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160. 問いかけ

 巨大なハンマーで全身を殴られたのかと錯覚した。

 多少は心の準備を『していたはず』の俺ですら、なすすべもなく弾き飛ばされる。

 メイリア、フヨウもその場に倒れ動けない。

 当然、アニエスさんを信用しきっているフルーゼも同様だ。


「……アニ……エス、なん……で」


 気絶しなかっただけでも僥倖だった。

 そんな力の奔流の中で、身を起こすことすらできずにいるフルーゼが気丈に問いかける。


「……目的は果たせたから。ペンダントは確認したし、本物だった。これで全部終わり。フルーゼたちにお家に帰ってもらうだけ。ちゃんと報酬だって払うよ。欲しかったら金や宝石くらいなら準備するけど、みんなあんまり興味がなさそうだよね」


「そ……んな、は……なし」


「……苦しいんだから喋らない方がいいよ。大丈夫なように調節しているつもりだけど、やりすぎちゃうかもしれないし。……どうせ何を言ってもこれから起きることは変わらないから」


 少なくとも、現状は全力ではないと。恐ろしい話だ……。


「みんなのことは外まで運んでおく。そうしたら大人しくエンセッタに帰って伝えて。二度と誰も神殿に近づかないように。命の保証はできないよ。水汲みは、フルーゼがいるならなんとかなるでしょう」


「なに……を、言っているの?」


 フルーゼが魔術を行使している。

 言葉を伝えるために、押さえつける泥のような魔力に抗うために。


「もう、慣れたの? だめだな、あんまり長い時間かけると死んじゃうね。『それは嫌』」


 言葉とは裏腹に積み上げられるように重くなる魔力。

 これにはみんな沈黙せざるを得ない。


「フルーゼみたいに上手く言えないけど、しかたがないから教えてあげる。私はね『魔王』なの。みんなの怨恨おもいを一身に背負って世界を救済はかいする王。そういえばこれもあなたに教えてもらった言葉だったっけ」


 驚愕の真実と言って良いだろう。

 今この時も北の大陸を混乱させ続ける元凶。俺の家族が離れ離れになった理由。

 でも、しっくりくる。ありえると思う。それだけの力。


「地下で見たでしょう。あの湖の下には私のダンジョンがあるんだよ。力を使って勝手に作られていくの。下僕になる魔物を育てるお家。上にある神殿が力を抑えているからちょっと時間がかかるけど、フルーゼとゆっくり話をする時間もつくれたからまぁいいかな」


 どうでも良いという言い方。

 さっきからずっと、彼女の言動と感情が一致していないと感じる。


「私は神殿には直接手を出せないけれど、そこにいる人たちは別。これだけの力があったらすぐ誰か死んじゃうってわかるでしょう。ダンジョンはゆっくり作っているから百年くらいはかかるかな。それまでしばらく眠るつもり。……フルーゼの生きているうちは間に合わないね。……だから帰って。時間はたっぷりあるからみんなで逃げてもいいし、私と戦う準備をしてもいい。『でも今はだめ』。神殿に近づくと死んじゃうからね。ダンジョンって出来ている途中が一番狂暴なのよ。知ってた?」


 余裕があれば色々と気になる情報だが、今は違う。

 このままだとフルーゼが死んでしまう。

 彼女はもうアニエスの言葉を聞いていない。

 自身の魂を削ってただ魔力に抗おうとしている。





 ――ここに、選択の時が来たと感じる。





 何もかもが唐突で無茶苦茶。

 だけれど必要な材料がほぼそろった今この時。

 俺にはとれる手立てが二つある。


 一つはアニエスの言う通りにすること。

 身を委ね、全員の安全を優先して撤退する。

 いわゆる『正解』。


 もう一つ。

 全員の命を危険に晒し、アニエスの魔力に抵抗すること。

 自身に砲塔を向けた戦車に身一つで戦いを挑むようなやり方。


 俺の人生にはちょくちょくこういった賭けが発生する。

 自分の性格で考えれば、賭け事なんて期待値を計算するか最初から降りるか、それくらいしか方法がないはずだ。





 ――なのに大切な時に限って、選んできたのは大博打ばっかりだったと思うのだ。





「フルーゼ、答えなくていいから聞いてくれ」


 苦しくはあるが、しっかりした口調を意識して口を開いた。

 同時にマナを介して魔術でも呼びかける。


「……なんで」


 話せるのか? だろうか。

 それはずっと方法を考えてきたからだ。

 魔王様を驚かせることができたのなら無駄じゃなかったな。


「昔、魔術を教える時に、大切なことは全部教えたつもりだったけどさ。一つ伝えきれなかったことがあるんだ」


 今話すようなことではないと、全員が思っている。

 虚をつけた。

 だから魔王アニエスすら俺のことを止められない。


「『魔力は想い。魔術は想いを形にする技』なんだ」


 あー、苦しい。

 吐き気のするような重圧の中で少しでも平静を装うことがここまで辛いとは。

 でも伝えた。

 ……フルーゼになら、これだけでも……。


 状況が変化するのに五秒とかからなかった。

 変わらぬ抑圧の魔力。

 ただ中でフルーゼが両腕をついて上体を起こしたのだ。

 ここだと思った。自分の動かせ得るものは全て使った。

 オドマナ地脈、すべてがフルーゼの想いを形にするために動く。


 魔王であるアニエスが動かす力は怨嗟と憤怒、そして無念。

 これらが汚泥のような密度と不快感を持って俺たちの命に干渉している。

 しかし、根幹が魔術である点について違いはなく、ここにいる全員が魔術師だった。

 だから状況が動いた。


 無念とはすなわち、成そうとして成し得なかった想い。

 これが最も魔術として強い力を形成するのは、『何かを成し遂げよう』とするときだ。

 何かが難しいならば難しいほど、苛烈なまでの強さをもって力を貸してくれる。


 そのことを、フルーゼは一瞬で理解した。

 覚悟を持って命を懸けてこの魔術を行使している。

 加えて、俺がこれまで研鑽してきた魔術の神髄をもってサポートを行っている。

 だからたかが重圧の中で立ち上がるくらいのことはできて当然なのだ。


 心の中でだけ気勢を吐きながら、暗転しそうな視界を必死に確保する。

 まだまだ俺にも仕事が残っている。


「……本当のこと、教えて」


 膝をつき、なんとか立ち上がろうとしたフルーゼの口から漏れた言葉。

 とても優しい口調だった。


「何を言っているの! 全部教えたじゃない! 私は魔王。世界を壊すからさっさと出て行って。フルーゼならわからないわけない!」


 初めて感情的な様子を見せたアニエス。

 聖女と同じ顔で子どもっぽい癇癪に違和感がいっぱいだ。

 カイルと一緒にいる俺はみんなにどう見えていたんだろうなぁ……。


「魔王とか、勇者とかどうでもいいの」


 ……ああそうだよな。言葉にしてくれてありがとう。

 芯から同意できるから、まだまだオドを振り絞れそうだ。


「貴方は、どうしたいの?」


 時が止まる。

 汚泥の様な魔力はそのままだが、俺たちを押さえつけようという意志が弱まった。


「……ずっと言ってるでしょ、帰って! ここに近づかないで!」


 そこまで強い口調ではなかった。

 思わず漏れ出た悲鳴のように聞こえる。


「……どうして?」


「……どうでもいいでしょう……。自分のダンジョンを守って何が悪いの。魔王だもの……」


「何度でも訊くわ……。魔王かどうかじゃない貴方アニエスはどうしたいの?」


「…………」


 沈黙。

 正直に言えば辛い。

 圧力が弱まったとは言え、俺たちはこの状況下で時間が経過するほど衰弱していく。

 でも、全員が辛抱強く待った。

 今、この時が俺たちのやり方でもっとも重要な時間なのだ。


「……帰って」


 命を燃やして作った時間の後に返ってきたのは曖昧な否定。

 しかし、鍵は手に入れた。

 これは俺たちの求めていた答えだ。


「――なら、なんで涙を流しているの。私は――、」


 ささやくような声、けれどこの星の裏側にだって届くのではないかと感じさせられる強い言葉。


「――あなたが泣くような現実を許さない。そんなの絶対受け入れない」


「どうして」


 言うことを聞いてくれないのか。

 どうして大切な命を削るのか。

 どうして魔術が効かないのか。


「友達だから」


 特徴的な真っ赤な瞳からもうひとしずく、宝石のような涙が零れ落ちた。何かが崩れた確信。


「……なんでそんなこと言うの。私頑張ってるのに、みんなに生きて帰って欲しいから。殺そう殺そうっていうこの世界の中で私だけがフルーゼに生きていて欲しいから。必死に考えた。自分を殺すことだけができないから時間をかせいで。なのに!」


 フルーゼはやりとげた、友人の心の扉を開くことに成功した。

 なら、ここからまた俺たちには仕事がある。

 俺たちだって友達なんだから。


「私もアニエスに生きて欲しいよ。ううん、それだけじゃだめ。いっしょに、生きたいよ」


「無理だよ! ずっと考えたけど無理なの! 世界が殺そうとしているの! ずっとずっと強い力で一緒に殺せ、一緒に殺せって。今も私、違う違うってずっと言い聞かせていないとどれが自分の言葉かわからなくなる!」


「大丈夫だよ……、私ちゃんと聞いたから。私が覚えてる。私が必ず連れて帰る」


 口調の優しさと裏腹にフルーゼのオドは弱まるばかりだ。

 一時期ほどの力で押さえつけられてはいないが、今ここで話しているだけでも消耗し続けているはずだ。


「どうして!」


 話が堂々巡りになってきた。

 本当なら納得するまで対話して欲しいが、さすがに時間がない。

 だから介入する。


「俺たちはお前を連れて帰ることが『できる』からだ」


 俺以外の全員が驚いている。

 フルーゼも例外ではない。


「言っただろう『ねがいを叶える力だ』って。ここには『五人』も魔術師がいるんだぞ。一人でできなかったからって諦めるのは早すぎる」


「魔術師なら、わかるでしょう! こんなのどうしようもない。ちっぽけな人間にどうこうできる力じゃない」


 なるほど、一理ある。

 今もなお彼女を頂点に従えられた力は膨大で、大陸を揺るがすのではないかと思うほどだ。


「そんなことはどうでもいいんだ。『一人じゃないから』。魔術を行使する上で必要なのは、みんなが同じ願いを持つこと。俺たち全員覚悟があるんだよ。あとはお前だけなんだ、さっさと腹をくくってくれ」


「……本当に、一緒に生きる方法があるの?」


 じれったい。

 本来は細かく説明するべき所なのかもしれないが、それすら億劫になってしまった。


「ある。お前が、フルーゼと生きたいって思って、それが嘘じゃないならな」


 ようは彼女が信じるか信じないかだけなのだ。


「……生きたい。いっしょに生きて色んなものを見たい。食べたい。普通に生きていきたい!」


 まったく、時間をかけさせられたが、やっとここまで来ることができた。


 それじゃあ、始めようか。

 俺がこれまで培って、真摯に研鑽してきた技術の集大成。

 一人では到底成し得ない。一世一代の大魔術を。

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