俺の叱責、届かぬ怒り
地面に倒れて動かなくなった俺を見下げてか、頭上でヴァジャハは言った。
「無駄死にだねぇ。何て馬鹿なんだコイツ。下等なゴブリンの癖に助けに入ったのかい? 勇敢というか、無謀でしかない」
「グレン……お前まで……」
ヴァジャハはもう俺から意識を外し、周囲の騎士達をぐるりと見渡した。
王はもう体裁すら保てずに、死神の傍らで眠るティエラを涙声で呼び続けていた。
「さて、騎士道とやらを最後まで貫けるか、試して--」
俺はそこで、手足を使って地面から跳ね上がった。足元から目の前にいるヴァジャハに拳を構える。
骸骨の眼窩の奥で赤い光が、俺の睨む視線と交錯する。
「崩拳!」
ヴァジャハの頭部に、手加減無しの闘技が炸裂する。枯れ木の折れる様な音がした。
「ガハッ!?」
めり込んだ俺の拳に吹き飛ばされ、ヴァジャハは宙を舞う。天井や床にゴム毬の様に弾み、無様に転がる。
良かった。上手く行った。死んだふりで先手を打てた。
激しくリズムを刻む心臓の動悸を感じながら、俺は確信を得る。
「なん、で……! 生きてるんだよお前!? 僕の死の呪いを受けた筈じゃないのか!」
殴られた顔を抑えたヴァジャハが、心底驚いた様に怒鳴った。先程までの余裕は消え失せている。
「くそっ、指名絶命! 指名絶命! 指名絶命!」
何度も俺に目掛け、死神が呪いを確実に当てようと指を指す。が、あれほど猛威を振るっていた見えない死の波涛は、涼風の様に俺を通り抜けるだけで終わった。
やはり、ティエラと同じで死の呪いは俺に通じない。原理は正直俺にも分かっていない。ただ、それを防いでいる要因は何となく思い当たる物がある。
奴が忌々しそうに破壊した十字架は、騎士達の持つ量産的な物とは違い、高い信仰心を持つ者のみが所持する事を許されたハウゼンの特別製だ。
恐らく、そのレベルの十字架だと、高い神格を得るか何かで死の呪いを弾く事が出来たのだ。俺の持っている十字架の様に。
ヴァジャハがティエラに対して脅威を覚えていたのはそういう事だ。得意な呪いの力をことごとく弾く十字架を持っていたが故に、それを無力化したくてあの交渉を受けたのだ。
つまり、この十字架が奴の力の弱点。これで、俺は奴から即死の力を受けずに済んでいる。
「お前も持っているんだな、アレを!?」
しかも本人からもその可能性を確信させる発言を頂いた。じゃあ、此処からはヴァジャハにとって作業ではなく戦闘になるって事だ。
掴みかかる様に躍りかかったヴァジャハ。素の腕力も驚異的だが、それだけなら問題ない。むしろ接近戦に持ち込めるチャンスだ。
「多連崩拳!」
「ぶっ!? ぐっ!? がっ!」
無数に繰り出した崩拳は、腕を弾き飛ばし、頭部を打ち抜き、胴体に叩き込まれる。
ヴァジャハが吹き飛んだ。王座の壁を突き破り、そのまま奥へと吹き飛んで行った。
国王が、その隙によろよろと亡きティエラの元へと寄って来た。レイシアは、力無く蹲り、まるで嵐に耐えるだけの小鳥の様に沈黙していた。
「おいレイシア。立てよ」
瓦解した壁の向こう側を見ながら、俺は足元にいる彼女に呼び掛ける。
「奴の呪いへの対策が見つかったんだ。俺が囮になるから、魔法で援護しろ。光属性の魔法なら効くかもしれない。アレイクから聞いたが、お前持ってんだろ光属性?」
「…………」
「聞いてんのか? いつまでもぐずってんな、ガキじゃねぇんだぞ」
他の騎士達は戦々恐々としていた。その様子から見るに、死の力に怯えて手を出し兼ねている。いや、それ以前にゴブリンの俺に協力する気がないのだろうか。
なら、俺が頼れるのは彼女だけだ。たとえどんなに打ちひしがれていようと、そっとしてやる訳にはいかない。今闘わなかったら全滅だ。
組んだ腕に頭を隠し、絞り出す様な声でレイシアはようやく答える。
「グレ……ン。無理だ。私はもう、闘えない」
「何甘えた事言ってるんだ。無傷だろうが」
「私には……もう、剣を握るだけの……気力が……」
「でないと死ぬぞ。お前まだやる事あるだろ」
肩を震わせた。失笑していた。
「……やる事? 何がある。守れなかったんだ……。仲間も……守るべき人も……。昔と同じで、私は無力なんだよ……。魔物への復讐にも疲れた。今更もう、何をしたって意味が無い。此処で死んでも、同じさ」
ヴァジャハによって過去の傷痕をほじくり返され、戦意を喪失した彼女は既に諦観していた。
俺の中に、熱した物がこみ上げる。様子を見るあまり、俺もみすみす二人を見殺しにしてしまった。そんな俺が彼女を責める権利は無い。だが、それでも俺はレイシアのこのざまが許せなかった。
「ああそうかい。お前が此処で終わる気でいるなら止めねぇよ」
だがな、と付け加え、俺はレイシアの胸倉を力強く掴み上げた。無理やり立たせる。
彼女の泣き腫らした顔が苦しそうに俺を見る。どうして、自分が責められているのか分かっていない表情だ。
「お前何の為に騎士やってたんだよ? 魔物を倒すだけなら冒険者でも良いって勇者の野郎に言われた時、お前は守りたいから騎士になったって言ってただろうが!?」
弱気に喘ぐレイシアを目と鼻の先で睨みつけ、俺は唾を飛ばした。
「守れなかっただ? まだ全部終わってねぇだろうが!? 姫様やオーランド以外は守る気はねぇってのか? 騎士のお仕事は終わりか!? ああ!?」
「ぐ、グレン……どうして私を怒るんだ……もうやめてくれ。やめてよ。もう無理なんだよ……」
女々しくてか弱い少女になったレイシア。騎士の顔は、そして己すらも騙していた誇りという仮面は既に失せている。
「……もういい。分かったよ馬鹿野郎」
俺が手放すと、地面に落ちた女騎士。その時彼女の首から顔を見せた普通の十字架を引きちぎった。
「だったら何もしなくて良い。めそめそしてでもでもだってと言いながら、お前以外の奴等全員が食われるとこでも大人しく見てろよ。少しでも辛い出来事が起きない様にこの十字架で何もしてくれない神様に祈りながらな」
剣を振り続けて出来たタコのある細い手に、十字架を無理やり握らせて俺は彼女を置いて行った。壁の穴の向こうにいたヴァジャハが瓦礫を吹き飛ばして出て来る。
「痛いじゃないかこのォ! ミドリムシがァ!」
骸骨の為表情は伺えなくても、下等な相手に対する怒りが伝わってくる。少しは報いる事が出来た。
「カルシウムきちんと取ってそうな程固い割には短気だな骨公」
打撃も多少の効き目はあるみたいだな。やつの頭部に少し亀裂が入った。このまま崩拳を打ち続ければ、倒せるかもしれない。
俺が一歩踏み出す。するとヴァジャハ近くにあった人の頭くらいの瓦礫を拾って投げつけた。部分硬御した手で受け、弾く。
「来るな!」
「何だ? お得意の死の呪いが通用しなくなると及び腰か?」
「くっそぉ!」
突進するヴァジャハの魔手をひらりと身を躱しながら俺は懐に一発崩拳を打ち込んだ。丸々した胴体にはいい感じで手ごたえがある。
「がほっ!」
諦めずにまた骨だけの腕を振り上げる死神。空を切り、叩きつけた地面が砕けるのを見て、やはり見掛けより素の身体能力も高い事を把握。
だが関係ない。ひたすら崩拳を数発当てて怯ませる。
そこまで一方的な攻勢になった所で、多少の効き目があったのかヴァジャハは唸りながら身を屈める。
「ぐぅ……お前、何で僕の邪魔をする!」
「は? 敵だからに決まってんだろ」
「ゴブリンには関係無いじゃないか! 人間達がどうなろうと。君は困らない。というか、君は広場で人間達に迫害されていたじゃないか! 何、薄幸のヒーローでも気取ってるの!?」
おぞましい外見とは裏腹に、死神の言動は子供の様に感情的だった。俺に言葉を叩きつける。
「それとも人間に媚を売って評価を稼ごうって訳か!? 君達を助けました。僕はこんなに良いゴブリンです。だからいじめないで、って!」
「うん。そうだけど、悪い?」
俺が街でやってることはおおむねそれに間違いは無い。後は転生者という事で、善行による点数稼ぎも兼ねているが。
だが、今回の騒ぎではそれは違う。俺は献身的な行いにも住民達に後ろ砂をかけられ続け、そんな考えは既に念頭には無くなっていた。正直言って、レイシアに怒鳴ったが住民達やこの国の人々がどうなっても構わない。
生き残る為もある。でもそれだけだったら、なるべくコイツから離れて地下にでも籠り、運良く生き永らえるという事も考えていた。あえて俺はやらなかった。
ゴブリンとして捨て身の人生という事もあり、少しでも世の理不尽と闘う事に己の命をいとわないつもりで挑んでいる。それに何より、
「『ダチ』をゴミの様に殺した奴をほっておけない、っていうのもあるな」
そこで倒れているオーランドの最後にも、俺は見ているだけだった。ティエラの時もまた、大人しく食われていたのに何もしなかった。
何もしない事は良い事でも無い。遅かろうと、何だろうと。俺は死んででも、何かをするつもりで立ちはだかる。
「そうかい。なら、僕だって」
音を立てて顎を開いたヴァジャハは、そのまま長い腕を口に突っ込んだ。
「げえええええええええええええええええええええ!」
大きくえずき、体内から別の骨を取り出す。背骨に酷似する長く節がある骨は何かの柄の様だ。そして刃の折りたたまれた何かが展開された。
「刻死鎌」
骨で出来た死神の鎌を持ち、ヴァジャハは横に振るう。
素早く屈んだ頭上で、不穏に風を切る音が届く。長い鎌の刃が壁にまで届き、粘土を裂く様な切れ味を見せた。
「キェア!」
奇声を吐き出しながら。次いで縦斬りに俺の頭上に鎌を振った。
「部分硬御!」
片手を硬化させた掌で、刃先を受け止める。どうにか俺の闘技で防ぐことができた。
だが、鎌による連撃が続く。
「キャキャキャッキャキャキャキャッ! キャキャキャキャキャキャキャキャキャッキャキャキャキャキャキャッキャキャキャキャァァァ!」
無数の刃の襲来と防御に激しい火花が散った。
一発一発が致命的な鋭さのある刃を受け続ける。一寸のミスも許されない。防げなければ俺は物理的に死ぬ。
弾く弾く。得物を得、リーチを増やされた事で俺は防戦を強いられた。
だが、心無しか状況的には楽だった。次の攻撃が読みやすい。行ける、という余裕まで生まれてくる。
「クソッ! 何でだよ! 何なんだよ! どうして--ぐはっ!?」
それどころかカウンターまで決まった。為す術も無く転がる。何だよコイツ。力も早さもあるのに、対処が簡単だ。
ああ、そうか。反則級の能力があるからこそ、だ。
「クソッ、クソッ、クソッ! 決まれば一撃なのに、しぶといんだよ!」
しゃれこうべを抑えながら、ヴァジャハは苛立つ様子が伺える。まるで、自分本来の実力であれば苦戦する筈も無い相手に手こずり、ヘイトを貯めていく様だ。
「だからだろうが」
「あァ!?」
「テメーはスペックに頼り過ぎた。どうせ死の力とそのスペックで相手がいなかったんだろ? それはただの力であって実力とは言わない」
死線を潜り抜けたり、格上の相手と闘う事の無い奴が本当の戦闘など知る訳が無い。特にコイツは、死の力ばかり使って来て闘うという事を大して学んで無い素人なのだ。
命懸けでこそ、先読みや危険察知、何より相手の隙を作るための貪欲さが勝敗の明暗を分けるのだ。コイツにはそれがない。ただ、力を奮っているだけでガキでも出来ることだ。
俺は魔力に限りがある。体感的に今以上の火力で行かないと、ガス欠になって仕留めきれそうにない。
だったら、『アレ』をやるか。俺は即興ながらに両手を前で組んだ。




