俺の風雲、未知のネモ
コルト村近くの地上へ降りると、まだ抜け落ちた羽毛が蒸発しきらずに残っていた。あの膨大な催眠羽の濁流は外界に流れ出たのだろう。だが例外なく蒸発して消えていく。
「ぬっはっはっはっはっはっ! やってやったぞ! この英雄ヘレンが! この手で巨悪を誅してやったのだ! はーっはっはっはっはっはっ! 正しかったであろう!? 俺を戦力に投じたのは!」
「はいはいその通りね……暑苦し」
高笑いする男に対し横目になったロギアナ。まぁ、確かにこの野郎がいたおかげで勝てたんだ。適当に祝ってやれば良い。
今回も脅威を乗り切った。暗記した予言の内容を思い返す。
加護を切った影、月の殻と鳴動せしめる
災禍は六度、地の子に降りかからん
一は天の王の息吹、小さな土を焼く
二の死の夜、地の子を収穫せん
三こそ堕ちた蛇、呪いを食らわんとのたうつ
四も天の王、虫殺しの吐息を吐く
影、自と加護の欠片に問いかける
五に灰の雨、終末の角笛を吹かん
そして六に、地の子に代わりて影の子は受肉する
六度の影を貫く地の子、勇ましき者なり
采配を振るうは天に座す王、降す者なり
加護もまた、新たに影を導かん
6回訪れる厄災はこれで5度目。次で最後になるだろう。
とにかく一度村に戻ろう。話はそれからだ。
今回の一件で皆はまだ知らないが俺の事情は大きく変わった。いずれは身の上を話さないと。
そして、色々けじめをつけないとな……
「おやすみ、ヘカクリフォ」
一同の誰でもない呟きが、少し離れた場所から聞こえた。『灰の雨』から上がって間もなく、コルト村から人がこっちに来るには早すぎた。
風に乗って綿が流される中で、大きな白百合の花が逆さに咲いている。と思えば、それは花の『がく』と言える部分から頭を通して被るような形状の衣服だと気付いた。
というより、花のローブを着ている感じだ。レースの部分に当たる開いた花弁の下から伸びる素足は、大分歩いていないことで衰えた患者みたいに限りなく細く白かった。
線の細い中性的な少年の顔、ふわふわした白髪。真珠みたいに真っ黒で光をも吸い込むような双眸。
何処か人間離れした神々しさ、というより浮世離れした神秘さを内包する人物に全員が目を奪われた。人と遜色変わりないというのに、まるで人間味が無い。
白百合の少年はゆっくりとした動きで靴を履かないまま屈み、一枚の羽根を拾い上げる。
「やっと永遠の安息につけるんだね。君は、いつまでも寝ていたかった。それだけだったんだよね」
「おい、お前。誰だ」
「知っているかい? 彼女はヘカクリフォ。安息のヘカクリフォ。安らぎを愛していたんだ」
こちらの問い掛けを彼は無視。ただ、演説を続ける。彼女というのは、あの鳥公のことか。
「でも彼女は気付いてしまったんだ。真の安息は世界を安寧にしないと訪れないと。周りが安らかでない事が確かであれば、心休まる事はないと思う優しい子だった。どう足掻いても安寧というものは均衡を保てない。だから全てを眠らせる事にした。そして君達が阻止した。死、飢喰、我執そして安息」
羅列するは、与えられた反逆者たちの真名。かつて俺達が相対して来た奴等の事を知っている、ということは……
「知っているかい? 人には逃れられない因果が幾つもある。人は死から逃げられない。人は餓える事から逃げられない。人は利己からは逃げられない。人は休まる事から逃げられない。そして」
ひとりでに風化して散った羽根をそよ風に流し、胸に手をあてる。詩人のように、歌人のように言った。
「人は知らぬことから逃れられない。ボクの司る、『未知』からも」
「それがお前の真名か」
「はじめまして。ボクはネモ。未知のネモ」
邪悪とは対極な印象を持つ、純白の少年は自らをそう紹介した。ただ真か偽りか、名無しとして名乗り上げる。
隣で警戒するロギアナに目配せをした。細い顎を微かに左右へ振る。一つ目ミミズクの時と同じで鑑定眼での情報干渉を阻害しているようだ。
「また近い内に逢う事になる筈さ。でも、君達はボク自身をこれ以上知らなくて良い。学ばなくて良い。考えなくて良い。下見に来ただけなんだから」
「さっきからお前、何独りでペラペラ喋ってんだよ」
「知っているかい? 天はいつもボクらを見ているみたいだよ。ほら」
まるで画面に映るビデオレターに返事をしているような気になってきたところで、異変は起きた。
「うっ」
ネモという少年の身体を何かが貫いた。一点の曇りもなく輝く黄金の金属器--槍が、細い胴体を串刺し刑にするように斜めに突き立つ。
しかし無痛症とでも言わんばかりに、白髪黒眼の少年は首を傾げた。
「エルは乱暴だなぁ。僕は闘う気なんて更々無いのにね」
「お、おい」
「じゃあね。百万の小人」
ボコボコとネモの全身に無数のコブが膨れあがる。そして原型が無くなるほど弾け飛んだ。
ワー! とおびたたしい喝采が、崩れた人影から発せられた。
蜘蛛の子を散らすように、デフォルメされた、衣服を着る小指サイズの小さな人が走り回る。
嬉々として走り去る無数のミニマム人間に俺達はただ目を奪われていた。一見ファンシーな光景であるが、虫の大群が足元を大挙としてすれ違うようなおぞましさを覚えてたたらを踏む。
不思議な事に、気付けば膨大な数を誇っていた彼等が徐々に数を減らし、認識が出来なくなり一匹もいなくなってしまった。
「小人族!? あれ全部がっ」
ロギアナが声を出して吃驚したのは理由があった。俺も文献で見た記憶がある。少年時代、亜人について学ぼうとした時にそんな種族のことが記載されていた。
この世界でも各所でおとぎ話のように語られる存在で、共通する特徴としては文字通り小柄な矮人であるということ。そして、目撃例は度々あれど正確な実在が確認されていない亜人だ。
コミュニティーも友好性も全く分からない神出鬼没な生き物。それを見た者は幸せになれると言われる程度の未知の種族。
その正体は、反逆者の能力による分裂体であるということなのか?
目撃して間もなく、影も形も無くなった彼等の特異性からして何故実在を明記出来なかったのかが分かった。コイツ等、こうして各地に散らばって潜んでいるんだ。
しかしまだ、見えざる子供達の笑い声が残る。背筋が粟立った。心当たりがある、この奇妙な現象。
「野郎ォ、まさか」
俺がこの姿になる前に囁いた声と同じだ。その大元が、アイツ?
ようやく理解した。今の対面は、反逆者の根源に到達したという事実。あのネモという少年が黒幕と考えていいだろう。
予言に謳われる影の子。反逆者の親玉。色んな結論が脳裏に点在し始める。
標的を失ったまま地面に刺さった黄金の槍が、独りでに空に戻る。つられて視線がその軌道を追う。
持ち主は空にいた。ネモと敵対する存在だと一目でハッキリする。
「……エルマレフ」
いつからそこにいたのか、上空で顕現していた6枚羽の女神は金槍を回収した。標的を見失った代わりに、俺を見下ろしていた。この前と同じくして、冷たい視線。
その行為を見た結論は、彼女はネモを駆逐しようとしているというのが窺える。当たり前だ、反逆者は天上を裏切った奴等だ。
転生者は言い換えれば天からの使い……天使であり、ネモは裏切り者の天使--堕天使。聖書でも反逆者は堕天使の別名にあたる。
つまり俺が立たされている構図も、神々の敵対する位置ということだ。
「アディ、あそこまで頼めるか」
「待て、グレン! お前、何を考えている!?」
女神の面前にまで向かおうとする俺にレイシアが制止する。消されに行く気か!? ってところだな。
「大丈夫だ、ドンパチする気はねぇよ。多分あちらさんもな」
そう宥めて俺はアディに空の飛翔を頼んだ。少しの躊躇の後、おもむろに了承したアルマンディーダは紅翼を広げる。手を握り、地上の重力から解放された。
よくよく考えてみても、手を抜かれているのが分かる。向こうがその気なら俺は既に消されているだろう。どうして泳がされているのか、その真意はつかめないが、全く話の通じない相手とは思えない。腐っても女神……いや、どちらかというと俺の方が負に属してるんだったな。
意を決し、俺とアディは頭上の女神と並んだ。口火を切ったのはエルマレフ。
「気付いたようですね、貴方の罪」
「ああ、お恥ずかしながらってやつだな」
俺は砕けた口調で答える。今更不敬だとしてもかまわない。少しくらい殊勝だろうと何も期待できないからだ。
「あの時あんな風に回りくどい言い方をしたのは、俺が自分で思い出さないと意味が無かったから、だろ?」
「結果だけで聞く事実と、自らで辿り着いた真実では得る物が違います」
確かに、あの時俺が反逆者だから地獄に堕ちるべきと言われても何の覚悟も出来なかっただろう。身に覚えのない濡れ衣と思い込むのが関の山だ。
だからこそあの残酷な物言いは、今に至るまでの必要過程だった。
「しかし、それはあくまで貴方の中での清算ですグレン・グレムリン。断罪を待つ者の身辺の禊でしかない。如何に現実を受け入れようと、処遇が揺らぐことはありません」
「分かっているよ。俺は罪を犯した。堕落と忘却なんて大きな罪を」
それは決してこの世界では償いきれない、とエルマレフは以前言った。
「グレン……おぬしは、何を言って……」
「後で話すよ」
「そんな猶予を与えるとでも。機会があるのなら如何に優先順位が低かろうと手を降すのは必然です」
今度こそ消す。そう言いたげに、エルマレフは手を前にした。すると庇うようにアディが俺の前に出る。
「下がりなさい竜の姫君。その者は闇に染まった大罪人です」
「儂は存在の清い者だからこやつの傍におるのではない。下がるのはぬしじゃ」
「これは世の平和の為であるのが何故分からないのですか」
ハッキリと、俺が不和の象徴であることを強調した。両者が一触即発になりそうな雰囲気を醸し出す。だが、力量の差は一目瞭然だろう。二人掛かりでも、勝てる気がしない。
「あのよ女神様」
俺は戦闘にならぬ内に横槍を入れる。視線だけをエルマレフは動かした。ゴブリンは黙れ! 反逆者風情が口を挟むな! みたいなことは口にしない。
そうだ。そういうあからさまな否定が無かったから、俺は彼女とは話せると思えたのだ。
「おたくも色々あるんだろうけどさ、少し勝手が過ぎるぜ」
「何故そう言い切れるのでしょうか」
「俺が大人しく出てきたのにさ、容赦なく待ったなしで一方的に消すなんて女神様ともあろう御方が狭量だって言ってるんだ。ああ、別に嫌だから消すななんて言わないぜ? 終わらせるならいっそのことキレイさっぱりにしてからでも良いだろ、って話。単純だろ」
「……」
「もう少しくらい待ってくれても、バチは当たらないんじゃないの? 俺には娘がいてなぁ、この騒ぎだ。アイツの無事だけでも確認させてくれよ」
「悪党の泣き落としによる命乞いにしか聞こえません」
バッサリだったな。
「しかし、そんなことを言う為にわざわざ私の前に向かい合ったのですか? 消されるリスクを侵して」
「大切なことだろ。それと」
俺は続ける。恐れを知らぬまま、言いたいことを突きつけた。
「俺がゴブリンとして生きてきた事、全く後悔してねぇから。俺自身を蔑めば、その周囲を貶める事になる。……後悔してるのはミリーを、アイツを俺の破滅した人生に巻き込んじまった事だ。だからな大将」
啖呵をきる。反逆者としてではなく、グレンとして女神に反抗を示した。
「この過程で得た物まで、アンタには否定させねぇ。そこは良く覚えとけ」
向こうは呆れにも似た小さな嘆息を漏らす。
「恩赦が欲しいのか、ただ前回の反論がしたいのか良く分かりませんが。良いでしょう、それだけの意思があればネモに加担するリスクは無いと判断します」
やはり、俺が反逆者側として立つのかを見定めていたんだ。これまでの否定も、揺らがせた上での反応を見る為。
自分でも痛感する。どれだけ俺が今危うい立場にいるのか。
例えるならそう、弾の入ってない拳銃を所持しているようなもんだ。いつ何処で弾を挿弾して発砲するのか人物像だけでは判断しかねる。持っていること自体で危険人物と扱われる。
それを看過するというのだ。それは俺のこれまでの行いに意味はあったということだ。
「それにこのまま敢行すれば不利益がひとつ生まれてしまうのでそれを回避する為に今回は引きます。次出逢うとき、覚悟をすることです」
「不利益?」
「私の血脈のひとつが、今にも廃れそうになっています。これは警告です、村に戻りなさいグレン・グレムリン」
言い残すと、空に溶けるようにしてエルマレフは透明に消えていく。天に還った。
その意味は、コルト村から飛んで来た伝令の竜兵の言葉で具体的な物になった。
「グレン殿ォ! 姫様ァ! ご無事でしたかァああああ! 大変です!」
空中にいたことでいち早く見つけられたのだろう。ましてや女神の降臨で光っていたからな。ともかく、竜兵はひどく慌てて報告する。
「トリシャ嬢が! トリシャ嬢が倒れて危篤です! すぐに! すぐにお戻りを!」
次回更新予定日、5/8(月) 7:00




