71.高学歴の娼婦
「私はエルノー・マリーズと申します。宰相に抜擢していただけると聞いて、走って参りました」
マリーズはメアの前に進み出て片ひざをつき、しとやかな声で挨拶をしてから、ゆっくりと顔を上げた。
(もう32歳ということだけど、ずいぶんかわいらしい人ね)
長年娼婦をやっていると、どうしてもスレてくるものだが、彼女は深窓のお嬢様のように上品な印象だ。
それでいて度胸もあるようで、メアの前でもまったく物怖じする様子がない。
「まだ宰相に任命すると決めたわけじゃないわ。まずは話を聞いてみようと思って呼んだの」
「まあ、そうでしたか。なんなりとお聞きください」
マリーズは立ち上がり、自分の胸をぽんと叩いた。どうも緊張感がない。
「あなたは平民出身で、しかも女なのに、王国で最高峰のモンスルール大学を卒業したそうね」
「はい、専攻は哲学でした。奨学生になれば学費が免除されると聞いて、頭がおかしくなるほど勉強いたしました」
「大学に入ろうと思ったのは、官僚になるため?」
「いえ、純粋に学問がしたかったからです」
「哲学ってどんな学問なの? 私にはピンとこないんだけど」
「哲学とは、『わからないことを考える』学問です」
(これ以上ないほど簡潔にまとめてくれたわね。私に難しい話は理解できないと思ってるのかしら)
「どんなことを考えるの?」
「たとえば『人は死んだらどうなるのか』ということを考えていました」
「死後の世界のことね。それは私も興味があるわ。どうなるかわかったの?」
「はい、そんなことを考えるのは時間の無駄だとわかりました」
(大丈夫なの、この人?)
どうにも、つかみどころのない女だ。
「こんな話をしていることこそ、時間の無駄よ」
ローザはいら立った様子で話を進めた。「それであなたは卒業後に官僚になろうとしたけど、女だから門前払いされたのでしたね?」
「女だからかどうかはわかりませんが、採用してはもらえませんでした」
「女だからに決まっています。王家の人間は、女を子どもを産む道具としか思っていませんからね」
「まあ、そうなのですか」
「そうなのですか、じゃないでしょ。あなた、ずいぶん頼りないわね」
「よく言われます」
ローザはメアに顔を向けた。この女はダメだと目で言っている。
「あなた、子どもがいるのよね?」
メアはもう少し話を聞いてみることにした。
「はい、サフィアという娘です。かわいいですよ」
「いくつになるの?」
「9歳になります」
「その子には将来、どんな道を進ませたい?」
「わかりません。生き方はサフィア自身が決めるでしょう」
「そうは言っても、女には自分の進路を自分で決めることなんてできないわ。あなただって娼婦になるしか道がなかったんでしょう? 娘にもそんな道を歩ませるつもり?」
「わかりません」
「わからないと答えれば済むと思ってるの?」
「娼婦をやっていた経験から、『わからない』が便利な言葉だと知りました。そう言えば相手は嬉しそうに話し始めるのです。男はわかっていない女に教えてやるのが大好きな生き物ですから」
「ああ、それはその通りね。どの男もそうでした」
ローザはウンウンとうなずいている。
「あいにく私には教えてくれる男がいないの。だから代わりに、あなたが教えてくれる?」
「もちろんですとも。陛下は何がわからないのですか?」
「どうしたら民衆の支持を取り戻せる? ジェラールたちを残酷な方法で処刑したり、文句を言った民間人を殺したりしたせいで、私は民衆に嫌われてしまったみたいなの」
マリーズはおだやかな笑みをたたえながら、メアの目をじっと見つめてきた。女王の顔をジロジロと見るのは無礼な行為だが、なぜか怒る気にはなれない。
やがて彼女は透き通った声で答えた。
「悪いことをしたのなら、謝りましょう」
「私は悪いことをしたつもりはないわ」
「悪気はなかったとしても、多くの人が不快な気分になったのは事実です。ならば謝るのが得策でしょう」
「メアは女王なのよ。女王が庶民に謝るなんてあり得ないわ」
ローザが反対した。
「そうですか。ではこれ以上、私から申し上げることはございません」
「待って」
マリーズが話を切り上げそうになったので、メアはあわてて引き留めた。「謝れば、民衆が再び私を支持するようになるの?」
「もちろんですとも。謝罪の本来の目的は相手に許してもらうことですが、今回はそれだけで済ませてはなりません。国家元首が行う謝罪は政治ですので、国益につながらなくてはならないのです。
どうか私の言うとおりになさってください。このまま何もしなければ反乱軍に王都を攻められ、住民にも裏切られ、女王陛下も王太后陛下も哀れな死を迎えることでしょう」
「ちょっとあなた! あたしたちに向かってなんて無礼な――」
「待ってお母さま、もうちょっとこの人の話を聞かせて」
メアはローザをなだめ、マリーズを問いただした。「あなたの言うとおりにすれば、反乱軍に勝てるようになる?」
「戦いは専門外なので、勝てるとは断言できません。ですが王都の住民の忠誠と戦意を大きく高めることは可能です。住民たちは自ら兵士に志願し、陛下のために命をかけて戦うようになるでしょう」
「謝るだけで、そんなことができるの?」
「ただ謝っただけでは、住民になめられます。なめられるぐらいなら、謝らない方がいいでしょう。陛下が行うべきは、演説です」
「演説?」
国王が民衆の前で演説をするなど、聞いたことがない。
「隣国のルストン共和国では、演説は政治家に求められる重要な技術の1つです。あの国の政治家は選挙に当選しなければならないので、自分の考えを言葉にして民衆に伝える必要があるのです」
「この国では選挙なんてしなくても、女王は尊い存在のはずなのに」
「今までの王はそのように考え、玉座の上でふんぞり返っているだけでした。陛下もそのやり方を踏襲なさるおつもりですか?」
(…………!)
マリーズの言葉は、メアの心をえぐった。
彼女は尊大な王族が大嫌いだったはずだ。自分があいつらと同じことをしているとは、認めたくない。
「私は……今までの王とは違う。庶民として育った私は、庶民の気持ちに寄り添うことができるはず」
「そうでしょうとも。その思いを、どうかみんなの前で話してください。国王が演説を行うことは、この国では前例がありません。だからこそ、やる価値があるのです」
「でも、何を言えばいいのかわからないわ」
「私が原稿を書かせていただきます。陛下はそれを読み、自分の言葉にして話してください」
「大勢の人の前で、うまく話せる自信がないんだけど」
「うまく話す必要はありません。たどたどしい言葉の方が、かえって聞く者の胸を打つことがあるのです。
陛下は15歳にしては幼く見えます。年若い少女ががんばって話す姿を見れば、誰もが守ってあげたくなるものです。年少であることはハンデにもなりますが、武器にもなるのです」
メアはうなずいた。
「わかったわ。演説をやってみましょう」




