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俺の合併、グレンとローグ


「よう、来たか。二度とこの姿を見ちゃくれねぇと思ってたんだけどな」

 背後から男の声がした。胡坐をかいて座っていたゴブリンの俺は、首を後ろに回す。


 ざっくばらんとした焦げ茶の髪。忘れて改めて気付く端麗な顔。戦場に立った貴公子を思い描く、マント付きの繊細な細工の彫られた鎧と剣。


 全盛期、と言えば良いのだろうか。これまで生きてきた中で陰りの欠片もなくただ頂を登り続けた時の姿。

 かつて勇者を目指した人間だった頃の俺が、憮然とした態度で立っていた。あの白昼夢は、忘れていた俺自身の記憶が徐々に紐解かれていたものだった。


「そうだ、ローグとしての俺だよグレン。お前が捨てた、かつての俺だ」

「……」

「結局思い出しちまったんだ。現実から目を逸らして、自分の失態を揉み消して、逃げ続けて。それで出した結論は自分(テメェ)からは避けられないって事だな。どうだった? ローグを忘れて楽に生きられたか? うん?」

 おどけた仕草で肩を竦める。我ながら飄々さは以前の時から変わらないか。


 俺は深く息を吸い、そしてこみ上げた想いを一緒に吐き出した。掌で目頭を当てる。

 ああ、そういう事だったんだな。これで色々な点が繋がった。


 どうして俺が周囲の転生者と比べて既に成熟した肉体で目が覚めたのか。孤立無援の誕生だったのか。

 いくら転生を経たとはいえ、ゴブリンという枠組みを逸脱した戦闘能力を秀でる事が出来たのか。

 何故俺は人の世にいてはならないと女神に言われたのか。

 そもそも、何でこれだけ差別的な立場に遭うゴブリンにされたのか。


 全ては俺自身の選択の結果だった。最初から采配で構築された物ではなかった。

 果たしてこの姿が、反逆者に成りきれずにゴブリンになったのかそれともただの擬態に過ぎないのかは分からない。ひとつ確実に言えるのは、人間を辞めてしまったという事実だけ。


 胸を焼く後悔が内に灯る。俺は、大切にしていた物を、人を失くした事すら忘れていたのか。切り離して良い物では無いのに。


「で、これからどうするんだ。口出しはこれで最後だからよ、此処からはお前の好きにすりゃ良いさ。どうせ俺は過去に過ぎないんだから。まっそれでまた忘れてりゃ世話ねーよな」

「……前にペテルギウスに首を差し出しに行こうとした時、お前(ローグ)(グレン)に夢の中で物申したのは、同じ轍を踏もうとしてたからなのか?」

「ん? ああ、そうだよ。一度出た檻にノコノコ戻ろうとする馬鹿には流石に言ってやりたくなるに決まってんだろ」

「そうだよな。当たり前だよな」

 ニヒルに笑う青年。俺も自嘲が漏れた。


「しっかし、いつ見てもブッサイクだなぁ。このハンサムな顔が此処まで台無しにされるとは」

「うっせ。これが未来のお前だ、自虐になってんだぞこの野郎」

「確かに。だから全部忘れて楽になったんだ。この落差に耐えられなかった」

「……悪かった。丸投げして」

「全くだ。だから俺からは許す権利がねぇぜ。そういうのは自身でやんな」

「分かってる。思い出した以上何もなかった事には出来ない。向き合う事が俺自身を許す為の第一の贖罪、そうだろ?」

「潔くて何より、だ。覚悟が出来ているみたいだから、そろそろ」

 俺も立つ。背丈は大分低くなった。緑色の腕を上げる。


 ローグの姿の俺も手を前に、乾いた音を立ててハイタッチした。

過去(オレ)はお前の中に戻るさ。もう、立ち止まるなよ」

「ああ、おかえり」


 俺達は一人になった。ゴブリンの姿をしたグレンとして、勇者を志していたローグの過去を引き継ぐ。

 振り返れば当時の俺は、ひたむきな努力を費やすことで無意識の内に自分を特別視していた。だから特権的な人間だと思い込んでいた。

 そしてその末路の落差が俺自身を容認出来なかった。認識することすら拒絶していた。


 マイナスからのスタート。それは苦難の道ではあるが、省みるという意味では良かったのだろう。俺の傲りを自分で罰するには、少々重かったけどな。


 さぁ。感傷に浸っている場合ではない。現実に戻らないと。

 でもどうすれば良い? この前と異なり無理やり眠らされた今、自力で起きるにはどうしたら……


『……を…………せ……!』

 虚空から、女性の声が降りかかる。誰だ。そう思った時、


『目を覚ませ、グレン!』

 眼を突き刺すように眩い閃光が俺を襲う。




「あばばばばばばばばばばばばばば!?」

 ビリビリと電撃によって俺は横になっていた全身を痛めつけられていた。意識の覚醒を余儀なくされる。

 閃光が消えると、黒い世界に戻っていた。だがそこは向かい合っていた自分の意識の中ではなく、反逆者の結界の中。


「ゴホッ。ゴハッ。う、うぉいレイシア、オメーの仕業か!」

「良かった! やってみる価値はあるものだな! かつてシレーヌ殿に『キツケをするにはこれが良い』と御助言を貰っていて良かった」

「加減したんだよなコレ?! 結構ガタ来てるんだけど!」

 無防備な相手に雷天撃波ライヴォルトを浴びせた犯人に抗議しつつ、俺は起き上がった。皆も、既に身体を起こしている。最後に目を覚ましたみたいだな。

 どうやら俺だけ叩いたり揺すったりしても起きる気配が無かった為、荒療治に至ったようだ。


 仲間達の顔色もあまりよろしくはない。最悪の気分で目覚めたらしい。同様に悪夢を見せられていたのだろう。

「そうだ、あの鳥公は!」

「催眠を掛けてから奴は何もしてこなかった。私一人が皆を介抱している内に、また目を閉じて居眠りを始めた。こちらが無防備なところを狙わないあたり、火の粉を振り払う程度にしか動かないのだろう」


 示唆した通り、離れた止まり木に怪鳥はあの歪な巨眼を瞼で覆い、目撃した当初の状態に戻っていた。やる気無しか。

「けど、どうしてお前はいち早く起きられたんだ? しかも自力で」

「慣れてるからな。この手の精神攻撃には」

 レイシアが見せられたのは、我が家を焼いた黒竜襲撃の過去。かつての俺が止められなかった事件だったな。

 しかし彼女にとってその悲劇は過去に一度再発させられて、既に乗り越えていたものだった。だから復帰するのにも時間が要らなかった。おかげで皆は起こして貰えた。


「しかしどうするかのう、アレは恐らく魔法を遮蔽する。二人の最大魔法と儂の神炎ヴァドラが効かぬとなると遠距離攻撃はお手上げじゃ」

「かといって下手に近付くのは早計ね。この中の誰かが突撃して眠らされたら、助けに行ける保証は無い。接近戦に持ち込むとすれば最終手段よ」

 アディとロギアナの分析を耳にしながら、俺はあの一つ目ミミズクを見た。今なら羽毛に包まれた全貌を直視出来る。


 コイツも、どんな経緯で反逆者に堕ちたのだろう。俺も大概だが、想像だに出来ないような過去があってそんな姿になったのか。司るのは怠惰か、惰眠か。


「グレン? どうかしたかえ」

「え? あ、何でもねぇ。物理で叩くとするなら……オブシド」

「ハッ。コレを試してみましょう」


 俺の意図を察した竜人は腕の黒い鱗を一枚引き抜き、拳の中でギュッと握り締める。すると細長く伸縮して鋭利な黒槍へと形を変えた。

 手に持ったまま片腕を後ろに回し力を溜める。鱗の下の筋肉が膨張した。

 助走や体勢を崩さない程度の所作で、投擲が放たれる。風を斬る凄まじい音が聞こえた。


 --ギィィィィッ!

 ぼふっ、という布団に突き立てたような手ごたえの悪さとは裏腹に、直撃した怪鳥が絃を鋸で弾くような苦悶を漏らした。効いているみたいだ。

 黒槍が刺さったまま、身をよじった奴は瞼を痙攣させる。開眼の予兆を見せた。



「目を見るな! 胴体だけに意識しろ。でないとまた眠らされるぞ」

 俺は鋭く警告を発した。同じ目に遭うのは御免だ。レイシアだって同じように起きられる保証は無い。

 怪鳥は、ようやく新たな挙動を見せる。翼を左右に開いた。同時に無数の羽根が舞う。


 そのまま扇ぐと浮遊した羽根が指向性を与えられてゆったりとこっちに差し向かう。アレが空から降ってきていた『灰の雨』の大元なら強い催眠効果がある。視界でダメならと直接的に手段を変えて来たか。


聖域の楽園サンクチュ・エリュシオン!」

 だが、レイシアがそれを阻む。俺達の周囲を光の結界が囲む。羽根を一枚も通さない。


「下手な真似出来ないようにするか、象形付与フォルムエンチャント

 俺は片手だけで炎を纏う。盛り上がった炎爪を試しに怪鳥目掛けて伸ばした。


朧火乃鉤爪オボロビノカギツメ! 行けッ!」

 宙を舞う羽根をすれ違い様に蒸発させて突き進み、接触の直前に先端の規模を膨張させる。ガッシリと、標的の首から下を掴んだ。寄声と共に白煙があがる。

「オブシド、今の内にもっと強めに投げまくれ。目も潰しちまえばやりやすくなるだろ」


 そうして抵抗する怪鳥を抑え込んだ気でいた。俺は反逆者という存在を、未だ常識の範疇に囚われてしまっていた。

「んなっ」

 クシャリ、とフクロウの身体が潰れたように炎爪が空を握った。いや、胴体が飛び散ったのだ。

 頭部だけを残し、奴の身体が膨大な羽根として分裂する。すると、俺の出していた炎が強力な鎮静で蒸発した。


 --ブォォォォォォォ。

 重音のおどろおどろしい呻きが響いた。角笛みたいだった。終末の角笛。


 頭部だけとなった怪鳥は耳角をせわしなく羽ばたかせてホバリングしている。目玉を見ないように奴を見ていると、更なる変化を催す。

 その全貌を包んでいた青白いオーラのようなものの色が、明るい黄色に塗り替わった。何かを切り替えた。


 同時に、視界がおびたたしい規模の白が迫った。高々と昇った羽の津波が空間を埋め尽くす。

 光の結界にも押し寄せた。轟音を立てて外部の景色が羽根しか見えない。。


 レイシアの顔が苦渋に歪む。必死で結界の維持に尽力していた。恐らくかなりの負荷がのしかかっているのだろう。

「う、うぐ……!」

「踏ん張れ! これが最後の砦だ!」

「すまな……保て、ない……!」


 仲間達が内部から少しでも負担を減らそうと、魔法や炎のブレスで相殺を狙う。

 が、焼け石に水。出口が無ければ逃げ場が無い。

「やべぇ! ク、ソ--」


 光の遮蔽膜が、崩れた。羽根が中にも雪崩れ込む。

 俺達はその濁流に抵抗虚しく呑み込まれた。瞬く間に、二度目の催眠が意識を奪う。


次回更新予定日、5/2(火) 7:00

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