔女としては、妹弟子の晴れ着が無装飾なのは、ちょっと気になるわね。わたしと師匠の装束はそこそこ目立つし……)
師匠の晴れ着は、魔女の正装であるからして、伝統的な濃色の生地に魔法陣の刺繍、大きな帽子、そして無数のアミュレットのぶら下がった、ある意味では派手なものだ。
勿論、アニスのそれも、師匠のそれよりは現代的なデザインではあるものの、アニス自身による渾身の装飾魔術が施された華やかなものである。
そんな装いの魔女ふたりの間にこの装いのミシェールが立ったなら、それはもう清楚の極みに見えることだろう。
(装飾はほとんど無いけど、生地はまだ新しい。多分この晴れ着が、家を出るミシェールへの精一杯の餞別だったんだろうなあ……)
アニスはしんみりしながら、火熨斗で綺麗にシワが伸ばされた、ミシェールの晴れ着を撫でた。
家計に余裕のない家にとっては、新しい白い布を手に入れるというだけでも大変に贅沢なことだ。古着ではない服というのはそれだけで、ちょっとした財産にすらなるのである。
そもそも、ミシェールの生まれた隣の町やアニスの育ったこの町のあたりでは布は貴重品で、子供服というものは、上の子供から下の子供へと受け継がれるものであり、子供が育った家から他の家へと回されるものだ。
ゆえに、子供たちが日常的に着ている服はつぎあてや補修の多い年季の入った生地が多く、晴れ着であっても先祖代々受け継がれたドレスです、ということが珍しくない。
そして、たとえ新しく晴れ着を仕立てる機会があったとしても、装飾は自分でやる、というのが定番なのである。
(ミシェールのお母さんの魔力が、ステッチにちょっとだけ残っている。一生懸命刺したんだろうなあ)
晴れ着の縫い目はまちまちで、並縫いのステッチも均等ではない。ミシェールの母親は、縫製も刺繍もあまり得意ではなかったのだろう。
でも、せめてもと入れられたこの赤いステッチが、彼女の最大の愛の表現だったのに違いない。
「あ、そうだ」
アニスは自室にとって返し、己が王都から持ち込んだトランクの蓋を開けた。基本的には日用品と数日過ごせるだけの服と靴が詰まっているだけのものだが、幾つか、最後の仕事の後に余った装飾魔術の品も持ってきていたのだ。
「あった!」
アニスがトランクの底から引っ張り出したのは、仕事で使わずに余ってしまった、刺繍リボンだった。
「可愛くなりすぎちゃって、使わなかったのよねえ」
ドレスの仕事の為に制作したものだが、思いがけず可愛らしい出来映えになってしまい、依頼者のご令嬢の年齢にそぐわないと没になったのだ。
黄色い花の連なる上に丸っこい白い蝶が飛んでいるという、可愛らしいデザインは確かに、二十代の手前だという貴婦人には少々子供っぽい雰囲気だったかもしれない。しかし、ミシェールのような幼児にであればぴったりだ。
しかも、黄色い花の連なりには守護の魔法陣をアレンジしたものが、舞う蝶には令嬢の魅力を補助するような効果の魔法陣が仕込まれている。蝶はさておき、花の方はミシェールにも丁度良いだろう。
「あにしゅ?」
「あら、ご飯食べた?」
「たべた」
「歯磨きした?」
「した」
トランクの前に座り込んでいるアニスを不審に思ったのだろう、ミシェールが部屋の入り口から覗き込み、首を傾げている。
「なにしてる?」
「ん、ちょっとね。――ねえミシェール、このリボン、どう思う?」
「かわい!」
ひらり、アニスがリボンを振ると、ミシェールは目をまあるく見開いて、即座に言った。ひらひら揺れるリボンに、遊ぶ仔猫のように飛びかかる。
「わたしがデザインしたリボンなんだけど、ミシェールの晴れ着に縫い付けてもいい? ミシェールのお母さんの刺繍を隠さないようにするから、どう?」
「んー……」
やはり、母親に縫われた晴れ着というのは特別なのだろう。ミシェールは眉間を寄せて難色を示したが、次の言葉を耳にすると、ぱっと頬を赤くしてぴょこんと飛び上がった。
「これね、ぐるっと縫い付けると魔法陣になるんだ」
「まほうじん……⁈」
飛び上がった勢いで舞うリボンを握り締め、ミシェールはぱっくりと口を開く。アニスはその手をそっと解き、「どうかな」と今一度聞いた。
ミシェールはリボンを眺めると、大きく頷く。
「なら、いいよ!」
「気に入らなかったら、すぐに外せるようにしておくからね」
「あい!」
「じゃ、見ててね」
アニスは自室の奥の小さなテーブルの上にミシェールの晴れ着を広げ、リボンを当ててじっと精神を集中させる。とことこと近づいてきて、机の上をじっと覗き込むミシェールの目の前で針と糸を取り、深く息を吸った。
一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出して再び目を開くと、その藍色の瞳はまるで星空だ。
そしてアニスは指先から、針と糸にわずかに魔力を流し、リボンを晴れ着の裾にかがり縫いしていく。
「ほわあ……」
一針ごとに、アニスの青い魔力が糸の上を走り、星屑のようにちらちらと瞬いて、リボンの縁をかがっていく。それを見るミシェールの瞳も、星のようにきらきらと輝いた。
リボンが一周したところで、パチンと火花のように魔力が散って、ぐるりと魔術が巡り始める。
「ふわあ……!」
「縁はこれで良し。……リボン、結構余ったわね」
あっという間に裾にリボンを縫い付け終えたアニスは考え込み、ややしてから余りのリボンを晴れ着のウエスト部分にベルトのように縫い付ける。それでもなお余った分は蝶結びに成形して、ウエストの真ん中に縫い付けた。
最後のひと目を縫い上げたアニスは、針を針山に戻すと晴れ着の表面を指先で慎重に撫でる。そして、満足げに大きく頷いた。
「……これでいいかな。待ち針の残りはなし、しつけ糸も残ってない――よし、出来た!」
「しゅごーい!」
完成! と宙に晴れ着を掲げたアニスに、パチパチとミシェールが手を叩く。そんなミシェールを手招きして姿見の前に立たせると、アニスはミシェールの身に晴れ着を当てて、仕事用の顔を作って見せる。
「こちらをどうぞ、ミシェールお嬢様。気に入っていただけるとよろしいのですが……」
「しゅごい! おしめしゃまみたい!」
「それはよか……こら、ぴょんぴょんしない!」
「おしめしゃま! おしめしゃまみたい!!」
「ほら落ち着いて! お着替えしよう!」
鏡に映った自分の姿に、ミシェールははしゃいで跳びはねる。
満面の笑みを浮かべる妹弟子に晴れ着を着せてやりながら、アニスもにっこり、微笑んだのだった。
文フリ東京40の為に続きを執筆したので連載を再開します!
出した本でお話が完結せず、中巻扱いになってしまったので、また微妙なところで終わりそうです……が、またしばらくお付き合い頂けたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




