俺の独断、堕ちた巨蛇
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遺跡ごと地上に出ることになった俺達は、その降りかかった重圧にようやく解放されて起き上がる。
何も無い荒れ地だった周囲には、原型の無くなった建造物や通路と階段の成れの果てが出土している。これはもう文化遺産には登録出来そうもないな。
薄暗い所に居続けた事で、突然切り替わった明るさに目がくらみそうになる。それでも曇っていたおかげで大分マシだっただろう。
皆は大丈夫か? あの大規模な怪物のエレベーターから落ちてる者はいないか?
「…………あ」
だが、そんな事にかまけている場合ではなかった。
前の視界を阻む柱が俺の行く手にそびえ立っている。それを構成するのは岩でも鉱物でも木でもない。柱は、生き物であった。醜い脂肪の様なおびただしい量の塊が、地中から生えている。
軽く見ても全長百メートルはありそうなシャーデンフロイデの真の姿に、俺は声を失ってしまった。
その頂きには大きな口を開いた歪な怪物の頭があった。
怠惰に肥えた出来損ないの巨蛇。それが奴の正体か。
「ボォォオオオオオオオ!」
聞いたことも無い禍々しい咆哮。悲鳴なのか遠吠えなのかは分からないが、その声は聞く者に背筋を粟立たせる。
小さな六つの黄色い瞳が独自にぐるぐると回っていた。狂っていると、遠目でも分かった。
「……奴は、確か」
「お前、あんな化け物を知ってるのかよ」
傍らで剣を杖にして立ち上がったレイシアが俺と同じ様に、その全貌を見ながら頷く。
「ヘレン殿から貰った図録に記載されていた。暴食蛇、グラトニウス。伝承として語り継がれるドラゴンの1体で、ひとつふたつの山を食んだ光景を昔の人間は見たそうだ」
「山を食う蛇竜。はは、これはまた」
とんでもない相手を敵に回したか、俺はスケールの差に笑いを漏らしてしまった。
予言の一説は、コイツだ。
三こそ堕ちた蛇、呪いを食らわんとのたうつ……か。
押し迫る山と戦おうとする者はいないだろう。そもそも闘いにすらならない。力や技でどうこう出来るスケールではない。
戦った岩竜よりも巨大で、相対したヴァジャハよりも強大な相手。
「よし逃げよう。馬鹿正直に相手をする必要は無い。あんなにデカけりゃあ追い付くのも無理だろう。竜兵と途中で合流するぞ」
地の果てまで追ってくるのなら、何か考えねばならないが一先ず態勢を整える事が先決だ。実際、先程の攻撃が俺の持てる全てだった。それで効果が無いなら俺達は奴から離れる他無い。
「……アッ……アァ……ニガサ…………千食の顎」
奴もそれを許さなかった。肉樹の様な胴体の至るところから枝を伸ばし、無数のあぎとがこっちに降り注ぐ。
肥大した本体に比例して、肉腕達の規模が増す。一本一本が、俺達どころか象をも丸呑みにする大口を持っている。それだけではない。状況は悪化して、肉腕達の大口から何かが吐き出された。
あるあぎとからは、幾多の刀剣や槍の雨。今までシャーデンフロイデが食って来た物だろう。
あるあぎとからは、竜の様な炎の息吹。ドラゴンを食ってその能力を手に入れたのだろう。
「多連崩拳!」
「砦反衝!」
「地殻盤防壁!」
「カァァ!」
俺の闘技やヘレンの反射闘技、ロギアナの土魔法が凶器の雨あられから一同の身を守る。
そしてオブシドとアディら竜人の吐く火炎が、奴からの息吹と相殺する。
だが、防ぎきれなかった肉腕が、一帯へ爆撃を行う。逃げ場が無い。
遠ざかろうとする俺達の地面がめくれ上がる。食らいついた岩盤を噛み砕き、仲間達が翻弄される。
パルダが抱いていた巫女トリシャも空を舞い、離れる。地面に激突しそうになる。羽のあるアディが向かおうとした。俺は一足先に地面に落ちたので墜落地点を予想して走る。
その俺の頭上を、大きなあぎとが通過した。巨躯に似合わず早い。
それはほんの一瞬の出来事だった。
幼い少女の被っていた頭巾が舞う。自由落下の最中、彼女はこっちを見て何かを言い掛けていた。
「…………た--」
「待っ--」
生々しい嚥下の音が耳に残る。宙で、身動きの取れなかった小さな巫女は奴に一呑みにされた。アルマンディーダの伸ばす手も間に合わなかった。
「ああぁ! そんなっ!」
伏したパルダが悲痛に叫んだ。自分の至らなさに、苦渋を浮かべる。
「ち、くしょおおが!」
慌ててトリシャを吐き出させようとするも、俺の身体では届かない。オブシドが羽を広げている合間に、あぎとは引っ込んでいく。シャーデンフロイデの本体の元へと戻っていく。
してやられた。理性が感じられなかったが、それでも目的は忘れていなかったのか。手も足も出ず、まんまと生け贄は食われてしまった。
「申し訳、ありませぬ。私……私のせいでございまする……申し訳ありませぬ!」
「過ぎた事を悔やむな! 敵を見ろ!」
何度も謝るパルダに、オブシドが叱咤を加える。だが責めはしなかった。
「どうなされる、グレン殿。奴に巫女が取り込まれた」
「……どうって。クライト、そりゃあどうにかして」
「どうにか、って何をするんですか」
アレイクが近づいて口を挟む。土にまみれてフラフラしていた。
「あんなの……僕達じゃ無理、ですよ。接近すればどうなるかはさっきのでわかったし、かといって遠くからの魔法をどんなに撃っても吸収されますよ。グレンさんの水の魔力を使った闘技も、あんな大きな敵には効果あるんですか? それがなきゃ反撃が来ますよ」
痛いところを突く。付与、水衝甲は対人戦には効果的だが、どうやらワームといった大きな相手には作用が薄い事が分かって来た。あんな山みたいなのを丸ごと鎮静させるのは不可能とも言っていい。
「そう、だな。アレイク殿の言う通りだと思うグレン殿。このまま此処にいても、全滅するだけだ。奴は巫女殿を食った後は大人しくなった様だが」
冷静なクライトの指摘通り、怪物の全貌を露わにしたシャーデンフロイテは虚空に顔を吊り上げたまま静観を決め込んでいた。目的を達した以上、食休みにでも入っているとでも言うのか。
それを邪魔すれば、再び俺達に火の粉を振り払わんと牙が剥く。それも明白だ。
「それに、あの巫女殿はそこまでして生きようという意思が見受けられなかった。我等に助けなど、最初から求めていなかったではないか。俺は分からなくなってきた。正直あの時貴殿が助けようとした事が、果たして正解だったのか」
「クライトっ! それでは見殺しにした方が良かったみたいな言い方ではないか!」
「しかし兄者っ、全滅するリスクも大きいぞ!」
「兄弟喧嘩なら後でやれ。ていうか、お前等は危険だから下がってて良い」
これ以上の無謀な試みを周りに付き合わせる必要は無い。あくまで、皆は依頼で動いている。此処から先は、依頼とは別だ。
「ロギアナ。巫女……トリシャは内部にいるかどうか分かるか? お前の鑑定眼で見えないか」
「確認は出来ない。でも、奴にそれらしい物が同化していないのは分かる」
「まだ消化はされてない、ってことだな」
なら、まだ終わりではない。しかしその為には、他を終わらせる必要がある。
「依頼は此処で終了だ。皆、後は船で帰ってくれ。報酬は此処にあるから持ってけ。きちんと分けろよ」
「おぬし、どういうつもりじゃ?」
金貨袋を置き、一人で前へと進む俺に、アルマンディーダが問う。パルダも引き止めようと寄って来た。
「無謀ですグレン様。貴方ご自身が危険を冒しても、助けられる望みは薄いのですよ!?」
「助けられない人もいる。これも現実だろう。悔しいが、諦めるべきだ。でないと、こっちが身を滅ぼすだけだ」
騎士レイシアまで俺を諫めようとする。皆、圧倒的な戦力差に士気が落ちているのが目に見えていた。
だから、俺一人でやる。そう決めた。
「助けられないと、誰が決めた? お前か? 喰われた張本人か? 空から高みの見物してる神サマか?」
「屁理屈を並べるな! 喚くだけなら誰だって出来る! 現状を見ろ! あんな巨大な化け物を相手に出来ると思っているのか!?」
「だから、実際にやってやるって言ってんだよっ」
胸倉をつかんで来たレイシアにを睨み返す。気圧され、だが彼女は退かない。
「お前は、いつもそうだな」
「いつも、だ?」
「ヴァジャハと闘った時もそうだった。自分を省みず、命懸けで色んな物を守ろうとする。そこには自分の命については視野外だ。だから、此処で死んでも構わないと思っているのかもしれないが。皆は、少なくとも私はそうは思わない。ルメイド大陸でウチの姫様も、聖騎士長もお前の帰りを待っている。無謀だと分かっていて、そのまま見過ごせる訳、ないだろ」
服を握る手に力が入る。その瞳に、向こうも覚悟の光が宿るのが分かった。
「お前を気絶させてでも、恨まれてでも、私はお前を止めるぞ。そうだ、たとえお前に敵と思われようと--」
「もう、よさぬかレイシア」
物理を防ぐ俺に電撃で無力化させようとする聖騎士を、竜姫が制止の声をかける。
「こやつの好きにさせてはとうじゃ。言っても聞かぬよ。それに、力ずくで止められるとはぬしも本気で思っておらんじゃろ?」
「アディ殿、それは……それではグレンを見放せと言うのか」
「そうは言っておらん」
アルマンディーダは落ち着かせる様に言った。
「こやつを信じてはみぬか? 儂らは仲間であろう? こやつとて、何も考えずにこんなことを言いだしはせんよ。ただ、己一人で動こうとする時は大抵一か八か……じゃろうなぁ」
「…………」
正直、策とも言えないレベルの試みだ。保証もなければ、それだけで終わらせられる自信もない。ただ、巫女を取り返すということだけを一点に捉えた方法を、俺は考えている。
「アイツ、食われる直前に何か言い掛けてた」
離れた場所に落ち、砂を被った巫女の頭巾。あれで、呪いを隠していた。それももう必要が無くなった。
脳裏に残る、ほんの一瞬見せた彼女の情動。己が生きたまま食われるという事に、焦りと畏れが映っていた様な気がした。受け入れるつもりであっても、怖かった筈だろう。
「助けて、って言おうとしてた。俺にはそんな風に見えた」
自分でもそんな見方が正しいかは分からない。俺の言ってる事も少女の境遇を哀れに思った俺の、勝手な憶測だ。
助けられるなら、助けたい。
「実際は助けを求めて無いのかもしれない。俺が今やろうとしている事は、愚かで間違ってて、余計な真似なのかもな」
「それを確かめたいのじゃろ?」
アディの言葉に頷く。俺の中で得られる確証は、俺自身の感情だけだ。
「だから、行って来る。後悔したくない」
「うむ、なら行け。待っておるからの」
それ以上は誰も口を挟まなかった。俺も目先の怪物に意識を集中。
動かないシャーデンフロイデへ走り出す。象と蟻の体格差だ。
しばらく接近しながら左腕の籠手弩を展開。奴をそれで仕留めるにしては心許ない。だが、俺は構わずに引き金を引く。
肉に突き立つ矢は、表面だけでちっとも刺さらない。それどころか、間合いまで近づいたが為に自動反撃が作用する。
矢の刺さった部分から巨大なあぎとが生え、俺に向かって差し向った。当人の意思とは関係なく、俺に牙を剥ける。
それで良い。この大きさなら、入り込める。
大きく開いた口腔の奥は、深淵だった。俺はそこへと自ら赴く。
外界から隔離された奴の体内に、呑み込まれる。音も光も、失せた。




