意外なる貢献と方針
ぱっと見半年くらいだけれど、赤ちゃんは生後何ヶ月だろうか。私は義姉の息子の事なんて気にかけた事がなかったから、その基本的な情報さえ持っていなかった。
生後数ヶ月という小さな違いは、実際には大きな違いだ。だって小さな子供の成長は目を見張る物があるらしいから。
「この子どれくらいの月齢でしょうか」
「逆算に逆算を重ねりゃ良い……」
私の向けたつもりのない問いかけにたいして、旦那様がいつも通りの、屋敷にいる時の雑な口調になりかけた物の、周りに色々な人が居る事を思い出した様子で、咳払いをしてからよそ様への口調に変わる。
「妊娠が判明した時、お義姉上は妊娠何ヶ月目での事でしたか?」
私はこの口調が聞いていてとても慣れない気がした。あまりにも私の知る旦那様と性格が違う気がして仕方が無い。
しかし言いたい事は同じだろう。私はあの日の事を思い出そうと記憶を探って、こう言った。
「お義姉様の妊娠が判明したのは、妊娠二ヶ月目の事でした。最後に生理が来た時から逆算するので、そうなります」
「そして婚約者の交換となったのはそれから一ヶ月の間。交換して一週間で私達は結婚しました。あれは冬の事でしたね。元々の式の予定を外れた物でしたから、質素でした。それから四ヶ月が経過したと考えれば、この子は今年の二月に生まれた事になりますよ。そして社交シーズンの開始は六月。今日は六月ですので、正しく生後半年と言ったところでしょうね」
やはりぱっと見での予想は当たっていたらしい。ただ気になるのは、あまりにも赤ちゃんが安心しきった顔で寝ている事だ。
母親でも子守でもない大人に抱きかかえられて、安心したような様子でいるのはなんだか違和感を感じる。
赤ちゃんって、守ってくれる人に敏感だというが、知らない相手にはぐずるのではないだろうか。
「この子人見知りしないですね」
「そもそもたらい回しにされていたら?」
「えっ……」
考えつかなかった残酷な事を旦那様がぼそりと言う。私は言葉を失ったけれども、旦那様は私を見る時の雑な視線とは違う、冷静な目つきで赤ちゃんの方をちらりと見て言う。
あり得ない話じゃないのかもしれない。
幼少期はそれなりの環境で、少女時代はなんだかんだ言いつつ雑でもみくちゃでも残酷な環境ではなかった私とは、違う世界でこの子は生きてきたのかもしれない。
「……」
なんとなくよしよし、と言いたくなって、赤ちゃんってすごいな、と思った私だった。
「にしても、あなたは子供を抱きかかえている仕草がとてもしっくりきますね」
「そうでしょうか」
「ええ。赤ちゃんが安心するのも納得の」
褒められているのだろうか、それとも子守のようだとふざけられているのだろうか。
わからないながらも、私達は招待客の人々が集まっている会場に戻ろうとして、子連れでの参加は基本的にマナー違反だという現実を思い出した。
「いいんですか?」
「何が?」
「赤ちゃんを連れて式場に入ってしまって。赤ちゃん連れは好まれないでしょう」
「そうですね。しかし、この赤ちゃんは新婦の実子ですよ」
「それでも……」
「それなら帰りますか」
「え」
旦那様のごくあっさりとした調子に私は目を丸くした。
「赤ちゃんのための設備がないのは明白ですし、新婦が緊張のあまりに気を失ったのですから、主役もいませんし……そもそも妻の生家での祝い事でなければ、私達は参加しないものですし」
「……どうしましょう」
「簡単ですよ。急な事が続いて家が落ち着かないと言う事で、赤ちゃんを預かる事になったため、私達は申し訳ないけれども帰らせていただくという形になれば良いんです」
そんなあっさりでいいんかい。
そう思った部分もあったけれども、結婚式ではなく食事会その他になったのだから、帰ってもそこまでの問題にはならない。
赤ちゃんが目を覚まして泣き出した時のほうが、悪い状況になりかねないのだ。
貴族の結婚式は、通常だと赤ちゃんがいる人は、赤ちゃんを信用できる使用人達に任せての出席だ。
義姉の子供だと言う事もあって、この子はいるわけだけれども、そういえば義姉の逃亡が発覚する前に式場を見た時には、赤ちゃん用の設備が一切無かった事も思い出す。
「ならば、誰かに言付けて帰りましょう」
「ええ、それが良いですよ」
旦那様がそう言って式場の人に
「妻の生家が何やら大変に忙しく、落ち着かない事もあって子供を預かって欲しいと打診されたので、私達は申し訳ありませんが帰宅します」
と言う事をもっと貴族的上品な言葉遣いで伝えて、そうして赤ちゃんを連れて私達は帰宅したのであった。
「旦那様! 犬猫のように子供を拾ってきてはなりません!」
屋敷に戻るとアーノルドさんが突っ込んだ。うん、気持ちはわかる。結婚式に行ったはずの夫婦が、赤ちゃんを抱えて戻ってきたら誰だって突っ込むだろう。
にしても。
「旦那様、だからこの屋敷の一角に、犬や猫の専用の区画があるんですね」
「おかげで王都の野良犬が減少して、狂犬病だの何だのの感染症の被害が減ったと陛下から喜ばれているぜ」
「しつけは」
「腕利きの奴らがいるからな。仕事にあぶれたのに任せたら良い具合に働いたぜ」
「それでですか? たまにお手紙で、犬や猫を譲って欲しいと打診が来るのは」
「おう。うちの犬猫はしつけの行き届いた良い雑種ばっかりだぜ。おかげで世界に一匹だけの犬猫という事で評判も良い」
雑種といういい方はちょっと悪く聞こえるけれども、裏を返せば世界にただ一匹だけの犬猫という訳で、実は特別仕様だ。
そんな事を初めて聞かされた私は、ちょっとあきれつつも、誰にも迷惑をかけないどころか、町の治安にも貢献しているのだから、強く文句を言う事は出来ないなと思ったのだった。
そしてアーノルドさんは、私達の説明を大体聞いた後にこう言った。
「そのまま押しつけられ続ける未来しか見えませんが……」
「この坊主はそのままうちの子でいいだろ。別に跡取りにしようってんじゃねえし。二昔前ならありふれた話だろ、行き場のない親戚のガキを金持ちが引き取って育てるなんて」
「確かに二昔前ならありふれていましたが、事情が事情でしょうに」
「じゃあこいつポイ捨てしろってか?」
「そんな事を言いたいのではありません」
アーノルドさんは結局旦那様に押し負け、急ぎ赤ちゃんの物を倉庫その他から用意する事を使用人達に命じる事になった。
「物持ちが良いんですね」
「良いところには、代々伝わる育児のためのあれこれがあったりするんだよ」
「そうなんですね」
「お前はどうだったんだ?」
「割と解き放たれて育ったせいか……そういう物を見た覚えがなく」
東に居た頃は結構、野原に放り出されてのやんちゃ生活だったし、山賊の根城では育児用品なんて考えつかない生活だったので、育児用品は私にとって遠い存在だ。
そんな事を答えながら、私は赤ちゃんのおしめの交換をする事になったのだった。




