83.ニート無双
ニートの奴……タブー中のタブーに触れやがった……。
「ライジング公……この我に向かって痴女とは、ようも言ってくれたのう」
ツヤガラス女公の怒りの声は、地獄の底から響き渡るかのようだ。聞いているだけで背筋が震えてくる。
しかし、なぜかニートは気にする様子がない。これも酒の効果だろうか。
「フハハハッ! つい思ったことを言ってしまったが、妙齢の女性に対して配慮が足りなかったな。まあ許せ」
「まあ許せだと? そのような軽口で我の怒りを静められるとでも思うたか! どうやらお仕置きが必要なようだの」
女公は勢いよく席を立った。
「外様諸侯の分際で、御三家の当主である閣下に対してなんという暴言を!」
「不敗公といえども、許すわけにはいきません!」
左と右も一緒に立ち上がった。彼らも主君を侮辱されて、黙っていられるわけがない。
「アクセル様」
ティコが声をかけてきた。「このままじゃまずいですよ。なんとかしてください。女公を止められるのはアクセル様だけです」
「うーん、仕方ないな」
今の女公には関わりたくないが、そうも言ってられないか。
「ブランディーヌ、君が怒るのはもっともだが、ここは俺の顔に免じてニートを許してやってくれないか」
俺は努めて冷静な声で、女公をなだめた。
「いくらアクセル殿の頼みとはいえ、聞けませぬ。我を侮辱するとどうなるか、その痴れ者に教えてやらねば示しがつきませぬ」
「確かにその通りだ。御三家の当主たる者が侮辱されたままでは、面子を保てない」
俺は女公の言葉を認めた。「だがここは軍議の場だ。ニートに対するお仕置きは、明日まで待ってくれ。頼む」
俺は額がテーブルにつくまで頭を下げた。
これには女公も心を動かされたようだ。
「どうか頭をお上げください、アクセル殿。愛しい人にそのようなことをされては、従うしかありませぬ」
「ではニートに罰を与えるのは、明日にしてもらえるか?」
「はい。アクセル殿のおっしゃる通りにいたします」
よし、うまくいったぞ。
怒りというものは、いつまでも持続するものではない。明日になれば女公の頭も冷えているだろうから、ニートに頭を下げさせて仲直りさせよう。
「ではライジング公、改めてお聞かせください。今回私たちはどのように戦うべきなのでしょうか?」
シャコガイ公がさっきの女公の質問を繰り返した。
「うむ、では教えてやろう」
ニートは腕を組んで背もたれに体を預けた。女公の怒りをまったく気にしていないようで、同じく御三家のシャコガイ公に対しても偉そうな態度だ。
「まず、密集隊形を組むのは論外だ。騎兵の突撃に対してならば密集隊形は有効だが、火の隠術に対しては大きな的になるだけだ。大勢の兵士が一度に焼死し、戦線が崩壊する。
もちろん大盾を並べてもダメだ。鉄の盾は熱を伝えるし、炎の玉は上からも降ってくるからな」
ニートは立て板に水を流すごとく、すらすらと答えた。その明晰な言葉に一同はじっと耳を傾けている。
「だから火の隠術に対しては密集ではなく、散開が有効だ。100人程度の小部隊が間隔をあけて行動し、まとめて攻撃されることを防ぐのだ」
「少数の部隊を散開させるなど、そんな戦術は聞いたことがない!」
さっきイワシと言われたデュスカス公が反論した。「戦場では密集して陣形を組んで戦うのが正解なのだ! そして機を見て兵力を一か所に集中して投入し、敵の陣形を破ることができた側が勝者となるのだ!」
「黙らっしゃい!!」
ニートの怒号が大広間に響き渡る。その迫力には、俺でさえも肝が冷えた。
「戦術に正解など存在しない! 貴様は過去の戦史に答えを求めるだけで、自分の頭で考えようとしていない! そんな人間は指揮官はやめて、一兵卒からやり直せ!」
「ううっ……」
確かにニートの言う通りだ。過去に火の隠術が戦場で使われた例はないのだから、戦史に答えを求めることはできない。
新しい状況に対しては、新しい戦術が必要になる。
そして新しい戦術を考え出せる人間を、天才と呼ぶ。まさにニートのことだ。
「散開戦術では、機動力が重要となる」
ニートはタラサン・ブレンドを一口飲んでから、説明を続けた。「だから歩兵はできるだけ軽装備とする。武器は剣だけ、防具は皮の胸当てだけだ」
「ですがそれでは、重装備の相手に勝てないのではないですか?」
ラッセル公子が質問した。
「散開を選択したからには、密集隊形を組んだ敵とまともに戦うことはない。動きながら距離を保つのだ」
「敵が部隊を分けて対応してくれば、各個撃破されるのでは?」
「そんなことにはならない。散開戦術に対して有機的に対応するには、多くの将校が必要になる。しかし敵の主力は民兵であり、経験豊富な将校が圧倒的に不足しているのだ」
「なるほど、その通りです。ですがメアに味方している諸侯の中には、優秀な将校を多数抱えている家もあります」
「その諸侯たちに指令を出すのは、王家の一等武官のギデオンという男だ。ギデオンは優秀な司令官だが、所詮は官僚であるために諸侯たちには侮られている。だから各諸侯は指令を無視して各々が勝手に戦おうとするだろう。統制の取れない敵から距離を保つのは、難しいことではない」
ニートは敵の事情についても把握している。さすがだ。
ラッセルは納得したようにうなずいている。
「距離を保つといっても、戦わなければ勝てぬぞ」
今度はグレンヴィル公が問いただした。
「諸侯の軍と戦う必要はない。我々が標的とするのはメア女王1人だ。女王を討ち取ればこちらの勝ちだ」
「今回もメアは、自ら戦場に出てくるだろうか?」
「必ず出てくる。メアがいなければ民兵は士気を保てないからな。女王の破門に動揺している諸侯たちを戦わせるためにも、メアが毅然とした姿を見せることが必要だ」
ニートはグラスに残っていたタラサン・ブレンドをグイっと飲み干した。すかさずタラサンが注ぎ足す。
「メアを討ち取るといっても、こちらの兵力が分散していては大きな力は生み出せません。各部隊の距離が離れていれば、連絡を取り合うことも難しいでしょう。それでどうやって、後方で厳重に守られているメアを討つことができますか?」
そう問いかけたのは、ベアードだ。
「メアを討つための戦術は、アクセル殿下だ」
ニートはよくわからない答えを返した。
「戦術は俺? どういう意味だ?」
俺がたずねるとニートはこちらに顔を向け、口調を改めて答えた。
「賢しらな戦術などくつがえしてしまう武勇というものが、この世には存在します。それが殿下です。殿下は精強な100騎の騎兵を率いて、メアを討ち取ってきてください。他の部隊の行動はすべて、そのための陽動です」
なるほど。こんな大胆な戦術が書物に書いてあるわけがない。
凡庸な戦術家であれば、個の武勇を頼みにすることを恥と考えるだろう。やはりニートは天才だ。
「ずいぶん独創的な戦術だが、アクセルが討ち取られたらどうするんだ?」
半ば呆れたようなカーケンの問いかけに、ニートは自信をみなぎらせた顔で、きっぱりと答えた。
「アクセル殿下なら、きっとなんとかしてくれる」
軍議の翌日、俺はニートの部屋を訪れた。
「あ、いらっしゃい殿下」
いつものニートに戻っていた。
「昨日の軍議での君は素晴らしかった。おかげでみんなも勝てる自信を持ったようだ」
「あの……実は昨日のことは、あんまり覚えてないんです。気持ちよくしゃべってた記憶はあるんですが」
「かなり酔っていたようだからな。だがそのおかげで、君が胸に秘めていた考えを聞くことができた。酒は偉大だな」
「いやあ、お恥ずかしい。人前では飲まないように気を付けてたんですが」
「出陣は明日だ。期待しているぞ」
「え? ひょっとして僕も出陣するんですか?」
「君は俺の参謀なんだから、当然だろう。状況の変化に応じて、現場で臨機応変な判断をしてもらわねばならない」
「えーと、そんなことができる自信はないのですが」
どうやら、戦場でも酒を飲ませる必要がありそうだな。
「まあ、それはさておき、昨日の約束を果たさねばならない」
「約束?」
「すまない。一日経てば怒りが収まるかと期待したんだが、そんなことはなかった」
扉がバーンと開かれ、全身から殺意をみなぎらせているツヤガラス女公が入ってきた。
その手に握られているのは、先端が幾重にも分かれた鞭だ。俗に「九尾の猫」と呼ばれるものである。
「ブランディーヌ、ニートはこの後の戦いに必要な人間だから、あまり手荒なことは……」
「ご心配には及びませぬ。ツヤガラス家には、怪我をさせずに苦痛を与える術が伝えられておりますので」
「そうか、じゃあそれで頼む」
俺は震えているニートを残し、急いで部屋を出た。
「ぐえーーーっ!!」
悲鳴が廊下まで聞こえてきた。
まあニートなら、きっと耐えてくれるだろう。




