俺の憤怒、朧火乃鉤爪
あと二話でこの章も終わります
間もなく迫り来る衝撃は、予想とは違い柔らかいものだった。真綿に包まれるような、暴力とはまるで異なる力に引っ張られる。重力が上下する感覚に戸惑う。
恐る恐る目を開くと、俺の視界は白に埋もれていた。それは繊維であり、衣であると気付いたのは着陸してからだった。
俺の危機を救ったのは、横から俺を搔っ攫った竜人の女性。パルダは、俺だけでなく兵士二人も一緒に掬い上げて空を跳んだ。カイルから離れ、城下町の建物が連なる先へと距離をとった。
そんな上空移動で腰を抜かす兵を降ろし、パルダは俺から離れる。
「旦那、様」
「すまん。助かった……」
「ご無ぷっ」
ご無事ですか、という問いかけをしようとしたのだろう。しかしその言葉を発するには至らなかった。
彼女の口から血の泡が代わりに噴き出した。そして、力なく横に崩れた。
「……パル、ダ?」
真っ赤な水溜まりが、彼女の伏したところからどんどん溢れていく。白を基調とした背中に、深紅の線が浮き彫りになっていた。深い傷跡を負っていた。
「おい。おいパルダ」
「……」
「パルダ! しっかりしろよ! おい!」
迂闊にゆするわけにもいかず、必死に呼び掛ける。本人は蒼白な顔をしたまま脂汗を流し、意識を失っていた。
現状を受け入れられない。あれほど心強かったS級冒険者が、瀕死の重体になっている。
俺がドジを踏んだからだ。俺がもっとしっかりしていれば、パルダはこんな事にならなかった。治癒魔法の一つでも使えていれば、助けられたのに。
「今、勇者殿は……俺達ごと」
「いや……いや、そんなことは」
自分達の置かれた現状に信じられなかったのは兵士達もそうだった。俺を確保するかどうかなんて既に忘れ、迫っていた死の恐怖に身を震わせている。
とりとめもない止血の応急処置を施し、俺は立ち上がる。
「……オイ。お前ら」
今度は俺が兵士達に命令する。立場とか、敵味方とか、もうそんな事は思考の外だった
「パルダを、この女の手当てをしろ。他ならぬ命の恩人だぞ。すぐに治癒魔法が使える人間を呼んで来い。憲兵ならこういう事態にも対応出来るように学んでいるだろ? 良いか、今さっきの事なんか気にせず今すぐ動け。人の生き死にが掛かってんだ。ショックだろうが何だろうがうだうだやってんじゃねぇ」
言うだけ言い放ち、その場を後にする。パルダは竜人。簡単には死なないと思う。そう、思いたい。
だから俺はやる事をやるだけだ。もう、身体の悲鳴などどうでもよかった。
「ま、待て……! 勝手な行動、は……」
兵の制止しようとする声は、尻すぼみに消える。俺が振り返ってからだ。
「それと、ソイツ死んだらお前らも許さねぇ……!」
顔中の筋肉を引きつらせた俺の形相は、どんな風に彼等に映ったのか分からない。だが、二の句は継がせなかった。そんな事より、俺は兵達よりも許せない相手の許へ舞い戻る。
城の道中、街中を通過すると市民から悲鳴があがった。俺の姿を目にし、非難と罵声が飛び交う。
無視した。石が飛んで来た事もあったが気にも留めなかった。
先程の城門に差し掛かった辺り、探していた黒のシルエットを発見する。大して移動していなかった。俺を目にして鼻で笑う。
「何だ、てっきり臆病風に吹かれたと思ったが。おめおめ戻ってきたか、ゴブリンよぉ」
「……」
「さっきの女、背中に俺の闘技をモロに食らっただろ? ありゃ死んだか? 勿体ないことしたなァ」
握っていた拳が、さらに固く岩のように引き締まる。もう警戒も牽制も考えず、前に進み出た。
「おいおいおい。まさか怒ってんのか? あれは庇ったからあんな結果になったんだぜ? ゴブリンなんかを守ろうとしなければ、無事だったのによ。いいや。ドジを踏んだテメェの至らなさが招いた結果だ。そうに違いない」
そうしてせせら笑う声が、俺の耳朶を打つ。身体に熱が宿った。
熱はやがて、両拳に行き渡ることになるが。
「だからな、ハッキリ言ってやろう。テメェを恨めよ。最初から気にくわなかったんだ。意地汚ねぇバケモンの分際で、人間と当たり前のようにいるのかおかしいんだよ。存在するだけで人を不快にさせるなんて天才だよホント。ひっそりとそこらの薄暗い洞窟で引っ込んでればよかったんだ。そうすりゃあテメェの周囲の人間も俺も不幸にはならなかった。なぁ? 誰がなんと言おうとテメェのせいだろ? さっきの女が傷付いたのはテメェのせいだ。テメェが恨んでいいのはよォ、ゴブリンとして産まれた自分なんだよォおおおおおおお! ワーッハッハッハッハッハッハッハッハッ!」
ひとつだけ、カイルは確実に間違っていない事を言った。
「……ああ、俺が至らないせいだ」
「へェ! 思ったより殊勝だなトカゲ野郎。非を認める事は良い事だァ。なら、このまま大人しくくたばるべきだろう? 罪には罰が無いとな!」
「様子見なんてしたからだ」
「んあ? 今何て言った?」
「最初から本当の全力でやるべきだった。浪費だの決着の是非だの後先の事なんて考えるべきじゃあなかった。俺の失態だもういい何だっていいどうでもいい」
今俺に必要なのは、目の前のこのクソ野郎をグシャグシャにする事だ。城の損壊だの、周囲への被害だの、そんなことを考えるのはやめだ。
反逆者に堕ちた外道が、俺の変化を見る。両手で燃え上がる業火を見た。
「身体付与、紅蓮甲」
「あー、なーんだ。あの時のやつか。斧なんざなくても出せるってか?」
だから何だ? という彼の疑問を俺は上塗りするように、
「象形付与」
己の付与を次の段階へと昇華させる。炎の質が、変わった。
密度の高まった魔力には、属性ごとにそれぞれ物質の性質が伴われる。それは魔法という概念の中でもごく普通に発生している現象だ。
例えば水属性の魔法で呼び出される濁流などの液体は、大気や地中などの水分を寄せ集めたのではなく、放出された水属性の魔力そのものが変質して液体に変わる。
土属性の魔法もそうだ。魔力が鉱物や土となってあたかも何処かから呼び出されたように見える。もちろん限りなく魔力消費を削減するのに周囲の地形を利用したりするのも定石ではある。
だから、付与にありったけの魔力を増やしていけば属性に加えて魔法と同じ物質性が付加される。そうして俺の紅蓮甲の炎も例外なく物質化された。
「朧火乃鉤爪」
拳の紅炎は普段以上に規模が広がり、竜の手のような形を模した。両手を握り開くのに連動し、爪の五指も動く。
「……それが、どうしたよ? ようするに打撃の強化なら大して変わってねェじゃんか!」
俺の炎爪を目の当たりにし、少し驚いた様子を見せるカイル。すぐに動揺を取り繕うように罵声を吐いた。
それから黒剣を放つ予備動作に移る。遠距離から攻める気だ。
「前に言ったよなァその弱点。接近しなけりゃ問題ねーんだよ! 連空牙!」
飛来する無数の斬撃。普段であれば硬御で身を守っていたところだが、今回はその必要がない。
両手で目の前を覆う。両手の業火が火の壁を作り出し、空牙を阻んだ。厚みに加えて強度もあってか、一つも俺の身体には届かない。
「何っ!?」
カイルは驚いた。炎が自在に動かせる事を知り、更に近距離戦への警戒心を高める。
そんな事、関係無いがな。
炎爪を俺は前へと突き出した。空を切った業火は、またや形を変える。
なんと先端の炎だけが伸び、大蛇のごとくカイルへと向かって行く。この付与の射程は俺の操作で自由自在。
予想だにしなかった攻撃にカイルは回避の行動がとれず、防御の姿勢に入る。直撃の間際、俺はその矛先に魔力を強く吹き込んだ。
「――うォらぁあああッ!」
紅蓮の魔手が膨張した。男一人を丸々包める程の規模に至り、カイルを張り飛ばした。その光景はまるで、一部だけが顕現した炎の魔神の鉄槌。
その正体は単純な掌底。それだけで反逆者を一方的に吹き飛ばした。
城下町の街道に火の線が軌跡になった。その近辺の温度が急上昇する。
これまでは、この膨張していたサイズで常に扱おうとして自滅した。最小限の状態で維持を続け、必要な瞬間だけ大きくする。そうしてやっと制御が可能になった技だ。
「ぐぉおおお?!」
大きな焼きごてに殴られたように、身体から煙をあげながら転がるカイル。
「熱っ、あ、熱いっ! 熱ぅううう!」
火傷にのたうち回る彼だが、俺の攻撃は終わっていなかった。
空に登った火の手は、もう一度カイルにその手のひらを打ち付ける。悲鳴があがった。知るかそんな事。
何度も何度も、叩きつけては打ち上げ、握り拳で丹念に殴り潰す。路地がその余波で捲れ、剥がれ、焦土になる。
火を吹いたり、斬りつけたりと抵抗を見せるがびくともしない。
「ち……調子に乗ってんじゃねぇぞぉおおお! 嵐空牙ァああ!」
カイルは黒い渦を呼び起こした。恐らく奴の最大範囲の闘技。
街中で立ち上る竜巻が建物を掠めると、研磨機にかけられるように削られていく。砂塵の壁がゆっくりとこちらへ突き進む。
が、紅蓮の炎爪を俺も最大まで膨らませて激突させた。数秒間だけは暴発を抑えられる。
強引にカイルの竜巻を掴み、砕いた。その中にいた奴を薙ぎ倒す。
動きが鈍くなった所で、膨張した炎の手でカイルを強く握り締めた。休む事も許さない。
呻くカイルに構わず、俺は伸ばした炎爪を引き戻す。奴は灼熱の中で握られたまま、伸ばした巻き尺が戻るような勢いで引っ張られた。到着地は、俺の間合い。
俺は腰を落とし、もう片方の炎爪を纏った手を握る。この状態でも当然闘技との併用が可能だ。
象形付与は小出しに扱っていても魔力消費が尋常ではない。早々に決める。
「紅蓮・崩拳・挟打!」
カイルが目の前に来たところで、俺はその一撃を見舞った。
その叫びも生じた轟音に掻き消される。
さながら正面衝突事故だ。双方向からの力が激突する中間では、最大のエネルギーが発生する。挟み撃ちにされた対象はぺしゃんこだ。
「ぎ--……ぁ--」
引き寄せられる力と殴打で吹き飛ばす力が押し合いへし合い、カイルの全身を前後から焼き潰す。
やがて崩拳の勢いが勝り、弾けた。白煙と肉の焼ける匂いが広がる。
「…………かッ…………か……あ」
元から黒い鎧を纏いながらも、更に至る箇所で炭化し黒ずんだ男は力なく膝をつく。あんな攻撃を受けても息はあるか。
俺は奴の前へ立つ。これで終わりじゃない。
「……ゴ、ゴブリ……ン。やりやがった……なァ」
「立てよ」
「ぐぅうう」
足取りはおぼつかないながらも、立ち上がる。まだ反逆者は倒れない。
次回更新予定日、4/2(日) 10:00




