俺の宣告、女神エルマレフ
金髪碧眼の少女の姿をした女神の横顔を見、今思えばレイシアと似通う顔立ちであった事に気付いた。
このアホ女神……女神エルマレフは、紛れもなくあのくっころ騎士の祖先で彼女は先祖返りをしたのだと推測する。
レイシアの時と同じように、女神は瞬く間に腰まである金の毛先を純白に染め上げる。瞳は琥珀に輝いた。それは、戦闘態勢に思えた。
「カイル。貴方は転生者として送り出され、不完全ながら反逆者に堕落した。一部始終を拝見させていただきました」
「だったら、何だってんだ! 見てたんなら分かるだろ女神様よォ!? 俺をそうしたのは周囲のせいだろ! どうしてくれんだよ俺の勇者の人生! 何で順風満帆なまま続けさせるように出来なかった!?」
「それは本人の問題でしょう」
責任転嫁したまま食ってかかる男の言動に、エルマレフは顔を全く動かさない。
俺があの世で彼女と対話をしていた時とはまるで異なり、冷たい様相を見せていた。
「私にはどうしようもありません。現状は貴方の行いの結果です」
「ハァ?! ありえねぇ! ふざけんなよマジで。俺をこんな文明世界に送っておいて何の保障も無しか!? 詐欺だろ詐欺! やり直せ! 俺をもう一度生まれ変わらせろ!」
この世界に傷痕を残し、野郎はあまりにも勝手な要求を女神に突きつけた。
するとエルマレフは肌の白い手を出し、指先を黒鎧の肉体に立てた。
じゅっ、と急激な水分の蒸発に似た音がカイルのところから発する。そして聞く者の身が凍るほどのおぞましい苦悶が広まった。
「身の程を、弁えなさい。あの影の者の誘惑に乗り、反逆者に落とされるも中途半端な状態。それでも天上の者に唾を吐くなどおこがましいにも程があります」
女神エルマレフが突きつけた奴の肉体は肩からその周囲を一瞬で消失させる。円を描いて切り取るように、カイルの全身の4分の1ほどが跡形もなくなった。
「ああぁぐぅううううううう……!」
「此処は貴方の都合の良い世界ではない。貴方は何をしても許される立場でもない。転生者はただ、その世界に記憶を受け継がせて在るだけであり、その世界の人々よりも恵まれる事が当然という考えが傲慢としか言いようがありません。むしろ今の貴方はこの世界でも排他されるべき存在と成り果ててしまった」
狼狽する元勇者は、不穏な空気を感じたのか後ろへじりじりと引き下がる。
「…………な、なにを……!」
「その罪を贖わせるために、地上から消えてもらいます」
有無を言わさぬエルマレフの攻撃が始まった。カイルは右半身を失ったまま踵を返して逃走する。到底敵う相手ではないと判断したのだろう。
背を向けた奴に女神は容赦はしない。その手から黄金の光球を放ち、閃光と同時に、
「ぶあっ」
その場でカイルは彫像の如く固まった。光玉が千本のように変化し、反逆者の全身をサボテンの針みたいに埋め尽くす。それから間もなく、奴は白塗りの泡となって霧散する。
静寂が訪れる。こうして反逆者、我執のカイルはこの世からいなくなった。俺の代わりに女神が討伐してくれた。俺は安堵と急に襲って来た疲労感に座り込む。
俺は女神に礼を言うことにした。普段はアホ女神と呼んでいるが、流石にそれは黙秘することにする。……知られて、ないよな。
「いやぁ助かりましたよエルマレフ様。しかしまさか女神様御自身が現世に降りてくるなんて」
「……」
「確か神様が直接干渉してはならないみたいな話だった気がするんですが大丈夫なんで?」
「事情が変わりました。考察の必要はありません」
一瞥し、エルマレフは端的に答える。琥珀の目も、白んだ髪も元に戻らない。戦闘態勢を解いてはいなかった。何か、警戒でもしているのだろうか。あの力があれば、仮に今反逆者が襲来しても大丈夫だと信じられる。
「ま、そちらも色々あるんでしょうし。下っ端転生者の俺がわざわざ知らんでも良い話でしょうね」
そんなことより、僅かな休息の後に立ち上がった俺は前で横たわる女戦士に近付く。
「おい、生きてるか。おい」
返事はない。肩に手を伸ばし、仰向けにする。
ステラはもう息を引き取っていた。虚ろに開いた目から、涙の筋を流している。致命傷を受けた彼女の分かりきっていた帰結。どうしてあそこまでカイルに尽くしたのだろうか。
ふと、少女の手首に古い傷を目にする。まるで、長い期間枷に繋がれたことで残り続けていたような跡だった。
「女神様、コイツ生き返らせられないですか?」
「一度死んだ者は二度と蘇らない。死に反するという事は世を乱す。秩序とはそういうものです」
エルマレフの手であっても、死者を呼び戻してはならないと。
俺はステラがどんな人生を歩んできたのかを知る術は無い。きっと、どういう経緯かカイルに救われたことで人生の転換を期に付き従っていたのだ。カイルが堕落し、手を切られようと、捨て駒にされようと最後まで離れようとはしなかった。
やりきれないな。馬鹿な女だ、と言い切ってしまえば簡単だ。でもそれもステラの生きる信念のようなものをやり通した結果だ。それを間違いと決めつけるのは、筋が違うのかもしれない。
でも、もっと違う生き方だってあっただろうに。死ぬ必要だってなかったのに。
「……あれ。あれ?」
俺は目元が滲んでいる事に気付いた。しかも止まらない。ポロポロと涙の雫が溢れ出す。
「何だよ、これ。どうして」
こんなに涙腺が脆い事なんて今までそうはなかった。普段から自分は薄情なタイプだと思っている。
しかもこの涙の意味はステラの死による悲しみとは違う気がした。可哀想だとか大切な仲間を失くした事で悲しんでいるわけじゃない。むしろ俺に敵意しか向けてこなかった以上、俺自身としては好感の欠片も無い相手だった。嫌な奴とは言いきれないが、正直どうなろうと構わなかったと思えるくらいには良い思い出が浮かばない。
だけど何だ、これ。既視感? ステラの死を見届けた途端、分からない情動に突き動かされ胸が締め付けられそうになった。
わけ分かんねぇ。まるで自分じゃないみたいで気味が悪い。強引に手の甲で拭い、弔辞を手早く済ませる。葬儀といった事後処理は、ペテルギウス側に任せよう。
やるべき事はまだ残っている。皆がどうなったか心配だ。深手を負ったパルダと火の息吹をモロに受けたレイシアがどうなったか気になる。無事だと思いたい。
「でー、エルマレフ様? あのですね」
「……」
そうした俺の一挙一動をじっと観察するエルマレフ。何だ、目的のカイルは倒したのに天に還ったりしないのだろうか。
それとも、これまでのアホ女神呼ばわりに怒っているのかな? それは不味い。非常に不味い。カイルみたいに消されたりしないよね?
「俺もこれからやる事があるので此処で失礼します。もしよければ色々聞きたい事がありまして、またの機会にでも……へ?」
「もう良いでしょう」
天使が生やすような白い六枚羽を広げたエルマレフは、俺の言動全てを断ち切るべく行動に移していた。
「あの? 女神、様?」
「貴方もです、グレン・グレムリン」
指先を、持ち上げる。それはまるで矛先のようで、明らかに俺へと向けられた。
まるでカイルと同じく処理をする所作をエルマレフは見せた。
警戒を解いていたのではなかった。まだ、女神のすべきことが残っていた故にその神々しき変貌を維持し続けていた。理由は当然、力を振るう為。
「此処で、この世界での貴方の生は終わりです」
「ま、ってくださいよ」
断罪の手を前に、俺は震える声で口を開く。死ぬのが恐ろしい訳ではない。天上の者からの敵意が何よりも耐え難かった。
俺は転生者としてゴブリンになっても此処までやって来れたのは、女神エルマレフに今度こそ天国へ行けるように見返す為だった。それを無理やり打ち切るという事は、
「た、確かに俺は最初! こんな理不尽な目に遭った事でアホ女神だなんて失礼な発言をかましたかもしれない。だってそうでもしないと自分が保てなかったからですよ!? でも、それでも俺は必死に--」
「それは些細なこと。そこまで神という立場は狭量ではありません」
「なら……なら他にあるのですか!? 戦争に応じたから!? 否応なしでも誰かを傷付けたから!?」
「いいえ」
「それなら何も問題ないじゃないですか! 俺はそれ以上に善行を出来うる限り行って来たつもりだ! 足りないって言うなら今後も続けますよ! お願いですからまだ決めつけないでください!」
分からない。こんなの不条理だ。
どうして俺も、カイルみたいに消されなくてはならないのか。
「簡単にお答えしましょう。貴方には、善行では贖えはしないほどの罪がある」
「……罪?」
俺の救済を乞う言葉を跳ね除ける態度で、エルマレフは言った。
「貴方の罪、それは今の貴方の存在そのものです。この地上にいる限り、人の世に不和を呼ぶ」
何キロもある鉛が、胃袋におちたような衝撃。俺のあらゆる感覚器官が同時に不調をきたす。
「心当たりはありませんか? ご自身が関わった事で、災いが起きた事を」
ヴァジャハが呼び出されたのは、俺を快く思わない騎士の派閥の行動。
カイルが復讐を敢行したのは、自らの身を貶めた俺への怨恨から。奴が反逆者に堕ちたのも、きっかけとしては俺だ。
眩暈が襲って来た。吐き気がこみ上げた。頭痛が苛めた。平行感覚が崩れた。ふらふらと俺は膝をつく。
「思い出されましたか? その姿で人の世に迷い出た結果、どれほどの悲劇が起きたのか。私は見ています」
俺は大きな思い違いをしていた。人のための善行を為す以前に、人の社会に混乱を招く事そのものを犯していたと。
ゴブリンは、人の世に紛れてはならない。そう言っているように聞こえた。
これまで、色んなことがあった。森の中で目覚め、人に迫害を受け、理不尽を生まれが悪いと転嫁された始まり。
どうにかそれでも生き抜ける活路を見出し、色んな人間と対立や接触をしながら世の中で頑張った。
「かつての言葉を繰り返しましょう」
時には襲いかかってくる相手や恐ろしい怪物と闘い、そうして色んな者から恨まれ憎まれ、あるいは感謝や友好を示してくれた。
誰かを助けられた事もあれば、助けられなかった者もいた。けれども、前世の人間だった時の俺とは打って変わって、自分の身を削ってでも出来うる事をしてきたつもりだった。見返りなんていらない。
「貴方は天国には行けません」
宣告は俺の意思をたやすくへし折った。
否定。全ての否定。ゴブリンとしての俺のこれまでを、女神は拒絶した。
偽者だ。この女神は偽者だ。俺はそう思い込もうとしても全く出来なかった。その姿は、誰にも真似出来るものではないと本能が告げている。
「そして再び転生者としてやり直す機会も与えない。さぁ、この世界との別れを告げなさい」
俺は、これから地獄へ送られる事を悟る。
四章 完
残酷な現実、そしてこの先ゴブリンを待ち受けるのは……
次回更新予定日、4/8(土) 10:00




