俺の妨害、人身御供
反逆者、飢喰のシャーデンフロイデ。奴がそう名乗り上げた途端空気が変わった気がした。
ロギアナだけが先行していた臨戦態勢をパーティー全員が遅れてとり始める。
「そう事を構えるなよ。不毛な争いは嫌いなんだ。吾輩の身の上を話したのは、対話の出来る相手と踏まえて理解してもらう為だ。あくまで味方ではないが、かといって衝突する理由もないだろう?」
「アンタの目的が分からないんだが」
「君達に危害を加える様な物でも不利益を被らせる物でもない、と言えば納得いただけるかな?」
立場上敵であっても敵対心はない、と怪しい男からの停戦の申し出に俺は躊躇った。信頼しきれる材料が足りない。
「私どもには良く分かりませんが、この御方は村の呪いを救済してくださる協力者でございます。皆様ご安心を」
「用件が済めば吾輩も早々に立ち去るつもりだ。それまでは目を瞑って貰えないだろうか」
村人とシャーデンフロイデとの間での物事に口出しするのはお門違いか。俺はレイシア達に剣を収める様に言った。ロギアナも杖を降ろしはしたが、雰囲気からしてすぐに魔法を撃てる状態で警戒を怠っていない。
「では救世主様、例の件をお忘れでは無いですよね?」
「そうだな、充分収穫を得られた事だし、約束は果たそう」
「はい。これで一族の重荷から我々は解放されるのですね!」
「ああ、ヴァジャハの代わりに吾輩がなんとかしてやる」
やはりコイツが呪いの解き方を知っていると考えていいだろう。俺の呪いも、解き方を聞き出す--あるいは解いて貰う必要がある。此処は様子を見て、真偽を確かめよう。
という俺の考えは、すぐに甘かったと思い知らされることになる。
村の代表がトリシャを連れ、シャーデンフロイデの元まで歩み寄った。
「では巫女様。貴女様に長き安息がありますよう」
「はい。トリシャはこれでさいごですね」
巫女の言葉に俺は硬直した。最後? 呪いの解放? さっきも案内人は最後の御役目だと言った。良く考えてみよう。もし呪いが普通に解かれるのなら、短命の運命から開放される巫女は自分が死ぬしかないとは言わない筈だ。
つまり、これは、俺の想像していた物とは……
見上げる巫女に、反逆者を名乗る男は優しく語り掛ける。
「準備は良いかい?」
「はい」
「そうだよな。楽になりたいんだったな。だが心配する事は無い。一瞬だ」
「おねがいします」
それじゃあ--と、シャーデンフロイデの全身が小刻みに揺れる。黒いフロックコートの内側で何かが蠢いている。
「頂きます」
シャーデンフロイデの上半身が膨張した。頭部の原型が乱れ、衣服の『中身』が噴き出し、遺跡の天井まで高々と昇り、鎌首をもたげた。異形の一端が姿を現した。
魔物とすら形容出来ない、生物らしい造形が崩れた不出来な怪物。それが、コイツの正体。
溶けかけた芋虫みたいに見えた。生々しいピンク色の、肉の塊が大きなあぎとに変化する。鮫の様な無数の歯が生え並び、裂けた口が小さなトリシャに飛び掛かる。
ずし、という重々しい音を立て、肉のあぎとが地面にまで達した。物の数秒の出来事だった。レイシアや竜人達が反応するより早く、トリシャを丸呑みにする。
あぎとが素早く引っ込み、再びシャーデンフロイデは人型に戻った。
「どうしてかな」
飢喰のシャーデンフロイデは言う。
「君が邪魔をする理由がいまいち分からないんだが」
「そりゃ決まってるだろ」
俺は小柄な少女を掴み、間一髪で奴の捕食から引き離していた。トリシャは困惑した様子で俺を見上げている。
「人が食われるのを黙って見てたら夢見が悪いじゃないの」
「ゴブリンさん……」
よもや一族の罪とやらを晴らす方法が人身御供だったとは。ビレオ村の連中は奴にこんな小さな子供を生け贄に捧げようとしてやがった。
「参ったな、理解に苦しむよ。君には関係無いじゃないか」
「いけません! これは我等の悲願なのです! 何故部外者の貴方が口出しをなさるのですか!?」
色を失う村人。彼等にとっては大事な儀礼を妨害されている様な物だろう。
こっちの世界観では、こういう事が常識である可能性もある。過去の歴史でもそれは証明されていた。切腹が美徳だったり、飢饉や干ばつに対して生け贄が最善策であったり。
だから、俺の方がこの世界での正しさを歪めようとしているのだろう。だとしても、だ。
「部外者? 関係ない? その通りかもしれない」
このまま大人しくこの巫女をシャーデンフロイデが平らげていくのを見物した後、呪いの解き方を聞くのが一番なのかもしれない。今となっては唯一アテにしていた呪いの解呪の方法もこれだけだという懸念もあるが。
「そうでしょうゴブリン様。さぁ、大人しくその娘をお渡しなさい。さっきの行いは不問に致します」
助けられている事に困惑すらしている少女の碧い目を見た。アディが見るに、その瞳に光は無いのだ。
力なく倒れたオーランドの姿が脳裏に浮かぶ。俺があの時動かずにいたらきっと数分後、何もしなかった事に後悔していた。そう思った。放っておけるか。俺は腹を括って口を開いた。
「やなこった。確かにコイツの事を詳しくは知らないし、本当は助ける義理も筋合いも無いんだろう。でも、こんな事をするのを知ってれば、此処まで連れ出す手伝いなんざしなかった。胸糞悪い真似に片棒担がせておいて関係ないから口を出すな、は無いだろ」
「おのれ、やはりゴブリンとは忌々しい生き物だな! 大人しくしていれば帰れた物を!」
態度を一変させた村の男が唾を飛ばす。俺が裏切った形になったとはいえ、こっちが本音だったのだろう。
「さぁ皆様も! このゴブリンは裏切ったのですぞ! たかが一匹であれば巫女様を取り返すことは訳ありません! 騎士様や竜人様もおられるのですから! さぁお早くっ」
村人と俺の間に挟まれた護衛の仲間達。レイシアが動いた。俺の間合いにまでずかずか歩いてくる。そして剣を抜く。
だがそのまま素通りし、向きを変え、俺の横に立ったくっころ騎士は言った。
「断る。奴がヴァジャハの同胞ならば、私はこっちにつく」
「僕も断固反対ですね。生け贄なんて非科学的です! グレンさんの判断を支持します」
「……当然、私も」
次いでアレイク、ロギアナが俺の方についた。
続々と俺の元に皆がやって来る。
「同じ村の者の幼い命を奪って罪の浄化など、そんなロクでもない風習は未来の英雄の身としては断じて看過出来ぬ!」
「兄者に同感だな。部外者であろうと、間違いは正すべきであって見逃す物ではない」
ヘレンと弟クライトも、こっちの布陣に混ざった。
そして最後に、
「儂としてものう、人間を食わせるのを見るのは気持ちよい物では無いわい。身内にもそういう不祥事があったんでな、ぬしらのやり方に賛同出来ぬわ」
「私は竜姫様に付き従いまする。グレン様、私を仇なす者を蹴散らす刃としてお使いください」
「同じく。黒の一族のオブシド、主の友にも力を御貸し致します」
竜人のアディ、パルダ、オブシドも俺達に並んだ。
「……お、おのれっ、どいつもコイツも……!」
「構わんよ。さっきのゴブリンの対応でこれも想定していた」
敵対の宣誓を聞き、シャーデンフロイデは前に出る。9対2(村人は脅威になり得ないが)。これだけの勢力の差にも余裕を崩さない。
「闘うつもりはない、とは言ったがそれは君達が邪魔をしてこないという前提での話だ。つまり、話し合いは出来ない上で、力ずくという事で良いかな?」
「しかし救世主様、おひとりでこれだけを相手に……しかも向こうには竜人が……」
「ふっ、数の内にも入らないよ」
交渉は決裂した。目標はシャーデンフロイデからこの巫女トリシャを守る事。そして、この遺跡から脱出する事だ。
「アディ、この子を」
「うむ」
巫女を降ろした後、俺は一番戦闘に参加しないであろう竜姫に任せた。
奴が動く。白手袋の両手を前に突き出す。
「万砕の顎」
先ほどのシャーデンフロイデの変化が、腕から発生した。二対の口の裂けた肉の腕手が猛スピードで伸びる。一方は俺、もう一方はアディ達の元へ。狙いはトリシャか。
俺が回避か防御か判断する前に、パルダとオブシド……白と黒の竜人が出た。パルダは人の姿ながらに、袖からジャマダハルを取り出し、オブシドは鱗に覆われた腕でガードする。
が、受け止めようとするも、二人はそのままどんどん力負けして後退していく。人並み外れた脅力が、簡単に捻じ伏せられようとしていた。
「ぐっ……俺が押し負け……!」
「グレン様、姫様、離れ……!」
吹き飛ばされたパルダ達は、背後の壁にまで押し付けられ、肉の咢にかみ砕かれまいと抵抗する。遺跡の壁面に亀裂が走っていく。
「パルダ殿! むぅんっ兜割り!」
ヘレンが剣を大きく振りかぶり、その伸びている肉腕を狙う。俺も片手斧を背中から取り出して刃の部分を展開。切断に向いた闘技が無い分、付与で威力を補強する。素手で出来たんだ、可能な筈。
「付与、紅蓮斧」
俺とヘレンが肉腕を断ち切ろうと試みた。炎に包まれて威力を底上げされた俺のハチェットを叩き込む。
効き目は、薄かった。見た目のプルプルした質感とは裏腹に、凝縮したゴムに包丁を入れる様な手ごたえの悪さ。ヘレンの方も同じ様だ。
さらに言えば結果は悪い方に向かっていた。わずかに入った切れ込みから、突如として血の泡が膨れ上がり、枝分かれするように膨張した肉腕が飛び出してきたのだ。俺に突進してくる。
「--硬御!」
「砦反衝!」
傷口から新たに生えた肉腕の襲来に、俺とヘレンは防御の闘技で身を守った。
「ぬるいよ」
防御に使ったヘレンの剣が折れた。俺の方も小柄な突進とは裏腹に、非常に重い物に撥ねられる衝撃を受け宙を舞う。
「か--はぁっ!?」
現最大レベルの硬御を貫通するダメージに、意識が飛びかける。その下で俺を打ち上げた肉腕が歯牙を開いてまた飛び掛かって来る。
強い。ほんの僅かな戦闘で、俺はコイツの脅威を痛感する。




