新たな情報と心強さと
「あれ」
私は身を起こしたのだけれども、記憶と違ってそこは客間のソファではなくて、きちんとした寝台の上だった。
誰かが私をここに運んできたのだろうか。でも誰だろう。起こさないで運ぶなんて、ちょっとどうかと思う。
「……ここは」
周りを見回して、調度品その他から、そこが私の自室ではなく、旦那様の私室だという事にも気付いた。
と言う事は、旦那様がここに私を運んできたのだろうか。
何を思っての事だろう。
いくら多少性質が、赤ちゃんがやってきた事で改善したと言っても、根っこが変わるとは思えない。
周りからあれほど粗暴で乱暴でがさつで横暴、と言われている人が、妻をそんなに気遣うとも思えない。
でも事実を見るに、私を運んできて旦那様の私室に寝かせる事が出来るのは旦那様ただ一人だ。
「旦那様が私をここに連れてくるなんて……どういう思いだろう」
身を起こして寝台から立ち上がって、としたその時だ。
「……んあ、お前早起きじゃね? あんな夜中まで起きてて、この時間に起きるのかよ……」
と言う寝ぼけた声が寝台から聞こえてきて、振り返ると、寝台には私以外にも旦那様その人が寝ていたのだ。
「おはようございます」
一瞬動揺したけれども、習慣から朝の挨拶をすると、旦那様は寝返りを打ってこう言った。
「今日は客が来る予定も、社交のあれこれも予定にねえんだから、お前ももっと寝ろ」
そう言うやいなや、旦那様は起き上がった私の腰を抱えてぐいと引き寄せて、寝台の中に引っ込んだのである。
かなり驚いたけれども、旦那様の腕は私が魔数術で増強しなければ勝ち目のない腕力で、完全な寝起きでそれを使用できなかった私はあっけなく、旦那様の腕の中に入れられてしまった。
「お前良い匂いがするなあ」
「変態の台詞が聞こえる」
「うるせえ。奥さんの匂いが良い匂いってのは最高じゃねえか」
「そんなもの……?」
「匂いってのは大事だろ。匂いがひでえと抱く気にならない」
「骨と皮とか言っているのに」
「だからまだやらねえ。でもお前を抱くんだって思って楽しみにしてんだ」
「たまったらそういう職業の人のお世話になっても」
「誰とやってるかわからねえ女じゃ、意味ないだろ。それに金だけの関係だぜ。……お前はそう言うのと少し違うんだ。おれが気に入って大事にしても、誰も何にも言わねえ理想」
旦那様はそのままあっという間に二度寝の世界に入ってしまった。
私は誰かの腕の中で寝る事など、多分実母以外にいなかった訳なので、変な気分になりつつも目を閉じて……二度寝になってしまったのだった。
「夜中の実家はどうだった」
「義姉が盛大にやらかしたという話だった」
「やらかしてんだろ。どっかの商人の手先が金をばらまいてるのに夢中になって、そっちになびいて駆け落ちしたとか」
「それで大本の商人の美醜があれだったからと言う理由で、逃げてきたとかなんとか」
「お花畑は逃げるだろそりゃ。手先は口がうまかったみたいだな」
「……旦那様、何か知ってるの」
「警邏だのにアーノルドが通報した時にな、お前の義理の姉ちゃん探してる豪商の手先と話せたんだとよ。そこで多少聞いた訳だ」
「聞いたって何を」
「豪商はそれなりの貴族のお嬢さんを愛人にしたくて、色々手先に探し回らせてたわけだ。
そこでお前の義理の姉ちゃんが、ころっとなびいてそっちに行ったって話だ。あれこれ贈り物をしたり、豪華な生活を送らせてたみたいだが、豪商は見た目があんまり良い方じゃなかったからな。いざって時に逃げたらしい」
「ないがしろにされないだけ良いような」
「だよなあ。釣った魚に餌をやらないっていう人間じゃなかった事を喜ぶべきなんだが、お前の姉ちゃん、体を許す相手はそれなりの面じゃねえといやっていう人間だったみたいだな。異母妹の婚約者を寝取って妊娠した身の上なのにな」
「それを言われるとなんとも言えない。そもそも婚前行為はよろしくないって言われる位だし、それで妊娠したとか本当に家の恥って言われるのが貴族社会で、それでもなんとか結婚できるってなったのに、その結婚も嫌がって、駆け落ちも嫌がって」
「わがままの具合じゃおれを超えてるぜ」
「基準がいくつか違う気がする」
「そう言うのもあるかもしれないけどな。それにお前の義理の姉ちゃんの散財、家の資産的にやべえって話もちょっと聞いたな。婚約者からも浪費を控えた方が良いと言われまくっていたとかいなかったとか」
「ああ、直らなかったんだ。義姉様の浪費癖」
そもそも私がここに嫁ぐ理由になった最初の理由は、実家の家計が火の車だったからだ。
実家の家計が火の車になったのは、義母と義姉のとんでもない浪費の結果だ。
身分はそこそこ伯爵家。しかし年収はここ何年もに渡る不作や災害のため下がり続けていて、二人の女性の浪費に耐えきれなかったのだ。
二人が何にそんな浪費したんだと思うかもしれないが、最新の美容と最新モードを維持するにはお金がかかる。最新の流行は宝飾品だって新調する事だって多いし、あれが欲しいこれが欲しいと見境なく買い物を続けていれば、その資産状況ではあっという間に立ちゆかなくなる。
美容は際限のない出費になりがちだ。
その上宝飾品は高いのだ。安物をつけると言うのは貴族の見栄っ張りな部分に見合わなくなる。
自分の身分にふさわしい工房などで作るわけで、常に一点物である。一点物はさらに値段が上がるから、庶民がちょっとおしゃれして……という世界とは明らかに世界が違うのだ。
私の結婚の際のものすごいごたごたがあったから、義姉様も義母様も多少は反省して、散財や浪費を控えると思っていた。
でも私の考えとは違って、反省しなかったんだな……自分の都合の良いように進んだから、反省しないなんて事になったんだな……。
……この会話をどこで行っているのか。布団の中である。布団の中で喋る会話がどんな内容が一般的なのか知らないけれども、義理の姉の問題行動は普通じゃない気もする。
とにかく旦那様からの新たな情報も得た事なので、私は頭の中で整理した。
義姉は家を傾けそうなくらいの浪費家だったから、私から奪った婚約者からもその浪費を止めるように言われてきた。
妊娠中も産後も、欲しいものが買えなくてイライラしていたのだろう。そんな時に、貴族のお嬢さんを愛人にしたい豪商の関係者が義姉に近付いて、あれこれ貢いで豪商の資産が莫大だと示した。
姉はそこにころりと魅了されて、結婚式当日にそちらに逃げていったけれども、いざ豪商と対面したら豪商は美醜的にあまりよろしくなかった。
豊かでお金持ちな扱いを受けたけれども、豪商の愛人と言う事で行うだろう男女関係に耐えきれなくなった。
そして豪商のところから逃げ出して、この屋敷の前で騒いだという事なのだろう。
「お前の義理の姉ちゃん、現実の見えない、貴族嫡子の妻になるにはちょいとばかり経済観念のない頭だったみたいだな。貴族の妻は経済観念がちゃんとしてないとあっという間に家が傾くぜ」
「私の実家も、話を聞いてみたら大変そうだった」
「だからこっちに真夜中にやってきて、わめいて叫んで助けろだと言ってるんだろ。そもそもおれは結婚式以降はお前の実家助けないって、書面にも残してあるぜ。だからお前も、助けたくないなら、旦那であるおれの意向だって断っていいぜ」
「赤ちゃん引き取ってて?」
「坊主をどっちの家も面倒見ないって言ったのはあっち側だろ。おれ等は捨て子を拾ったに等しい」
「無茶苦茶な理論だ……」
そんな事を言いつつも、あ、助けるって言わなくて良いんだと思うと心が少し楽になった気がした。
赤ちゃんを見捨てた実家も、赤ちゃんを認めない元婚約者の家も、もう失望したし、関わりになりたくないのだ。
だって絶対にその二人の子供なのに、どちらも恥になるとか自分の子供じゃないとか色々言って、育児拒否をしているから。
私は山賊の生活で、捨て子を何人も見てきた。親がどうにもならなくなって捨てられた子供とか、先立たれたとか、いさかいでやむを得ずとかで。
そう言った子供達が、身を持ち崩して山賊になるとか、強盗になるとか、後ろ暗い身の上になるとかも見てきた。
だから、育てられる子供を、そんな身勝手な理由で捨てる二つの家が大嫌いになったのだ。
そういう思いもあって、旦那様という、私の意思以上に家の方針を決める人の意向だと、二つの家を突っぱねられる理由が出来て、よしと思ったとも言えるのだった。




